「 相次ぐ中国発信、又もや欺しの構図か 」
『週刊新潮』 2025年7月24日号
日本ルネッサンス 第1156回
不気味な中国の発信が続いている。一言で言えば、中国は台湾を侵攻できるほど強くはないという発信だ。後述するように、それはある種、既視感のある欺しの発信である。
『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』(SCMP)紙は中国問題を論ずるときに読んでおかなければならないメディアのひとつだ。同紙は4月21日に上海国際問題研究院元副院長、厳安林氏への長いインタビュー記事を載せた。氏は台湾統一問題について、ざっと以下のように語っている。
・中国による台湾統一は未だ準備段階にあり、準備完了までにあと5年から10年が必要。
・中国軍は依然として質的転換前の量的転換局面にある。
・5年から10年とは平和統一に関してだ。
・江沢民は1998年6月、クリントンに台湾問題を無期限には延長できない。工程表が必要だ、と語った。
・だが、北京の具体的工程表は未定だ。
・核心は力の均衡だ。
・米国の力は中国を凌駕しており、台湾統一未達成の主たる理由だ。
厳氏の一連の発言を前駐中国大使の垂(たるみ)秀夫氏は「衝撃的」だと語った。
「こんな内容は、当局の承認なしに習近平氏の下では恐くて公言できません。これは中国政府から欧米への明らかなメッセージと考えるべきでしょう」
厳氏は中国が台湾統一を実現できていないのは米国の力が質的にも量的にも優っているからだという。しかし、現実には台湾を巡る中国の軍事力は、日本及び台湾周辺海域では日米台3か国を足したものよりはるかに上だ。武器装備の量において彼らは完全にこちら側を圧倒している。ではなぜ、中国の優位を否定するのか。
また厳氏の次の指摘にも留意せざるを得ない。5年から10年が必要というのは平和統一の場合だ、もし台湾が独立の動きを見せるなら話は別だという。台湾次第で中国は軍事的統一に踏み切る、それは5年、10年先ではなくもっと早いと言っており、彼らの強面戦略に変化はないのだ。
北京が一番恐れている相手
中国人民解放軍(PLA)は質的にも量的にも米軍に立ち向かえないとの主張が如何に事実から乖離しているかは、「国家基本問題研究所」によるPLAの衛星画像の分析からも明らかだ。国基研では毎週、PLAの動きを分析しているが、彼らの準備状況は私たちの予想をはるかに超える次元に到達している。陸海空、宇宙軍を含む統合演習は質量共に高い水準にある。にもかかわらず、厳氏は台湾統一の準備は整っていないと強調する。
更に注目すべきは王毅政治局員兼外相の発言である。氏は6月30日から7月6日まで欧州を歴訪した。7月2日には欧州連合(EU)加盟国と4時間にわたって地政学から貿易問題まで語った。その中での発言を複数の関係者の証言としてSCMPが7月4日に紹介した。
「北京はウクライナ戦争でロシアの敗北を見たくない。米国が次に北京に焦点を絞る恐れがあるからだ」
垂氏は「つい本音が出たんでしょう」と語ったが、多くのEU首脳らも同様に感じたとSCMPが報じたのだ。北京が一番恐れている相手は紛れもなく米国であり、中国は米国が長くウクライナ侵略戦争に足をとられ、経済力、軍事力を使いはたしていくことを望んでいるというのが国際社会の見方だ。だが、そのことを当の王毅氏が語ったのだ。
無論、同発言は北京政府の表向きの言説とは整合性を欠いている。中国はウクライナ戦争に関しては平和の調停者だと、自らを位置づけてきた。米国にウクライナ戦争を続けてほしい、ロシアに敗北してほしくない。米国の注意がウクライナ戦争に集中し続けることで、中国だけは力を温存したいとの本音は、今までは隠していた。
それを今、王氏が口にした。興味深い発言はまだある。EUの事実上の外相を務めるエストニア前首相のカヤ・カラス氏に向かって、「歴史の教訓」について「講義してみせた」というのだ。
私たちから見れば中国の示す歴史の教訓は彼らが騙しの名人であるということに尽きる。世界的ベストセラー、マイケル・ピルズベリー氏の『百年マラソン(邦題 China 2049)』を待つまでもなくそれより前の2010年に、胡錦涛主席の下で中国外交を仕切った国務委員、戴秉国氏が大論文を発表した。
戴氏は中国は「平和的崛起(くっき)」の国であり、米国にも世界にも危害を及ぼす意志はないと発表した。中国はむしろ脆弱な国だ、人口は14億を超えるが、資源小国だ。水もエネルギーも14億人で分かち合うには不十分だとも言った。軍事費の増強について批判されるが、1人当たりにすると中国の軍事費は非常に少額だと、主張した。
千載一遇の好機
戴氏の発信はピルズベリー氏の指摘どおり、全て欺きの弁法だった。中国は弱い国だと見せかけて、あらゆる援助を手にし、世界を騙しつつ力をつけてきた。それと同じ手法を使おうとしているのが厳氏であり、王氏ではないか。
再び騙されないために私たちが学ぶべきことは、今が恐らく私たちの天下分け目の最後のチャンスだということだ。中国が台湾侵攻の準備は整っていないとしていることは、一面の真理を含んでいるとしても、逆に台湾侵攻の好機は今だと見ていることだと承知しておくべきだ。
米国はいま混乱の只中にある。中国がこれを千載一遇の好機と考えるのは当然だろう。欠点だらけのトランプ氏だが、氏こそが誰よりも米国の覇権が揺らいでいることを痛切に感じとっており、米中の覇権をかけた真剣勝負に出ていることを私たちは理解しなければならない。
安倍晋三総理のスピーチライターを務めた谷口智彦氏が語る。
「安倍総理は日本国にはプランBはないと思っていたはずです。安全保障に関して、米国への好悪に拘らず、米国を日本の為にどう使うかを考えて国益をのばすしかないと熟慮していました」
折しもトランプ氏は、日本の安全保障に注ぐ努力が足りないと不平を繰り返す。今こそ、国防費はGDP比2%などではなく、3%でも5%でも費やす覚悟があると発信するのが日本国の国益だ。国家の命運をかけて中国と対峙する局面で、日本は米国と共に準備し、やり遂げてみせるという覚悟を示し、防衛産業に予算、人員、あらゆる資源を投入し、外交の後ろ盾とするのだ。
日中関係では7月末から中国の対日歴史戦が空恐ろしい規模で始まる。日本国の覚悟があって初めて米中双方に日本の国家意思を示すことができる。その覚悟を今、防衛力強化実現で示すときだ。
