「 中国に利用され国益を損ねた野中広務氏の不明瞭な発言 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年6月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 989
野中広務元自民党幹事長が北京を訪れ、6月3日、中国共産党政治局常務委員の劉雲山氏と会談した。その席で、野中氏は、「尖閣諸島の棚上げは日中共通認識だった。日中国交正常化交渉の際、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相の間で棚上げの合意があったという趣旨の話を、田中氏から後に聞いた」と伝えたそうだ。野中発言は中国の思惑にぴったり沿うもので、中国メディアが大きく報道したのも当然だ。私は氏の発言を知って、思わず慰安婦問題を連想した。
日本政府や軍が慰安婦を強制連行した事実はなかったが、いまや日本は「強制連行した」と非難され続ける。事情を調べたり、研究したりした人々は強制連行はなかったことに否応なく気づかされる。そうすると、今度は女性を戦場における性の対象としたのは許せないとして、批判の趣旨を変えて、またもや日本非難の声が強まるのである。慰安婦をはじめとする歴史問題には、日本を貶め窮地に追い込むことで、優位を保とうとする中国や韓国の政治的思惑が見て取れる。
だが、橋下徹大阪市長が指摘したように他国の軍も同様の不埒な慰安所を設けていた。そのことはいま、少数だが韓国の学者らも指摘している。にもかかわらず日本だけが非難され続ける。
なぜ、こんなことになるのか。その背景に歴史の事実をゆがめてまで日本国を非難する日本人がいて、彼らが日本非難の大合唱を誘導する構図があるからだ。祖国に対してこのような行動を取る国民がいるのは日本だけではないかとさえ思う。
例えば軍命によって済州島で朝鮮人女性を力ずくで拉致し、慰安婦にしたと名乗り出て、うその“体験記”を懺悔本として出版し、韓国に講演に出かけて土下座を繰り返したといわれる吉田清治氏もその一人だ。強制連行を示す資料は皆無だったにもかかわらず、軍による強制を認めて謝罪した河野洋平氏や宮澤喜一氏らも同類である。
歴史事実を捏造して日本を悪しざまに言い、その根拠なき日本批判を世界に発信する日本人が主導した慰安婦問題は、いまでは日本たたきの最強の武器となっている。
野中氏の指摘も極めて不自然かつ不明瞭だ。日中国交正常化当時の日本の外交記録では田中首相が「尖閣諸島についてどう思うか。私のところにいろいろ言ってくる人がいる」と発言し、周恩来首相が「今回は話したくない。今これを話すのはよくない」と応えているだけである。
1978年10月に来日した鄧小平(とう・しょうへい)副首相が、「10年棚上げしても構わない」と記者会見で述べたが、日本側は同意していない。ただし、福田赳夫首相は「棚上げ」を否定もしていない。
田中・福田両氏は、尖閣諸島に関する日本の主権を明確に主張しなかった点で極めて遺憾ではあるが、かといって日本政府が棚上げに同意したということにはならない。
それを野中氏は今回、田中氏から後に聞いた会話の記憶として、中国共産党序列第5位の人物に伝えたわけだ。氏の手元には一体どんな証拠があるのか。田中首相との会話というが、その会話の存在や真実性をどう証明できるのか。それにしても、引退し自民党からも離れたとはいえ、かつて自民党政権中枢にいた氏が、なぜこのようなことを中国に伝えに行くのか。
シンガポールで開催されたアジア安全保障会議で、中国人民解放軍副総参謀長の戚建国氏は6月2日、「中国は平和的発展の道を揺るがず歩み、平和的発展、開放的発展、協力的発展、ウィンウィン的発展の促進に尽力する」と述べ、尖閣諸島問題の棚上げを提案した。国際社会で中国の発言を信ずる国はおよそ皆無であろう。そうした中、野中氏は氏の融和的姿勢も発言も中国に利用され、間違いなく日本の国益を損ねることを自覚すべきである。