『週刊新潮』 2010年3月11日号
日本ルネッサンス 第402回
鳩山由紀夫首相の後押しで、夫婦別姓法案が閣議決定されそうな状況が生まれている。以前から夫婦別姓法の確立に意欲を示してきた千葉景子法相は、民主党政権が実現した現在を好機ととらえ、作業を急いできたと思われる。鳩山内閣の支持率が下がる中、千葉氏が動きを加速させ、それを鳩山首相が「基本的に賛成だ」(2月16日)との発言で応援しているのが現在の状況である。
周知のように、もはや民主党内では自由な議論の場は存在しない。部門会議は廃止、議員立法は禁止、政策立案は全て政府が行う。自由な議論なしには民主主義は成り立たない。だが、表向き議会制民主主義の旗を掲げる小沢一郎幹事長も、小沢氏に従う首相も、自らの政治姿勢と現実のギャップなど、一向気にしない。
そんな状況下、わずかに用意された議論の場が省毎の政策会議だ。大臣、副大臣、政務官の三役で省の政策を決定し、閣議に持ち込んで閣議決定して国会に提出するのだが、その前段階で、副大臣主催の政策会議が開かれる。与党議員は参加して意見を表明することが許されている。
法務省は2月23日、翌日の政策会議は民法改正、つまり夫婦別姓法案が議題だと通知した。直前の発表自体、出来るだけ党内議論を回避したいと考えてのことか。しかも、24日の政策会議では加藤公一副大臣らが法案の説明をしただけで、議員による自由な意見交換はなかったそうだ(『産経新聞』2月25日)。仮にこのまま法案が決定され、前述のプロセスで国会に提出されれば、民主党の民主主義は死んだに等しいのである。
千葉法相が準備させた法案の骨子は、①夫婦は結婚に際して別姓か同姓を決定する、②決定後の変更は認めない、③子供の姓は夫婦いずれかの姓に統一する、である。
法案が成立すると、一体どんな影響が出てくるのか。また、この法案は日本の社会を構成する基本的価値観とどのように整合するのか。
社会の基本は家族
まず、日本社会全体への影響である。いま日本の社会を見渡すと、本当に多くの問題があることに気がつく。子供たちが親を殺害したり、安易に犯罪に走ったり、本来、優しい視線を注ぐべき弱者を苛めたり、そして何よりも自分自身の価値に気づくことなく、人生を投げやりな気持で浪費しているかのような若者も少なくない。頻繁に見られるこうした現象の背景に、家庭や家族の崩壊があると、私は感じている。それだけが原因ではないだろうが、ひとつの大きな原因だと思う。
その意味で、私たちはいま、家庭や家族の重要性に思いを致し、家族の絆や相互理解を深める努力をこそ重ねるべきである。夫婦も家族もバラバラにしそうな夫婦別姓の思想は、明らかにそれとは逆行する。
この問題に詳しい日本大学教授の百地章氏は、夫婦別姓が、家庭の崩壊と家族の絆の消失につながりかねないとして、次のように語った。
「千葉法相も福島瑞穂氏も、現行憲法の信奉者ですが、日本国憲法を作らせたマッカーサーでさえ、家族、家庭を社会の基礎として大事にしていたのです。現行憲法の作成過程を見ると、そのことがよくわかります。第二次試案に家庭と婚姻について定める条文が置かれ、『家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは、法の保護を受ける』と規定されていました。結婚、家庭、家族を大切なものと考える同条文は、現行憲法には必ずしもそのまま残ってはいませんが、それは、あまりにも当然のことなので書き入れなくてもよいと考えてのことでした。家庭や家族を否定したわけではないのです」
世界人権宣言にも「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」(第一六条3項)と、規定されている。社会の基本は家族であり、個人ではないという認識は、国際社会共通のものだと百地氏は強調する。
このことをもう少し踏み込んで言えば、家族を家族として成立させる最低限の道徳や価値観を、施策を講じて守る努力が、国に求められているということでもあろう。
夫婦別姓の当然の帰結が親子別姓である。その場合、子供の側に生ずると予想される不安や不利益、一体感の喪失をどのように補ってやれるのか。親の愛に包まれ、保護を受け、絶対的な安心感の中で育てられるべき子供の立場から家族を見る発想が、別姓法案には欠けている。
一人一人を家族の一員としてよりも、個人と見做す別姓制度が2代、3代と続けば、家族の連続性が見失われる事態が起きてくる。百地氏は次のように警告する。
「たとえば、片方とはいえ親と別姓の子供は、おじいさんやおばあさんとも別姓になる確率が高くなります。家族が別々の姓で暮らす中で、祖先の祭祀やお墓の維持は、ますます、蔑ろにされていくでしょう」
『楽しくやろう夫婦別姓』
祖先を大事にし、お墓を守っていくことは日本人の価値観の基本である。しかし、問題はこの基本部分が崩壊しつつあることだ。だからこそ、別姓問題も起きてくる。現に福島氏を含む共著『楽しくやろう夫婦別姓』(明石書店)はこう書いている。
「日本のお墓はめったやたらと暗い。(中略)それは、墓石の黒さだけによるのでなく、お墓の中に、序列・競争心・権威がプンプンただようからだ」と書き、その「きわめつけは、『○○家の墓』という、あの家を誇示する表示」と断じている。
氏らは、日本のお墓をハワイの墓地、パンチボールと較べて書く。
「『これがお墓?』というくらい、明るく美しい。思わずねころんでみたくなるような、一面のみどりの芝生」
福島氏らは、パンチボールを、「太平洋国立墓地」と解説しているが、実はここは軍人たちとその家族の墓である。日米が戦った第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した軍人のみならず、それらの戦争で戦い、兵役を無事に務めた元軍人らが眠る墓所なのだ。
私はハワイ州立大学で学んだが、恩師の一人は第二次世界大戦で日本と戦い、現在、90歳近いお年である。恩師は、自分が永遠に眠る場所はパンチボールしかなく、先に逝った妻はもうそこで僕を待っていてくれると語る。福島氏が靖国神社に参拝したとは寡聞にして知らないが、戦争や軍事を殊の外嫌う人物が、ハワイの軍人たちの墓であるパンチボールを「明るく美しい」と絶賛し、「ねころんでみたい」というのである。
戦争、歴史、一切の価値観に関して、日本を悪し様に考える思想が、夫婦別姓推進の背骨になっていると言えば言いすぎであろうか。そんな背景を考えれば、別姓法案には、尚更、賛成出来ないのだ。
『週刊ダイヤモンド』 2010年2月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 825
民主党の小沢一郎幹事長らの強い指導で推進されているのが外国人参政権法案である。これは民主党の政策集「INDEX 2009」には書き込まれていたが、選挙に際して掲げられたマニフェストからは削除された。同法案の問題点についての国民の理解は進み、危機感も強まっているが、その陰であまり注目されていないのが夫婦別姓法案である。
夫婦別姓法案も、民主党政策集に記載されているが、マニフェストには載っていない。双方共に、日本社会に深刻な負の影響をもたらすと思われ、それだけに有権者の反発を買い選挙には不利だとして、マニフェストに盛り込むのが見送られた経緯がある。
民主党の夫婦別姓法案では夫婦は別姓、子どもは父母どちらかの姓になる、複数の子どもがいる場合、子どもの姓は、父母どちらかの姓に統一するという内容だそうだ。ただし、従来の民主党法案は、子どもごとに父母どちらかの姓を選択することになっていた。
なぜ、こんな法案が生まれてくるのか。夫婦別姓を是とする人びとのなかに、女性の自立や人格の尊重を理由とする人は少なくない。仕事を続けるとき結婚によって姓が変わるのは、通常、姓が変わらない男性に比べて不公平で女性の権利の侵害だとする声もある。
後者については、現在も許されている「通称」で解決する問題ではないか。結婚後も旧姓で仕事を続けることは可能で、その実例も少なくない。
前者の理由についても、歴史を振り返り、他国の例を見れば、姓が変わることをもって「女性の自立や人格」が損なわれるという考えが的はずれであることがわかる。
韓国では、結婚後も女性は旧姓を名乗る。女性運動が華やかだった1960~70年代に、韓国の事例は女性蔑視の例として語られたものだ。差別するがゆえに、夫と同じ姓を名乗らせず、族譜(家系図)にも載せないのだといわれた。
その説明の正否は、ここでの重要事ではない。重要なのは、韓国の場合も含めて、すべての国の家族制度のあり方は、その国の文化文明、価値観を反映しているということだ。日本には日本の家族制度があり、それは私たちの文化文明であり、先人たちが長い期間をかけて築き上げた価値観だ。
では、日本の女性たちは自立もできず、人格も尊重されずに生きてきたのか。答えは否であろう。日本の女性たちが、同時代の欧米の女性たちに比べてどれほど力を持っていたかについて、多くの人びとが書き残している。渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)には外国人が見た日本の女性の生き生きとした姿が多出する。長岡藩の城代家老の娘、杉本鉞子の『武士の娘』(ちくま文庫)には、日本の女性たちが手にしていた現実生活における力の程が描写されている。
そしてもう一冊、磯田道史氏の『武士の家計簿』(新潮新書)には、武士の家庭における俸禄(給料)の配分の実例が示されている。おカネの配分はすなわち力の配分である。
それによると、一家内での女性の取り分は驚くほど多い。俸禄を稼いでくる本人よりも妻や母、祖母のお小づかいのほうがはるかに多いのだ。前述の鉞子は、妻は銀行家でもあると書いたが、女性が家の経済を差配したということだ。このような日本の社会の実態を見れば、民主党の夫婦別姓法案の必要性や根拠は揺らぐ。
同法案の源をたどれば、その考えは戦後の占領政策の下で行われた徹底的な家制度の破壊に行き着く。現在、私たちが直面する多くの問題が家庭の破壊に端を発するという側面を持つのは周知だ。今必要なのはよい家庭を築く努力を社会ぐるみで行うことであり、さらなる家庭の崩壊と社会基盤の液状化をもたらす夫婦別姓を推進することではないのである。
『週刊ダイヤモンド』 2010年1月23 日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 822
今月11日の政府・民主党首脳会議で、永住外国人に地方参政権を付与する法案を18日召集の通常国会に提出することが確認されたと報じられた。
同法案に関して、民主党内にはもともと深い亀裂があった。推進派の小沢一郎、鳩山由紀夫、岡田克也各氏らの勢力に反対する渡辺周、長島昭久、松原仁各氏らが存在し、法案を推進すれば民主党は分裂しかねないと見られていた。だからこそ、マニフェストにもこの項目は盛り込まれなかった。
ところが今、小沢氏らは、一挙に同法案の成立を図ろうとする。この性急さは何故か。
地方参政権問題が再浮上したのは昨年10月、鳩山首相が訪韓したときだ。李明博大統領との共同記者会見で質問され、首相は「国民の感情、思いは必ずしも統一されていない」が、「前向きに検討したい」と表明した。
小沢氏も動いた。民主党政権樹立直後に訪日した李大統領の実兄であるハンナラ党の李相得(イ・サンドク)議員に、「通常国会で目鼻をつけたい」と語っている。
その後、小沢氏は12月に訪韓した。600人の大代表団を引き連れて中国を訪問した帰り、皆と別れてほぼ単身での訪韓である。11日夜に韓国入りし、翌日、ソウル国民大学で講演し、「日本政府の姿勢を示す意味でも政府提案として出す」と語った。
同日、小沢氏は李大統領と非公式の会談を行い、大統領主催の晩餐会にも出席した。だが、氏がどのような会話を交わしたのか、日本側はほとんどつかんでいない。通訳も含めてすべて韓国側が準備を整えたからだ。
政界の実力者、小沢氏が韓国大統領と会うのに日本側の通訳も同行させず、日本政府がその発言を把握出来ないというのは異常である。この秘密めいた実力者同士のサシの会談で、小沢氏が参政権問題についてもなんらかの約束をしたことは考えられる。結果として、通常国会に法案を提出するという現在の民主党の方針がある。
小沢氏は自身のウェブサイトに外国人参政権推進の理由を書いている。要約すれば、(1)永住外国人の大半を占める朝鮮半島出身者は強制的に日本に連行された、(2)参政権取得には帰化が最善だが、国籍取得のための法律的な要件が厳しく、帰化が難しい、の二点に尽きる。
(1)は明らかに間違いである。確かに戦前戦中に強制連行などで日本に来た人々は約200万人に上る。しかし、今日本在住の朝鮮半島出身者の大半は、日本の敗戦で多くが朝鮮半島に戻ったなか、自らの意思で日本に残った人々だ。あるいはさまざまな理由で、戦後日本に来た人々だ。
ちなみに朝鮮半島出身のこれらの人々は永住外国人として分類される。一般永住外国人とは異なり、参政権を除けばほぼ日本人と同等の種々の権利を与えられている。
(2)については、私も疑問に思い、シンクタンク国家基本問題研究所で、帰化の法的要件には改善の余地があると指摘し、具体的に提言を行ってきた。その意味では小沢氏の指摘に同意するのだが、しかし、だからといって、一足飛びに、外国籍のままで参政権を与えるということにはならない。
深刻な問題だと思われるのは、小沢氏らの提案する外国人参政権法案が永住外国人を超えて一般永住外国人に参政権を与えるという内容である点だ。つまり、急増する中国人永住者に参政権を与えるという意味だ。
現在、日本在住外国人の最大勢力は中国人で65万5,000人強、うち永住資格を取得ずみの人々は14万2,000人余だ。この数は年々際立って増えている。これでは中国共産党員の資格を持つ人々が、日本で投票権を行使して日本の政治を動かす事態を招きかねない。まさに悪夢ではないか。
以上の理由で私は民主党の外国人参政権付与案には断固として反対である。
『週刊新潮』 2009年12月3日号
日本ルネッサンス[拡大版] 第389回
「 教育崩壊 」 (後編)
日本にはいま、短大を含め1,200近くの大学が存在する。大学院大学も各地に創設された。これだけを見ると、日本は文字どおり高学歴の、知的国家であるかのような印象だ。その一方で、日本の学生たちの著しい学力低下は覆うべくもない事実だ。
高等教育の実態把握のために、京都大学経済研究所所長の西村和雄氏らが数学力についての比較テストを行ったのは2001年だった。対象は大学の学部生、院生、短大生である。結果は予想以上に深刻で、西村氏らは危機感を深めた。
「旧帝大の経済学系院生の学力の水準が、同じ大学の学部生や地方の国立大学の夜間の経済学部の学生よりも低かったのです。98年に調査した女子短大生と同じレベルでした。驚いて翌02年、調査科目を英語、国語、理科、社会にも広げました」
その結果も惨憺たるものだった。問いによってバラつきはあるが、前年同様、院生の学力の信じ難い低下が明らかになった。たとえば、{1+(0.3-1.52)}÷(-0.1)2 (2は二乗)の計算である。
基本ルールさえ知っていれば、単純計算を順序どおり行うことで解ける問いだ。にもかかわらず、院生の正解率は半分以下の48%にとどまり、短大生の正解率、60%に及ばなかった。
ガラスに当たった光が空気の中でどの方向に進むかの問いは、短大生の90%が正解したが、院生の正解率は67・1%だった。
他にも、平安時代と室町時代のどちらが古いのかを知らない院生、アメリカの首都名を知らない院生、絶体絶命の「体」、五里霧中の「霧中」が書けない院生も、少なくなかった。理系知識においても文系知識においても、呆れるほど貧しい院生たちの現実が浮き彫りにされたのである。
繰り返すが、これは旧帝国大学の大学院生の調査である。明治維新以来、日本は目ざましい発展を遂げて世界を刮目させた。それを可能にしたのが、学問研究の基礎を担い、人材を育て上げた旧帝大である。つまり、東大、京大、東北大、九大、北大、京城大、台北大、阪大、名大だった。日本の敗戦後の1947年、旧帝大から「帝国」の文字が消え、京城大学と台北大学はなくなった。かつて日本の知的土台を構成し、日本飛躍の原動力となった旧帝大の、その院生たちにいまなにが起きているのか。
西村氏も、東大名誉教授で千葉工業大学惑星探査研究センター所長の松井孝典氏も、学力低下が特に顕著な理系の分野について、その背景に文部科学省の間違った教育政策があると指摘する。
91年7月、当時の文部省大学審議会の大学院部会が「大学院の量的整備について」という中間報告を纏めた。「2000年までに大学院生を倍増し、18万人程度にする」との内容だった。
院生倍増の理由は、研究者需要の拡大が予想される、企業が高度の専門知識と能力を備えた人材を求めている、留学生の増加が予想されるなどとされた。
右の中間報告は政策に反映された。結果、91年当時約9万人だった大学院生は10年後に20万人を超え、06年には26万人へと、倍増にとどまらず3倍近くに増えた。
では、日本人の知的水準もその分、高まり、世界を牽引するような研究成果を生み出してきたのか。結果は正反対である。先に見たように、まず、日本人学生の質が低下した。そしてもうひとつの大きな変化が生まれた。日本の大学院がまるで中国をはじめとする外国人留学生のための学問研究の場となったかのような状況が生まれたのだ。
松井氏は今年3月の定年まで東大で教えていたが、まず日本人学生の質低下の背景についてこう語る。
「学生の基礎学力の低下は、東大も同じですが、とりわけ深刻なのが大学院でした。定員が大幅に増やされた結果、学部よりも大学院の定員のほうが多いという珍しい事態が生じました。結果、院生は内部進学者よりも外部進学者の方が多くなり、大学院入試の平均点も下がっていったのです」
中国人留学生に席巻
かつては、定員に満たなくても、研究レベルに達していない学生を院生として取ることはしなかった。ところがいまや定員割れは許されない。定員割れすると、教授削減の圧力が文科省から掛かる。さらに教授の評価基準のひとつに「どれだけの数の学生を育てて博士号をとらせたか」がある。
こうした状況の下で、学力の低下した日本人学生を相手に教授らの涙ぐましくも虚しい努力が続いた。
「どんなに成績の悪い学生でも、一定数は博士課程に上げて論文を書かせなければなりません。そのため多くの教授が、学生の代わりに論文を書いてやるような状況が生まれています」と松井氏。
地方のある国立大学法人では、どうしても修士論文を書けない院生のために、講義終了後にレポートを提出させ、2本のレポートで修士の学位を授与することを検討している例もある。
西村氏は責任の大きな部分は文科省の矛盾する方針にあると語る。
「ゆとり教育で最も置き去りにされたのが理科教育でした。僕らが高校生のときは95%が物理を履修しましたが、いまの高校生は約10%です。そのなかで物理に秀でる生徒は100人中5人くらいでしょう。文科省はこんなカリキュラムを組ませ、日本の子供たちは物理を学ばなくてもいいという酷い教育をしてきた。そしていざ大学に来ると、基礎が出来ていない、それでも定員を守って、院生を取れという。となると、外国人留学生を取らざるを得ないでしょう。留学生の約6割は中国人学生です」
こうした一連の事情に加えて、日本の高等教育が外国人留学生、特に中国人留学生に席巻される要因に、政府の積極的な留学生受け入れ政策がある。京都大学大学院人間・環境学研究科教授の中西輝政氏が疑問を語った。
「自民党政権のときに留学生を30万人に増やす計画を作りました。アジアからの留学生を積極的に募集するといいますが、大半が中国の学生です。国を挙げて中国人を迎え入れる、こんな国策は他国では聞いたことがありません。日本は本当に珍しい国です」
中国人留学生急増の背景に、日本の国費、もしくは民間の奨学団体による支援の充実がある。大学によって事情は異なるが、留学生への経済的支援策は、日本人の大学院生に対する支援策よりもはるかに手厚いのである。
自民党参院議員で安倍・福田内閣で教育再生担当総理補佐官を務めた山谷えり子氏が語った。
「外国人留学生1人につき、1年間で奨学金として約250万円、かかると言われています。優秀な学生に来てもらい、留学後も日本に残ってくれたり、母国へ帰った後に日本との架け橋になってくれることを期待して生まれた制度です。しかし残念ながら、いまの日本はそのような国家戦略を持ち合わせているように思えません」
「目が死んでいる学生」
政府の留学生優遇政策を反映して、各大学も積極的な支援策を講じている。松井氏が語る。
「東大には『東京大学博士課程研究遂行協力制度』という独自の制度があり、博士課程の大学院生2,000名に、年間30万円を支給しています」
この制度は必ずしも留学生だけを対象としたものではないが、私費留学生でも申請すれば支給して貰えるために優秀な外国人留学生確保のための制度という意味合いが強いと指摘されている。
この他にも、東大は東大フェローシップ(外国人留学生特別奨学制度)で、優秀な留学生140名程度に月額15万円を援助している。
「そもそも優れた学生に来てほしかったら、魅力的な大学作りを行い、優れた教授陣をえていい教育をするべきなのです。教授陣の給料を抑え、削ったお金を留学生に渡して呼び集めようという考え自体がおかしい。外に目が行きすぎて、内に対する視点がなくなっています」
外国人留学生、とりわけ中国人学生への豊かな経済支援策とは対照的に、日本人の院生たちを取り巻く状況の厳しさを指摘するのは水月昭道氏だ。
氏は、立命館大学人間科学研究所研究員で、「高学歴ワーキングプア」という言葉を創った人物だ。外国人留学生との比較で、日本人の院生の「不利な状況」について氏は、こう語る。
「分野にもよりますが、修士号に2年、博士号に3年、計5年を大学院ですごすと、学費だけでも平均で600万円はかかります。日本の院生は奨学金を借りている人が多い。多くの留学生は日本人院生のように借金をしなくてすみます。日本の文科省も留学生の母国政府も彼らにさまざまな援助を提供し、就職先も確保されていますが、日本人の院生にはそれがありません」
奨学金を借りたか、自費で学んだかは別にして、院生らが博士課程を修了しても就職率は約50%だったこともある。2人に1人が就職出来なかったのだ。その数は毎年5,000人近くに上り、これまでに約10万人の高学歴無職者が生まれている。
氏は語る。
「大学は彼らを非常勤講師として安く使います。代わりは幾らでもいると、大学側は考えますので、状況は改善されず、やる気のある人でもやむ無く国外や民間企業に行ってしまいます」
国立大学のある教授は、このことを逆から見てこう語った。
「外に出るだけの実力も気持もない『博士たち』が研究室に残るのです」
別の教授もこう語った。
「院生を日本人学生と中国、もしくは韓国の学生で較べると、文句なしに意欲のあるのは中韓の学生です。能力も中韓の学生のほうが高い場合が圧倒的に多い」
松井氏は東大の本郷キャンパスで3、4年生を教えてこう感じたという。
「みんな目が死んでいるのです。僕らの時代は、東大理学部に入る学生は圧倒的多数が研究者志望だった。しかしいまは、学力が低下して学部学生でも何をやりたいのかわからない人が増えた。そうした目の死んでいる学生を相手に授業をすることは、研究者として一番耐えられないことでした」
こうしてみると、日本人学生の学力の低下と政府の留学生政策が、負の相乗効果で下降スパイラルを形成しているのが見えてくる。中国はその間にも留学生を国家建設のために積極的に活用してきた。
中西教授の指摘である。
「鄧小平の時代から、過去30年間、中国は技術開発を自力で行うより、先進科学技術立国に学生を送り、技術を持ち帰らせることを国策としてきました。日米欧に積極的に学生を送り出しましたが、知的財産権の概念が確立されてから、米国は敏感に反応し、技術流出に厳しい制限を課しました。留学生や企業の技術者が出国しようとして、米国政府当局に身柄を拘束されるケースが相つぎました。結果、ここ10年ほど、日本への優秀な中国人留学生が増えたのです。ここ数年来の米国の状況、中国の国策を考えると、各々の学生が分野別にミッションを受けて、先進的な技術や知識の習得・吸収を目的に来日していると見てよいでしょう」
そのような状況があるにもかかわらず、日本の留学生優遇政策はなんの検証も加えられることなく続いている。たとえば、中国人留学生たちは、卒業後どのようなコースを歩んでいるのか。国費を投入して育てたからには、卒業後の彼らが日本のために役立っているか否かを調べ、後学のよすがとしなければならない。だが、文科省は満足な追跡調査さえ行っていない。国費は投入されたまま、放っておかれているのだ。
悪しき成果主義
これ以上の政策不在はないだろう。どの国にとっても人材こそが国の基礎である。とりわけ資源もなく、隣りに大国たらんと渇望し、尋常ならざる努力を続ける覇権主義の中国を抱える日本にとっては、各分野で優れたリーダーとなる人材を育成しなければ、国そのものがもたない。にもかかわらず、人材育成に最重要の役割を果たす高等教育の場において中国人留学生らの席巻を許し続けている。彼らをも育てながら、日本人学生をどのように育てていくのか。なにを為すべきなのか。元文科大臣の伊吹文明氏は、日本の高等教育における質の低下は大学院生の数の倍増だけでなく、5年前に実施された国立大学法人化に大きな原因があるとして、次のように語った。
「国立大学を法人化したことによって、大学人が教育者であることに専念出来ず、経営者や管理者に化けてしまった。大学教育がすぐに経済的メリットや金を生み出すものに特化した感があります。明らかに大きな弊害が生まれており、日本にとっての深刻な危機です」
国立大学法人化は、国立大学の経営を合理化し、競争力を強め、学問研究をさらに高度に推進するための改革だったはずだ。現実に起きたことは、しかし、その目的とは大きく外れた、大学らしからぬ民間企業のような評価基準の導入だった。政府は大学に出してきた運営費交付金を減らし、大学自らがお金を集めるよう誘導した。長い思索の時を費やして為される人類に貢献するような研究は許されなくなった。短期的に成果を出すことが求められ、悪しき成果主義が目立つようになった。伊吹氏はそのことに言及し、断言する。
「大学を国立に戻すべき」
高等教育の惨状を改善するには、伊吹氏の指摘するような大胆な発想が必要である。1,200校にも上る大学の整理統合も必要だろう。同時に、例えば旧帝大を真に日本を代表するエリート校として立て直すことが欠かせない。それらを、中国の精華大学や北京大学、米国のハーバード大学などに劣らない大学にするには、大学への文科省からの天下りをなくし、大学教育への官僚の影響を排除すること、十分な予算を注入し、長期的かつ自由な研究を許すことは基本の中の基本である。
『週刊ダイヤモンド』 2009年11月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 814
鳩山由紀夫氏がまだ民主党幹事長だった今年4月、彼は外国人参政権問題についてこう語っている。
「まさに愛のテーマだ。(私が)友愛と言っている原点はそこにある」
さらに、氏はこうも語った。
「仏教の心を日本人が世界で最も持っているはずなのに、なんで他国の人たちが、地方参政権を持つことが許せないのか」(「産経新聞」2009年10月10日付)
氏は、外国人の参政権は地方政治にとどまらず、国政においても認められるのがよいとまで明言する。国政選挙に外国人を参加させて、国家というものが維持出来るのかなどという発想は、氏には無縁なのであろう。
この鳩山政権下で外国人参政権問題が急展開し、実現されかねないという懸念は少なからぬ人びとが共有する。だが、首相の夢見る少年のような幼い発想とは別に、外国人参政権問題についての民主党の意見はまったく集約されていない。意見集約が不可能だったからマニフェストにも載らなかった。
他方、民主党は個々の議員による立法を事実上禁止する通達を、小沢一郎幹事長名で九月一八日に出した。民主党の法案はすべて政府提案、いわゆる閣法として出す、個々の議員は立法などせず、次の選挙に備えて政治活動に専念せよという趣旨の通達である。
立法府の面々に立法を禁ずるという尋常ならざるこの通達は、従来、多くの議員立法を行ってきた民主党の、闊達な議論を封殺するものだ。
こうした状況下の11月6日、山岡賢次国対委員長が、突然、自民党の川崎二郎国対委員長との会談で、現在の国会に外国人への参政権付与法案を議員立法で提出すると述べたのだ。
山岡氏は、党内に賛否の溝があるために、党議拘束をかけずにやるとの考えも示した。つまり、政府としての統一見解が出せないから、閣法でなく議員立法でやるというのである。なんというご都合主義か。
私は、そもそも、議員立法を禁ずること自体反対である。また、そのルールを例外的に破り、自分たちの通したい法案はなんとしてでも通すという独善主義にも反対である。
それでも、山岡氏は自信をうかがわせた。小沢チルドレンと呼ばれる1年生議員143人は、ほとんどが小沢、山岡ラインの指示に従って、参政権付与法案の支持に回るであろう。社民党、そして民主党、自民党のリベラル派を足せば、法案可決は可能だと確信している口振りだ。
民主党で外国人参政権に最も熱心な人物の一人、川上義博参院議員も9日、可決に向けての「自信はある」と述べている。
地方参政権というが、地方自治体は、原子力発電所や米軍基地などに代表されるように、国家政策の根幹にかかわる問題に直接関係している。地方選挙だからといって軽視は出来ない。
また、地方参政権付与の対象となる在日永住者のなかには金正日政権に忠実な朝鮮総連加盟者が多数存在し、中国共産党員もいる。韓国籍の永住者は韓国の参政権も保有しており、日本の参政権を得れば、日韓両国で政治に直接かかわる立場を得る。
民主党は、韓国が05年に外国人に地方参政権を認めたのであるから互恵主義で日本も同様にせよと主張する。だが、韓国で永住が認められるのは韓国人の配偶者やその子どもたちに限られ、永住在韓日本人は約300人にすぎない。特別永住資格を与えられた在日韓国人約40万人(朝鮮籍の人々を含めると約45万人)とは比較にならない。つまり、互恵主義は成り立たないのだ。
このような矛盾と問題を抱える法案だけに、反対論が続出し、山岡氏は現時点での法案提出を断念した。独善的手法で突っ走りかねない民主党の政権運営には、不安がいっぱいだ。
『週刊新潮』 2009年11月19日号
日本ルネッサンス 第第387回
先週の小欄でも詳述したが、鳩山由紀夫首相は事前に内容を詰めることもなくCO2排出を1990年比で2020年までに25%削減するという、空前の政策を国連で発表した。
同案作成の中心人物だった参議院議員の福山哲郎外務副大臣は「Voice」12月号に、「政権交代によって、政策決定の在り方も180度変わった」として、以下のように書いた。
「もはや、『やれるか、やれないか』『やれるものをやろう』で政策を決めるのではない。『これをやる』という政治の意思を示し、そのために行ないうる政策を総動員する方向へと、舵は切られたのだ」
福山氏は、麻生太郎前首相の打ち出した05年比15%削減案は「あまりに中途半端」「説得力がない」「中国やインドなどに、新しい枠組みに参加しない理由を与えているも同じ」と手厳しいが、果たしてそうか。
たしかに民主党の25%削減案は「中途半端」ではない。異常なほど突出している。だが、同案は麻生案より余程「説得力がない」。民主党自身、25%の根拠もその実現策も未だ示し得ていない。また、福山氏は麻生案では中国やインドの参加が得られないと言うが、鳩山首相が国連で衝撃の25%目標を打ち上げても、米中もインドも乗ってこなかった。逆に、先進国に40%削減を求めてきた中国は日本に倣って削減にコミットするより、さらなる援助を求めた。
私も関わっているシンクタンク「国家基本問題研究所」で10月20日、民主党案についての研究会を開いた。同案の日本経済への影響について、経団連環境安全委員会委員長の坂根正弘氏は語った。
「日本は世界のGDPの8%を占める一方、CO2排出では4%です。どの業界も多分、(省エネにおいては)自分たちが世界一だと自負している。もし世界一でないなら、潔くペナルティを払うと、皆、言うと思います」
月餅を降らせているのは日本
世界一の自負があればこそ、従来の自民党政府の、そしてこれからの民主党政府の、日本がCO2削減目標値を達成出来ない場合に払うペナルティには納得いかないというのだ。
「先に経団連は05年比4%削減案を発表して批判されました。この数字は、欧米諸国が13乃至14%削減案を出し、それに必要な費用と同じ削減費用を日本がかけるとしたら、4%に相当するということで打ち出したのです」
坂根氏が語ったのは限界削減費用、追加的にCO2を1トン削るのに必要な費用のことだ。省エネが進んでいる企業や国ほど同費用は高くなるのであり、現在、限界削減費用は、全世界で日本が断トツに高い。
21世紀政策研究所が興味深い試算を行った。限界削減費用の算出には、削減目標値、基準年などの要素が関ってくるが、各国が掲げる目標値を基に計算すると、1トンのCO2を削減するのに、EUは54ドルかかる。カナダ65ドル、豪州25ドル、米国16~30ドルに対して、麻生政権の05年比15%削減なら、150ドルだった。鳩山首相の90年比25%なら、なんと、621ドル~1,071ドルに跳ね上がる。
日本は京都議定書で公約した6%削減を国内では達成出来ず、排出権取引で排出枠を海外から購入した。つまり、日本の企業が外国企業に最新鋭の技術を提供し、そこで生じた排出量の減少分をその外国企業なり政府が排出権として確保し、それを日本政府が税金で購入したのだ。
自民党政権は06~08年の3年間で26件の排出権取引を実施、内19件が中国相手だった。日本の技術による設備更新と金銭的メリットを当然の権利であるが如く享受するのが、中国にとって通常のパターンになっているのだ。待っていれば月餅が空から降ってくると中国人はほほ笑む。月餅を降らせているのは日本である。
排出権を購入してきたのは政府だけではない。経済界も同様だ。これまでに電力、鉄鋼業界を中心に日本の産業界は京都議定書の6%達成のために排出枠を購入してきた。支払額は1兆円に達すると経団連はいう。
「我々には京都議定書のトラウマがあります。結局、米国も中国も参加せず、EUは自分たちに有利な1990年が基準だと主張し、日本はこの日本に不利な条件を呑んだ。結果、世界一の燃費効率を血の滲む努力で達成した我々が非難される事態となった。なぜこうなるのか……。鳩山さんは高い目標を掲げて日本が世界をリードすると仰る。全世界の4割強のCO2を排出する米中は本当にその高い目標についてくるのか。私は本当に心配しています」
福山氏は前述の記事で、「『各国が賞賛』といった評価を受けたのは今回の鳩山発言が初めてである」と胸を張った。確かに各国は賞賛した。だが、そこには人類社会の理想を共に目指そうとの前向きの賞賛とともに、「もっと大量の月餅を日本が世界にバラ撒くことになる」と、ほくそ笑みつつ捧げた賞賛もあることを知らねばならない。そこが解らなければ、あまりにも外交音痴である。
日本が一人負けをする
坂根氏は鳩山首相の「政治主導」で、このままCO2削減が実施されれば、鉄鋼のような基幹産業は日本に立地出来なくなると警告する。
「鉄や化学は生産段階のCO2比率が大きい割に、対価がもらいにくい。新日鐵がもの凄いコストをかけてCO2を減らして作った鉄でも、鉄は鉄です。小松やトヨタが高く買うかと言えば、そうはならず、安い外国の鉄を買うでしょう。結果、日本の鉄鋼産業は成り立ちにくくなります。
一方、鉄を買った製造業、たとえば私の会社である小松製作所の場合、一台の建設機械によって生ずるCO2のうち、鉄やゴムなどの素材段階で4%、会社で機械を製造するのに4%、残りの92%は機械のユーザーが燃料などで排出します。したがって、素材や製造段階の4%ずつを締め上げて削るよりも、92%分を如何に効率よく削るかという発想が大事です」
こう言うと、産業界は抵抗勢力のように非難されるが、決してそうではないと氏は強調する。産業界の提案は産業毎のモデル作りである。
「産業毎に最新モデルを出して、情報開示をし、各国のレベルをそこまで上げる。相当難しい課題ですが、我々は我々の技術への正当な評価を得たうえでそれらを提供し、全世界のCO2を削減しようと考え、ある時期まで、極めて真面目にこのセクター別アプローチで世界を引っ張ってきた。ところが、ここにきて鳩山さんの政治主導で完全に違う方向に向かってしまった。非常に残念です」
民主党案の25%削減で日本が一人負けをする自縄自縛に陥りかねない。日本の技術を生かしてビジネスチャンスにつなげるためにも、民主党は世界への愛に加えて、もっと日本の国益を考えよ。真面目に産業界の主張にも耳を傾けることだ。
『週刊ダイヤモンド』 2009年10月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 810
日本の金型産業が危ういと、メディアで報じられ始めて久しい。それでも、日本の金型産業を担っていた人びとは、秘かな自信を失いはしなかった。
彼らの自信の根拠は、金型はたいそう複雑な産業で、簡単にまねが出来ないところから生まれていた。
たとえば一台のクルマのモーターを作るには、ざっと見て、1,000枚ほどの非常に薄い板を、一枚一枚絶縁しながら重ね合わせなければならない。一枚一枚の金属板の素材は超硬と呼ばれる最高の硬度を誇る。ローラーで引っ張って金属板を超薄に仕立てていくのだが、その際、横に働く圧力の強さを勘案しなければならない。
そこはもはや芸術といってもよい次元の仕事で、扱う素材がどの素材メーカーのどの工場で作られたかさえ考慮しながら、「金型設計の技能屋」が仕立てていくのだそうだ。
だからこそ、中国や東南アジアに金型産業が移転したといっても、日本では当然のこととして調達できていた品質の金型が調達できない、同レベルの金型なら日本よりも高い、納期も守らない、維持管理が難しいなどの問題が発生する。だから、日本の金型産業が競争力を失うことはないと、考えたのである。
そんな人々のなかに横田悦二郎氏がいた。
氏は優れた金型企業の一つである黒田精工で、金型技術の開発を手がけた専門家である。かつて自信を持っていた横田氏が、今、「私は大本営になろうとしているのだろうか」と、言って告白した。
「数年前はメディアで、危ういと言われても大丈夫だと思っていました。そのように発言して元気を出そうと旗を振ってきました。けれど今、本当に危うくなっているのです。日本の金型産業は大丈夫、競争力はあると言い続けてきましたが、真実でなくなっているのかもしれないと、不安です」
数年前まで、日本の金型企業が直面していた危機の一つが、顧客、つまり、金型の発注元が、コスト削減のために中国などに工場を造り、日本の金型企業が作った金型の図面を勝手に持ち出して、海外で製造するというものだった。
それでも十分に深刻過ぎる危機だが、今起きている危機は、日本の金型企業が中国などに技術を売るケースや、企業が丸々、外国資本に買い取られてしまうことだという。
金型企業の九割以上が従業員19人以下の中小零細企業だ。受注の激減によって、背に腹は代えられず、中国などに技術を売ってしまうケースが少なくない。
また、金型企業トップ4社のうちの一つであるオギハラの場合、従来から取引のある金融機関から必要とされる追加融資が受けられず、資金繰りに行き詰まった。日本のより大きな銀行からの借り入れの道も、種々の事情で切り開けなかった。そこで外国資本に頼ることになり、今春、サミットが八四%の株を持ち、オギハラはタイ資本の企業となった。
オギハラは乗用車のボディの金型を作れる数少ない大手企業の一つだ。日本のメーカーも、乗用車のボディの金型を、タイから輸入しなければならない日がくるかもしれない。
横田氏が強調した。
「企業が丸々、外国資本に買われてしまうのです。こんなケースはこれからも増加すると警戒しなければなりません。けれど、救う道はあります。政府が数十億円、数百億円の資金を一時、回してくれればよいだけです。わずかなおカネです。
金型産業は全産業の基本を支えています。金型産業を支えることは日本の産業を支えることです」
民主党は明らかに大きな政府をつくりつつある。ならば、こうした分野にこそ、どこよりも先に手厚い保護政策を講じてほしい。
『週刊新潮』 2009年10月15日号
日本ルネッサンス 第382回
久し振りに読みごたえのある本に出会った。「朝日新聞」経済グループの記者、星野眞三雄(まさお)氏の『道路独裁 官僚支配はどこまで続くか』(講談社)である。
氏は6年前に断行された小泉政権の「道路改革」を取材した記者である。なぜ、いま、6年前の道路改革を取り上げるのか。理由は簡単だ。道路民営化が偽物だったからだ。偽りの改革から出発した民営会社の下で、整備計画に入っていた9,342キロの全ての道路が採算が合わないとわかっていても作られることになった。一応の歯止めだった9,342キロを超えて、1万1,520キロの予定路線の一部までもが整備計画に入れられ、建設されることになった。ツケは全て未来世代に回されるのだ。
星野氏はこう書いている。「『小泉改革』の失敗が、自民党の『終わりの始まり』であったとしても、これを日本の『終わりの始まり』にしてはならない」と。だからこそ、道路改革はなぜ失敗したのかを、当時の取材をもとに分析したと。
氏の取材の深さと幅広さは見事である。6年の歳月を経たにも拘らず、民営化推進委員会を舞台として展開された一連の攻防が、未だ薄れぬ生々しさを伴って蘇ってくる。取材メモを基に氏は当事者らの言葉と息遣いを再現する。改革を推進したはずの民営化推進委員会で、どんな小説もかなわないどんでん返しが行われ、改革への期待が潰されていく。予想を超えるそうした事態を、氏は冷静な筆致で描いた。
道路の民営化は、小泉純一郎首相が、或いは民営化推進委員だった猪瀬直樹氏が、どう強弁しようと、失敗したのである。彼らは決して認めないが、失敗は、その後の道路に関わる政策からも明らかだ。
たとえば、麻生太郎首相は新総合経済対策の一環として高速道路料金を一定条件の下で上限1,000円に値下げした。だが、旧公団から生まれた高速道路6社は民営会社、つまり普通の企業であるはずだ。であれば、政府の指示だからといって料金の一律値下げをスンナリ、受け容れるものか。道路会社の経営の基本である料金設定を政治的に下げさせられることについて、まともな経営者なら強く抵抗するのが普通である。にもかかわらず、高速道路各社は政府の決定に唯々諾々と従った。
得をしたのは天下り官僚
星野氏は「1,000円料金制度」を支えるのに2年間で5,000億円の税負担が必要なこと、さらに07年12月の政府決定で、道路特定財源から10年間で2・5兆円が高速道路料金値下げのために出費されることを指摘し、このことは、お年寄りから子供まで国民全員に1人2万4,000円の負担になると説明する。1,000円料金制を成り立たせるために、家族4人なら、10万円近い負担をしなければならないということだ。
一方、1,000円料金の恩恵を受けるのは、ETC搭載の普通車で休日に高速道路を走るという4条件を満たした人々に限定される。車のない人、高速道路を使わない人、ETCを搭載していない人は勿論、生活関連物資や人を運ぶ、トラックもバスも、その恩恵には浴さない。つまり「大部分の人が『損する側』に属している」のがこの制度だ。
それだけではない。星野氏は、同制度の恩恵を受けるのは、実は国民ではなく、国交省所管の財団法人・道路システム高度化推進機構(ORSE)だと喝破する。得をしたのは天下り官僚なのだ。
以下がそのからくりである。ETCを利用するには、料金所のアンテナと交信する車載器を車につけ、通行料金を引き落とすために専用クレジットカード(ETCカード)を作らなければならない。国交省は補助金を奮発してETCの普及に努めた。国民はETC車載器の購入に列をなした。そしてETC車載器がひとつ製造される度に、メーカーからORSEに94・5円が支払われ、ETCカードが一枚発行される度に、カード会社からも94・5円が支払われる。ETCが普及すればORSEが潤う仕組であり、ORSEには専務理事、常務理事を含む常勤非常勤合わせて5人の官僚が天下っている。
道路会社は会社として独自の経営をすることも許されず、天下り組織を支えるような経営を強いられ、民間会社とは無縁の官僚支配が続いているのだ。
なぜそうなるのか。民営化後の枠組みが上下分離の形態にされたからだ。旧公団は6つの高速道路会社になり、その下に独立行政法人としての日本高速道路保有・債務返済機構(以下機構)が作られた。両者はかつてのファミリー企業と公団にたとえられるだろう。
機構は、各道路会社の資産のほぼ全てを保有し、債務の全てを引き受ける。道路を道路各社にリースし、リース料で40兆円の借金を返済する。機構は前述のように独立行政法人で、事実上、国の機関だ。つまり、各道路会社の借金も経営責任も最終的に、国が引き受けているのだ。
一方、道路各社は殆ど資産もない代わりに借金も責任もない。ただ高速料金を徴収し、その中からリース料や維持管理費、人件費を支払う。会社として「利益をあげてはならない」と定められているために、経営努力をするインセンティブもない。新たな道路の建設は各社の判断で行われ、資金調達も各社の責任で行うとされた。しかし、各社が作る道路は完成時点で、道路建設にかかった費用、つまり借金も一緒に、機構が引き受ける。どんな不採算道路を建設しても、会社は責任をとらなくてよいのである。
こうしてみると機構はかつての特殊法人であり、会社は特殊法人に寄生したファミリー企業そのものだ。
「自分以外はみんなバカ」
こんな上下分離の会社組織を作って、これが民営化だと、国民を騙したのが、小泉首相の民営化だった。
張本人は、なんといっても小泉元首相であり、首相を持ち上げ、国民を騙す側に立った猪瀬氏でもある。『道路独裁』には、小泉首相や猪瀬氏らについての詳しい記述が、独立した章を設けて盛り込まれている。どれだけ両氏が無責任で、自分の都合しか考えていなかったかが伝わってくる。とりわけ、猪瀬氏は「自分以外はみんなバカ」と見做して、罵詈雑言を言っていた。そのくだりは衝撃的でさえある。
罵詈雑言の対象の1人は石原伸晃氏なのだが、猪瀬氏は伸晃氏の推薦を得て都副知事に就任したといわれる。口汚く批判した人物の推薦を得て、権力の座を手に入れたとすれば、なんと性根の汚い人物かと言わざるを得まい。
星野氏の狙いは、しかし、こうした個々の人物批判ではない。改革の名の下に行われた「壮大な詐欺」の実態を知ることで、日本に真の改革をもたらしたいとの想いが『道路独裁』から伝わってくる。
『週刊新潮』 2009年9月10日号
日本ルネッサンス 第377回
民主党の勝利に終わった総選挙から、2つのことが見えてくる。日本人の気概を奪い無力化を狙ったGHQの政策が60余年を経て結実したこと、自民党が自壊したことだ。
日本人の気概喪失と無力化は各政党のバラ撒き公約とそれに無批判な大方の反応に表われていないか。民主党も自民党も有権者に訴えたのは経済的にいかに多くを与えるかだった。子供手当、奨学金、高速道路無料化、消費税の据え置き、中小企業の法人税減税など、負担なき受益のみだ。
自民党が財源を問えば、民主党からは無駄を省くという以上の説明はなく不毛の論議が続いた。その中で、有権者は民主党に圧倒的支持を与えた。
この姿には既視感がある。憲法第3章「国民の権利及び義務」に透視される姿である。米占領軍が作った現行憲法では、個人が有する権利と自由が過度に重視され、個人が果たすべき責任と義務は軽視されている。その憲法に基づいてすべての法律、条例、政令が作られ、戦後の日本社会が形づくられた。結果、国防、環境、教育など重要な議論はなされず、民主党に特筆されるバラ撒き公約に支持が集まったのではないか。
また、今回の大敗で自民党の真の自壊が始まったのではないか。1955年の自由民主党結党以前も以後も、日本は基本的に保守政権によって運営されてきた。政権交代は2回起きたが、保守勢力の基盤が崩壊したわけではなかった。2回とも、政権をとった革新勢力が倒れていったのだ。拓殖大学大学院教授でシンクタンク国家基本問題研究所企画委員の遠藤浩一氏が語る。
「47年、新憲法下初の総選挙で社会党が第一党となり、片山哲氏の革新内閣が出来ました。同内閣はマルクス主義に傾倒する左派と自由民主主義的な社会主義を標榜する右派の対立で短命に終わりました。
次の政権交代は93年の細川護煕氏のとき。8党派の寄せ集め政権は1年も経たずに崩壊しました。表向きは細川氏が佐川急便から巨額の資金を得ていた問題で退陣したとされていますが、真相は違います。
ちょうど核開発疑惑などで北朝鮮情勢が緊迫し、クリントン政権の対応が注目されていたとき、同盟国の日本では、北朝鮮と太いパイプでつながる武村正義氏が官房長官の椅子に就いていた。これでは安全保障上同盟国の機密を守れないと問題視する米国側の声に耐えられなくなった細川氏が政権を放棄したとも言われています。
つまり、安全保障という国家の基本問題で看過出来ない断層を抱えたまま政権を担ったことが政権崩壊の原因だったのです」
では今回の民主党はどうなのか。民主党には綱領がない。結党以来10年、一度も綱領が作られていない。作ることが出来ないのだ。安全保障、憲法改正、外交。重要課題になればなるほど、民主党は深く二分されてしまう。綱領作成で、党は分裂しかねない。
「党内の矛盾は結党以来、変わらない。戦後の日本政治史の政権交代失敗の構造と大差ないまま、今回、民主党は圧勝したのです」
遠藤氏は、勝利した民主党の欠陥を明らかにしたが、今回の政権交代がこれまでのそれと大きく異なるのは、政権を明け渡す保守政権としての自民党が、真の意味で瓦解しつつあることだ。
93年の選挙では、たしかに自民党は政権を失ったが、議席は222から223へとひとつ、増やしていた。自民党の下野は選挙前に自民党が分裂したからである。有権者が突きつけた判断というより、永田町の勢力争いの結果だった。ところが今回自民党は大幅に議席を減らした。93年の下野とはその点で根本的に異なる。
当時と現在のもう一つの相違は自民党の体質の変化である。93年に自民党は下野したが、それでも一人立ちしていた。だが、自民党は社会党・新党さきがけと連立し、自自公、自公を経て公明党と一体化した。この質的変化は保守政党の致命傷となって今日に至る。保守政党らしさを発揮出来ない自民党を、多くの支持者が見限った。自民党への失望は極めて深いといえる。
「左翼リベラル臭」
今回の総選挙を、自民党が自ら負けることで与党の座を明け渡す初めての出来事として特筆する一方で、遠藤氏は有権者自身の判断で、結党以来矛盾を内包したままの民主党を選んだこと自体が深刻な問題だと強調する。
「自民党にお灸を据える」というが、有権者は候補者、政党と運命共同体ではあっても高みに立って政党を見下ろす存在ではない、お灸を据えたと思っていたら、有権者がお灸を据えられることになりかねないと警告するのだ。
右から左まで、実に幅広い人材がひしめく民主党の本質をどう考えればよいのか。
「圧倒的多数、ほぼ8割は政策理念的には無色透明と言えると思います。残りの1割が確信的な左翼、もう1割が確信的な保守。党内勢力図では、決して左翼政党とはいえないのですが、マニフェストや政策集インデックスからは左翼リベラル臭が漂ってくる。大勢を占める控えめな保守が、自己主張の強い少数の左派に圧倒されている実態があります」と遠藤氏。
少数の「確信的左翼」の1人は、間違いなく同党「4人組」、小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人、輿石東各氏のなかの輿石氏であろう。山梨県教職員組合の委員長から党の代表代行となった。氏が今年、日教組の新春の会合で「教育の政治的中立はあり得ない。政治から教育を変えていく」と語ったことは周知の事実である。
民主党の政策集インデックスの「文部科学」の項には日教組の主張が並ぶ。民主党の教育政策は日教組教育とほぼ重なるのだ。
大阪府下の公立学校で校長を務めた一止羊大(いちとめ・よしひろ)氏(ペンネーム、66歳)が教職員組合による「戦後教育」の実態を語る。
「組合教育はまさに戦後教育の大罪です。公立学校で校長として務めた経験でいえば、現場の多くの教師は、国旗、国歌を口にする人は『右翼』という認識です。日本の伝統や文化よりも、日本の影の部分が、針小棒大に教育されます」
そんな教育を受けた生徒は、「戦前の日本はいまの北朝鮮と同じと思い込んでしまう」と一止氏は嘆く。
「私はあるとき『戦争は嫌だという気持ちは私も人一倍持っています。私の兄は海軍の予科練に入り、わずか17歳で戦死しましたから』と話し、軍服姿の亡兄の写真を見せました。すると、ある女性教師が言ったのです。『先生のお兄さんも侵略者だったんですね』と」
世間では通用しないこの種の認識のズレ、疎外感が現場の常識なのだという。こうして子供たちは「日本=侵略国」と思い込んでいく。
「兄の同期の方はいま82歳。私の体験を話したら愕然として、孫の代になったとき、日本が存在するのかと心配していました」
一止氏は組合とともに、教育を蝕んできたのが教育委員会だと批判する。
「形式だけと言ってよいと思います。組合の圧力に抗す気など全くありません。日の丸、君が代で言えば、国旗が掲揚され、国歌が演奏されていれば、誰も起立しなくても、大して問題にはされないのです」
どれだけ学校の現場が形式主義に染まっているか、一止氏が実体験を語った。
「組合から卒業、入学式でそれほど日の丸を掲げ君が代を歌いたいなら、校長室でやれと言われ、ある校長は摩擦を怖れる余り、本当に、教頭と2人で校長室で国旗掲揚、国歌斉唱をしたという話を聞きました。
私自身も教頭時代、校長から誰も見えない所に国旗を掲揚するように命じられ、未明に屋上の時計台の裏に『日の丸』を掲げたことがありました。式典が終わり、皆下校した夕方、私は『日の丸』を降ろしに行きました。こんなことは国旗に対する冒涜です。でも、これが組合教育の現実なのです」
「選挙前の鹿児島県での集会で、日の丸を切り刻んで民主党旗を作った事件がありましたが、あれは戦後教育の結果が表われたにすぎないと私は思います」
安倍政権で自民党は教員免許更新制度を法制化した。教育基本法も改正した。民主党政権下では輿石氏らの主導でこうした一連の改善策が元に戻され、教育現場は否応なく日教組支配体制に引き戻されかねない。
「到底不可能」
民主党政権が掲げるもう一つの問題政策が地球温暖化対策としての大規模なCO2削減である。
民主党は政策集インデックスでCO2削減目標数値として2020年までに90年比25%、05年比で30%を打ち出した。さらに、「2050年までの出来るだけ早い時期に、削減目標値を60%超」にすると宣言した。
民主党の公約である数字について、各種研究機関は軒並み、否定的である。
「実現は非常に困難です」と、日本エネルギー経済研究所の内藤正久理事長は語る。
同研究所主任研究員、松尾雄司氏はさらに踏み込んで断定する。
「到底不可能です。麻生首相の示した05年比15%削減目標値とは比較にならないほど大変なことです」
電力中央研究所社会経済研究所の杉山大志氏も懐疑的だ。
「2050年までの60%削減は日本に工場がなくなることを前提にしなければ可能性はないでしょう。削減モデルの議論の範囲を逸脱していると思います」
ちなみに、杉山氏はIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の提言作成に加わった2人の日本人専門家のうちの1人である。
東京国際大学経済学部教授で国家基本問題研究所で温暖化問題研究の主査を務める大岩雄次郎氏が語る。
「各種研究機関が実現困難だと指摘する数値をなぜ、民主党は公約に盛り込んだのか。数値の試算も、実行の具体策も示されないまま、数字が一人歩きしています。推測ですが、自民党の倍近い数値を選択して、違いを鮮明化したかっただけではないでしょうか」
民主党の目標達成には一体どんなことをしなければならないのだろうか。専門家らがあげる項目を幾つか拾ってみる。
◎太陽光発電を新築住宅のみならず、一定規模以上の既築住宅にも設置し、現状の55倍増とする。
◎原子力発電所の稼働率を現状の60%から90%以上に上げる。
◎電気自動車など次世代車の販売を促進し、販売禁止や車検適用不可などの措置で従来型自動車を事実上禁止する。
◎既築住宅にも省エネ基準を適用し、全住宅を改修する。
国民負担も膨大
考えただけでも大変だが、これでも20年までの25%削減は出来ない。そこでさらに次のような施策が必要だと、松尾氏は語る。
「粗鋼、セメント、エチレン、紙パルプなどの主要品目の国内生産を半減又は中止するなどして、輸入しなくてはならないでしょう。粗鋼生産の半減措置で9,700万トン、90年比7・7%のCO2が削減可能にはなります」
理事長の内藤氏が加えた。
「その場合、日本の産業基盤が成り立たなくなる可能性があります。そこまで強制的に削減すると、民間資本による経済の自立的活動が出来なくなる恐れがあります。実現困難な、荒唐無稽な選択は実体経済に悪影響を及ぼします」
国民負担も膨大なものとなる。松尾氏の指摘だ。
「2020年までの一世帯当たりの可処分所得は、22万円~77万円分押し下げられ、家庭の光熱費出費も、世帯当たり11万円~14万円増加します」
氏はまた、日本の実質GDPは20年までの累計で、3・2~6・0%下がり、失業者は77万人~120万人増加すると語る。これは失業率換算で1・9%の上昇だ。
一体全体、国民負担はどれほどになるのか。麻生首相が提言した15%削減には62兆円が必要とされるが、その約3倍の190兆円が要るという見通しもある。だが、杉山氏は民主党の目標値はあまりに大きく、コストや負担を考えられる次元ではないと言う。大岩氏が指摘した。
「中国に粗鋼などの生産拠点を移すと仮定します。中国の省エネ技術は日本よりはるかに劣っているわけですから、却って、CO2排出量は増えていくでしょう」
事実、松尾氏は中国で我が国の粗鋼生産の半減分を生産する場合、CO2は3,000万トンも増えるとみる。
大岩氏がさらに重要な点を指摘した。
「忘れてほしくないのは、日本が排出しているCO2は、全世界の排出量のわずか3%です。これは日本が高度な先端技術を有した省エネ大国である証です。逆に言うと、日本がいくら温暖化対策を推進したところで、全地球規模で見れば、現状ではあまり影響がないんです。そこを見れば、温暖化対策とは何かがハッキリしてきます」
麻生首相は、15%削減は国民1人当たり7万6,000円の負担を伴うと説明した。民主党案の負担は1人当たり33万円から90万円とも言われるが、民主党の説明は全くない。
また、民主党は目標値実現に伴う産業活動の縮小と、結果としての失業増加についても触れていない。そもそも民主党案が国民の幸福につながるのか、国益に資するのか、世界に貢献するのか、それも定かではない。説明責任も果たさない民主党政権のもたらす混乱が懸念される今、党内の確信的保守勢力の果たすべき役割は大きい。
『週刊ダイヤモンド』 2009年9月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 803
民主党が「日の丸」を破って2枚を継ぎ合わせ、民主党旗を作っていたことが、麻生太郎首相の指摘で明らかにされたのは、少し前のことだった。
国旗への敬意も繊細さも欠いている民主党とは対照的な出来事が、お隣の韓国で起きていた。先に死去した金大中元大統領の国葬の締めくくりの場面でのことだ。
ソウル国立墓地で、棺とともに国旗である太極旗を遺族の希望で土中に埋めたことから異例の事態は始まった。埋葬後、「霊柩を覆った国旗は霊柩と一緒に埋葬してはならない」「国旗に土をつけてはならない」と、国旗法で定められていることを指摘された遺族ら関係者は、急遽墓を掘り返すことを決めた。土に覆われた真新しい墓所は暴かれ、太極旗が回収された。
この前代未聞の成り行きに、韓国の友人たちは怒っている。北朝鮮寄りの政策を取り、韓国の正統性を否定し続けた金大中氏は、死してなお、太極旗を辱めるのかという怒りである。
それにしても、隣国には国旗法があり、国民、国家の統合の印としての太極旗を手厚く守っている。隣国の人びとの目に日本の民主党の、日の丸に対する思いの欠如はどう映るだろう。
日の丸を切り裂き、2枚つないで民主党旗を作った人々、あるいはその旗の前で多くの人々に講話をしながら、旗の異常を気にもとめなかった民主党議員や候補者の、日の丸への愛情のなさや無関心には暗澹たる思いだ。
この日の丸事件になにがしかの先行き不安を感じない人びとは、国や民族にとって国旗が意味するところを知らないだけでなく、日の丸についての先人の思いも知らないのではないか。
日の丸が現在の白地に赤い丸になったのは源氏以来のことだ。源氏に敗れた平家の旗は赤地に白、あるいは金色だった。
源平の戦いは屋島の合戦で山場を迎える。美しく飾った小船が一艘、沖合から渚に近づく。船上には赤い袴を着けた着物姿の「まことに優なりける(じつに優雅な女性)が」「船中より出でて」「紅(くれない)の扇の日いだしたる(紅地に金色の日輪を描いた扇)」を、高々と揚げ、手招きした。
「この扇を見事、射てみよ」と挑んだのだ。源氏方から扇を射るのは那須与一である。小船が波に乗り、あるいは沈み、大きく上下する。与一は目をつぶり、南無八幡大菩薩と、神仏に祈る。
与一は「扇のまん中射させて賜はり候」と祈るが、実際に射たのは扇の要の一寸上だった。源平合戦の絵には、要を射抜かれた扇が宙を舞っている。
日本統一の象徴、日本の象徴となされた日の丸は、毀損すべきものではないと、ご先祖の人びとが、当時から考えていたことがわかる。
時代が下り、欧米列強諸国に開国を迫られたとき、幕府は、日本周辺に押し寄せる外国船と日本の船をひと目で区別するために総船印を定めることになる。どんな旗を日本の船に揚げさせるのか。議論のなかで、德川(とくがわ)家の旗を総船印とする案も出された。
しかし、幕閣の阿部正弘(福山藩主)、川路聖謨(としあきら)(勘定奉行兼海防掛。つまり大蔵大臣と国防大臣を兼務)らは別の考えを持っていた。薩摩藩主の島津斉彬、前水戸藩主の德川斉昭らも、それに賛成した。そして、幕府は日の丸を日本の総船印としたのである。德川家の立場を超えて、日本国全体の立場に、德川家も德川幕府の閣僚らも立ったのだ。そのことに、私は日本人のすばらしさを見るのである。
このように、幾十世紀、幾十世代の思いが注がれ日の丸は日本の国旗となり、国民のあいだで定着してきた。それを無惨に切り裂いた「けしからんことをやった人間」(鳩山由紀夫氏)、そのことを取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人。本当におかしくなった日本の姿がくっきり浮かんでくる“事件”だった。