「 米国は日本の自主独立を喜ぶか 」
『週刊新潮』 2013年3月21日号
日本ルネッサンス 第550回
3月10日、南シナ海で中国が「常態化した巡回航行による漁業保護」活動を開始したと、12日付の「産経新聞」が伝えた。
大型及び中型の艦船21隻、要員3,000人余を動員する大規模な監視体制を敷き、南シナ海の北部海域にある西沙諸島周辺には国家海洋局所属のヘリ搭載型監視船「海監83」(3,980トン)など3隻が、また南部海域の南沙諸島周辺には農業省に所属するヘリ搭載型監視船「漁政310」(2,580トン)などが展開されたという。
南シナ海における中国の強硬策は、必ず東シナ海でも繰り返される。これから東シナ海で予想されることは何か。中国問題専門家の富坂聰氏が『中国人民解放軍の内幕』(文春新書)で指摘したことが参考になる。
2010年9月7日、中国漁船が尖閣の海で海上保安庁の巡視船に体当たりした事件の直後、中国人民解放軍総参謀部第2部が機密文書を作成した。総参謀部第2部は人民解放軍の対外情報担当部署である。
同文書には尖閣情勢に関連して、中国は対日友好政策を暫定的に放棄し強硬姿勢で臨むべきだとして3段階の対応が明記されていた。
①東シナ海海域で陸海空合同の大規模訓練を行う、②1,000トン級以上の大型船を尖閣海域に継続派遣し、海軍軍艦を同行させる、③海軍陸戦隊と特殊部隊を魚釣島に上陸させ、中国の主権を宣言し、碑を打ち立て、迅速に撤収する。
中国側はその後強硬策を継続、昨年12月13日には領空を侵犯し、空軍戦闘機は以降日本の防空識別圏に侵入し続けている。海上では中国軍艦が自衛隊機と艦艇に射撃用レーダーを照射した。中国に対日軍事行動への抑え難い衝動が存在することを、私たちは認識しておくべきだ。
緊迫した尖閣情勢を、日米中3カ国はどのように乗り越えられるのか。この点について、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が『中央公論』4月号に「尖閣―日中危機とアメリカの苦境」と題した論文を寄せた。
日米中正三角形論
結論から言えば、ナイ氏は英誌『エコノミスト』を参照し、「日本政府は、尖閣諸島を国際海洋保護地域と宣言し、居住も軍事活動も禁じる」のがよいと結んでいる。
日本に、固有の領土の主張を諦めよと言っているのである。無論、氏は「中国は公船を日本の領海に送り込むのを控えるべきだ」と中国側に注文をつけることも忘れていない。それでも日本人には必ずしも合点のいかない視点で氏は日本の主張を見つめている。
「当時(1972年)、行政権を及ぼしていたのは日本であるが、中国船舶も時折、日本領海内に入って、中国の法的立場を主張した。中国側から見れば、昨年9月の政府買い上げで、日本はこうした現状を破壊したことになる」とナイ氏は説明する。
これは中国側の見方そのものだ。日本側から見れば1895年に尖閣諸島を正式に日本国に編入し、最盛期には248人の日本人が住んでいたわが国領土に、中国が突然領有宣言をしたことが問題なのである。そのことを見ないために、ナイ氏の結論は先に紹介したようなものとなる。
米国リベラル派の人々は中国の主張により多く耳を傾けるという印象を拭えない。氏の中国への視座は忍耐強く寛容で、中国への敬意が感じられる。氏は中国の台頭は決して平和的ではないとしつつも、「中国を敵として扱えば、中国は未来の敵として確実に現れてくる。中国を友として扱えば、友好は保証されなくとも、つねにより穏やかな未来の可能性が開けてくる」と、中国の成熟を待つ姿勢をとる。中国封じ込めの考えは金輪際抱かない。
アメリカの国益は、日米中の良好な三角形の中にあるとの氏の考えは加藤紘一氏らの描く日米中正三角形論を連想させるが、では、その中で、日本の位置はどう捉えられているのか。氏はこう書いている。
「日本が再生すれば、これから10年ないし20年後に、20年前に予想されたような、(米国にとって)経済・軍事両面での脅威になりうるのだろうか、というと、そうなりそうもない」「戦後にできた憲法の第九条は日本の軍隊の役割を自衛に限定しているが、それを改正しようという政治家たちがいる。核武装を口にする政治家も2、3はいる。だが、どちらもすぐには実現しそうもない」
これらは分析というより、氏自身の願望ではないだろうか。
氏はクリントン政権の国防次官補を務めたときに「東アジア戦略報告」、いわゆる「ナイ・レポート」をまとめた。日本を、米国の世界戦略の要と位置づける一方、日本が軍事的に自主独立の傾向を強めることや憲法改正に動くことへの警戒感をにじませた報告だった。
「ナショナリスト」?
もうひとりの知日派、ズビグニュー・ブレジンスキー氏はかつて日本を「事実上の被保護国」と定義した。ナイ・レポートに色濃く見られたのも同質の対日観である。米国が日本を保護するかわりに、日本は憲法改正を考えず、憲法の制約の中にとどまるのがよいとする考え方である。日本には軍事的、防衛的に自主独立の主権を認めたくないのであり、自主独立を求める日本を、どこかで怖れているのではないか。
ナイ氏は、日本は明治維新、日露戦争、第二次世界大戦と大きな危機を乗り越えて国家再生を果たしてきたが、今回は、「たやすくはない」と書いた。
同分析もまた、米国が望むだけの軍事的協力を行い得る同盟国でありながら、日本は米国の庇護の枠内にとどまり、それ以上には強くなってほしくないという対日観の反映と見るのは間違いだろうか。
安倍首相に関してはこう書いた。
「安倍晋三は、ナショナリストとして知られる。中国や韓国では問題とされる戦没者慰霊施設、靖国神社に最近も参拝したことがある。首相選出直後に、尖閣諸島問題で中国に対し警告を発している」
往々にして安倍首相を「ナショナリスト」と表現する人々がいるが、民族主義者、国粋主義者という意味の言葉が首相に対する適切な修辞だとは私は思わない。国土と主権を守るために尖閣諸島問題で中国に警告することも、祖国に殉じた英霊に感謝と鎮魂の祈りを捧げるために靖国神社に参拝することも、宰相として当然のことである。ナショナリストという言葉はむしろ不適切であろう。
同盟国の少なからぬ識者らがナイ氏やブレジンスキー氏らのように考えている現状をどう捉えるべきか。真の意味で日本に自主独立の国になってほしくないとの微妙なニュアンスをこうした知識層の主張に読みとるとき、日本が自主独立の主権国家になるに際しての最大の課題が、実は同盟国アメリカの理解と支持を得ることだと気づかされるのだ。