『週刊新潮』 2010年7月29日号
日本ルネッサンス 第421回
民主党政権が永住外国人への参政権付与問題について極めて重要な閣議決定を行っていた。従来、民主党議員の半数近くが熱心だった外国人参政権推進の立場をきっぱりと否定して、参政権は認めないとの立場を、6月4日の閣議で、公式に打ち出していたのだ。
これは、自民党の山谷えり子参院議員が5月27日に提出した質問主意書に対する政府答弁に書き込まれた内容だ。
閣議決定は政府決定として最も重い意味を持つ。全閣僚の署名を以て成立するもので、菅直人、千葉景子、岡田克也各氏も、無論、署名した。答弁書は95年2月28日の最高裁判決の本論を引用してざっと次のように書かれている。
「主権が『日本国民』に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。とすれば、公務員を選定罷免する権利は、日本国民のみをその対象とし、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である」
日本国民は日本国籍を有する日本人であり、公務員を選定罷免する権利すなわち選挙権は日本国民のみにあり、外国人には与えられないと、明言している。地方参政権についても、最高裁判決の本論を引用して、次のように書かれている。
「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙する。『住民』とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」
答弁書はこのように最高裁判決の本論を引用して「政府も同様に考えている」と結ばれている。
傍論部分を切り捨てた
最高裁判決には、今回民主党が引用した本論に加えて、「地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当」などとする傍論が書き込まれ、それが外国人参政権推進論の根拠とされてきた。だからこそ、今回政府答弁書がその傍論部分を切り捨てたことが重要な意味を持つのだ。
傍論の作成に携わった最高裁元判事園部逸夫氏は、判決から15年後の今年、「戦前戦中派の裁判官は、在日韓国・朝鮮人に対する想い」や「彼らが戦時中に強制連行されたという特殊な事情への考慮」を共有するとし、それ故に傍論を加えたと語った。
園部氏の、在日の人々は戦前戦中に強制連行されてきたとの認識は事実関係において間違っている。にも拘らず、傍論は、国内の在日勢力及び韓国政府に参政権への希望を持たせる結果となった。
一方、党内で意見が二分されたままの民主党では、小沢一郎氏が韓国で公約ともとれる発言をし、党内の反対論を封じ込めるために内閣提出の閣法としてこの問題を扱う方針を示した。閣法であれば、党所属議員は全員賛成しなければならないとの論法で、可決を目指そうとしたのだ。
日大法学部教授の百地章氏が語った。
「最高裁判決の主旨は、国政、地方政治を問わず、参政権を外国人に付与することについては全面禁止なのです。したがって、傍論部分が加えられたこと自体、明らかに論理の矛盾を来たしています。
傍論を重視する説もありますが、それは個々の学者が唱える学説であり、学問の自由を保障するわが国では、矛盾する説であっても、禁止されるわけではありません。民主党の今回の答弁書は、政府として外国人参政権は推進しない、最高裁判決の主旨に基づいて、全面的に禁止すると表明したことを意味します。従来の不明瞭な政策と比較すれば実に明確で評価すべき決定です」
質問主意書を提出した山谷氏が指摘した。
「民主党は外国人参政権推進論を切り捨てる大決断をしたわけで、それはとても重要な点です。民主党はもはや閣法として外国人参政権を国会に提出することはしないという意味でもあり、質問をした甲斐があったといえます」
だが、民主党の奇妙な点は、発信するメッセージと行動が必ずしも重ならないことだ。周知のように、外国人参政権は、昨年の民主党のマニフェストには含まれていなかった。にも拘らず、衆議院議員選挙で大勝すると、俄に持ち出し、強引に国会に提出しようとした。
千葉景子法相は、「マニフェストに載っていない、あるいはテーマになっていないことが特段問題になることはない」と述べたが、こんな不条理な発言をする人物が法務大臣を務めたのである。不条理な主張をするうえに、落選した氏を、いまも法相の地位につけているのが菅民主党である。
民主党の奇妙な言動
菅氏と民主党の、発言と行動の落差を、さらに考えてみる。菅氏は長年、情報公開や説明責任の重要性を強調してきた。しかし、首相になった途端に予算委員会も開かず、なんら説明責任も果たさず、支持率の高い内に選挙に持ち込もうとした。説明責任を逃れようとするその姿勢は自民党政権と較べても、決して評価出来るものではない。
また、彼らは官僚依存からの脱却、政治主導を大目標として掲げた。象徴として国家戦略室を設けた。しかし、菅首相が早くも国家戦略室を縮小すると発表したことに見られるように、彼らの言う政治主導は全くといってよいほど機能していない。
そして、問題の外国人参政権である。前述したように、6月4日、当時財務大臣だった菅首相も署名して「外国人参政権は全面禁止」と読める答弁書を閣議決定した。にも拘らず、15日の参議院本会議で、首相は「民主党は前から実現に拘ってきた。その姿勢に変更はない」と言うのだ。
ここまで来れば、菅首相も、民主党の多くの閣僚たちも、自らの発する言葉、自らの行動の意味を理解していないのではないかと思えてくる。通常の理解をこえる民主党の奇妙な言動について、山谷氏が語った。
「菅首相、千葉法務大臣、それに仙谷官房長官らも、日本が法治国家であることを理解していないのではないでしょうか。仙谷さんは最近、半世紀以上も前に締結した日韓基本条約の見直しまで示唆しました。国際条約をひっくり返すなんて、まるでクーデターか革命です。そんな考えや姿勢で法治国家の内閣の要が務まるはずはありません」
それでも、民主党が事実上、外国人参政権を禁止する答弁書を閣議決定したことの重みは変わらない。
『週刊ダイヤモンド』 2010年7月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 847
鳩山由紀夫氏が首相だったとき、氏が好んで掲げた「友愛」や「新しい公共」、「国民」ではなく「市民」の、真の意味、そして氏の思想を理解するのは容易ではなかった。
鳩山・菅直人両氏を結ぶ思想、そして民主党中枢を染める特定の思想の概要は、後継の菅氏の所信表明演説でより鮮明に見えてきた。鍵は、首相が自分の政治哲学の師として言及した法政大学名誉教授の松下圭一氏である。
シンクタンク「国家基本問題研究所」副理事長の田久保忠衛氏はこう解説する。
「松下氏は丸山眞男の弟子であり、氏の『市民自治の憲法理論』や『日本の自治・分権』(共に岩波新書)は難解な書物ですが、氏が国家否定主義者であることを示しています。
国家を否定する思想には二つの流れがあります。一つはマルクス主義で、労働者を搾取する国家は打倒すべしという考え。もう一つは徹底した理想主義で国家主権はいずれなくなり、国際社会は国連中心になるという考えです。菅氏は前者だと思います」
松下氏の国民や国家についての考えをその著書から見てみよう。まず、氏は国民といわずに、もっぱら、市民という。市民が、「自治体政府」「国家政府」「国際機構」と「社会契約」を交わし、三つの機関はその契約を介して並立するというのだ。
基本となるのは市民の意思であり、それによって成り立つ「自治体政府」である。自治体政府には「基礎的自治体」(市町村)と「広域自治体」(都道府県)があり、広域自治体は基礎的自治体の補完の役割を担い、さらに国家政府(中央政府)はこれら自治体政府を補完するだけの存在と位置づけられる。
つまり市町村の意思こそが最重要で、国家の役割は限りなく小さいのである。これを民主党は「地方主権」や「新しい公共」という言葉で表現してきた。
民主党は鳩山・菅両氏らによって結党されたが、鳩山政権下の今年2月14日、施政方針演説を起案した松井孝治官房副長官とその振り付けをした劇作家の平田オリザ氏、文部科学副大臣の鈴木寛氏らが「友愛公共フォーラム発足記念シンポジウム」で語った内容は、鳩山・菅民主党の体質を赤裸々に示している。平田氏はこう語っている。
「二一世紀っていうのは近代国家をどういうふうに解体していくかっていう100年になります。しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは公にはなかなか言えないわけで、それを選挙に負けない範囲でどういうふうに表現していくかっていうことが僕の立場」
対して松井氏はこう答えている。
「主権国家が国際社会とか地域の政府連合に自分たちの権限を委託するっていう流れ。流れとしてはそういう姿になっているし、そうしないと解決しない問題が広がっていますね」
政権中枢を担う松井氏や平田氏の国家解体の主張は松下理論に源を発し、それを菅政権も共有していることに、「国民」は気づかなければならないと、田久保氏は強調する。
菅首相らは、国家解体を主張し、地方主権だといって地方自治体に主権を委譲するというのだが、そもそも主権の意味がわかっているのだろうか。主権は、自衛権、生存権、領土権など、その国、その民族の生き残りを担保するための絶対的権力を指し、国家の基本権のうち最重要のものと位置づけられている。主権は、国家にのみ属するものだといってもよい。
その主権を地方自治体に渡すと主張する一方で、市民を、将来は国家の枠を超える存在と位置づける。つまり、必ずしも国籍を持たずともよい存在と見なすというのである。菅氏らが外国人参政権を提唱する理由もこの点にある。菅政権に交代しても、民主党では日本は持たないゆえんである。
『週刊新潮』 2010年7月22日号
日本ルネッサンス 第420回
参議院議員選挙は与党民主党の大敗に終わった。「54+α」の議席獲得を目指しながら44議席に終わった結果を受けて、菅直人首相は12日未明に記者会見を行い、「あたしが消費税に触れたことが唐突な感じをもって国民に伝わった。事前の説明が不足していた」と敗因を分析した。
『週刊ダイヤモンド』 2010年7月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 846
菅直人首相と民主党は「最小不幸社会の実現」をマニフェストに掲げた。だが、社会主義的平均値の社会実現を追求するあまり、民主党政権は日本の針路を間違えるのではないかと思う。
「最小不幸社会」という、後ろ向きでジメッとした政策目標を掲げた理由について、菅首相は述べている。「幸福は個々人の価値観によって異なり、これは権力が関与するべきではありません。(中略)政治は権力であり、権力は人びとの不幸の原因を取り除くことにこそ使うべきです」と。
そのために貧困も失業も、働きにくい職場も老後の生活の不安も、医療の不足も低い最低賃金も皆、国の責任でなくしていくという発想である。
理想としては素晴らしいが、そのために政府は現在よりもはるかに手厚い社会保障政策を実現しなければならなくなる。予算は膨大な規模にならざるをえない。ただでさえ、わが国にはこれまた膨大な財政赤字が積み上がっている。であれば、かなりの、というより尋常ならざる額の新しい財源を捻り出さなければならない。消費税にとどまらず、すでに、所得への累進課税強化、相続税率の引き上げなどが具体的に論じられ始めたのは当然である。
最小不幸社会を目指す菅首相の経済政策の基本は強固な再配分と、結果の平等の徹底である。しかし今、日本が必要としているのは、再配分や結果平等よりも、もっと前向きの政策である。後ろ向きの最小不幸社会をもじって表現すれば、「最大幸福社会」の実現をこそ目指すべきときだ。
明治時代、実業界の第一人者として日本の基盤を支えた渋沢栄一が『論語と算盤』に書き残している。「富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人が挙(こぞ)って富者を排儕(はいさい)するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富は、すなわち国家の富である。(中略)国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が、日夜勉励するのである。その結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成り行き」であると。
渋沢は、貧富の差は、程度の差こそあれ、いつの時代にも存在する現象であること、指導者はその差を出来るだけ解消すべく、王道としての政策を実施すべきであること、だが、富の分配平均を目指すあまり「日夜勉励する人々」の志や気概を挫いてはならないことを戒めているのである。一所懸命に励む人がいて、彼らが富み、幸せになることによって、社会全体の富も幸福も増大されていくという考えだ。
隣国の中国でも同じように考えた人物がいた。鄧小平(とう・しょうへい)である。全員が平等でなければならないとの建前を掲げる社会主義経済では、中国は貧困からも停滞からも脱出出来ないと認識し、鄧は改革開放を宣言した。社会主義統制経済と万人平等の考えをあっさり打ち捨て、資本主義と競争の原理を取り入れ、一部の人々が真っ先に「カネ持ち」になることを奨励した。彼らが富み、彼らの富と覇気を通して中国全体を富ませ、成長させていく考えだ。中国は成功し、いまや世界経済を牽引する力を得た。社会主義的価値観では現在の中国の繁栄はなかったはずだ。
もう一つ、民主党そのものを考えてみよう。民主党という政党自体、菅首相が唱える社会主義的社会からは生まれえなかった。鳩山家という莫大な資産を持った家族が存在し、幾十億円かの資金を拠出した結果、初めて誕生することができた。その鳩山家に強度の累進税率を課し、高い相続税率も課し、丸裸にしてしまえば、政党づくりに必要な幾十億円の資金を出すことも、もはやかなわないことだろう。
社会主義経済に傾く菅政権の政策の先に日本の繁栄があるとも、若者たちの夢が存在するとも思えない。菅民主党は最小不幸社会の実現よりも、最大幸福社会の推進に力を注ぐべきだ。
『週刊新潮』 2010年7月15日号
日本ルネッサンス 第419回
民主党の参院選用の「マニフェスト2010」を見て、驚いた。
「民主党政権がこれまで取り組んできたことを報告します」として、「実現したこと」が55項目列挙されている。「羊頭狗肉」を絵に描いた内容だが、とりわけ酷いのは「口蹄疫対策」「日米同盟の深化」「アフガニスタン支援」などを、実現した成功事例として掲げていることだ。
この話を、鹿児島県の畜産農家関係者に伝えると「よく、そんなことが言えますね」と、興奮気味で語った。私はこの農家の方に4月22日に取材をしたが、物静かな穏やかな人が、改めて憤りを込めて語った。
「民主党は完全に失敗したのです。彼らの対策では全然ダメ。だからこそ、まだ、口蹄疫は終息していない。この町では市長も畜産農家も皆、同じ意見です。民主党が特別対策を実施したと言いますが、あれは全て自民党が彼らのノウハウを教え、ハッパをかけてやらせたものです。民主党の責任は大変重いんです」
口蹄疫問題が発生したとき、民主党の直接の責任者である赤松広隆農水相は9日間にわたる中南米諸国への外遊に出掛けたのであり、結果、対策が後手後手になって28万8千頭を超える牛や豚が処分されたのは周知のとおりだ。
日本は2000年にも口蹄疫を体験した。当時、自民党は直ちに取り組み、宮崎県と北海道で740頭の牛を処分して完全に沈静化させた。民主党はそのときの実に389倍もの家畜を殺処分にする結果を招いた。しかも、7月4日にはまたもや宮崎市で新たな口蹄疫の牛が見つかり、未だに完全沈静化は達成出来ていない。こんな事態を引き起こしておいて、口蹄疫対策をやり遂げたかのように宣伝するのでは、農家の人々が怒るのは当然である。
「日米同盟の深化」も成果としているが、本気なのか。自民党は13年余もかけて、ようやく辺野古沿岸部への基地移設に漕ぎつけた。たしかに余りに時間がかかりすぎており、自民党は厳しく批判されて然るべきだ。
実に恥ずべきこと
だが、米国も沖縄も了承させてようやく纏めた自民党案をひっくり返したのが鳩山民主党である。その鳩山民主党の副総理は菅氏だった。
菅氏は「日米関係を重視する、日米同盟を深化させたい」と言う。その第一歩として、普天間問題を解決しなければならないのは明らかだ。しかし、いまや普天間の解決はどう考えても非常な困難を伴う。そこで菅首相はこの問題を選挙後まで封印した。問われれば答えに窮し、立ち往生は避けられないからだ。それを成果だとして掲げるのは、口蹄疫と同じく看板に偽りありである。
「アフガニスタン支援」も同様だ。アフガンでは米国を中心に、テロとの戦い、治安維持、民生の安定などで、多くの国が活動をしている。他方、民主党は今年1月15日に海上自衛隊による補給活動を中止して50億ドル(約4,500億円)の支援を決めた。湾岸戦争当時、130億ドルの資金提供で済ませ、世界の顰蹙を買ったのと同じことだ。それを成果として掲げるのは、実に恥ずべきことである。
民主党にとって不利な課題を避けて、首相が提唱したのは日本経済再活性化のための「第三の道」だった。マニフェストの冒頭にも大書されている「第三の道」とは「公共事業中心の経済政策(第一の道)」や、「偏った市場原理主義に基づく経済政策(第二の道)」ではなく、「環境問題や少子高齢化」などを解決し、「観光分野など」に積極的に挑戦し、「雇用を拡大」して「強い経済、強い財政、強い社会保障」の「好循環」の中で経済成長を実現するというものだ。
その結果、2020年度までに、名目成長率で「3%超」、実質成長率で「2%超」を達成すると、マニフェストにある。首相は消費税の10%への引き上げも打ち上げた。
増税を通して財政再建を行い、同時に経済成長を達成出来れば、世界経済のお手本になれる。それほど難しいことを菅首相はサラリと約束したのである。しかし、安請合いほど恐いものはない。鳩山前首相も確証のない無意味なことを口走ったが、菅首相も同様である。
消費増税を打ち上げるとき、責任回避を考えてか、「自民党案を参考にする」との前提をつけた。しかし、評判が芳しくないとみると、すぐに、「議論することを提唱しただけだ」と発言を後退させた。
低所得者への配慮として、消費税還付を打ち上げたが、その対象が、「(年収)200万円とか300万円とかの人」から「300万円とか350万円とかの人」、さらに「300万円とか400万円とかの人」と、同じ日に目まぐるしく変わった。
年収400万円以下なら全世帯の半分近くだ。その人々に還付するとなると、膨大な事務費、人手、時間が必要で、消費税増税分が帳消しになるとの試算もある。
「成長は無理」
税の問題を取り上げるときは余程の覚悟と、強い信念が必要だ。国民に向かって、必ず、成果を出し、財政を改善してみせる、いまの苦しみは必ず将来の安定とより明るい展望をもたらしてくれると、説得しなければならない。そのためには説得する首相自身が完全に納得していなければならない。
菅首相には、その確信も信念もないために、批判されるとすぐに発言がブレるのだ。それでも改めて、第三の道の可能性を見てみよう。
シンクタンク「国家基本問題研究所」の企画委員で東京国際大学教授の大岩雄次郎氏が指摘した。
「菅さんは成長政策を実施して、5年を待たずに基礎的財政収支の赤字をGDP比で半減させる、その上で20年度までに黒字にするなどと、目標を掲げています。
けれど、具体策が全く、示されていないのです。菅さんは医療、介護、福祉、環境で雇用を増大し、所得を増やし、経済を拡大させていくと、選挙演説で盛んに喧伝していますが、これらの分野が日本の経済成長のリーディングセクターとなり得るか、疑問です」
経済成長を促す三大要素は生産性の高さ、資本の量、労働の質である。しかし、と大岩氏は言う。
「医療、介護は、その高い需要にも拘らず、生産性は全産業の平均値に比して50%、半分の低さです。典型的な労働集約型産業ですから、これは致し方ありません。
資本も、日本の現状では、金融財政政策の動員は困難です。また人口減により労働力は減少し、その質的向上も楽観出来ません。このような状況では、2%の実質成長は無理だと思います」
理念も論理も曖昧な妥協的政治では停滞から脱することは出来ない。菅氏の第三の道の公約も絵に描いた餅にすぎないということだろう。
『週刊ダイヤモンド』 2010年7月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 845
民主党が昨年の衆議院議員選挙で掲げたマニフェスト(政権公約)を、目前に迫った参議院議員選挙用に大幅修正し、その相違を説明するための想定問答集を配布したそうだ。
「産経新聞」によると、想定問答集は昨年と今年の二つのマニフェストの相違の説明として、「09マニフェストは政権交代を主張する野党のマニフェストで、参院選マニフェストは政権を担当する与党のマニフェスト」だと説明し、「マニフェストは生き物であり、環境や状況の変化に応じて、柔軟に見直すことも重要だ」と主張するように指示しているという。
失礼ながら、これでは詐欺だろう。鳩山由紀夫前首相も菅直人現首相も、言ってきたこととしていることが違うと指摘されて、野党時代には情報がなかったから、わからなかったと言い訳してきた。
けれど、鳩山氏も菅氏も、与党経験者だ。菅氏は大臣まで経験した。加えて、両氏とも、いったい何十年間、政治をやってきたのか。そもそも政治家が公約を破るとき、まずすべきことは、なぜ公約を破らざるを得ないのかについて、きちんと説明することだ。民主党は公約の大幅修正というが、大幅な公約破りという表現が正しいのであり、公約破りは有権者に対する背信である。そのことを厳しく認識すれば、「生き物」だから変わることもあるなどとは、恥ずかしくて言えないはずだ。
それにしても菅氏をはじめ民主党の公約破りは個々の政策を超えた、体質にかかわる傾向か。典型が「脱官僚」である。あれほど、脱官僚依存と政治主導を主張してきた人々がいま、菅首相を筆頭に、自民党よりもさらに官僚に依存しているのである。たとえば菅首相その人も財務官僚の教えに完璧に従っているのが現実で、消費税増税論もその一端だと見てよいだろう。
菅氏は経済や財政についての理解を欠いたまま、増税が必要だという財務官僚の説得に基づいて、選挙戦の先頭に立ち国民に新たな公約を説いている。首相は6月30日に、まず青森市で、年収が「200万円とか300万円の人」には消費税分をそっくり還付すると言った。次に秋田市で「300万円とか350万円の人」と言い、山形市では「300万円とか400万円の人」へと、目まぐるしく変化した。いずれも同じ日の発言である。
課税最低基準を、同じ日に、次々に変えたことは、事前の調査分析や見通しに基づいて提案しているのではないということだ。ありていにいえば、口から出任せ状態で国民に語りかけているのである。本当に無責任な人だ。
年収350万円以下は全世帯の4割に相当する。行政のムダを排除し、効率を高めるといいながら、首相の提案は事務手続き、つまり人手、時間、おカネのムダの大幅な増加につながる。首相にはそのことがわかっているのだろうか。この定見のなさこそが民主党の公約破りの主要因であることを、投票を目前にした有権者としては、知っておきたいものだ。
加えて民主党は、そもそも公約を国民への誓約とは考えていないのである。神奈川県選出の千葉景子法相は、夫婦・親子別姓法案や悪名高い人権侵害救済機関設置法案(人権擁護法案)が参院選マニフェストに記載されていない件に関連して語った。
「マニフェストに載っていない、あるいはテーマになっていないことが(法案推進に関して)特段問題になることはない」
夫婦・親子別姓法案は衆院選のマニフェストにもなかったが、308議席を取った途端、民主党はその実現に向けて動き出した。今回、またもやマニフェストに載せず、それでも同法案を推進すると、千葉氏は言うのだ。
公約を守る、守らない以前に、民主党は数の力さえあれば公約を無視できると考えているのである。
『週刊新潮』 2010年7月8日号
日本ルネッサンス 第418
菅直人首相が外交デビューしたカナダでの主要8ヵ国首脳会議(サミット)は、氏の外交音痴を曝露する場となった。
夕食会で、首相はいきなり「中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」と提案したのである。G8は民主主義、国際法の遵守、知的財産の保護、人権擁護など、多くの価値観を共有する先進諸国の枠組みだ。その点でロシアを招じ入れたこと自体に疑問が抱かれている。異常な軍拡をはじめ、殆どの分野で価値観を異にする中国招聘の提案は結局、どの首脳からも無視された。
一体、どのようにして、この日本提案が生まれたのか。外務省高官は「事前の議論は全くなかった」と語る。首相の思いつきなのである。国際政治における思いつき発言がどれほど手痛いしっぺ返しとなり、国益を損ねるか、菅首相は鳩山前政権から学んでいないのだ。
首相は、6月11日の所信表明演説で「責任感に立脚した外交・安全保障政策」に触れ、「私は若いころ、イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、『平和の代償』という名著を著された永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ね」たと語った。
永井氏は『平和の代償』(中央公論社、1967)によって世に出た学者だが、その18年後、主張を豹変させた。氏の学説の変遷については後述するとして、首相が心酔する永井氏は同書で何を訴えたのか。
同書を世に問うたいきさつを永井氏は、自分は「政治意識や政治行動の研究に従事してきた」が、突然、「専門外の国際政治の領域で、最初の単行本を出すという奇妙なめぐりあわせになってしまった」と、「あとがき」で記している。直接の動機は米国留学中に「キューバ危機に直面したときの衝撃」だそうだ。
非現実的な大言壮語
突如、国際政治の厳しさに目覚めた氏は、同書で「現実主義」を強調した。「日本の革新勢力の根本的な誤り」は外交や国際政治で出来もしないラジカルな主張を展開し、国内政策では反対に「十九世紀的思考の枠に閉じこめられ、保守的、よくいえば、現実主義的であること」だと断じている。この2つの傾向を逆転させなければならないとして、「国際政治と外交政策の面では、もっと徹底的に、現実主義的とならねばならない」、「国内政治と社会の領域では」「社会主義と現状変革のエネルギーを最高度に動員」せよと説いた(105~106頁)。
日本は「民主的社会主義社会」を創造すべきなのであり、それは「マルクスが描いたよう」な「経済・社会・政治制度が人間の価値創造の手段として従属されている」社会だとも主張した(104頁)。
マルクス主義的社会を創り、徹底して現実的な外交を展開せよというのだが、それはどんな外交か。たとえばベトナム戦争に日本がどう対処すべきかについては、こう書いた。
「ベトコンを交渉相手として承認すべく米国を説得し、対ソ接近の機会を通じ、米ソ間の意見を調整し、北ベトナムにも働きかけ、和平交渉の道を進めるイニシアチブをしだいに強化していく」(103頁)。
この本が67年に書かれたことは先述した。日本はその3年前に東京オリンピックを開催したが、五輪開催に合わせて名神、首都高速道路を作った。資金はIMFから借りなければならなかった。まだ貧しく、力も不十分だった日本が、東西冷戦の盟主だった米ソの間に立って意見調整をするというのだ。徹底的な現実主義を叫んだ自身の言葉に、氏自身が著しく反している。出来ないことを大言壮語した点で鳩山由紀夫氏と近似する。鳩山氏を副総理として支えた菅氏は永井氏の信奉者だ。その伝では菅氏こそが「非現実的な大言壮語」子なのか。
永井氏は日本の防衛の在り方の筆頭に「自主外交」を挙げ、それは「米国に対して、政治的に信頼感と安心感を与える方向」の自主外交だと解説する。日本の防衛努力を、「米国に安心感と信頼感を与え、しだいに安保体制から離脱してゆく前提条件」と位置づけ、「狭義の防衛費は、(中略)最大限、国民所得の二%程度までは、常識的にやむをえない」(129~130頁)と明言している。
当時はまだGNPなどの表現は使われていなかったが、氏の主張は、国防費を従前より大胆に増額せよというものだ。現在の表現ではGNPの2%に引き上げよ、倍増せよということで、これこそ、菅氏が「名著」と讃えた『平和の代償』の重要な主張である。
「永井先生との議論を通じ、相手国に受動的に対応するだけでは外交は築かれないと学びました」と内閣総理大臣としての所信を表明したからには、防衛費を倍増する覚悟があるのか。それとも、菅氏もまたその師同様、いとも簡単に主張を変える人間なのか。
「吉田ドクトリン」を賛美
先述のように、永井氏は右の「名著」出版から18年後、主張を全面転換させた。1985年に出した『現代と戦略』(文藝春秋)で、氏は、国防費2%とは打って変わって国防費を最小限にとどめ、経済活動に邁進するという、いわゆる「吉田ドクトリン」なるものを賛美した。
先に進む前に、吉田ドクトリンなるものは存在しなかったことを確認しておきたい。この点については田久保忠衛氏が85年9月号の『諸君!』(文藝春秋)で詳述済みである。
永井氏は『現代と戦略』の第Ⅱ章を「安全保障と国民経済--吉田ドクトリンは永遠なり」と題して、「戦後日本の正教ともいうべき吉田ドクトリンは、一九五二年の吉田=ダレス会談の交渉によって確立され」たなどと書いている。
吉田が「軽武装・経済重視」路線を是としていなかったことは、首相退任後の発言や1964年11月19日付の辰巳栄一氏への書簡などからも明らかだ。書簡には再軍備に反対し、正規軍を作り得なかった件について、「国防問題の現在につき深く責任を感じているのは、先日、申し上げた通りであります」と書き、再軍備の必要性について佐藤栄作首相にも、三木武夫自民党幹事長にも自分の思いを伝えてある、君(辰巳氏)も、この点について政治家の啓発に努めてほしいとの希望が記されている。
吉田が軽武装・経済重視策を是としていた事実はないのである。であれば、それを「吉田ドクトリン」として確立させることなど、あり得ない。にも拘らず、なかったことをあったとするのは、学者にあるまじき捏造であり虚言である。永井氏の真意はどこにあるのか、2%か、偽りのドクトリンか。不明である。菅氏の外交政策が、水と油のような両極端の主張を展開した人物への信奉から生まれていることに、大いなる危機感を抱くものだ。
『週刊新潮』 2010年7月1日号
日本ルネッサンス 第417回
『週刊ダイヤモンド』 2010年6月26日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 843
菅直人首相はおそらくどの政治家よりも情報公開や説明責任にこだわってきたはずだ。学生時代から消費者運動に力を注ぎ、市川房枝氏の選挙を手伝った。そうした経歴から、情報公開や説明責任を徹底させることで、政治を国民に近づけようという発想が生まれたことは十分、考えられる。
けれど、6月16日に通常国会を閉会し、参議院議員選挙の日程を決定した菅氏は、これまでの氏のそうした信条をことごとく、否定したことになる。
新内閣は発足したものの、1週間あまりで国会を閉会したために、国民に、どんな政治を目指すのかについてなんの説明もし得ていない。荒井聰国家戦略担当相の事務所経費問題をはじめ種々の疑問にもまったく答えていない。
にもかかわらず、16日の民主党参院議員総会で首相は「所信表明、さらに昨日の代表質問と、私なりに精一杯、挑発に乗らないように答弁に努めた」と笑顔で語り、爆笑を誘ってご満悦だ。
「産経新聞」の阿比留瑠比記者は、「議論は、これから選挙になれば、テレビとかいろんな場面でまた、たくさんありますから」という菅首相の言葉を報じているが、瞬間芸で印象づけるテレビ討論と時間をかけて行う国会論戦は別物である。断片的な言葉で国民への説明責任が果たせるわけはない。
こんなとき、「読売新聞」に16日午後の衆院本会議場で、鳩山由紀夫前首相と並んで座り、破顔一笑している菅首相の姿が報じられた。予算委員会の開催にも応じず、党首討論にも応じず、答えたくないいっさいの質問に答えないで選挙に突入出来ることの嬉しさが表現されていたと思うのは、私だけではあるまい。
民主党が参院選を前にして掲げる公約はつい昨年の総選挙で掲げた公約を大幅に修正した内容だ。であるならば、その公約で大勝したにもかかわらず、なぜ、公約を果たすことができないのか、なぜ変更するのかを説明しなければならない。有権者は説明を受けて初めて、民主党の政治姿勢が、真摯で誠実なものなのか、それとも単に大衆受けを狙って軽い約束を重ねたものなのかを判断することが出来る。
政党として果たすべき責任を果たさず60%台の高い支持率で逃げ切れば、輿石東民主党参院議員会長が語ったように、単独過半数獲得を目指すことも出来る。だが、衆院に加えて、参院でもこのような民主党に過半数を与えてよいのか、私は強く疑うものだ。
菅首相と米国のオバマ大統領には共通項が多いと指摘する声がある。両氏共に豊かな家庭の出身ではないこと、早い段階から消費者運動などにかかわったこと、思想が左翼的であること、会社勤めなどをまったく経験せずに政治にかかわり始めたこと、弁論が巧みでいわゆる瞬間芸に強いことなどである。
オバマ大統領は1年半前、高い支持率で発足した。だが、今、メキシコ湾原油流出事故を、当初楽観視し、結果、対策が後手に回ったことを非難されている。事態は深刻なのに対処策を事故を起こしたBPに丸投げし過ぎたとして、さらなる批判も受けている。オバマ政権の対応を評価しない人がギャラップの世論調査では69%に上った。失業率も2ケタに届きそうな高止まりで、51%の人が「再選の資格なし」と答えた。八方塞がりの状況に陥っている。
オバマ大統領の読みの甘さと対応の遅さは、日本の民主党が口蹄疫問題や普天間飛行場移設問題で見せた、現実の厳しさを認識できない甘い対処姿勢と共通している。
憂うべきは、その間にも国際情勢が大きく変化していることだ。その動向が要注意である中国は7月1日から国防動員法を施行し、中央集権体制をさらに強化する。よくも悪くも、国力強化に必死の努力をする中国の前で、日米両国が政治の貧困によって国力を落としつつある。
『週刊ダイヤモンド』 2010年6月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 842
表紙一枚めくれば別世界。菅直人新首相への支持率が軒並み60%台に急上昇した。小沢一郎前幹事長と距離を置いたことが、支持率V字回復の最大の要因であるようだ。
菅新政権は小沢流の強引な党運営のイメージを払拭した。党政策調査会を復活、党内の政策議論を再開した。民主党のよさは開かれたかたちで活発な議論を行うところにあったのだから、これはこれで大いに結構だ。
そう考えていたら、菅首相が記者会見に応じなくなったと意外な報道があった。ぶら下がりといわれる立ったままでの会見を、従来の朝夕2回から1回に減らすそうだ。官房長官も同様に記者会見の頻度を半減させるそうだ。
情報収集の側に立つ身にしてみれば取材対象が頻繁に会見してくれるのがよいに決まっている。しかし、頻度と内容は必ずしも正比例しない。質問にきちんと答えてくれなければ、会見は無意味だ。その意味で、私は必ずしも頻度ばかりにこだわるものではないが、首相就任会見での言葉が気にかかる。
「取材を受けることによって、そのこと自体が影響して政権運営が行き詰まる」と、首相は述べた。
明らかに鳩山由紀夫前首相の多くの無責任発言を念頭に置いているのだが、これは本末転倒である。ぶら下がり会見を日に2度行ったから失言が飛び出したのではなく、失言しか出来ない政治家だったことが会見で明らかになっただけである。自民党時代から歴代首相は日に2度、会見を行ってきた。鳩山氏のような軽率発言を重ねる首相は以前にはいなかった。発言が政権運営の支障となるか否かは、あくまでも本人の資質の問題だ。
菅首相が取材に、逃げ腰で後ろ向きの姿勢を見せることをとりわけ残念に思うのは、氏が注目されるようになった大きなきっかけに薬害エイズ問題があるからだ。氏は同件で情報公開の大義をまっとうし、国民の共感を呼んだ。
厚生大臣に就任した菅氏は、それまで厚生省(当時)がひた隠しにしてきた膨大な関連資料を全公開させた。それによって薬害エイズがどのようにして生み出されたかが明らかにされた経緯がある。情報公開で脚光を浴びた政治家が、首相という最重要の情報発信源となった今、情報発信の機会の多さが政権運営を危うくすると考えるのは、おかしいのではないか。
開かれた政党と自負してきたはずの民主党だが、小沢氏をはずした現在でさえも国民に対する説明責任を果たす気はどれだけあるのかと、どうしても疑わざるをえない。その思いを強くするのは、鳩山前首相の辞し方である。
確かに鳩山氏は民主党の両院議員総会で、辞任の弁を一方的に語った。党内での意思表示であり、氏に対しては質問一つ出なかった。本来なら、首相として官邸で記者会見を行って、質問にも答えて、国民にきちんと説明するのが筋だ。説明責任もケジメもつけずに、今、前首相はあちらこちらで演説し、親からもらったおカネを材料にして、笑いを取るような発言を重ねていると報じられている。こんなことが許されるのか。
前首相の辞任問題も含めて、民主党が国民に説明すべき事柄が、もう一つある。政治資金問題である。鳩山氏も小沢氏も、この点についてなんら説明責任を果たしていないが、菅民主党政権はこのままほおかぶりでやり過ごすつもりなのだろうか。
菅新政権を世論は大いに歓迎している。とはいえ、民主党の中身は経済・財政政策も普天間問題も日教組を筆頭とする労組依存も、なにも変わっていない。新政権は文字どおり誕生したばかりで、以降の政権運営を見守ってから論評すべきだとは思う。しかし、その概要が前政権と大差ないのであれば、有権者の側も単なる党首交代にのみ目を向けるのではなく、個々の政策を賢く見ていくことが必要だ。
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