「 首相は自主独立で臨め、対米外交 」
2月21日から訪米する安倍晋三首相の外交は容易ではない。
首相就任以来のスピード感を伴った方針決定が国民の好感を呼び、どの新聞の調査でも支持率は右肩上がりだ。これらはしかし、およそみな、国内政策に対する評価であろう。
外交、防衛分野の課題はいずれも難題である。日米関係は日本にとって最重要の同盟関係であるにも拘らず、普天間飛行場の移設、集団的自衛権の行使容認、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加など、本来ならこれこそスピード感をもって踏み込まなければならない事案に足踏み状態が続く。日米首脳会談で安倍政権の勢いにさらに弾みをつけるにはハーグ条約への加盟に加えて、少なくともTPP参加に道筋をつけなければならない。外交、安全保障で積極果敢に自主独立の路線を押し進めなければ日本の立場は急速に米欧、または米中の狭間に沈んでしまうと考えるべきだろう。
安倍外交の厳しさは、2期目のオバマ政権の性格が1期目のそれとはかなり異なること、オバマ大統領の側近がおよそみな、日本軽視、中国重視の傾向を有する中道左派系の人材であることにもよる。
2期目のオバマ政権は財政赤字削減のために国防費の大幅削減に踏み切り、アジア・太平洋諸国への安全保障上のコミットメントは実質的に後退していくと見るべきだ。オバマ政権は国内問題により多くの力を注入し、内向きになると考えなければならない。
そのような米国を前にし、日本はこれ以上米国に頼りたいという姿を見せてはならない。安倍首相は自信に満ちた自主独立の気概をこそ、示すのがよい。米軍に守ってもらうだけの現状など、日本は自らに許さない、断固、日本の弱点を克服していくという強い気持を示すべきだ。
そのうえで、日本よりも中国に親しみがちな彼らの癖を十分承知して、中道左派政権とよい関係を保たなければならない。
民主主義連盟
オバマ大統領は1期目の1年目、米中2ヵ国を軸に世界戦略を考えるG2(二大国主義)を掲げた。このとき日本は全く無視されたことを忘れてはならない。
G2を覆したのがクリントン国務長官だった。彼女は中国の脅威と野望を見抜き、現実政治の中で中国重視は変えようがないけれど、そこに日本重視を加味して、アメリカ外交を根本的に変えた。今年1月18日には岸田文雄外相相手に、尖閣諸島に関して、「日本の施政権を害する如何なる一方的な行為にも反対する」と踏み込んだ発言を伝え、中国を牽制した。だがいま、新国務長官にジョン・ケリー氏が就任した。
国務長官就任1年目のクリントン氏も、当時の日本から見れば中国に傾いていた。それでも氏は、滞在22時間という日程であったにせよ、初の外遊先に日本を選んだ。他方、ケリー氏にはおよそ日本への関心がないようにさえ見える。
次期国務長官に指名されて出席した約3時間40分にわたる上院外交委員会の公聴会で、氏が日本に一度も言及しなかったことはすでに指摘されている。同盟国であり、仮にも世界第3位の経済大国であり、戦略的関係が相互に重い意味を持つ間柄でありながら、ケリー氏は一度も日本に触れなかったのである。
その替わり、氏は中国に多くの時間を割いて、ざっと次の4点を強調した。・中国を敵対国とみなすべきではない、・中国は大国であり関係強化が必要だ、・知的財産権など中国とのルール確立が必要だ、・米中が合意すれば種々の重要案件について協力体制が出来る。
新たなG2が始まるのである。オバマ政権1年目の次元への回帰ともいえる。クリントン外交とはおよそ異なるアジア外交を打ち出しているのである。まさに安倍首相と日本の覚悟が問われるところだ。
ケリー氏についてはクリントン氏との比較にとどまらず、私はつい、共和党のジョン・マケイン上院議員とも較べてしまう。マケイン氏は2008年の大統領選のとき、国連の替わりに民主主義連盟(League of Democracies)を創ると言った。残念ながら氏はオバマ氏に敗退したが、私は氏の唱えた民主主義連盟が実現すればどんなによいことかと考えた。
国連は第二次世界大戦の戦勝国集団にすぎない。憲章には未だに敵国条項が存在し、常任理事国は自国の利益のために拒否権を用いるのだ。
民主主義連盟であれば、日本国民を拉致して居直る北朝鮮に、必要な制裁を科し、チベット人やウイグル人、モンゴル人を虐殺して憚らない中国に拒否権など許さなくて済む。基本的価値観の共有を重視するマケイン外交は、G2外交を謳うケリー外交よりも遥かに健全で好ましいと思える。
さらに両氏を較べれば、興味深いことに共にベトナム戦争の英雄である。しかし、その有り様は対照的だ。
価値観の相性
マケイン氏は1967年10月、北ベトナム上空を飛行中に撃墜され両手両足骨折の重傷で捕虜になった。彼は時にひどく殴られ、5年半の多くを独房に拘束されたという。
ケリー氏は68年にベトナム戦争に参戦し、70年に除隊するや否や、反戦運動に没頭した。71年4月、上院外交委員会の公聴会で反戦演説をし、公聴会翌日には、他のベトナム帰還兵から預かった勲章などを「ごみくず」として議会の芝生へ放り込むパフォーマンスを行った。この映像は、マケイン氏ら当時まだ北ベトナム軍に捕らえられていた米軍兵士に、精神的拷問として見せられたという(『ジョン・F・ケリー』越智道雄、宝島社)。
私はマケイン氏らが拘束されていた収容所を訪れたことがあるが、その狭さと、足を鎖で固定する金具、窓もない厚い壁などを想い出す。5年半余りの捕虜生活の後に帰国したマケイン氏は、除隊せず海軍軍人として軍務を継続した。
理屈を言う気は全くない。ただ率直な心情として、私はマケイン氏の生き方に共鳴する。それは価値観の相性というべきものかもしれない。
日本にとって、拡大する中国の軍事力と経済力に伴い脅威が深刻化する中、あらゆる意味で良好な日米関係を築くことが必要である。しかし、日米間には、他の如何なる国家同士にも存在するギャップがある。共有出来る価値と共有出来ない価値のギャップである。後者の典型が歴史認識であろう。決して意見や視点が一致することのない問題について、その不一致を呑み下して良好な関係を、日米こそが保っていかなければならないとき、この相性、基本的な価値観の相性が大事な気がする。ケリー氏とその相性を築き上げられるか。私は安倍外交の展望を緊張して見続けることだろう。