2008年10月

「戦略なき日本に、日米同盟の危機」

『週刊新潮』’08年10月30日号
日本ルネッサンス 第335回

10月19日夕方、中国の軍艦4隻が船団を組んで津軽海峡を横断、日本海側から太平洋側に抜けた。


4隻は、ロシア製の駆逐艦ソブレメンヌイ級、中国製で最新鋭のフリゲート艦ジャンカイⅠ級と同Ⅱ級、それに補給艦だ。ソブレメンヌイ級駆逐艦は、米国も恐れる音速の4倍速のミサイルを搭載する。同ミサイルは海面6メートルの超低空で飛行するため、レーダーでの捕捉が難しい。

2000年、中国の情報収集艦は津軽海峡を日本海側から太平洋側に一回半、往復した。海流、水温、海底の地形などに加えて、北海道、本州北部を飛び交う日米両軍の電波などを探ったと思われる。

あのときから8年、今回、初めて中国の戦闘艦が津軽海峡を堂々と横断したのだ。中国海軍の展開範囲が目に見えて拡大しているのである。

中国人民解放軍は、実質を備えない脅しは持続的な威嚇作用を持たない、威嚇は必ず真実性を伴わなければならないと考える。海軍力構築の効用は、ただ世界の海を航行することで諸国に政治的恫喝効果を与え得ることだと考える。中国海軍の強大さを諸国に認識させさえすれば、中国の政治力、外交力も自ずと高まると、彼らは考える。

中国海軍はいま26万人体制、北海、東海、南海の三艦隊は各々、水上艦艇部隊、潜水艦部隊、航空部隊、陸戦部隊、海岸砲兵部隊で編成され、宇宙への軍拡を支える柱となった。

米国の太平洋軍司令官のキーティング氏が、中国海軍の強気について、今年3月12日、米国上院軍事委員会で証言した。中国を訪れたとき、中国海軍幹部が、「ハワイを基点として太平洋を二分し、君ら(米国)がハワイ以東、我々はハワイ以西を取る」ことを提案したそうだ。

この情報は、キーティング氏の証言の翌日、シーファー駐日大使が日本の記者団に語った。大使は、中国の提案を、深いメッセージを込めて日本に伝えたはずだ。

その意味は、日本がしっかりしなければ、中国の描くシナリオの方向に事態は動いていきかねない。米国にとって、アジアのパートナーは未来永劫、日本に限定されているわけではないというものだろう。

米国の抱いた不快感

シーファー大使の情報伝達から7ヵ月余り、日本の対応は米国の期待を悉く、裏切るものだと、ジム・アワー氏は語る。氏は米海軍出身、ワインバーガー元国防長官の下で日本担当補佐官として活躍。リチャード・アーミテージ氏の片腕とも評される氏は、1988年にバンダービルト大学公共政策研究所に日米研究協力センターを創設した。以来20年間所長を務め、日米関係を見詰めてきたアワー氏が語る。
「日米関係は、日本人が考えるより遥かに深刻です」

日本側には、北朝鮮をテロ支援国家指定から外したブッシュ大統領への以下のような不満がある。指定解除は北朝鮮の核保有を認めたことであり、日本は北朝鮮の核攻撃の脅威に晒されている。日本周辺には、中国、ロシア、インド、パキスタンなど核保有国が並んでいる。であれば、日本の安全保障のために、日本も核の備えを整えなければならない。その方法としては、日米同盟をより堅固にし、米国の゛核の傘〟を機能させる道がある。それには、現在の非核三原則を二原則に変えて、核持ち込みを可能にすることだ。

一方、日本はアフガニスタンでのテロとの戦いの支援のためのインド洋での水及び燃料の補給を続け、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを急ぎつつ、日本の安全保障を日本自身が担保出来るようにする必要がある。究極的には核兵器を保有すべきか否かの議論を進めたほうがよい。こうした考えが日本にあると、伝えていたとき、氏は米国側の感じ方は、そうした日本側の感じ方より、遥かに厳しいと述べたのだ。最も親日的な米国人の一人と言ってよいアワー氏はざっと次のように語った。

「インド洋での海自の補給活動の継続問題が国会で議論されていますが、日本が供給する油を米国側が素直に受ける気になりにくい状況が生まれています。アフガニスタン用に供給した油をイラクでも使っているのではないかと、日本側は質しました。双方ともにテロとの戦いです。米軍の艦船はその時々の状況で動きます。この燃料はアフガン用だけと限定されれば、非常に使いにくい。米国側に、日本は難しい、つき合いにくい相手だという思いが生まれているのは事実です」

07年10月、国会で質された石破茂防衛大臣(当時)は、日本が行った800回近い補給を目的外に使用したか否かを調査するとして、米国に問うた。米国は情報を開示したが、かなりの不快感を抱いたというのだ。

更なる日米同盟強化を

日本の安全保障の観点から考えても、当時の議論は的外れだ。日本は中国に、他国とは桁違いのODAを与え続けた。民生用支援と言いながら、実際にODAがどのように使われたのかについては質していない。いま明らかになっているのは、日本のODAこそが中国の膨大な軍事力の構築を助けてきたという事実だ。また、日本が国連安保理常任理事国入りを目指したときに明らかになったように、国際社会で親中国派勢力を作り、中国はそれらアジア、アフリカ諸国を束ねて、日本に対抗した。中国がそれら諸国を束ね得たのはODAの効果だった。日本の対中ODAが、アジア、アフリカ諸国への中国のODAにすり替わっていた可能性もあるが、日本は一切、質そうとしない。日本の国益の視点、または同盟国の視点でこうした状況を見れば、その矛盾は明らかであり、米国の不快感も理解出来るのだ。

「対日不満の根本原因は、どれだけ海自が懸命に働いていても、とどの詰まり、共に戦っているわけではないからです。海自の補給は軍事行動ではなく、商業活動です。イラクのサマワでの陸自の活動も軍事行動ではありません。

決して日本は軍事的貢献をしないとなれば、いずれ、より信頼出来る相手を探さざるを得ないと米国が考えるのも、当然です」

日本の給油もここまで過小評価される。だが、アワー氏も、太平洋分割支配の中国提案を日本側にもたらしたシーファー大使も、問うているのだ。日本は信頼に足る同盟国になる気があるのかと。その気がなければ、米国は組む相手を変更する可能性さえある。その可能性は、民主党政権が誕生すれば尚強まるだろう。

だからこそ、日本の努力が必要だ。まず、中国、北朝鮮などの脅威に備えるために死活的に必要な日米同盟を実質的に強化することだ。集団的自衛権の行使に踏み切り、まともな国として、米国に「同盟相手が、価値観を異にする中国でよいのか。日本以外にないはずだ」と自信を持って問い返せる立場に立つことだ。

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「日本の惨めな外交を予言した中国高官の覆面座談会」

『週刊ダイヤモンド』   2008年10月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 761


「アメリカの外交政策に、拉致問題が影響を及ぼすことなんてありっこない」「最初からわかり切ったこと」「それをあたかも希望があるように報じてきた」「日本人って、その辺はお人好しだよね。われわれにはありがたいけどね」――。

ここで「われわれ」の立場から日本を論じているのは、中国外務省の課長補佐である。彼の指摘のように、米国は10月10日に北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除した。中国人課長補佐は、今の日本の立場は一九七二年の米中国交正常化当時と「まったく同じ」とも語る。

彼は、米中接近の結果、日本は取り残され苦汁をなめさせられると言っているのだ。この種の見方は、日本でもつとに指摘されてきた。目新しくはないが、中国がこのように見ていることを確認する点において、興味深い。

彼の発言は今年6月の座談会でのものだ。中国事情に詳しいジャーナリストの富坂聰氏が、自身の人脈で集めた4人の中央官僚による座談会だ。ちなみにその場でほぼ“言いたい放題”で語っているのは外務省課長補佐のほかに、「泣く子も黙る武装警察部隊北京総隊の大佐、国際協力機関の職員、国家シンクタンク日本担当研究員」である。これらの発言は『中国官僚覆面座談会 お人好し日本人フォーエバー!』(小学館)にまとめられている。

同書には、驚くほど率直な中国人の考え方、感じ方が吐露されている。たとえば、北京五輪について、五輪開催が「こんなに大変なことだとは誰も思わなかった」と語る。異民族弾圧や環境問題で非難され、とにかく「無事に祭典を終えられれば、それで御の字」が現実だと告白する。開会式への入場切符は、政府が一万枚も手元に置いて、素性の確かな人間だけを入れたそうだ。国内での聖火リレーが当初予定規模の半分に縮小されたことで、中国のメンツは損なわれたが、それも、もういいという感じで語っている。

中国人がこんな弱気を吐いているのである。司会の富坂氏が、中国をステレオタイプの視点で見てはならないと繰り返し強調する意味がよくわかる。

彼らのひと言からさまざまな中国の実情が見えてくる。中国では共産党と人民解放軍のどちらが優位に立つかについて、軍は党の指導下にあるとする見方と、党が軍に遠慮する立場だとの見方に分かれる。
『覆面座談会』では、全員がおのおの次のように指摘する。「中国で盛んに議論され始めているのが軍の国家化」「軍は国軍でなく、今も党の軍隊」「四川大地震で一早く現地入りした温家宝首相には軍を統括する権限はなく、軍は動かなかった」「党序列三位で、対外的には胡錦濤主席に次いでナンバー2にも映る総理は、党中央軍事委員会のメンバーですらない」。

つまり、彼らは、党には軍を動かす力はないと言っているのだ。四川大地震で軍の救援活動が功を奏さなかったもう一つの理由は、同地域の核関連施設や軍事施設を落ち着かせ、そこで働く人びとの大量脱出を止めることが最優先されたからだ。同地域を走る1,600キロメートルの石油輸送管の安全保護も、人命救助に優先された。瓦礫の下の幾万の命は、放置するのだという。

彼らが語る中国社会の腐敗の実態は驚くしかない。倫理観などには目もくれない彼らは、それでも自信を持って言う。米中戦わば、中国は戦争を貫徹できるが米国にその力はない、つまり、勝利するのは中国だと。さらに言う。台湾と戦争になれば、中国株を買えと。戦争で中国経済がダメージを受けるなどとはまったく考えていないのだ。

そしてダメ押しをする。東シナ海の日中共同開発は「中国の大勝利」であり、米中接近、米朝接近のなかで、「日本は惨めなドタバタ外交」を展開する運命にあると。彼らの本音を知るために、一読をお勧めしたい書である。

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「今、日米関係を前向きに見直せ」

『週刊新潮』’08年10月23日号
日本ルネッサンス 第334回



10月11日、ブッシュ政権が、北朝鮮をテロ支援国家のリストから外したことは、安全保障に関して、米国依存の日本に安保・外交体制の根本的かつ前向きの見直しを迫るものだ。

6ヵ国協議を舞台に、一層進む米中関係の緊密化の結果、日米関係はこれから本当に厳しくなるだろう。日本は自ずと厳しさを増す日米関係の齟齬と摩擦を賢く乗り越え、如何に日米関係を長期的に安定させていくかに努力を傾注する必要がある。

ブッシュ政権の北朝鮮の核・ミサイル開発に関する政策には、4本の柱があった。①保有核爆弾の数、②高濃縮ウラン開発の状況、③核拡散につながる国際的取引、④プルトニウム保有量--以上4点の実態を明らかにし、検証可能な方法で核を廃棄させることを目指していた。

米国は、テロ支援国家指定解除を今年8月11日に予定していたが、その段階ですでに、右の目的の①②③を不問に付し、大幅に譲歩した。

8月11日の指定解除が見送られた理由は、④に関する北朝鮮の情報開示が不十分で、何よりも、北朝鮮の核放棄が本物だと判断するのに必要な検証・査察の手続きについて合意が成立しなかったためだ。

北朝鮮の核の脅威に直面する国際社会にとって、厳格な検証と査察体制の確立は最重要課題だ。それを北朝鮮が拒むのは、核開発を諦めていないことを意味する。にも拘らず、妥協に傾くブッシュ政権に、議会から、特にブッシュ大統領の足下の共和党からも強い反対が巻き起こった。

8月の指定解除を諦めたブッシュ政権に対して、北朝鮮は14日には核施設無能力化の作業を中断した。26日には寧辺の核施設の現状復旧を検討すると発表した。9月3日には復旧準備作業を開始、22日にはIAEA(国際原子力機関)が行なった核施設の封印の撤去を開始し、24日までにIAEAの監視要員を追放した。

この間、9月9日の建国60周年記念式典に姿を見せなかったことから金正日総書記の重病説が報じられた。確度の高い情報として伝えられたところによると、金総書記が倒れたのは、米国の指定解除見送りにショックを受けた結果だという。

日本に向けられた北の核

テロ支援国家に指定され、金融制裁を受けてきたことが、どれほど、彼を追い詰めていたか、指定解除を、彼がどれだけ待ち望んでいたかが窺い知れる。米国の圧力外交が功を奏していたことも見えてくる。

もうひとつは中国から5人の医師団が招請されたという情報。従来、中国に強い警戒心を抱いてきた金総書記は、ヨーロッパの医師を頼ることはあっても、中国の医師には頼らなかった。それが今回、事実上生死を握ることになる医師団を中国から招いた。「救う会」常任副会長の西岡力氏は、そのこと自体、事態がいかに緊急であったかを示すと共に、今後、北朝鮮への中国の影響力増大が予測されると指摘する。

今回の米朝合意は、8月時点のそれと何も違わない。西岡氏は語る。
「今回の合意では、北朝鮮が申告書に含んでいない疑惑の施設を査察するには、米朝双方の合意が必要だとされています。隠しておきたいと考える施設の検証に、北朝鮮が同意することは、100%ありません。合意そのものが無意味です。米国が無原則な譲歩をしたのです」

抽出済みのプルトニウムの量を知るには、核廃棄物貯蔵庫の査察と検証が欠かせない。しかし、この点は今回も合意事項に含まれていない。8月に米国が踏みとどまった原因は、今も未解決で残っているわけだ。

その他の当初の課題、保有核爆弾の実数や高濃縮ウランの実態、核関連技術の拡散なども、真っ黒な疑惑のまま残った。つまり今回の合意は、米国が北朝鮮を核保有国として認めるものなのだ。

北朝鮮の核のターゲットは、米国でも中国でも韓国でもない。日本である。日本敵視の北朝鮮政権の核保有を、米国が認めたことの意味は深刻である。さらに、同合意に到る道筋で、米国が頼ったのが中国だ。

米朝合意は、日本にとって、北朝鮮の核の脅威が現実のものとなったこと、対応次第では、米中対日本という構図が生じかねないことを意味する。こうした状況のなか、日本の最重要課題、拉致問題は、どのように解決していけばよいのか。

10月14日、麻生太郎首相は、参院予算委員会で、「生存者全員の帰国につながるよう、引き続き(北朝鮮に)求めていくのが基本方針だ」と述べた。12日には、浜松市内で、指定解除について、「(核問題が)動かない状況のまま置いておくより、きちんとやったほうがいい」「ひとつの方法だと思う」とも述べた。

国益を見極め、発言せよ

他方、中曽根弘文外相は14日、「一連の協議で日米は十分な意思疎通を行った。(日本政府の)意思と無関係に米国が決定を行ったことはない」と語り、指定解除は日米協議の結果と説明した。

中曽根外相はしかし、10月10日夜、ライス国務長官と電話会談し、指定解除は「日韓が納得するまで行わない」「まだ先のことだ」と受けとめた。であれば、その直後の翌日の解除に不信を抱くことはあっても、「十分な意思疎通」などと感じられないのではないか。にも拘らず、日米関係の緊密さを演出するために、日米協議の結果などと発言したのであれば、その種の取り繕いは有害無益だ。いまは、上辺の協調を装うより、正念場の日本外交についてしっかり見据える時である。ここで安易に米国との協調を演出し、優先するのは、米国に日本与し易しの思いを深めさせ、かつ、拉致問題という日本国の根幹に関わる問題の解決をより難しくするだけであろう。福井県立大学の島田洋一教授が指摘する。

「日本が6者協議で今回の米朝合意に安易に賛成すれば、その延長線上で、北朝鮮への軽水炉供与のための膨大な額の請求書が、日本に回ってくると考えるべきです。拉致解決の目処も立たないまま、米朝のペースで、中韓などの圧力を受けて、対北支援に踏み切らされる外交をしてはならないと思います」

まさにいまは、日本外交の正念場である。麻生首相には、対北朝鮮外交が示す米国外交の二重構造性をしっかり見てほしい。米国は国益、または政権の利益のために二重外交を展開しているのである。原則なき米国外交に振り回されないためには、日本の国益がどこにあるかを見極めることが欠かせない。

なすべきことは、明らかだ。6ヵ国協議では、米朝合意がそのまま6ヵ国の合意にはならないこと、特に日本の合意にはならないことを明言することだ。そのうえで、同盟国や周辺国に軽視されないだけの国家基盤を固めるのだ。北朝鮮の核から日本を守るために、非核三原則の見直し、集団的自衛権の行使を含めて、日本の安全保障能力を高めるのだ。

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「ノーベル物理学賞受賞が示唆する大学改革の見直しの必要性」

『週刊ダイヤモンド』   2008年10月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 760


三人の日本人学者がノーベル物理学賞を受賞した。受賞のニュースは、金融危機や株式市場の落ち込みで意気消沈しかけていた日本に、大きな喜びをもたらしてくれる。

若き時代に三氏が取り組んだのは、宇宙や物質の成り立ちにかかわるきわめて根源的現象の理論的解明である。各紙は三氏の業績について、紙面を大きく割いて説明している。まるで新聞が物理の教室になったかのようだ。

受賞した南部陽一郎氏は東京大学理学部卒業後、1956年に渡米、米国籍を取得して、現在シカゴ大学名誉教授だ。受賞理由は物質の質量の起源を「対称性の自発的破れ」として理論的に説明したこととされる。

一方、共同受賞の益川敏英氏と小林誠氏は共に名古屋大学大学院で学んだ。五歳違いのこの先輩と後輩は京都大学理学部で、共同研究に入った。両氏の研究は、なぜ宇宙に物質が存在するのかを説明する気宇壮大なものだ。

宇宙は、137億年前、ビッグバンで誕生したが、そのときエネルギーが転化して物質が生まれた。その当時、宇宙には素粒子と質量が同じではあるが、電荷が逆の反粒子が、粒子と同じ数だけあったのだという。

粒子と反粒子がぶつかると、光エネルギーになって両方とも消えてしまうが、今、宇宙には反粒子は存在しない。粒子だけが残ったのは、両者の性質が異なるからで、それを前述のように、南部氏が61年に「対称性の自発的破れ」として理論づけた。

物質の最小単位の素粒子は六種類あるとの推論を実験で証明することで、南部氏の説を、さらに矛盾なく説明し、素粒子論の基礎固めをしたのが、益川、小林両氏だ。

それにしても、今も宇宙に反粒子が存在すれば、粒子でできている銀河は存在しない。反粒子が輝く銀河を消し去り、果てしなく広がる夜空は真っ暗な空間になっていたかもしれないのだ。

それより前に、地球も粒子でできているのであるから、地球自体が消滅していたことになる。となると、私たち人類も存在しなかったはずだ。本当に、科学はおもしろい。

三氏の受賞は私たちにいろいろなことを教えてくれる。まず第一点は、各氏の研究発表は、南部氏が61年、益川、小林両氏が73年。47年前と35年前、ずっと以前のことだったのだ。

科学分野での研究成果は、これだけ長い年月が過ぎなければ、その真価は、常人には判断できないのだ。事実、三氏が研究成果を発表した当時、同僚たちでさえ、疑問の目で見たという。

今日、国際社会が高く評価する研究を、数十年も前に成し遂げていたことは、日本の実力のすごさを実感させる。かといって、日本の底力が依然として強いのか。大いに疑問である。

かつての日本は、今回の三氏らがそうであったように、主として国立大学を拠点として、理学部のような地味な分野の研究と研究者を守ってきた。科学研究費は潤沢ではなかったが、その範囲内で自由な研究が許容された。5年や10年で目に見える成果が出なくとも、研究、特に科学の基礎研究とは本来そんなものだと理解して、研究者を守ってきた。

けれど、その学問的風土がいまや消滅しつつある。法人化された国立大学の教育、研究からは、悪い変化ばかりが目につく。科学分野に絞って見れば、各種研究は6年間で成果を上げることが求められている。しかも、その間、一年ごとに研究の進展具合を報告しなければならず、その内容によって研究費が増減される。

たった6年間で、どんな基礎研究ができるのか。しかも、一年ごとの評価だ。こんなめちゃくちゃな方針で、国立大学が蝕まれている。大学改革の根本的見直しなしには、日本の科学研究に未来はないと、今回のノーベル賞受賞のうれしいニュースが告げている。

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「金融危機、日本の価値で打開せよ」

『週刊新潮』’08年10月16日号
日本ルネッサンス 第333回


10月3日、最大で7,000億ドル(約74兆円)の公的資金で金融機関から不良資産を買い取ることを柱とする金融安定化法案を、米国下院が可決、同法が成立した。米国発の金融危機が世界恐慌に直結する事態は、とりあえず回避された。

とはいえ、同時期、パリで首脳会議を開催した英仏独伊の4ヵ国は、欧州連合(EU)が歩調を一にする対処策を打ち出し得なかった。日本もまた、10月6日現在、株式市場で今年の最安値を更新した。金融安定化法が出来ても、世界が金融システムの安定を取り戻せるのかは定かではない。

日本の金融機関はバブルがはじけて以降、10年余りを費やして不良債権を処理してきた結果、今回は比較的痛みも苦しみも少ないという。だが、問うべきは、お金がお金を生むマネーゲーム経済で人類はこれからもやっていけるのかという点だ。金融資本主義は恐ろしいほどの勢いで世界経済を左右してきた。マネーの仕組みに通じている人々にとっても、いわんやその仕組みに疎い人々にとっては、モンスターのような金融資本主義に立脚する経済に不安を覚えざるを得ない。

このマネーゲームを推進してきた米国流のやり方に、多くの国々が従ってきた。とりわけ日本は、六十余年間、米国の足跡を辿り、忠実に米国の価値観を踏襲してきた。

米国や欧州で生まれた価値観や制度、金融システムも金融商品も、それなりの合理性とともに、したたかな戦略を反映する。彼らによる国際金融や経済の制度設計は自国の金融や経済を如何にして守り、強めるかという目的から発して、自国の利益のために他国の力を如何に利用するかという地平に着地する戦略だ。勝者がすべてを奪い、敗者は徹底的に敗れ去る。敗者復活の道はあっても勝敗の差は極めて大きく激しい。日本は、こうした制度の受け手ではあっても、設計の側に立つことはなかった。その結果、翻弄されてきた。

欧米の経済基準の狭間で

たとえば、85年9月のプラザ合意だ。ドル安円高の構造が作られ、ドル安の米国は輸出拡大に成功し、極端な円高に直面した日本は、汗と涙を流しながら、国内産業構造を変えて対応した。それでも米国の対日貿易赤字は減らず、プラザ合意から4年後、米国は構造協議で日本国内の仕組みを変えるよう、迫った。郊外に大規模小売店が立ち並び、週末には広い駐車場が満杯になるほど、買物客が押し寄せる光景は、いまや日常風景だ。これも日米構造協議の結果、大店法の改正などに、日本が踏み切った結果である。大型店は生活を便利にしたが、日本社会から、さまざまなものを消し去った。中小の店々、地元商店街、人間関係。そして、町の佇まいまで変わった。

バブルがはじけ、金融機関は貸し渋りから、かつての日本の金融機関の選択にはなかった貸しはがしに移った。資金とともに時間を貸してきたのが、日本の金融だった。2年契約で借りた事業資金が、3年や4年の返済期間に延びるのは珍しくなかった。借り換えを繰り返すのも、当然だった。そのような日本的慣習を否定して、何が何でも、契約どおりに返済を迫り、結果として、多くの、実態は悪くない会社を潰したのが貸しはがしだった。

それでも経済の国際化のなか、日本全体の生き残りと発展のためには、国際基準に合わせるしかないと結論づけられた。政府も金融機関も、経済学者も専門家も、米欧諸国に合わせることに精一杯で、彼らの制度設計に挑戦し、日本の文化文明、商習慣を反映した日本的システムの長所を国際基準に仕立て上げる発想を欠いてきた。

けれどいま、金融資本主義が危機に瀕し、世界経済はさらなる深みに嵌ろうとしている。米欧式制度に危機が発生したいまが、好機だ。受け身から攻勢に転ずるときだ。これまで言えなかった、日本の主張や価値観を、金融資本主義に替わるものとして世界に発信していくべきだ。

健全な経済に自信を持て

日本初の独立系投資信託会社、さわかみ投信を設立した澤上篤人氏は語る。
「金融は、世界経済の拡大発展を下支えするためのものであるはずです。けれど、それが、金融プレーヤーのための巨額の利益創出のゲームになり果てています。金融派生商品(デリバティブ)の取引高は、07年12月末、国際決済銀行(BIS)統計で596兆ドル、6京3,772兆円という途方もない額になっています。マネーがサイバー空間を飛び交って、いまやどこも軒並み巨額の損失を蒙っているのです。本来、経済の潤滑油であるはずの金融が、逆に足枷になっている。こんな経済や金融が、よく働くことを大事にしてきた日本人や日本の経済に馴染むはずがないのです」

まず、世界を揺るがしている金融危機と実体経済は全く別物だと明確に認識することだ。日本は金融ゲームでは米欧にかなわないが、実体経済は健全である。よく働くこと、人が喜ぶよい製品や商品を作ることを第一義としてきた日本人の考え方と経済運営は間違ってはいない。むしろ、これからの人類のお手本になるべきものなのだ。だからこそ、澤上氏はお金の運用に関しても、日本なりの健全な運用の形を世界に示すべきだと語る。
「お金の運用を、どのように本来の金融に戻すか。経済の潤滑油、或いは、経済の成長を支える力に戻していくかを考えなければなりません」

日銀統計で、今年3月末時点での日本の個人の金融資産は1,490兆円、世界最大規模の資金だ。
「政府系ファンドで高い利回りを稼ぎ、国家財政を潤すという国もありますが、シンガポールや中東諸国の政府系資金、すべて合わせても約300兆円しかありません。日本国民の金融資産は本当に凄いのです」

氏はこれを「日本ならでは」の長期戦略に運用するのがよいと強調する。日本ならではの運用は、マネーゲームに注入された巨額のマネーの動きとは全く別物で、投資の対象を、金もうけをさせてくれる企業ではなく、人間を幸せにする企業に絞ることだ。

日本には世界の先頭を走る企業群、産業群が存在する。こうした企業や産業を元気にするための資金を、長期かつ安定的に供給する。そうして支えられた日本企業はグローバルに展開していくことが出来る。

日本が世界をリードするのは、代替エネルギー、新素材、工業における中間財を始め、きめ細やかさで知られる機械、電化製品など多岐にわたる。日本の強さに自信をもって、日本ならではのお金の流れを創生すれば、経済の潤滑油としての健全なる資本が日本に集まる。こうして、日本ならではの経済、金融モデルで、21世紀の世界を牽引するのだ。

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「日本の底力を強調する麻生太郎首相、所信表明の訴求力」

『週刊ダイヤモンド』  2008年10月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 759

麻生太郎首相の所信表明演説をめぐって、メディアの、とりわけテレビメディアの評価が辛らつだ。本来、首相の所信を表明すべきものなのに、民主党に問いかけたのが不満らしい。


メディアは野党や無所属議員の、「こんな演説は異例だ」「品格のかけらもない」(田中眞紀子氏)などというコメントを報じていた。

だが、対立政党への問いかけがおかしいということ自体がおかしいのではないか。問いかけは麻生首相の決意を語っているのであり、それは混沌とした内外の政治や、経済状況に、自らはこのように立ち向かうが、民主党はどうなのかと問い、違いを際立たせたにすぎない。

じつは、私は、首相の所信表明の中継は見ていない。聴いていない。だが、全文は読んだ。そして驚いた。なんと力強く、潔い内容であることか。世に、漫画ばかり読んできたと流布され、自らもその点をひけらかしてきた人物からは想像しがたい、美しいリズムと響きを持つ文章でもある。

首相は、「この言葉よ、届けと念じます」として、「日本は強くあらねばなりません」「わたしは、悲観しません」と言い切っている。

過去の幾人かの首相の演説に比べて、はるかに力強く、訴えてくる。今、日本周辺を見渡せば、「平和的台頭」と唱えつつ、その力を東シナ海、南シナ海、西太平洋に広げつつある中国が存在する。着実なペースで宇宙へも進出し、やがて、宇宙開発において、米国が中国に依存せざるをえないような状況さえ生まれつつある。日本抜きの米中の提携が着実に進むかに見える今、どの国よりも心を強く持たなければならないのが日本なのである。大国の狭間に沈み込まないためには、まず、日本こそが強くあらねばならない。

経済においても、米国発の金融危機の前に、金融資本主義と実態経済を明確に区分けし、日本人の力強さ、優秀さを体現する実態経済に、もっと、自信を持ってよいのである。状況の打開が容易でないことを肝に銘じつつも、悲観する必要はないのである。自信を失わず、揺らがない強い心で、事態に処すればよいのだ。

首相はこうも語った。「日本は、明るくなければなりません」。

日本の歴史を知っている人物の、面目躍如たる指摘である。幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米列強の使節団は、文明が未発達で貧しく野蛮な民族の住む国だと思って来てみると、日本が彼らの想像とはかけ離れた国であったことに、一様に驚嘆した。人びとは皆、その頬に幸福そうな微笑を浮かべており、物腰は柔らかくていねいで、すべてが清潔だったと驚いたのである。

当時、世界最強の英国は、植民地支配を通して、世界人口のじつに三分の二を支配し、世界の富を一手に集めていた。にもかかわらず、英国には絶望的な貧困に喘ぐ民衆が存在した。なのに、工業化も始まっておらず、物質的には英国の豊かさに遠く劣っていた日本には、絶望的な貧困に喘ぐ民衆はいなかったと、彼らは驚いたのだ。

そして、彼らが見た日本人は「実によく笑い、微笑む国民だった」(所信表明演説)と、感動のうちに記しているのである。

充足から生まれるこの朗らかさ。日本はかつて、国民の幸せを確実に実現していたのである。今、そのような国家の再現が重要なのだ。その方法として、首相は「日本の底力」を信ずることだと説く。

小沢一郎民主党代表の、「国民の生活が第一」「自民党総裁は政権を投げ出すことができても、国民は生活を投げ出すことができない」、これが「最後の一戦」という訴えももっともである。世論調査では、民主党に強い支持がある。

しかし、麻生氏の言葉には、小沢氏の訴えを超えて、なお力強く国民に語りかける力があると思うが、どうか。

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「中国の脅威を見つめよ、自衛隊」

『週刊新潮』’08年10月9日号
日本ルネッサンス 第332回


中国の軍事戦略の基本を表わすものに、鄧小平の「24字戦略」がある。4文字の成句を6個連ねた文字どおりの24文字の訓示で、鄧小平は命じている。
「冷静に観察せよ、己れの立場を固めよ、冷静に対処せよ、能力を隠し好機を待て、控えめな姿勢を得手とせよ、突出した地位を求めるな」

およそ戦いに勝つための要諦がここに含まれている。強さは、それを見せても支障のない水準に達するまでは、決して誇示してはならない、相手に悟らせてはならない。相手が警戒心を抱く前に、どの国も抗し得ないだけの力を身につけてしまえ。そのとき、勝利の果実は確実に中国のものとなるというわけだ。

9月25日、当初10月だった予定を早めて、中国は有人宇宙船「神舟7号」を打ち上げた。27日には中国初の船外活動も行った。有人宇宙計画は92年に発表され、以来着実に進み、2020年までに独自の宇宙ステーション建設を目指す。

彼らの宇宙開発は軍事と表裏一体である。中国の軍事力分析の第一人者、平松茂雄氏が指摘した。
「中国は07年10月に、新たな衛星観測艦、遠望5号を就航させました。宇宙船を誘導し、軌道上に保ち、情報収集の中継基地となるのが衛星観測艦です。米国は世界各地の基地でこれを行いますが、中国は基地を持っているわけではありませんから、艦船を使います。遠望1号は早くも70年代に造られました。中国は5号艦に続けて6号艦も予定しています。今回恐らく、南太平洋、北太平洋、インド洋、大西洋の全海域に遠望を派遣したはずです。

中国は、宇宙開発とそれに整合する海軍力の増強を70年代から30余年間継続してきました。その軍事力の日本への脅威は極めて深刻ですが、日本の弛緩した空気、特に、海上自衛隊の現状は寒心に堪えません」

潜望鏡と鯨の尾

海自に関して抱く直近の疑問は9月14日、イージス艦「あたご」が発見した「潜水艦らしきもの」を見失った事件だ。

報道によると、14日午前6時56分、高知県足摺岬沖の豊後水道周辺の日本領海内で、潜水艦の潜望鏡らしきものを、あたごが発見した。あたごはソナーによる捜索を続け、P3C哨戒機や護衛艦なども出動させたが、1時間半後に見失った。

発見水域は日本領海内に7キロも入り込んだ地点である。外国の潜水艦が領海内を航行する際は浮上しなければならない。浮上せず潜望鏡で周辺を窺いながらの航行は国際法違反の情報収集活動であり、意図的な領海侵犯だ。それを追尾しきれずに見失ったのは大失態である。

その後、あれは潜望鏡ではなく、鯨の尾だったのではないかなどという弁明が流された。つまり見間違いだった可能性があるというのだ。

鯨の尾ヒレだとして、鯨が海面上に尾ヒレを出せば、周辺に波が立つ。尾を立てて潜ったのであれば、大波が立ち、しぶきも飛び散る。あたごはそのような光景を目撃したのか。潜望鏡らしきもの発見との見張りの情報は、艦長も望遠鏡で確認したのではなかったのか。それでも鯨の尾ヒレだと言うのなら、あたごの監視能力は一体どうなっているのか。

平松氏が強調する。
「厳しい見方かもしれませんが、自衛隊全体が、全体像を見る力、全体像に立脚して国防を担うという考え方や能力を失っているのではないでしょうか。個々の分野で、眼前のミッションを達成するだけでは、国防は果たせないのです」

たとえば、去年12月、海自は初めてミサイル防衛システムの基幹をなす海上配備型迎撃ミサイル(SM3)の迎撃訓練に成功した。ハワイ沖での実射成功について、防衛省は「今回の成功は日米同盟関係の変革を現すもの」とまで、高く評価した。日本の安全を、事実上、一方的に米国に依存してきた従来の状況を一変させて、日本もまた米国の安全に直接寄与出来る立場に立ったとの主旨である。全体の一部を歯車として担うのではなく、日米同盟全般に目配りした動きが出来るという意味でもあろう。果たして海自は、ミサイル迎撃の技術的成功にとどまらず、どれだけ国防の責務を遂行し得ているだろうか。イージス艦という優れた船と装備を使いこなすだけでは足りないのが国防の任務である。

力をつけ続ける中国海軍

私は元来自衛隊に敬意を抱いてきたものだが、それでもおかしいと思う幾つかの事例がある。たとえば、あたごでは、漁船との衝突事故を機に、見張りが不十分だったとして、見張りに、24時間体制で監視カメラがついたそうだ。監視されているから見張りの役割がきちんと果たされるということではないだろう。むしろ、国防はどうあるべきか、海自の隊員としてどう取り組むのかという根本を徹底することが、本来の見張りの責任を果たすことにつながるはずだ。

究極の場合、生死を賭して戦う軍人として、如何に任務を遂行するのか。国民、国土、領海を守る海自の最先端の現場で、隊員は如何に己れの責務を果たすのか。こうした基本を学んではじめて、役割が果たせるはずだ。自衛隊は民間のガードとは異なるのだ。国防の任についているのだ。監視カメラの発想には、どうしても馴染めない。

想起するのは04年11月、中国の原子力潜水艦が沖縄の先島諸島周辺の領海を侵犯したときのことだ。海自は2日間にわたって追尾し、ソナーを投下し続けたが、彼らは一度も浮上することなく、逃げおおせた。海自は一度も中国の原潜を目視出来なかったが、自らの追尾能力の高さを強調し、中国原潜恐るるに足らずとした。

2年後の06年11月、沖縄沖で訓練中の米空母キティーホークの8キロ地点まで、中国の潜水艦が接近し、急浮上した。ミサイル攻撃で空母に甚大な被害を与えられる距離まで、気づかれることなく接近する能力を中国海軍は身につけたわけだ。

さらに2年後の今年、海自は最新鋭の装備を以てしても、中国海軍の潜水艦と思しきものを追尾することさえ出来なかった可能性が強い。彼らは鄧小平の教えのように、力不足を装いながら、力をつけたのだ。

その中国に、米国が同盟国や自陣営の国々の利益を損ねても配慮する兆候が見てとれる。一例が台湾問題だ。国民党の馬英九政権は、前任の陳水扁政権当時は反対し続けた米国からの武器装備の購入を予算化した。これまで台湾に武器購入を迫ってきた米国がいま、売却を止めている。中国への配慮ゆえだと見られており、米中接近の、ひとつの明白な証しである。 力をつけ続ける中国と中国に傾斜する米国との間にあって、日本の自衛隊は文字どおり一騎当千の働きをしなければならない。海自にその気概はあるか。否、政治に、現状の厳しさについての認識はあるか。

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「民主党の〝高速道路無料化案〟は真剣な議論に値するのではないか」

『週刊ダイヤモンド』  2008年10月4日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 758

自民党に麻生太郎氏、民主党に小沢一郎氏。真っ正面から闘う構図のなかで、私はどうしても、民主党の高速道路無料化の公約に注目してしまう。


財源はどこにあるのだといって、自民党が、同案をまともに取り上げないとしたら、大きな損失につながりかねない。なぜなら、現行の高速道路会社のあり方、つまり、小泉純一郎首相の下で行なった道路公団民営化はあまりにも明らかな失敗であり、高速道路保有・債務返済機構の下で、日本の高速道路経営は必ず失敗し、より大きな借金を次世代に残すことになるからだ。

道路族と道路官僚の既得権益に染まった現行システムには、国民経済や国土の発展に貢献する発想も仕組みもない。だからこそ、現行システムはできるだけ早く変えるのがよい。その一つの方法が無料化である。

そもそも、高速道路は何のためにあるのか。国土全域へのより速い、より便利なアクセスとして、中央も地方も豊かな社会を実現していくための手段として存在するはずだ。国土全域が発展し、経済の成長が促され、有事の際には国土防衛にも貢献する高速道路システムでなければならない。『日本列島快走論』『道路問題を解く』の著者、山﨑養世氏は無料の高速道路がどれだけ国土の発展と経済の成長をもたらすかは、歴史が証明していると、次のように指摘する。

「1930年代、ヒトラーは無料の高速道路網を築き、ドイツは欧州一の経済大国となりました。50年代には米国大統領となったアイゼンハワーがこれまた無料の高速道路網、インターステートを作りました。それによって地方自治体が活気づき、国土のすみずみまでを活用しやすくなりました」

米国の新進気鋭の企業、たとえば、マイクロソフト、ヤフー、グーグルなどはすべて地方で生まれている。
「ニューヨークが米経済の中心だといわれますが、ダウ30銘柄中ニューヨークに本社を置くのはわずか六社、残りは皆、地方生まれです。対照的に日本は時価総額トップの50社中、39社が東京に本社を置いています。東京だけで日本の経済を引っ張っていくのには限界があるにもかかわらず、地方の魅力が引き出される制度になっていないからです。高速道路も同じです。一極集中のこの弊害も、高速道路無料化が是正すると思います」

往復すれば一万円札があらかた消えてしまうような東京湾アクアラインや本四架橋が軒並み無料になれば、東京湾の千葉県君津側や四国の各地にも、住宅やオフィス、工場などが建てられるに違いない。東京で働く人びと、神戸や大阪で働く人びとも、高速道路が無料化すれば、少し離れた地域に住んでクルマで通勤することが可能になる。

そうすれば都市に集中していた人口が地方に分散し、過疎化に歯止めがかかる。あまりに高い都市部の地価や家賃は下がり、反対に資産価値が不当に低い地方の地価はもう少し上がる。

また、日本の得意技である環境技術を駆使して、二一世紀型の世界一の高速道路を作り上げていくことに知恵を絞れば、おのずと経済成長も加速されていく。環境に配慮した世界一のクルマを作った日本が同じく世界一の環境重視の高速道路を作れないはずがない。

山﨑氏は、たとえば、電気自動車の充電装置や衝突回避のためのGPS(全地球測位システム)装置などを備えた高速道路作りを考えるべきだと強調する。ガソリン不要で、CO2排出量もきわめて少ない高速道路を作り上げれば、環境大国日本の技術の面目躍如である。インドや中国にとっても目指すべき理想の道路になる。

すでにトヨタ自動車がこの無料化案に関心を抱いている。民主党だけでなく、自民党内にも、同案に前向きの政治家はいる。だからこそ、頭から否定するのでなく、真剣な議論によって日本の活路を開いてほしい。

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「政治は国民の心の糧になれるか」

『週刊新潮』’08年10月2日号
日本ルネッサンス 第331回


「人間に与えられたあらゆる才能の中で、雄弁の才ほど貴重なものはない」。確信をもってこう書き残したのは、英国のウインストン・チャーチルだった。当時23歳。彼はさらに書いている。
「雄弁を操る者は、偉大なる王の権力よりも、さらに永続性のある権力を振う。(中略)自己の党から見捨てられ、自分の友から裏切られ、自分の役職をはぎ取られても、この力こそ依然として制しがたい」(『チャーチル』ロバート・ペイン著、佐藤亮一訳 法政大学出版局)

権力を渇望し名声を好んだチャーチルの人柄への評価は、毀誉相半ばするが、第二次世界大戦中に彼が行った演説は、人々にとって「日々の糧だった」と言われるほどの名演説だった。彼の発する言葉は苦境にあった英国民の心を奮い立たせた。

自民党総裁の麻生太郎氏、民主党代表の小沢一郎氏。両氏に求められるのも、日本国民に、未来を切り開いていく勇気と力、心の糧を与えることである。政治の貧困で方向も定まらず、激動する世界情勢に、ひたすら流され続けるかのような現状のままであってはならないのだ。政治家として、信念と魂を込めた言葉を発し、国民を勇気づけ、奮い立たせることが必要だ。

9月22日、自民党総裁となった麻生氏は、それを「天命」だと語り、さらに続けた。
「130年前の本日、吉田茂が生まれた。そして、おととい(20日)、私は68歳になった」

祖父と自分の誕生日の近さ、それにほぼ重なる自民党総裁への選任の日取りは、偶然の一致というより、見えない糸で結ばれた天命であると、氏は受けとめたのだ。

歴史こそ、人間を人間たらしめる要素だ。己れが何者であるかを確認するためにも、人間は歴史を学ぶ。そして歴史の継続性のなかで生きる。

チャーチルの後悔

米国のブッシュ大統領のイラク政策は、〝テロとの戦い〟を大義として掲げながらも、父ブッシュの湾岸戦争の残り火を引きついでいた。安倍晋三元首相は、祖父、岸信介の憲法、安全保障観の影響を明確に受けていた。チャーチルも1901年5月、下院議員として2度目の演説で、大蔵大臣を務めた父、ランドルフ卿の志に触れた。ランドルフ卿は、陸軍の大幅な軍事力増強案に反対し、失脚したのだが、チャーチルは、父が果たせなかったことを、自分が果たさなくてはならないと考えていた。頓挫した父の志に関して、彼は「完全に打ちのめされてずたずたに引き裂かれた旗を、私が今回ふたたび拾い上げることをお許し下さった議会に感謝します」(前掲書)と述べて、財政の節約を訴えるとともに、使用可能な全予算を海軍の建設に振り向けるよう訴えた。

チャーチルは、次の欧州戦争は広範な国民同士の戦いになるとして、英国の選択は地上戦を回避し、海で決着をつけることだと説いた。

20代の若さながら、彼はその後の情勢を実によく洞察していた。ちなみに、戦後の冷戦を象徴する「鉄のカーテン」の表現は、2945年5月12日、チャーチルが米国のトルーマン大統領に宛てた電文に由来する。チャーチルはその後「鉄の柵」という表現も用いて、ソ連の野望を喝破し続けた。「鉄のカーテン」への備えを構築すべしと彼が説き始めたのは、45年4月30日にヒトラーがピストル自殺を遂げ、5月8日にドイツが降伏したわずか4日後のことだ。なんと鋭い認識か。

チャーチルは戦後間もない46年3月、米国のウェストミンスター大学での名誉学位授与式で演説した。
「適切な時期に適切な処置を取ってさえいたならば、これほど簡単に防ぐことのできた戦争も歴史上またとないことでしょう」

台頭するナチスドイツの前でフランスをはじめ欧州諸国が、そして英国もまた、いたずらに希望的観測に埋没し、戦う意思も力も不十分だった。断固対処しさえすれば、ドイツの侵略を防ぐことが出来たであろうし、その結果、欧州はドイツも含めて、もっと平和で繁栄していたであろうと指摘したのだ。

吉田茂の本意

麻生氏の祖父、吉田茂は日本の復興を優先して、経済重視、国防は二の次といういわゆる吉田ドクトリンを打ち出したとされる。それを源流として、今日に至るまで、日本は経済中心の商人国家の道を歩んできた。だが、このような国の形は吉田の願ったものではなかった。田久保忠衛氏が指摘する。
「吉田ドクトリンという言葉を創ったのは政治学者の永井陽之助氏でした。85年に氏が著した『現代と戦略』のなかでのことです。

吉田の本心は、敗戦直後の日本には再軍備の余裕はないという点にあったのですが、永井氏は、吉田が日本国を非軍事国とするところに日本の進路があると確信していたかのように描いてしまいました」

日本が再軍備の道を選んでいたとしたら、その後の経済的繁栄は難しかったというのが、゛吉田ドクトリン派〟の見方であり、それは池田勇人、宮澤喜一らをはじめ、現在の加藤紘一氏、河野洋平氏らにつながる。しかし、吉田の考えは、吉田ドクトリンとは決定的に異なるのだ。また吉田自身が「吉田ドクトリン」などという言葉を口にしたこともない。吉田はむしろ、経済重視路線をとり、軍備や国防を蔑ろにしたことを、後年、悔いている。

政界引退後の63年に著した『世界と日本』のなかで、吉田は、米国依存の「日本の防衛の現状に対して多くの疑問を抱くようになった」、「経済においてはすでに他国の援助に期待する域を脱し」た、「防衛の面においていつまでも他国の力に頼る段階はもう過ぎようとしている」と書いた。田久保氏が指摘する。
「85年、私は、永井論文批判を『諸君!』に書いたのですが、そのときに、吉田と親しかった辰巳栄一偕行社名誉会長に取材しました。辰巳氏は引退した吉田を大磯に訪ね、幾度も語り合っています。そのとき吉田は、戦後日本の国防のあり方に『非常に疑問を感じている』、『自分の力で国を守ることは必要だ』と語っていたと、話してくれました。世にいう吉田ドクトリンは、吉田の本意では、まったくないのです」

総理総裁就任を天命ととらえ、祖父吉田の思いを心に刻んでいるとしたら、それは日本国の基本に関する吉田の考えを正しく具現化したいとの決意につながるであろう。氏が外相時代に打ち出した「自由と繁栄の弧」もまた、健全な軍事力なしには達成出来ない価値観だ。であれば、麻生氏は、経済再建、社会保障などとともに、少なくとも、集団的自衛権の行使を可能にする道を切り拓き、日本国の安全保障体制をまともな民主主義国の体制に近づけることを使命として打ち出すのが良い。

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プロフィール

櫻井よしこ Yoshiko Sakurai

職歴

1971~74
クリスチャンサイエンスモニター紙
東京支局勤務
1975~77
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  記者
1978~82
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  東京支局長
1980~96
TVニュースキャスター
1980~現在
ジャーナリスト

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