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『週刊新潮』 2010年2月18日号
日本ルネッサンス 第399回
日本時間の1月13日にハイチで起きた地震は、総人口1,000万人の国に死者21万人強、被災者300万人強の被害をもたらした。90%以上の建物が崩壊し、首都ポルトープランスは壊滅した。あれから約ひと月、瓦礫の片づけははかどらず、医薬品も食糧も水も不足している。
地理的に見てハイチは米国の裏庭である。それだけにオバマ大統領は直ちに反応した。ハイチ問題についての、最初の演説でこう語っている。
「ハイチ問題最優先」で「米国の指導力」を発揮する。「神の恵み」の下で、「南の隣人たちと連携」する。「陸軍、海軍、海兵隊、コーストガード」を投入し、「米軍は24時間体制の」救出活動を行い、「政府は1億ドル(約90億円)を支出する」。
ハイチは数年前まで、激しい反政府武装勢力の活動で社会不安が続いていた。国連は04年に、PKO部隊、「国連ハイチ安定化派遣団」を送った。06年の選挙で新政府が発足し、ようやく治安が回復しつつあった矢先の地震だった。
このハイチに外交攻勢を強めたのが中国だ。中国は04年以降国連PKOに150人の警察部隊を派遣していた。今回の地震で中国部隊の幹部8人が死亡、中国政府は彼らを「英雄」として国葬で讃えた。
中国がハイチに力を入れる理由に、中南米における台湾の影響力排除があるのは明らかだ。現在、中国とハイチ間に国交はない。台湾と国交を維持する国は現在23ヵ国で、内12ヵ国が中南米に集中しており、ハイチはそのひとつなのだ。
もうひとつの理由は米国の裏庭に影響力を及ぼすことだ。中国の動きは素早く、中国軍の第一陣は地震発生から33時間でポルトープランスに到着した。米国、アイスランド、プエルトリコに続く早さだった。
日本はどうか。施政方針演説で声を限りに「いのち」と連呼した鳩山由紀夫首相は、ハイチの地震発生から約36時間後の1月14日夕方、記者団の質問を受けて、述べた。
「多くの人命が失われたこと、心からお悔やみを申し上げたい」
陸上自衛隊の国際緊急医療援助隊(国緊隊)が派遣されたのは地震発生から9日目の1月21日だった。彼らは23日に現地入りし、医療活動を開始した。
サマーワと同じ構図
自然災害時の援助では、何よりも即応することが大事である。だが、被害国の状況によっては、医療活動といっても危険が伴う。ハイチの場合、元々の社会構造の不安定に加えて、食糧や水不足による不安と不満が募り、国連援助隊が住民に襲われるケースも多発した。逃げきれず、国連側が催涙スプレーをかけたケースさえある。医療隊といえども、身を守る武器携行が必要である。
今回、国緊隊の派遣に関して政府決定が遅れたのは、まさに隊員の「いのち」をどう守るのかについて、判断出来なかったからだ。関連法は国緊隊の武器携行を禁じている。かといって、ハイチでは国連PKO活動が続いていたのである。それは紛争が続いていることを意味する。刻々と入ってくる情報も、ハイチの社会不安と危険性について警告するものばかりである。そのような地域へ自衛隊を丸腰で派遣して、隊員の安全を担保出来るのか。その見極めに時間がかかり、9日がすぎたのだ。
安全確保に目処がついたからこそ、派遣に踏み切ったわけだが、具体的にはどういうことだったのか。国緊隊の約100名は、首都から西方約40キロの町、レオガンの、エピスコパル大学の敷地に診療施設を設営し、すでに千数百名の患者を手当した。
その彼らの安全を守るのはスリランカ軍である。エピスコパル大の設営場所から1.5キロ先に、国連のスリランカ軍2個中隊が設営しており、国緊隊に危険が及ぶような場合、目と鼻の先から救援に駆けつけてくれるという想定なのだ。国緊隊の設営場所は、スリランカ軍との距離の近さもあって決定されたといえる。
そのことを知って思わず嘆息するのは私だけではあるまい。イラクのサマーワで活動したとき、自衛隊の安全を英国軍やオランダ軍に守ってもらったのと同じ構図である。だが、スリランカの人口は2,000万人強、およそすべての面でわが国よりはるかに小国だ。その小国に、日本を守る負担をお願いしなければならないのだ。スリランカの人々に感謝しつつも、このような体制からは一日も早く脱しなければならない。
日本が国緊隊を派遣した1月21日、国連は軍事部門で2,000名、警察部門で1,500名のPKOの派遣を諸国に要請、日本政府は応えて、2月5日に自衛隊員350名の派遣を閣議決定し、一次隊の6日の派遣にこぎつけた。護身用の武器として、拳銃、小銃、機関銃も携行を許された。自衛隊のPKO部隊は避難民収容施設の用地造成や瓦礫の撤去、道路整備などを担当するという。
鳩山首相はこの展開について、「2週間という(短時間で)PKO派遣を決めることが出来た。今までになかったことで、感慨無量の思いがございます」と語っている。
自衛隊派遣の恒久法を
たしかに従来のPKO派遣に要した数ヵ月単位の時間に比較すれば、今回の派遣はかなり早い。理由は大別して2つある。
ひとつは防衛大臣直属部隊としての中央即応集団が07年3月、自民党政権のときに創設されていた点だ。中央即応集団は陸上自衛隊朝霞駐屯地に本部を置き、約4,000名の隊員で構成する。目的は「国際平和協力活動や国内の各種事態への即応」だ。すぐ任務に飛び出せるように、あらかじめ種々の予防接種を受けている。全員のパスポートは金庫に保管され、装備も整えられている。同集団創設以前は、隊員への予防接種だけで月単位の時間がかかっていた。
別の理由は、与党となった社民党が日本国の責任を認識し現実路線を選んだせいか、自衛隊のPKO派遣に反対しなかったことだ。野党の自民党も無論、反対しなかった。
自衛隊のPKO部隊の派遣に米国は好意的である。「米国の裏庭」で進む中国の影響力拡大の動きに当然、彼らは苦々しさを覚えているであろう。そこに価値観を共有する同盟国として、本来、協力が期待されている日本がかつてない早さで援助に入ったのだ。インド洋からの撤退や普天間飛行場移設での迷走が、これで帳消しにはならないが、鳩山政権への否定的見方を幾分緩和する材料にはなるだろう。
それにしても、この機会に鳩山政権が手をつけるべきことがある。自衛隊のPKO派遣をその度毎に決め、常に行動が遅れて評価されない現行制度から脱却して、今回のように素早い対応を可能にする自衛隊派遣の恒久法を制定することだ。自民党に異論があるはずはない。外交・防衛で一致協力するよい機会である。
『週刊新潮』 2010年2月11日号
日本ルネッサンス 第398回
夢想家、鳩山由紀夫首相の施政方針演説は、空疎で聞くに堪えなかった。「いのち」という言葉を連発し、力を入れるあまり声が裏返っていた。国民の「いのち」を預かる身として、日本の置かれている現実をもっと冷静に見るべきだろう。
首相は、「生まれくるいのち」「育ちゆくいのち」「働くいのち」を守り、さらに「世界のいのち」も「地球のいのち」も守ると、目標値を高めていく。
すばらしいことだ。平和を守ることと同様、反対する人はいまい。だが、いのちを守ることは多くの責任を果たすことであり、首相が語ったように、政治の責任は非常に大きい。
生まれ、育ついのち、そして働くいのちを守るには医療、福祉、雇用など、種々の社会政策が肝要で、それらを可能にする経済成長が欠かせない。だが、鳩山政権の経済政策のどこに成長を促す要素があるのだろうか。そうしたこと以前に、いのちを守るには日本国の安全そのものが守られていなければならない。その点について、鳩山首相の考えは支離滅裂である。
戦後日本の平和と安定の土台は日米安保体制だった。だからこそ、首相の基本的価値観が、明らかに米国と距離を置き、中国に傾く点にあるにも拘らず、首相は演説で「日米同盟の深化」に触れざるを得なかった。
首相の施政方針演説の2日前に演説したオバマ大統領は、しかし、日米同盟にも、日本の存在自体にも触れなかった。鳩山政権の日本は完全に無視されたのだ。首相はそのことを当然知っていたにも拘らず、日本に深刻な影響を与える米国の「日本離れ」にどのように歯止めをかけるのか、そのために何をすべきかについて、演説で何も語らなかった。
ついでに言えば、鳩山政権を事実上差配していると言ってよい小沢一郎民主党幹事長の政治資金問題についても一言もなかった。都合の悪いことには向き合わないのである。
自己中心的で内向き
首相は、国内のいのちだけでなく、世界のいのち、地球のいのちを守るともいう。そのためには地球環境や諸国間の覇権争いの厳格なコントロールが必要だ。他国を力ずくで抑圧し、異民族を虐殺し続ける、たとえば中国のような国は放置してはならない。中国を含む如何なる国の身勝手な振舞いも許してはならないのだ。
しかし、日本離れを進める米国への対処について語らなかったと同じく、「世界のいのち」に大きな脅威をもたらしている中国についても、首相は一言も言及しなかった。
声を裏返らせていのちを連呼してもなにも起きはしない。首相の言葉に説得力がないのは、その視点が自己中心的で、内向きで、他国の動きを認識していないからだ。
夢見る未熟な政治家、鳩山首相を無視したオバマ大統領も、しかし、一般教書演説で見る限り、極めて内向きである。就任して1年、初の一般教書演説の大部分を、大統領は国内経済の再活性化と雇用創出に割いた。今後5年間で輸出を倍増させ、200万人の雇用を創出するそうだ。
現実的な目標とは思えないが、世界一の大国であり続けると決意する大統領としては、掲げざるを得なかった政治的目標値なのであろう。
日米双方の最高指導者は、共に、理想家である。しかし、両者の違いはそれでも非常に大きい。鳩山首相が中心軸を欠いたマシュマロのように柔らかく頼りなく、言葉に始まり言葉に終わるのに対し、オバマ大統領は、国家の基本を一応は押さえている。それが中国の軍事的脅威、もしくは「テロとの戦い」への対処策としての軍事支出の据え置きである。
大統領はすべての裁量的歳出の伸びを3年間凍結したが、社会保障費と国防費は例外とした。国家の基盤は経済だけではなく、軍事的基盤があってこそ、自国と自国民を守ることが出来ると識っているからだ。
オバマ政権の目下の最大の目標は、国内経済の再活性化である。一方で、GDPの10%を超える140兆円に達する見込みの財政赤字も削減しなければならない。大統領は2月1日に予算教書を発表したが、200万人分の雇用創出につながる経済成長戦略と同時に、財政赤字の削減という相反する課題に取り組む筋道を示した。注目されるのは軍事費だ。
前述のように、オバマ大統領は一般教書演説で、軍事費に伸び率凍結の枠ははめなかったが、内部調整でアフガニスタンへの軍事支出を増やすのとは対照的に、有人月探査計画や宇宙開発計画の予算を削減すると発表した。これは一体、世界の安全保障にどんな影響を与えるのか。
秘かに喜ぶ中国
どの国にとっても月探査は膨大なコストの割に現実的見返りが実感しにくい、いわば金食い虫の企画である。米国はケネディ大統領の提唱で始まったアポロ計画、有人月探査をソ連に先がけて成功させた。75年まで続いて、打ち切られた有人月探査を、ブッシュ前大統領が復活させた。2020年までに、有人月探査を実現する計画だった。それを今回、オバマ大統領が中止させたわけだ。
代わりに5年分の宇宙開発関連予算59億ドルをつけたが、これでは国家プロジェクトとして宇宙開発を続けることは困難だ。月探査計画の2020年の実現は困難であろう。
秘かに喜んでいるのが、中国ではないだろうか。中国はいま、異常な軍拡の真っ只中にある。喫緊の目標と見られる台湾併合に関連して、2002年段階で台湾海峡の制空権を握った。台湾をとらえる短距離ミサイルは1,400基も配備済みである。
台湾併合にはそれだけでは不十分で、中国はどうしても米国の介入を防がなければならない。そのために、米軍事力の強みでもあり弱点でもある高度ハイテク技術への依存性を突く力を、中国は蓄えた。サイバー攻撃と宇宙衛星網の破壊である。
中国人民解放軍にはサイバー攻撃のための部隊として、総参謀本部に第3部及び第4部が設けられている。軍全体、否、国家ぐるみで実施するサイバー攻撃を、彼らは「暗殺者の棍棒」と呼んでいるそうだ。中国を起点とする米国防総省へのサイバー攻撃は09年で年間9万件に迫る勢いだとされている。
中国はまた、2020年には独自の宇宙ステーションを、2030年には月面基地を完成させると見られている。両者を結べば、月と地球の間の宇宙空間も、そこを飛び交う衛星も支配出来る。世界のあらゆる情報を瞬時に入手し、ピンポイントで対処する能力を手に入れられる。現在、圧倒的強さを誇る米軍に対等に立ち向かう能力を、中国人民解放軍が手にするということだ。
理想を語り、その甘い陶酔の海に溺れる鳩山首相の無策は論外として、オバマ大統領の控え目な宇宙、軍事政策を最も喜んでいるのは、中国であろう。
『週刊ダイヤモンド』 2010年2月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 824
1月24日の沖縄県名護市の市長選挙の結果は、鳩山政権の終焉への第一歩となる可能性が大きい。どの国の、どの時代の歴史を見ても、国防の基本を蔑ろにした国は滅びている。鳩山由紀夫首相の友愛外交は、その背後に強固な軍事的備えがあって初めて生きてくるのだが、首相の外交は単なる空疎な言葉だけであり、これでは日本は持たない。
普天間飛行場の移設がより困難になり、日米安全保障体制が機能しなくなったとき、日本の国防の危うさは文字どおり日本の浮沈につながる。北澤俊美防衛相や平野博文官房長官は危機を実感しているのであろう。選挙結果は受け止めるが、「手続きも含めて法律でやらなければならない部分もある」(平野官房長官)の発言に見られるように、移設が全面的に選挙結果によって左右されるわけではないとの姿勢を示している。
なぜ、今、普天間飛行場移設問題を含めて日米安保の万全の体制が必要か。中国の軍事的脅威の高まりが尋常ではないからだ。米国は、2002年から毎年、国防総省の報告書「中国の軍事力」を発表。一方、共和・民主超党派の米中経済安保調査委員会も報告書を発表、QDRと通称される「4年ごとの国防計画見直し」などで中国の軍事力を分析してきた。
そうした情報を読めば、首相の唱える安保・外交政策がいかに的はずれで問題外であるかがわかる。米国の分析をざっと紹介する。たとえば、日本が将来直面するであろう中国の脅威を、すでに現在体験中の台湾のケースである。米国は、02年の段階で、すでに、台湾は台湾海峡の制空権を中国に奪われたと分析する。その年、台湾海峡に臨む中国大陸の沿岸には、台湾を狙う短距離ミサイルが350基配備ずみだった。09年には、その数は1,150基に増えている。毎年100基以上増え続けているのである。
むろん、右のミサイルへの核弾頭の装備は可能であり、方角を変えれば、ただちに日本攻撃にも使えることは言うまでもない。
中国は、軍事力で台湾を制圧出来る水準をすでに確立済みだが、それでは不十分だ。台湾問題に米国が介入出来ない状態をつくらなければならない。そこから、すさまじいとしか言いようのない「介入阻止作戦」が展開されてきた。その方法は二つ、サイバー攻撃で米国を機能不全に追い込み、潜水艦を駆使して空母を足止め、あるいは破壊することである。
第一の作戦は、米軍の強みでもあり弱点でもあるハイテクへの高度の依存性を突くものだ。そのために、中国人民解放軍には二つの特別部隊がつくられた。国防総省、国務省をはじめ、考え得るすべての研究機関や大学のコンピュータに侵入して情報を盗む部隊、もう一方は必要なときにコンピュータ網を攪乱し、破壊する部隊だ。ちなみに、中国軍では、これらサイバー攻撃部隊を「暗殺者の棍棒」と呼んでいる。
「暗殺者の棍棒」が、たとえば国防総省に仕掛けたサイバー攻撃は、07年に4万3,880件、08年は5万4,640件、09年は前半だけで4万3,785件だった。年間9万件に迫るすさまじさである。
この数は、国防総省一省に対する攻撃であり、有事の際には米国全土に一斉攻撃が始まると考えてよい。
第二は空母に対する潜水艦の攻撃能力の強化である。06年10月、中国の攻撃型潜水艦が沖縄沖で訓練中の米空母「キティホーク」にまったく気づかれることなく、8キロメートル地点まで接近して浮上したように、中国は米空母を攻撃する能力を十分に備えてしまった。
こうした状態があるからこそ、米国は日米安保条約をも踏まえて備えを固めたいと考えている。米国との協力は日本の安全を守ることにつながる。それが鳩山首相にはわからないのだ。
『週刊新潮』 2010年2月4日号
日本ルネッサンス 第397回
1月24日、米軍普天間飛行場の移設問題を最大の争点とする沖縄県名護市市長選挙で元市教育長の稲嶺進氏(64)が当選した。氏の公約は辺野古の海に基地は造らせないというもので、日米の長年の合意である辺野古への移設は非常に困難となった。
沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告書には、沖縄県米軍区域の総面積の21%にあたる5,002ヘクタールの返還が普天間移設の柱として明記されている。それに伴って訓練場や通信所を県内の他施設に統合し、パラシュート降下訓練は伊江島に、実弾砲兵射撃訓練は本土に、12機のハーキュリーズ航空機は岩国飛行場に移すなどが決められている。すでに準備は進んでおり、岩国のハリアー航空機14機は米国に移駐済みだ。
辺野古移設が頓挫すれば、これらすべての移設も白紙に戻されかねない。政府合意の白紙撤回は異常事態であり、米国の信頼を著しく損なう。5月には移設先を決めるとの鳩山由紀夫首相の言葉が実現されない場合、責任は極めて重大である。
首相も岡田克也外相も、複雑な歴史を背負った沖縄で、県知事や名護市長が辺野古移転計画を容認するまでにどれほどのハードルを越えなければならなかったか、その苦労を想像出来なかったのだろう。だからこそ、簡単に国外や県外移設を公約し、自縄自縛に陥った。
名護市長選挙の時期、私は沖縄八重山諸島のなかでも、最も革新勢力が強く先鋭的な反米反自衛隊の地という評判がある石垣島にいた。同島では2月28日に市長選挙がある。5選を目指すのが大浜長照(ながてる)現市長だ。氏の特徴はなんといっても軍事的な事柄への徹底した反対姿勢である。
氏と、米海軍との間に起きた或る出来事を見てみる。私はこれを、便宜的に「非常事態宣言事件」と呼ぶ。
デモ隊が港のゲートを封鎖
発端は在日米海軍が09年4月1日から3日まで、掃海艦2隻を石垣港に寄港させたいと通知したことだった。米艦船の寄港は日米地位協定で認められているのだが、島では反対の声が起きた。八重山地区の労働組合協議会、九条の会やえやま、いしがき女性九条の会など8団体15人が会見し、「身の毛のよだつ思い」「軍服を着て、市街地を歩くことは許さない」などと非難した。
大浜市長は接岸可能な岸壁はクルーズ船などの予約で一杯で、掃海艦の接岸は物理的に不可能だとして拒否回答を送った。さらに「観光客に無用の不安と混乱を招く」「子どもたちに強い恐怖を与える」「市民感情に配慮を欠いた一方的な押しつけ」「寄港は平和行政と相いれず、内政干渉」だとして、強く反対した。
これに対し3月17日、米軍側は寄港予定を2日延期し、民間の船が出港する後の3日に入港したいと改めて通知した。
地元紙の「八重山毎日」は翌3月18日、「米艦船は来ないで!」との見出しで社説を掲げ、米艦船は「招かざる迷惑な客」だ、米艦船の寄港を「果たして台湾や中国などがどう受け止めるか」と問うた。
石垣島の鼻先の日本の領海を中国の潜水艦が侵犯し、逃げ去ったのは04年11月だった。中国は台湾及び沖縄諸島を照準にとらえた短距離ミサイルを1,150基も配備済みだ(08年9月時点)。しかも、毎年約100基ずつ、増やしている。先の社説子は、こうしたことについてどう考えるのだろうか。沖縄(日本)への軍事的脅威を構築済みで、それをさらに拡大する中国に、的外れの配慮を示し、一方で同盟国の掃海艦という比較的小さな艦船の入港の「危険」を煽りたてる。中国にどう思われるかを心配するより、中国の短距離ミサイルや潜水艦の脅威こそを心配しなければならないはずだ。が、国際情勢への目配りを欠く社説子は「米軍であれ、自衛隊であれ軍隊と名のつくものがこの八重山に出入りすることを一切お断りしたい」と断じるのだ。
さらに驚くべき反応が、今度は大浜市長から起きた。米艦船の寄港予定日近くの4月1日、市長は「寄港した場合は非常事態宣言をして対応せざるを得ない」と述べたのだ。同盟相手が、「乗組員の休養と地元との交流」を求めたのに、市長は極論で息巻いたわけだ。
当時の在沖縄米総領事のケビン・メア氏は、「米海軍の沖縄での活動自体が日米安保の下で日本を守る責任を果たす用意が、米国にあると示すことになる。石垣港は南の海路の中心にあり、寄港の経験を通してこの海域を知っておく必要がある」と記者会見で述べたが正論であろう。
このような経緯を経て、掃海艦2隻は4月3日午前9時前後に石垣港に入港、接岸した。待ち受けていたメア総領事は艦船に移り、艦長以下乗組員を歓迎した。その後、メア総領事と2人の艦長ら幹部が港内から市街地に出ようとしたときだ。反対派が組織した約300人のデモ隊が港のゲートを封鎖してメア氏ら全員を7時間以上封じ込めた。
空疎な友愛精神
地元紙「琉球新報」は、「兵士入れるな」「市民抵抗にらみ合い」などの見出しでこれを報じた。記事にはデモに駆けつけた8歳の小学3年生の、「戦争が起きそうな気持ちになる」との言葉を引用している。相も変わらぬ陳腐な報道である。
沖縄県警は、しかし、港を実力封鎖した人々を解散させるところまでは動かず、メア総領事らに裏口からの脱出を提案したという。メア氏は、米国の代表として裏口からの脱出は断固拒否すると断り、車を降りて、徒歩でデモ隊の真ん中を突っ切った。
石垣島にも、無論、日米安保を高く評価し、同盟の絆を深め、島に自衛隊を誘致したいと考える人々は存在する。だが、掃海艦の寄港に非常事態宣言を口にするなど、常軌を逸していると言われても仕方がない人物が5選を目指すのが「革新の島」石垣の実態である。それは沖縄全土に共通する政治風土でもある。
反米軍、反自衛隊の気風の強いこの沖縄で、普天間の移設先になることを名護市が受入れたのは実に大きな決断だった。それを空疎な友愛精神で反転させたのが鳩山首相だ。
閣僚らはすでに、何を優先すべきかに気付いている。選挙結果について北澤俊美防衛大臣は「沖縄の皆さんに、政府が本来決めるべき選択を過重に任せる風潮は良くない」と語り、平野博文官房長官は「一つの民意の答えとしてはあるだろうが、検討していく上では、(それを)斟酌しなければいけないという理由はない」と語った。他方、首相も、「選挙の結果は名護市民の一つの民意の表れ」「ゼロベースで、5月末までに結論を出す」と語った。余りに軽い首相の言葉だけに意味は不明だが、1,600票弱の差で導き出された選挙の結果と日米安保体制と、どちらが日本の国益にとってより重要なのかを、未だ判断出来ないのではないか。
『週刊ダイヤモンド』 2010年1月30日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 823
鳩山政権下で日米関係はきしみ続け、日米安全保障条約改定調印から50周年の記念日の1月19日、日米両政府が合同で主催する記念式典はおろか、声明の合同発表さえも危ぶまれていた。
実際には、両国の外相と防衛相、計4人の連名で「日米安保50年 共同声明」が発表された。内容は、「日米安保体制は、引き続き日本の安全とともに、アジア・太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠な役割を果たしていく」「日米同盟は、すべての東アジア諸国の発展・繁栄のもととなった平和と安定を東アジアに提供している」と、日米安保条約を高く評価するものだった。
だが、日本側がひと安心するのは早いだろう。米国は、日米安保体制の「深化」に同意はしたが、具体策は話し合われていない。他方、米国が日本抜きでアジア諸国との絆を深める動きが進行中である。そして、その動きについて、米国は日本にひと言も語っていない。
今年1月12日、岡田克也外相はホノルルでヒラリー・クリントン国務長官と会談した。岡田外相が切望して実現したこの外相会談で話し合われたのは、もっぱら普天間飛行場移設問題だった。長官は過去の日米合意を守るよう日本側に要請することに終始した。
注目すべきは、外相会談のあと、同じ日に、ハワイ大学の東西文化センターで行った長官のスピーチである。「アジア地域連合の構築について、その原則と優先度」というタイトルだ。
読んで、少なからず驚いた。長官はこう語っている。「アジア・太平洋諸国との絆は米国の優先課題である」「オバマ大統領はアジア諸国とアジアの人びとを高く評価し敬意を抱いている。2011年には、米・アセアン会議を、このホノルルで開催したいと、大統領は考えておられるだろう」。
ここで聴衆から大きな拍手がわいたのは当然だ。しかし、その場に居合わせた日本政府関係者は愕然としたことだろう。なぜなら、来年、米国がアセアンとの会議を開催するなどとは、直前に行われた岡田外相との会談では、ひと言もなかったからだ。
長官はさらに語った。米国がアジア・太平洋諸国との関係を再活性化するべく準備を始めたのは、昨年の1月のことだったと。さらに長官は、オバマ大統領がアジア歴訪の折、米国は初めての米・アセアンサミットをすでに開催した、アジアに強力な軍事力を維持し続けることをグアム国際会議で表明した、米国はアセアン諸国と友好協力協定を締結ずみである、オバマ大統領夫妻が迎えた最初の国賓はインドのシン首相であるなどと、強調した。
「米国の未来はアジア・太平洋地域の未来とつながっており、同地域の未来は米国に依拠している」と長官は断じ、同地域への明確なコミットを宣言した。
しかし、前述したようにこの点について、米国政府は、日本に事前に知らせることも、いわんや、日本に参加を要請することもなかった。これこそ、鳩山外交への強烈なしっぺ返しである。
昨年9月23日、鳩山由紀夫首相はニューヨークでオバマ大統領と会談し、その直後、国連演説に臨んだ。首相は、CO2 25%削減案のほかに、東アジア共同体の構築についても提唱した。
寝耳に水の米国側は驚いた。国務省は日本外務省にその種の重要な外交政策を発表するのであれば、事前に同盟国に説明があってしかるべきだと、抗議したそうだ。
今回、米国は、日本がしたことを、そっくりそのまま、日本にして返した。不快感を見せつけたのだ。
米国は言葉どおりの外交政策を進めるだろう。中国の脅威に晒されるアセアン諸国にとって、米国のコミットは歓迎以外の何物でもないはずだ。孤立するのは日本である。鳩山外交では、日本は持たないということだ。
『週刊新潮』 2010年1月21日号
日本ルネッサンス 第395回
1月19日、海上自衛隊は碇泊中の艦船を満艦飾に装い、夜には各艦にライトを当てて、50年前のこの日、日米安保改定条約が調印されたことを祝うという。同じ日、駐日米国武官主催の「ホームパーティー」も開かれる。関係者への招待状は 1月12日配達という直前のタイミングだが、鳩山政権の空虚な安全保障政策に危機感を抱く人々は、同会への招待を前向きにとらえ、日米の絆の確認につなげたいと期待する。
50年前の1月19日、岸信介首相はホワイトハウスで、クリスチャン・ハーター国務長官と共に安保条約改定の調印式に臨んだ。
岸は57年6月に行ったアイゼンハワー大統領との首脳会談で初めて、米国側に安保改定を申し入れたが、その主張は日本は防衛力の増強に努める、米国に可能な限りの軍撤退を求める、安保条約を合理化し、大幅に改定して、日本の自立を高めるというものだ。岸は10年後の沖縄、小笠原諸島返還も求めた。
日本の要請を米国に受け入れさせるために、岸の行った訪米前の準備は真剣かつ徹底していた。原久氏の『岸信介 権勢の政治家』(岩波新書)に詳しいが、岸は駐日大使マッカーサー(マッカーサー元帥の甥)との予備会談を少なくとも7回行い、東南アジアをも歴訪してアジアにおける日本の地位の重要性を米国に印象づけた。国内では防衛力強化を目標に、第一次防衛力整備三か年計画(1958~60年)を策定した。3年間で、陸自として18万人、海自12万4,000トン、空自1,300機の整備を目指すと明記した。
対等な安保協力を求める限りは、自国の戦力を強める意思を明示し、米国の眼前で実行する必要があることを知悉していたのだ。米国は、言葉だけでなく、戦力を養って真の独立を確立していきたいとする岸に安保改定の合意を与えた。
命を懸けての安保改定
岸はしかし、国内で苛烈な抗議運動に直面した。30万の大群衆が反対の気勢をあげて首相官邸を取り囲み、警視総監は警備に「自信がない」として、官邸脱出を勧めた。側近が一人去り、二人去る中で「殺されようが何されようが(安保改定は)絶対必要」と思い定めた岸は、法案の自然成立に必要な30日目の6月19日の朝をデモ隊が取り囲む官邸で迎えた。4日後、新条約の発効を見届けて辞任したが、大戦略を描き得た岸であればこそ、文字どおり命を懸けての安保改定だった。
岸が心を砕いたのは、冷戦の深まりとともに日本に尚、浸透しようとする社会主義、共産主義勢力を如何に食いとめるかでもあった。安保改定の前年、北京を訪れた浅沼稲次郎は「米帝国主義は日中両国人民共同の敵」と述べた。岸の求める安保改定に応じなければ、日本が「中立化」或いは「共産化」していきかねないと米国が恐れたほどの力を、浅沼ら、左派勢力は誇示した。
改定安保調印から50年、いま日米間の溝は深い。鳩山首相は日米の対等という、岸と同じ表現を用いながら、内容がまったくないのである。
対等な同盟国、或いは対等な協力者に必要なのは自助及び相互援助の力を有していることである。その力は、経済力などの非軍事力ではあり得ず、軍事力そのものである。だが、民主党の象徴的リーダーとしての鳩山首相も実質的リーダーとしての小沢一郎幹事長も、その点の認識を欠いている。両氏とも自らの意識と現実との距離を認識できないのである。
本誌が発売される頃には、自衛隊のインド洋における補給活動は中止される。普天間飛行場の移転問題は展望が見えない。そうした中で、インド洋での給油給水活動を中国海軍が肩代わりする可能性も指摘されている。海自の幹部の1人は、中国海軍はすでにソマリア沖で自国艦船への補給活動を行っており、インド洋で海自に取って替わることは、技術的に不可能ではないと推測する。
アフガニスタンの活動全体がテロとの戦いであるだけに、中国が申し出れば米国側に拒む理由はないとも見る。その場合、日本の立つ瀬は失われていくだろう。右の幹部が語る。
「自衛隊が情報収集において米軍に依存している以上、政治的齟齬によって情報提供を受けられなくなれば、わが国の防衛は支障を来します。海上艦艇の動きなど、戦術面の情報は掴めても、中国軍の動きや北朝鮮の弾道ミサイルなどの戦略情報については全くわからなくなります」
鳩山首相は岸と異なり、対等な関係の基盤となる情報力や軍事力の整備を考えず、逆に自衛隊の定員も装備も減らす政策である。「対等」の主張とは裏腹に、対米依存を高めざるを得ない矛盾の中にある。
虚ろな対等論
もう一点、岸政権当時も警戒すべきであった体制も価値観も異なる中国は、いまや誰の目にも尋常ならざる軍事的脅威を形成する。対して、日本は万全の守りを実現出来るのか。東シナ海における一方的開発や尖閣諸島領有権の譲らぬ主張を見るまでもなく、中国の脅威は厳然としてあり、現時点で日本が独自に対抗出来るとは思えない。どうしても、米国との連携が必要で、それは、アジア全体の自由と民主主義にとっても必要である。日米の緊密な連携は米国にとっても不可欠なはずだ。
その意味で1月19日は、両政府がともに祝うべき記念日なのだ。しかし、合同式典を考える雰囲気さえ、両国間には存在せず、米国政府は、鳩山民主党の虚ろな対等論を疑問視する余り、日本政府とまともに話し合えるのかと疑っている。
去る9日、北澤俊美防衛相が日米両首脳が50周年を機にそれぞれ声明を発表する方向で調整中だと明らかにした。何もないよりも、声明だけでもあったほうがよいという苦肉の策にすぎない。
この現状に強い危機感を抱くのが、日米関係の重要性と中国の軍事力の脅威を実感している日米両国の軍当事者らである。日米関係の空洞化が中国に誤ったメッセージを与える危険性を、彼らは十二分に承知しているからだ。だからこそ、駐日武官がホームパーティーを開くのだ。
世界の大国米国と、相対的に力を落としつつあるといえどもこれまた大国日本の軍事同盟の調印を祝うにしてはささやかな武官主催の会、公式の催しの色彩から遠くはなれた形のホームパーティーに期待が集まるのも、それが政治の齟齬を埋めたいという当事者相互の意思確認の肯定的な動きととらえられるからだ。岸が命を懸けて成立をはかった改定安保条約は、紛れもなく50年間、日本を支えてきた。自衛隊は同盟関係の基盤を成す信頼醸成に努めてきた。
それを鳩山政権はいとも簡単に崩しつつある。日本に死活的に必要な日米同盟を空洞化させ、大戦略の片鱗も想像出来ない鳩山民主に政権与党の資格がないのは明らかだ。
『週刊新潮』 2009年12月31日・2010年1月7日合併号
日本ルネッサンス 第393回
民主党の小沢一郎幹事長が絶対的権力者の風貌を見せている。政府の要職にあるわけでもないが、氏は事実上、日本国の政治を動かしている。内政・外交において氏の声はまさしく天の声としての力を発揮する。
強大な力をもつ氏の、2009年12月の韓国での発言には、外国人参政権問題をはじめ、受け入れ難いものが多かった。それらの点については、すでに論じられているが、私は、氏の発言のうち、余り目立ちはしないが、日本の外交政策を左右しかねない重要な要素として、氏が語った対米観に注目したい。ソウル国民大学での講演でこう語っている。
「私はアメリカ人は好きなんですけれども、ややもすると、割合、単純でしてね」「その中でたとえば、(中略)ニクソンさんは、大変な、私はいい政治家だと思っています」
「単純」な国民だと、米国人を卑しめる一方で、ニクソンを「いい政治家」と語る小沢氏の対米観は明らかに間違っている。
米国人は率直ではあっても、決して単純ではない。いわんや国際政治における米国人の考えには、こちらの肝胆を寒からしめる奥深さがある。日米関係の歴史を遡れば遡るほど、そのことは明らかだ。国際政治や安全保障について、これほど洞察鋭い戦略を考え、実行する国は多くはない。米国人の戦略の奥深さと、日本政府の戦略の欠如の余りの対比に、私は脱力感さえ抱く。
古くは1921年、ワシントン会議で、米国は日英同盟を破棄させた。それは、1905年、ロシアとの戦争に勝った日本を米国の将来の敵と見て、日本の力を殺ぐために米国が準備した戦略だった。
アジア進出を考えていた米国は、将来日本と対立し、戦うときがくると見ていた。そのとき、当時の世界最強の国家であった英国と日本が同盟関係を結んでいては、米国にとって厄介だ。中国への肩入れと日本への憎しみが加わって、日英同盟を破棄させ、英国と日本を切り離さなければならないと目論んだ。企みに気が付かなかったのは日本だけだった。
単純なのは日本
同会議で日本は米・英の各5に対して3という艦艇の保有比率を呑まされ、そのうえ、中国の現状維持を守ると合意させられた。欧米列強が中国においてすでに勝ちとっていた特権や領土をそのままにして、日本の新たな中国本土への進出を禁ずるということだ。この後、日本の孤立は決定的となり、歴史が示すように日本は戦争への道を歩み始めた。
日本を敵と見て、日本の孤立化をはかったにも拘らず、米国は日本に対して友好的に快活に、さらに紳士的に振舞い、中国などともはかりながら練り上げてきた「日本外し」の計画を日本に気取らせないよう、万全の準備で臨んだ。笑顔で背中から斬りつけるかのような戦術は、見事に成功した。日本は自らの陥った危機的状況に対して、まったく危機感を抱かなかった。自らが標的になっていることにさえ気付かなかった。
米国も英国も、単純どころではない。単純なのは日本である。
さて、小沢氏はニクソンを「いい政治家」と語ってもいる。どういう意味か。ニクソンは日本をいわゆるニクソンショックに突きおとした大統領だ。1971年7月15日、電撃的に中国訪問を発表した。中国敵視をやめて、味方として取り込む関与政策に華々しく踏み切り、米国のアジア政策を根本的に転換した。そして、日本の重要性は相対的に低められていった。
米国の国益を睨んで決断したニクソンの力量と戦略性に深い敬意を抱くのは自然かもしれないが、日本の国益の観点に立てば、ニクソンを「いい政治家」として持ち上げるのは不適切だ。小沢氏の「いい政治家」という表現は、恐らく氏の語彙の乏しさから出たもので、「優れた政治家」の意味でもあろうか。であるなら、小沢氏はニクソン外交そのものをどう見ているのだろうか。
ニクソンの外交は、国益のためには敵とさえも手を結ぶ現実主義外交である。国際政治は、夢や理想や価値観ではなく、現実の力で動くという信念がニクソン外交の基盤である。敵の片割れだった中国と手を結び、ソ連を包囲したニクソン、その流れをくむ米国の共和党外交は、やがてレーガン・ブッシュの時代にソ連を追い詰め、崩壊させた。このように、ニクソンの戦略は冷戦における米国の勝利と、ソ連の敗北への呼び水となった。この対中関与政策は、いまも米国のアジア外交の基調である。
ニクソンを評価するなら、その現実主義を見習うのではないかと、普通は思う。しかし、小沢氏は、そして氏が影響力を行使する民主党は、現実主義外交には向かおうとしない。
日米安保葬送の年
ちなみに小沢氏は、英国首相だったサッチャーを、「大変なリーダー」と評価する一方で、「あまり好きにはなれない」と退け、鄧小平については言葉少なく、「非常に感銘を受けた」と語っている。
政治家の資質という点でいえば、両氏ともに炯眼の士だ。国際政治の現実の細部が示す意味を見逃さず、大きな戦略を考え出す能力において、いずれ劣らぬ逸材である。
だが、小沢氏はサッチャーは好きになれないが、鄧小平には感銘を受けたという。ひょっとして小沢氏は、自由や民主主義をそれほど大切な価値観だとは考えていないのではないか。だからこそ、社会主義的体質に陥り国民が働く意欲もなくしていた英国を立ち直らせ、強い民主主義の国としての英国を再建したサッチャーは「好きになれ」ないが、同じく強力な国家の土台をつくったけれど、自由も民主主義も置き去りにして強い統制で国民を締め上げ続けた鄧小平に「感銘を受け」るのではないか。
改定から50年という節目の年の2010年、日米安保は、祝賀祭典どころか葬送の年を迎えるとさえ、言われ始めている。普天間飛行場の移転問題をはじめとする日米間の懸案事項への対処の仕方は、紛れもなく鳩山政権の米国離れ願望を示す。そして明らかに、日本は米中の狭間でいよいよ存在感を失いつつある。
かつて、「単純な」日本の指導者は、ワシントン会議で謀られ、孤立へと追いやられたことに気付かなかった。いま小沢氏や鳩山由紀夫首相らは、米中接近の中であのときと同じように日本が孤立へと追いやられつつあることに気付いているだろうか。気付いているに違いない。にも拘らず、異常なほどの米国離れに邁進するのはなぜだろうか。小沢、鳩山、岡田克也各氏が米国に抜き差しならない不信感を抱き、中国に不合理なほどの信頼を寄せているからである。つまり、現執行部の下の民主党がその実態において、社会主義政権そのものだからである。日本をそんな政党に任せておいてよいとは、私は断じて思わない。
『週刊新潮』 2009年12月24日号
日本ルネッサンス 第392回
日本人は昔から皇室を権威とし、権力によって支えられる政党や政治家との間に一線を引き区別してきた。
時代によって皇室を巡る状況は変化し、歴史を振りかえれば、皇室が権威の次元を超えて権力を握ったときもある。反対に、経済的逼迫の中で権威を保つことさえ侭ならなかったと思われる時代もある。
そんな苦労の時代の典型が大永(だいえい)6(1526)年の天皇崩御によって践祚(せんそ)した第105代後奈良(ごなら)天皇の時代だったと、竹田恒泰氏が『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)に書いている。
著書によると、その頃は、御所の築地塀(ついじべい)が崩れても修繕出来ず、三条大橋から内侍所(ないしどころ)の灯火を見通すことが出来たそうだ。内侍所は宮中三殿のひとつで、三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)を模した神鏡を祀る神聖な場所である。その神聖な内侍所の灯を遠くから見通せるほど無防備な状況にあっても、御所が襲われたり、天皇が傷つけられたりすることはなかった。皇室が日本人の心の中に、大切な存在として刻みこまれていたことの証左である。
権威としての存在と権力者としての存在の決定的な相違は、生存の形にも表れていた。たとえば、江戸城や大坂城は外堀、内堀で守られ、城壁は堅牢な造りで敵の侵入を防いだ。権力者としての武将たちはそうした砦の中に住み暮した。一方、天皇のおわします御所は敷地のまわりにささやかな疏水を走らせているだけの造りだった。民と共に在り、民のために祈る権威としての存在だからこその佇まいだ。
これも竹田氏の著書で学んだことだが、鎌倉時代の蒙古襲来のとき、亀山上皇は石清水八幡宮に行幸して、敵の降伏を祈願した。加えて、8ヵ所の御陵(天皇、皇后の墓所)に勅使を送り、宣命を持たせた。宣命には、自分の命はどうなってもよいから、国と民を守ってほしいと書かれていたという。日本が大東亜戦争で敗れたとき、昭和天皇が占領者として来日したマッカーサーに語られたのと同じ言葉である。
鳩山氏の知的特徴
お言葉は、昭和天皇のお人柄を示していたというより、民を守る祈りから発せられた日本国の天皇としての特徴を表わしていたと考えてよいだろう。
このような皇室であればこそ、御所の周りのささやかな疏水を乱暴にまたぎ、侵入する者はいなかったのだ。権威は鎧をまとわずして、自ずと国民の上に君臨する。皇室と政府、権威と権力の共存が日本国の特徴である。
今回、民主党政権が強引に実現させた天皇と中国の国家副主席、習近平氏の会見は、日本人が幾世紀にもわたって大切にしてきた権威と権力を隔てる仕切り線を乱暴に踏み越えるものだった。鳩山政権はまさに皇室を政治的に利用したのである。
羽毛田信吾宮内庁長官の怒りの会見をきっかけに、鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官らの宮内庁への働きかけの実態が明らかになった。14日の小沢一郎氏の会見から、同件に関する氏の考え方の一端も明らかになった。
三氏はいずれも、今回の件は天皇の政治利用ではないと強弁する。が、聞けば聞くほど、三氏の主張は皆、絵に描いたような政治利用である。彼らは、まるで、自分たちの政治目的のために皇室を活用するのは当然だと考えているかのようだ。
鳩山首相は、天皇の会見は1ヵ月前に申請しなければ受けつけないという内規、「1ヵ月ルール」は知っていたと述べ、しかし、「杓子定規が、国際的な親善の意味で正しいことなのか」と疑問を呈した。
首相は、「日中関係において非常に重要な方なので、何とか(会見を実現)出来ないか」と、平野官房長官に働きかけの指示を与えたという。
宮内庁側は、まず、宮内庁式部職が、打診してきた外務省に断り、次に、羽毛田長官が平野官房長官の要請を断っている。平野官房長官は「首相の指示を受けての要請だ」として、再度要請した。この2度目の要請に、宮内庁は屈服した。
このように事実を辿ってみると、政治の力で内規を変えさせたことは明らかだ。首相自身、「杓子定規」を批判して、政治力で変えさせたことを公にしているにも拘らず、それが政治的圧力であることを、理解していないのだ。自分の語る言葉の意味を理解出来ないのが、鳩山氏の知的特徴であることに、この約3ヵ月、私は驚き続けてきたが、その場その場を無意味な言葉で弁明する姿は見るに堪えない。
中国の従属関数国として
小沢氏は、皇室の政治利用を認めたり、恐縮したり謝ったりするかわりに、内規自体、誰が作ったのかも不明で、法律でもないとして、それに縛られることはないとの姿勢を強く打ち出した。憲法には天皇の国事行為は内閣の助言と承認で行われると明記されており、今回の件もその範疇だと、逆に、主張した。
この内規は、陛下の御体調を考えて政府と宮内庁が合意して決めたものである。作者不明ではなく、日本国政府の意思が明確に示されているので、内規を守ろうとした宮内庁長官を責めるのはおかしい。
今回の件を、小沢氏や鳩山氏らの言葉尻を捕えての論争で終わらせては、日本が直面する危機の本質を見失うことになる。民主党中枢部がどっぷりと浸って染まりきってしまっている中国の影響が、これからの日本の外交を決定的に変えていく危険性に目を向けなければならない。
小沢幹事長と胡錦涛国家主席は10日の会談で、「日米中の3ヵ国はバランスの取れた正三角形の関係であるべきだとの認識で一致した」と、山岡賢次氏が語っている。
「正三角形」論を証明するように、鳩山首相は14日、「(天皇との会見は)日中関係をさらに未来的に発展させるために大変大きな意味がある。判断は間違っていない」と強調する一方で、同日午後には、社民党などとの連立を重視する立場から普天間問題を先送りする決定を下した。問題の早期決着と日米合意の尊重という、同盟国の強い要望を拒否したのである。小沢氏も民主党議員の半分近くを率いて、中国への接近を印象づけた。民主党は、同盟国よりも社民党を、そして中国を選んだのだ。
首相はそれでも「米国との交渉で是非、理解を求めていきたい」と語る。まさか再び「Trust me」と言うつもりではあるまい。
恐ろしいことに、私たちの国は国会での論議もなしに、安全保障政策の大転換をはかりつつあるのだ。鳩山政権は日米同盟を日中関係に置き換えようとしつつあるのだ。日中関係では、わが国は間違いなく、中国の従属関数国として扱われる。それを象徴するのが今回の天皇陛下の政治利用である。
『週刊新潮』 2009年12月17日号
日本ルネッサンス 第391回
「日米同盟」壊滅の日
鳩山由紀夫首相の幼稚な理想論が日本を自滅の道に追い込みつつある。来年の日米安全保障条約改定50周年に向けて開始予定だった同盟深化のための協議を、米政府が延期すると伝えてきた。
日本政府筋はこれを「かつてない深刻な危機」だと語る。
米国バンダービルト大学日米研究協力センター所長ジェームス・アワー氏も、日米同盟は最大の危機だと強調する。氏は米国きっての知日・親日家である。20年間を海軍軍人としてすごし、退官後も国防総省の日本部長にとどまった。都合10年間の国防総省時代に、現首相の鳩山氏に会った。
「日本部長時代に会った日本人は、記者、政治家を含めて5,000~6,000人でしょうか。その中で、最後に会った日本人が鳩山由紀夫氏でした。北海道選出の武部勤氏らと一緒にワシントンを訪れ、私が日米安全保障上の問題点についてブリーフしました」
国防総省で氏の説明を聞いた鳩山氏は、「もっと突っ込んだ話を伺いたい」と述べて、翌日、再びアワー氏を訪ね、昼食をとりながら3時間、話し込んだという。そのときの主要な議題は日米の戦略的絆の強化だった。具体的事例としての集団的自衛権も話し合われた。
日米戦略対話が必要だとの持論を述べるアワー氏は、「いま問題になっている普天間飛行場の移転問題は重要だが個別案件であり、一体どんな戦略的関係を築くのかを相互で納得してはじめて、個別案件としての普天間問題の解決がなされる」と強調する。
更にアワー氏は、「両国の首脳は常に大きな枠組としての戦略をまず確認すべきで、だからこそ、11月13日に来日したオバマ大統領は、普天間問題に特化せず、日米関係の重要性を強調した。それに合意するなら鳩山首相は証しとして迅速に普天間問題を解決すべきだ」と言うのだ。
だが、日本の防衛をどのように担保するのか、鳩山首相の考えは全く見えてこない。緊密な日米安保体制は、かつてはソ連、現在では中国への強い抑止力となっている。日本や米国とは価値観を異にし、しかも、軍事力の効用をあからさまに外交の場に持ち出す国々の脅威に、日米安保体制で対抗してきた歴史がある。
アワー氏が当時、鳩山氏に、日米同盟を真に効果あるものにするために、日本は同盟の積極的なパートナーとして振舞うべきだと、持論を述べたゆえんであろう。88年の夏のことだった。
会話は弾み、鳩山氏はアワー氏にこう言った。
「あなたの話を聞いて、日本外務省の説明が無意味(ノンセンス)であることがわかりました」
「たしかに、日本には集団的自衛権を行使する権利があります」
能力も責任感もない
それから8年後、鳩山氏は『文藝春秋』96年11月号に「民主党 私の政権構想」を発表した。
この中で鳩山氏は「二〇一〇年を目途として、日米安保条約を抜本的に見直し」、「常時駐留なき安保」への転換を目指し、「対等なパートナーシップとして深化させていく」と述べている。集団的自衛権に関しては「なし崩し的な拡大解釈によって自衛隊を海外での作戦行動に従事させることは、冷戦時代への逆行であり、認めることはできない」と、断じている。
では、日本及びアジアの平和をどのように守るのか。鳩山氏は、「『極東有事』が発生しない北東アジア情勢を作り出していく」「そのような条件は次第に生まれつつある」と書いた。
氏の認識が、アワー氏と語り合った時点から反転しているのがわかる。
人間の成長は、学びの連続の中で実現する。考えが間違っていたと判断すれば修正するのがよい。その意味で、鳩山氏が考えを変えたこと自体を批判するつもりはない。だが、中国は、当時から明白に日本にとって最大の脅威となりつつあった。その動きを見れば、「極東有事が発生しない北東アジア情勢」への条件が整いつつあるなどと、なぜ言えるのか、厳しく問わなければならない。
当時日本周辺で起きたことはすべて、中国の侵略体質を示していた。92年、中国はいきなり領海法を制定し、尖閣諸島も東シナ海も中国領だと宣言した。93年、江沢民国家主席は愛国教育という名の反日教育を開始した。遮二無二軍事大国を目指す中国は96年、核実験を強行した。抗議した日本政府に、当時の徐敦信駐日大使は「国力(軍事力)なき国は侮られる」と反論し、強力な軍事力の構築が侮りを撥ねのける、核実験はそのためだと主張した。同じく、96年3月、台湾総統選挙に立候補した李登輝氏を独立論者と見て、中国は台湾海峡に13発のミサイルを撃ち込み、台湾独立阻止のためには軍事力をも行使するという鉄の国家意思を示した。
中国の軍事侵略の事例はもっとある。ベトナム戦争で米軍が後退を続けると、中国はすかさず南シナ海に侵出し、西沙諸島を取った。91年、フィリピン、ルソン島のピナトゥボ火山が大爆発し、米軍基地は火山灰に埋もれ、米国が撤退すると、中国はすかさず南シナ海に侵出し南沙諸島を取った。第二次大戦後、武力によって国土を広げてきたのは、唯一、中国だけである。
こうした中国の脅威が、直接間接に日本に降りかかっていたのが96年までのアジア情勢だ。にも拘らず、鳩山氏は、極東有事が発生しない条件が整いつつあると言う。現在も、中国は東シナ海で日本の海域にある天然ガスを窺っている。あの大きな目で、氏は一体どこを見ているのか。現実の政治が鳩山首相には理解出来ないのであろう。政治や安全保障についてまともに考える能力も責任感もないのであろう。まともに考えられないからこそ、言葉で日米同盟の重要性を強調しながら、日米同盟とわずか12名の小党、社民党との連立のどちらがより重要かも判断出来ないのだ。
前述の96年の論文で首相は、「理念や政策をないがしろにして、右から左まで極端に違う主張を持つ人たちを抱え込んで数の論理を振りかざすばかりで、まともな党内議論もしない」と、自民党を非難した。だが、これこそ、現在の鳩山内閣にぴったりの批判ではないか。アワー氏が強調する。
「米国は中国との経済協力の重要性を十分に承知しています。しかし同時に、中国の正体も米国は明確に認識しています。米国は日本に、日米同盟にもっと積極的に関与してほしいと切望しています。しかし、日本が決断し行動しない限り、日米関係が疎遠になっていくことは避けられません」
首相は、時代錯誤で存在意義を失って久しい社民党を選んで、日本をどこに導こうというのか。日米同盟を崩しつつあるのはまさに鳩山首相その人であり、首相を担ぐ民主党政権である。
『週刊新潮』 2009年12月10日号
日本ルネッサンス 第390回
もうすぐ12月8日が巡って来る。68年前のその日の日本軍による真珠湾攻撃は、すでに険しくなっていた米国白人社会の日系人に対する視線を一層険悪なものにした。やがて日系人は敵国日本と通ずる危険性があると見做され、カリフォルニアやハワイで強制的に収容された。収容所には日系人に加えてドイツ軍やイタリア軍の捕虜、それに多くの朝鮮半島出身者が収容されていたという。
朝鮮人捕虜の実態はこれまで殆ど知られていなかった。それを明らかにしたのは、ハワイ州立大学コリア研究センターの崔永浩(チェ・ヨンホ)教授である。
今年4月21日に発表した「ハワイにおける第二次世界大戦時朝鮮人捕虜」と題した崔教授の論文によると、2,700名もが捕虜となっており、43年末から44年初め頃に収容され始めたことがわかる。彼らはいずれも非戦闘員で、彼らを収容するために日系人とは別棟の建物を造ったと、ホノウリウリ収容所の資料に書かれているという。
朝鮮人捕虜の中には、日本軍から脱走して苦難の旅を経て捕虜となり、OSS(戦略事務局・CIAの前身)で働き、日本関係の情報分析に当たった3人の学生もまじっていた。やがて彼らはホノウリウリの捕虜問題を暴く働きもすることになった。彼らが暴いた捕虜問題の中に、気の毒な運命を辿った3人の漁民の事例が登場する。
3人の漁民は日本軍が力を失いつつあった1945年に、米海軍に拉致されたというのだ。3人は如何にして拉致されたか。崔教授は以下のように描写している。
45年4月6日、米海軍潜水艦「ティランテ」号は、慶尚道の港・三千浦(サムチョンポ)近くの静かな海に浮上した。多くの漁船が忙しそうに引網漁に専念している中、突然、ティランテ号が数ある漁船の中の比較的大型の漁船を目がけて攻撃を始めた。彼らの目的は日本軍が投錨・使用している可能性のある港湾関係の情報を得るために漁民を捕え、米国に連行し、尋問することだった。
漁民をハワイに連行
崔教授は作戦がどのように遂行されたかを、ティランテ号の当日の航海日誌を引用して描写している。
[1918](午後7時18分、以下同)浮上。大き目の2本マストの帆船追跡。
[1930]横付け難行。標的船協力せず。40ミリ砲発射。帆、大破。30口径機関銃攻撃で帆の動索大破、標的船は帆を降ろす。
[1949]横付けす。わが船体巨大なり。E・ピーボディ大尉、H・W・スペンス水兵の2名、威嚇的、完全武装で標的船に乗り移る。大声で叫びつつ、機関銃を乱射。恐怖で完全に打ちのめされ、泣き続ける漁民3名を確保。
こうして彼らは米海軍の潜水艦に移され、ハワイに連行された。崔教授は書いている。
「米海軍による3人の漁民拉致は、それが戦争中であったという時代背景を考慮に入れても我々の常識とモラルの許す限界をはるかに超えた狂気に満ちた許し難い行為である」
崔教授は、これを北朝鮮による日本人拉致と比較して、米国政府も同様の許し難い蛮行を犯したと、論難する。そのうえで「時間はすぎたが、米国政府及び海軍は正式の謝罪をし、3人の漁民の家族への経済的補償を行うべきだ」と指摘している。
それにしても、崔教授の論文には、米潜水艦への日本帝国海軍の迎・攻撃は全くなかったと記されている。45年4月に、朝鮮半島の港近くまで、米国の潜水艦が、かなりの自由度を以て、横行していたということだ。日本軍が如何に劣勢の極みにあったかが窺えるくだりでもある。
崔教授が3人の漁民のその後について書いている。
「3名の年齢は42歳の崔、43歳と44歳の2人の金だった。3人の内、船長はたった一度釜山まで行ったことはあったが、2人の漁民は自分の生まれ故郷である三千浦の外に出たことはなかった。無学の彼らは尋問されても、米国が知りたがっていた軍事情報についてはなにも提供できなかった。ほぼ無知の彼らだったが、朝鮮半島周辺海域の様子については語ることが出来た。彼らの内、43歳と44歳の2人の金の名はホノウリウリ収容所の捕虜名簿に載っているが、42歳の崔は尋問後、消息不明となっている」
崔教授は憤りを込めて結論づける。
「2,700人のコリアンは、自分の意思に反して日本によって働かされていた非戦闘員の労働者にすぎない」
「3人の気の毒な漁師は米海軍の兵士に銃を突きつけられ、真珠湾に連行された。これらの捕虜はみな、戦争の悲劇的犠牲者で、描写できない苦痛を味わった」
「現在、収容所跡に日系人の犠牲をいたむ碑が建立されつつあるが、コリアンの碑も、ともに建立し、未来の人々の戒めとするべきだ」
不掲載となった論文
たしかに、米国政府は謝罪せよという教授の主張はもっともだ。教授は右の論文を、ハワイ州立大学コリア研究センターが出版する学会誌に提出した。現地の有力新聞「ホノルルアドバタイザー」にも投稿した。だが、いずれも不掲載となったという。
理由について、崔教授はなにも語らないが、これまで光を当てられてこなかったコリアンの不法、不適切な収容について、当時の資料を駆使して書かれた論文も記事も、掲載に値する十分な価値があると思える。だが、米国の学会誌とメディアの双方がこれを拒否した。なぜだろうか。幾つか理由は考えられる。
そのひとつは米国人の歴史への想いであろう。第二次世界大戦は、日本が仕掛けた卑怯な戦争だと彼らは考える。その中で、当時、日本国民だった朝鮮半島の人々を乱暴かつ違法に扱おうが、今更問題にはしないという意識だ。また有体に言えば、人種的な差別意識もあるだろう。
ここで想い出すのは1927年に大西洋横断の単独飛行をなし遂げた英雄の著した『リンドバーグ第二次大戦日記』である。その中で氏は戦時中の米兵の、日本兵に対する残虐ぶりを書いている。
「1944年7月13日。…わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない」
「8月30日…海兵隊は日本軍の投降をめったに受け付けなかった…捕虜を…一列に並べ…英語を話せる者は尋問を受けるために連行され、あとの連中は『一人も捕虜にされなかった』という」
つまり、その場で殺害されたのだ。
崔教授ならずとも、米国の非道に憤りを禁じ得ないゆえんだ。だが、米国では未だに第二次世界大戦についての米国自身への批判は封じられている。日本とは正反対の現実のなかで、崔教授の論文の存在を、日本人にこそ知ってほしいと思う。