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『週刊ダイヤモンド』 2010年1月30日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 823
鳩山政権下で日米関係はきしみ続け、日米安全保障条約改定調印から50周年の記念日の1月19日、日米両政府が合同で主催する記念式典はおろか、声明の合同発表さえも危ぶまれていた。
実際には、両国の外相と防衛相、計4人の連名で「日米安保50年 共同声明」が発表された。内容は、「日米安保体制は、引き続き日本の安全とともに、アジア・太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠な役割を果たしていく」「日米同盟は、すべての東アジア諸国の発展・繁栄のもととなった平和と安定を東アジアに提供している」と、日米安保条約を高く評価するものだった。
だが、日本側がひと安心するのは早いだろう。米国は、日米安保体制の「深化」に同意はしたが、具体策は話し合われていない。他方、米国が日本抜きでアジア諸国との絆を深める動きが進行中である。そして、その動きについて、米国は日本にひと言も語っていない。
今年1月12日、岡田克也外相はホノルルでヒラリー・クリントン国務長官と会談した。岡田外相が切望して実現したこの外相会談で話し合われたのは、もっぱら普天間飛行場移設問題だった。長官は過去の日米合意を守るよう日本側に要請することに終始した。
注目すべきは、外相会談のあと、同じ日に、ハワイ大学の東西文化センターで行った長官のスピーチである。「アジア地域連合の構築について、その原則と優先度」というタイトルだ。
読んで、少なからず驚いた。長官はこう語っている。「アジア・太平洋諸国との絆は米国の優先課題である」「オバマ大統領はアジア諸国とアジアの人びとを高く評価し敬意を抱いている。2011年には、米・アセアン会議を、このホノルルで開催したいと、大統領は考えておられるだろう」。
ここで聴衆から大きな拍手がわいたのは当然だ。しかし、その場に居合わせた日本政府関係者は愕然としたことだろう。なぜなら、来年、米国がアセアンとの会議を開催するなどとは、直前に行われた岡田外相との会談では、ひと言もなかったからだ。
長官はさらに語った。米国がアジア・太平洋諸国との関係を再活性化するべく準備を始めたのは、昨年の1月のことだったと。さらに長官は、オバマ大統領がアジア歴訪の折、米国は初めての米・アセアンサミットをすでに開催した、アジアに強力な軍事力を維持し続けることをグアム国際会議で表明した、米国はアセアン諸国と友好協力協定を締結ずみである、オバマ大統領夫妻が迎えた最初の国賓はインドのシン首相であるなどと、強調した。
「米国の未来はアジア・太平洋地域の未来とつながっており、同地域の未来は米国に依拠している」と長官は断じ、同地域への明確なコミットを宣言した。
しかし、前述したようにこの点について、米国政府は、日本に事前に知らせることも、いわんや、日本に参加を要請することもなかった。これこそ、鳩山外交への強烈なしっぺ返しである。
昨年9月23日、鳩山由紀夫首相はニューヨークでオバマ大統領と会談し、その直後、国連演説に臨んだ。首相は、CO2 25%削減案のほかに、東アジア共同体の構築についても提唱した。
寝耳に水の米国側は驚いた。国務省は日本外務省にその種の重要な外交政策を発表するのであれば、事前に同盟国に説明があってしかるべきだと、抗議したそうだ。
今回、米国は、日本がしたことを、そっくりそのまま、日本にして返した。不快感を見せつけたのだ。
米国は言葉どおりの外交政策を進めるだろう。中国の脅威に晒されるアセアン諸国にとって、米国のコミットは歓迎以外の何物でもないはずだ。孤立するのは日本である。鳩山外交では、日本は持たないということだ。
『週刊新潮』 2010年1月28日号
日本ルネッサンス 第396回
「北韓(北朝鮮)では、民心はドルの価値と正比例します。ドルの支配力が日増しに金正日総書記の神格化を圧し潰すはずです」
こう語るのは脱北詩人の張真晟(チャンジンソン)氏だ。氏は、かつて当欄で紹介した詩集『わたしの娘を一〇〇ウォンで売ります』(晩聲社)の著者である。
氏は長く金正日総書記に仕え、その人物像や業績を讃える幾多の詩を書いた。1997年に脱北して金正日に大打撃を与えた黄長燁(ファンジャンヨプ)氏さえ、総書記の三男、正雲氏について知らなかったほど秘密の多い人物が金正日である。だが張氏は金正日の側近くで年月を過ごした。それだけに、氏の語る北朝鮮情報は、黄長燁氏のもたらす情報に較べてさえも、驚嘆と傾聴に値する。
09年11月末に明らかになった北朝鮮のデノミネーション(通貨改革)について張氏が分析した。
「デノミと一緒に断行されたもうひとつの措置に注目すべきです。平壌の国家保衛部が全国の闇ドル両替屋に一斉検挙の網をかけた。これは全土にまたがる闇取引市場を潰す市場クーデターでした」
北朝鮮における公の外貨取引は89年に始まったという。88年のソウル五輪に対抗して、翌年平壌で「世界青年学生祝典」が開催された。訪れる外国人が北朝鮮で外貨を使用出来るように、金正日は特別のウォン「外貨交換札」(以下交換札)を作った。ドルとの交換レートは1対2だった。
交換札は、印刷から預金及び貸し出しまでの全てを、金正日の実妹の金敬姫(キムキョンヒ)が運営する統一発展銀行が管理した。こうして平壌で外貨商店が急増し、同行は外国銀行との信用取引を認められた北朝鮮初で、唯一の国際銀行となった。同行と日本の関わりについて、張氏が述べた。
「統一発展銀行を支えたのが朝銀信用組合の日本からの送金でした。最初の6億円が初期の投資資金となりました。後に朝銀が破綻したのは、金総書記が自分の王朝の神格化のために交換札をまるで空から降ってくる無料の外貨のように、束でバラ撒いたからです。朝銀の破綻で朝鮮総連は麻痺し、金正日は自分で自分の首を絞める結果となりました」
偽ドル・ロンダリング
世界青年学生祝典は北朝鮮に大きな赤字を残した。金正日の交換札の浪費も続いた。ドルと交換札のレートが1対2から1対10に落ち込むのにさほど時間はかからなかった。
統一発展銀行から引き出される交換札には北朝鮮政府の信用の裏打ちがあるはずだが、北朝鮮政府の信用そのものが空疎なため、為替レートは坂を転げ落ちる雪だるまのように膨れ上がり、97年には遂に1対7,000になった。
「つまり紙屑になって消えたのです。そのときから、今度はドルと北韓ウォンの直接交換が始まりました」と張氏。
その前年から金正日は北朝鮮国民に「苦難の行軍」を強いていたが、その中で300万人が餓死した。配給がとまった代わりに市場の設置が許され、市場は急拡大した。そこで通用するのは価値の裏打ちを欠くウォンではあり得ない。ドルである。
「北韓政府はまず、ドルとウォンの為替レートを1対150に設定しました。ところがレートはまたもや急落、09年の年初には1対4,000になりました。平均的労働者の月給が2,000ウォンにすぎないのに、です。北韓政府にとって米国は理念の敵、同時に資本の敵でもあります」
金正日は遂に市場の力に押しまくられた揚げ句のインフレを認め、00年7月1日、市場価格を反映した賃金政策を断行、賃金は大幅に増額された。これは金正日がまたもや判断を誤った瞬間だと、張氏は言う。
「賃金に市場価格を反映させ、同時に市場そのものを押さえればウォンの価値を守ることが出来ると、彼は考えたのです。しかし、市場は増刷されたウォン紙幣によって活性化し、商品価格は天井知らずとなりました。生産のない市場における輸入対消費という不均衡な経済構造が価格高騰をもたらすのは当然です」
ウォンの実勢価格が再び続落し、外貨の闇取引も急増した。01年、金正日は全ての市場に公式の外貨両替所を設置させたが、効果はなかった。そこで彼は偽造ドル紙幣を北朝鮮の貿易会社に割り当て始めた。
「米国政府がスーパーKをはじめ、北韓によるドル偽造に厳しい監視体制を敷いたこともあり、北韓には大量の偽ドルが蓄積されたのです。金総書記の秘密資金を管理する39号室傘下の金融機関、大成銀行は北韓の全貿易会社に偽造ドルを割り当て、2対1で本物にして返還せよと命じました」
偽造ドル10万ドルを受け取り、本物5万ドルを上納せよということだ。北朝鮮の全機関、全貿易会社が死に物狂いでマネーロンダリングに走ったのだ。米国の摘発でさらに追い詰められると、偽造ドルは国内市場で取引きされるようになり、ただでさえ脆弱な北朝鮮の金融流通システムはさらに危機的状況に陥った。
崩れ落ちようとする巨大ダム
米国は05年9月、偽ドル、麻薬取引き、テロ支援などの理由を掲げて北朝鮮に対する金融制裁に踏み切った。北朝鮮と取引きをする金融機関に、米国の金融機関との一切の取引きを禁止するというもので、それはその金融機関の市場からの撤退、つまり閉鎖を意味していた。対象となったのがマカオの銀行、バンコ・デルタ・アジアだった。
金正日は米国の金融制裁を非常に恐れ、制裁解除に向けて必死の交渉を行った。その理由は、金正日が世界の銀行に保有している50億ドル(約4,500億円)を超える資金を引き出せなくなり、軍や組織を支配出来なくなるからだと考えられた。ところが、もっと別の理由があったと張氏は語るのだ。
「米国の制裁で北韓内でドルがさらに暴騰し、市場不安も高まり、政権の命が脅かされます。為替レートの防御能力が皆無の北韓ほど『外貨による侵略』に脆弱な国はありません。ドルの支配力こそが政権を潰しかねないのです」
だからこそ、金正日は次なる抵抗に進んだ、それが去年暮れの通貨改革だというのだ。ウォンを政府のコントロールの下に引き戻し、貨幣価値を自力で調整しようとしたわけだ。外貨闇取引所への一斉検挙も平仄が合う。だが、と張氏は反問する。
「北韓は崩れ始めた巨大ダムのようなものです。砂袋を積んで持ちこたえられるものでしょうか」
政治空白で漂流する鳩山政権は、近い将来予見されるこの朝鮮半島情勢の流動化と有事に対処出来るのか。崩れ落ちようとする巨大ダムを、それでも支え続けて、北朝鮮への影響力確保を至上命題とする中国に、対処出来るか。そのような危機に備えての米韓両国との戦略を構築出来るのか。展望は果てしなく暗い。
『週刊ダイヤモンド』 2010年1月23 日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 822
今月11日の政府・民主党首脳会議で、永住外国人に地方参政権を付与する法案を18日召集の通常国会に提出することが確認されたと報じられた。
同法案に関して、民主党内にはもともと深い亀裂があった。推進派の小沢一郎、鳩山由紀夫、岡田克也各氏らの勢力に反対する渡辺周、長島昭久、松原仁各氏らが存在し、法案を推進すれば民主党は分裂しかねないと見られていた。だからこそ、マニフェストにもこの項目は盛り込まれなかった。
ところが今、小沢氏らは、一挙に同法案の成立を図ろうとする。この性急さは何故か。
地方参政権問題が再浮上したのは昨年10月、鳩山首相が訪韓したときだ。李明博大統領との共同記者会見で質問され、首相は「国民の感情、思いは必ずしも統一されていない」が、「前向きに検討したい」と表明した。
小沢氏も動いた。民主党政権樹立直後に訪日した李大統領の実兄であるハンナラ党の李相得(イ・サンドク)議員に、「通常国会で目鼻をつけたい」と語っている。
その後、小沢氏は12月に訪韓した。600人の大代表団を引き連れて中国を訪問した帰り、皆と別れてほぼ単身での訪韓である。11日夜に韓国入りし、翌日、ソウル国民大学で講演し、「日本政府の姿勢を示す意味でも政府提案として出す」と語った。
同日、小沢氏は李大統領と非公式の会談を行い、大統領主催の晩餐会にも出席した。だが、氏がどのような会話を交わしたのか、日本側はほとんどつかんでいない。通訳も含めてすべて韓国側が準備を整えたからだ。
政界の実力者、小沢氏が韓国大統領と会うのに日本側の通訳も同行させず、日本政府がその発言を把握出来ないというのは異常である。この秘密めいた実力者同士のサシの会談で、小沢氏が参政権問題についてもなんらかの約束をしたことは考えられる。結果として、通常国会に法案を提出するという現在の民主党の方針がある。
小沢氏は自身のウェブサイトに外国人参政権推進の理由を書いている。要約すれば、(1)永住外国人の大半を占める朝鮮半島出身者は強制的に日本に連行された、(2)参政権取得には帰化が最善だが、国籍取得のための法律的な要件が厳しく、帰化が難しい、の二点に尽きる。
(1)は明らかに間違いである。確かに戦前戦中に強制連行などで日本に来た人々は約200万人に上る。しかし、今日本在住の朝鮮半島出身者の大半は、日本の敗戦で多くが朝鮮半島に戻ったなか、自らの意思で日本に残った人々だ。あるいはさまざまな理由で、戦後日本に来た人々だ。
ちなみに朝鮮半島出身のこれらの人々は永住外国人として分類される。一般永住外国人とは異なり、参政権を除けばほぼ日本人と同等の種々の権利を与えられている。
(2)については、私も疑問に思い、シンクタンク国家基本問題研究所で、帰化の法的要件には改善の余地があると指摘し、具体的に提言を行ってきた。その意味では小沢氏の指摘に同意するのだが、しかし、だからといって、一足飛びに、外国籍のままで参政権を与えるということにはならない。
深刻な問題だと思われるのは、小沢氏らの提案する外国人参政権法案が永住外国人を超えて一般永住外国人に参政権を与えるという内容である点だ。つまり、急増する中国人永住者に参政権を与えるという意味だ。
現在、日本在住外国人の最大勢力は中国人で65万5,000人強、うち永住資格を取得ずみの人々は14万2,000人余だ。この数は年々際立って増えている。これでは中国共産党員の資格を持つ人々が、日本で投票権を行使して日本の政治を動かす事態を招きかねない。まさに悪夢ではないか。
以上の理由で私は民主党の外国人参政権付与案には断固として反対である。
『週刊新潮』 2010年1月21日号
日本ルネッサンス 第395回
1月19日、海上自衛隊は碇泊中の艦船を満艦飾に装い、夜には各艦にライトを当てて、50年前のこの日、日米安保改定条約が調印されたことを祝うという。同じ日、駐日米国武官主催の「ホームパーティー」も開かれる。関係者への招待状は 1月12日配達という直前のタイミングだが、鳩山政権の空虚な安全保障政策に危機感を抱く人々は、同会への招待を前向きにとらえ、日米の絆の確認につなげたいと期待する。
50年前の1月19日、岸信介首相はホワイトハウスで、クリスチャン・ハーター国務長官と共に安保条約改定の調印式に臨んだ。
岸は57年6月に行ったアイゼンハワー大統領との首脳会談で初めて、米国側に安保改定を申し入れたが、その主張は日本は防衛力の増強に努める、米国に可能な限りの軍撤退を求める、安保条約を合理化し、大幅に改定して、日本の自立を高めるというものだ。岸は10年後の沖縄、小笠原諸島返還も求めた。
日本の要請を米国に受け入れさせるために、岸の行った訪米前の準備は真剣かつ徹底していた。原久氏の『岸信介 権勢の政治家』(岩波新書)に詳しいが、岸は駐日大使マッカーサー(マッカーサー元帥の甥)との予備会談を少なくとも7回行い、東南アジアをも歴訪してアジアにおける日本の地位の重要性を米国に印象づけた。国内では防衛力強化を目標に、第一次防衛力整備三か年計画(1958~60年)を策定した。3年間で、陸自として18万人、海自12万4,000トン、空自1,300機の整備を目指すと明記した。
対等な安保協力を求める限りは、自国の戦力を強める意思を明示し、米国の眼前で実行する必要があることを知悉していたのだ。米国は、言葉だけでなく、戦力を養って真の独立を確立していきたいとする岸に安保改定の合意を与えた。
命を懸けての安保改定
岸はしかし、国内で苛烈な抗議運動に直面した。30万の大群衆が反対の気勢をあげて首相官邸を取り囲み、警視総監は警備に「自信がない」として、官邸脱出を勧めた。側近が一人去り、二人去る中で「殺されようが何されようが(安保改定は)絶対必要」と思い定めた岸は、法案の自然成立に必要な30日目の6月19日の朝をデモ隊が取り囲む官邸で迎えた。4日後、新条約の発効を見届けて辞任したが、大戦略を描き得た岸であればこそ、文字どおり命を懸けての安保改定だった。
岸が心を砕いたのは、冷戦の深まりとともに日本に尚、浸透しようとする社会主義、共産主義勢力を如何に食いとめるかでもあった。安保改定の前年、北京を訪れた浅沼稲次郎は「米帝国主義は日中両国人民共同の敵」と述べた。岸の求める安保改定に応じなければ、日本が「中立化」或いは「共産化」していきかねないと米国が恐れたほどの力を、浅沼ら、左派勢力は誇示した。
改定安保調印から50年、いま日米間の溝は深い。鳩山首相は日米の対等という、岸と同じ表現を用いながら、内容がまったくないのである。
対等な同盟国、或いは対等な協力者に必要なのは自助及び相互援助の力を有していることである。その力は、経済力などの非軍事力ではあり得ず、軍事力そのものである。だが、民主党の象徴的リーダーとしての鳩山首相も実質的リーダーとしての小沢一郎幹事長も、その点の認識を欠いている。両氏とも自らの意識と現実との距離を認識できないのである。
本誌が発売される頃には、自衛隊のインド洋における補給活動は中止される。普天間飛行場の移転問題は展望が見えない。そうした中で、インド洋での給油給水活動を中国海軍が肩代わりする可能性も指摘されている。海自の幹部の1人は、中国海軍はすでにソマリア沖で自国艦船への補給活動を行っており、インド洋で海自に取って替わることは、技術的に不可能ではないと推測する。
アフガニスタンの活動全体がテロとの戦いであるだけに、中国が申し出れば米国側に拒む理由はないとも見る。その場合、日本の立つ瀬は失われていくだろう。右の幹部が語る。
「自衛隊が情報収集において米軍に依存している以上、政治的齟齬によって情報提供を受けられなくなれば、わが国の防衛は支障を来します。海上艦艇の動きなど、戦術面の情報は掴めても、中国軍の動きや北朝鮮の弾道ミサイルなどの戦略情報については全くわからなくなります」
鳩山首相は岸と異なり、対等な関係の基盤となる情報力や軍事力の整備を考えず、逆に自衛隊の定員も装備も減らす政策である。「対等」の主張とは裏腹に、対米依存を高めざるを得ない矛盾の中にある。
虚ろな対等論
もう一点、岸政権当時も警戒すべきであった体制も価値観も異なる中国は、いまや誰の目にも尋常ならざる軍事的脅威を形成する。対して、日本は万全の守りを実現出来るのか。東シナ海における一方的開発や尖閣諸島領有権の譲らぬ主張を見るまでもなく、中国の脅威は厳然としてあり、現時点で日本が独自に対抗出来るとは思えない。どうしても、米国との連携が必要で、それは、アジア全体の自由と民主主義にとっても必要である。日米の緊密な連携は米国にとっても不可欠なはずだ。
その意味で1月19日は、両政府がともに祝うべき記念日なのだ。しかし、合同式典を考える雰囲気さえ、両国間には存在せず、米国政府は、鳩山民主党の虚ろな対等論を疑問視する余り、日本政府とまともに話し合えるのかと疑っている。
去る9日、北澤俊美防衛相が日米両首脳が50周年を機にそれぞれ声明を発表する方向で調整中だと明らかにした。何もないよりも、声明だけでもあったほうがよいという苦肉の策にすぎない。
この現状に強い危機感を抱くのが、日米関係の重要性と中国の軍事力の脅威を実感している日米両国の軍当事者らである。日米関係の空洞化が中国に誤ったメッセージを与える危険性を、彼らは十二分に承知しているからだ。だからこそ、駐日武官がホームパーティーを開くのだ。
世界の大国米国と、相対的に力を落としつつあるといえどもこれまた大国日本の軍事同盟の調印を祝うにしてはささやかな武官主催の会、公式の催しの色彩から遠くはなれた形のホームパーティーに期待が集まるのも、それが政治の齟齬を埋めたいという当事者相互の意思確認の肯定的な動きととらえられるからだ。岸が命を懸けて成立をはかった改定安保条約は、紛れもなく50年間、日本を支えてきた。自衛隊は同盟関係の基盤を成す信頼醸成に努めてきた。
それを鳩山政権はいとも簡単に崩しつつある。日本に死活的に必要な日米同盟を空洞化させ、大戦略の片鱗も想像出来ない鳩山民主に政権与党の資格がないのは明らかだ。
『週刊ダイヤモンド』 2010年1月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 821
藤井裕久財務大臣の辞任など、鳩山民主党は年初から波乱含みである。藤井氏辞任の背景に、小沢一郎幹事長との齟齬があったと指摘されている。民主党政権の展望が一に小沢氏の意向や決定にかかっているといっても過言ではない現在、氏の目指すものは何なのかを、明確に把握しておきたい。
『日本改造計画』(講談社)を世に問うた1993年、氏が主張した政策、憲法改正を実現して日本は普通の国になる、自己責任を旨とし小さな政府をつくる、小選挙区制導入で二大政党制を実現するなどは真っ当な主張だった。
しかし、その後、氏の主張は著しく変化した。すべての根幹である日本国のあり方についての考え方も変わった。憲法改正、普通の国という考えが後退し、国連重視の度合いが強まった。
たとえば、『日本改造計画』では憲法九条を離れて日本は普通の国になるべきだと主張した。集団的自衛権を行使するための「小沢調査会」も設置した。96年の『小沢一郎 語る』(文藝春秋)でも、「日本だけが、お巡りさんの役は御免こうむります、消防士にはなりません、清掃作業も御免こうむります、汚いこと、嫌なこと、危険なことは私ら全くやりません、と言って済みますか」と問うている。
しかし、氏は同書でこうも書いていた。個別的、或いは集団的自衛権で平和を保つ時代はすぎて国連中心の平和維持活動以外に平和を担保する道はないのだから、平和維持のための御親兵を日本が国連に提供すべきだ、と。
ついに、日本は国連に「御親兵」を捧げて、国連の理想を広める先頭に立つべきだと主張するに至ったわけだ。これでは普通の国ではなく、夢見る異常の国である。
それからさらに10年後の2006年、『小沢主義(オザワイズム)』(集英社インターナショナル)で変化はさらに際立った。
「明治維新の際、新政府は当初、自前の軍隊を持たず、薩長をはじめとする旧藩の『多国籍軍』によって国家防衛、治安維持を行っていた。今の国連と同じである」「この明治維新にならって、日本は今こそ国連に『御親兵』を出して、世界平和への我が国の姿勢と理念を世界にアピールしていくべきだ」
なんと明治新政府と国連を同一視しているのだ。維新のとき、確かに明治新政府には自前の軍隊はなく、旧藩が御親兵を奉じた。しかし、それらはいずれも日本人の軍隊であり、出身藩は異なっても目標は一つだった。富国強兵を進め、欧米に追いつき、日本が陥っている国家存亡の危機から脱することだ。それは、すべての日本人が等しく抱いた共通の目的だった。列強の脅威の前に、日本国民は藩の境を越えて団結したのだ。
だが、国連のメンバーは、国も民族も、それぞれの目標もまったく異なる。国連は第二次世界大戦の戦勝国連合にすぎず、いまだに敵国条項をもって、日本を敵国と位置づけている。加えて常任理事国には、中国など、必ずしも日本と価値観を共有しない国がある。
そのような国連に日本が御親兵を奉じて使ってもらうという考えのなんと幼稚で自虐的なことか。
憲法改正と集団的自衛権の双方を否定し、国連重視に傾いてきた小沢氏がたどり着いたのが『小沢主義』である。そこには、「自分の脚で立ち、自分の頭で考えて決断」すること、つまり自己責任の重要性が強調されている。
だが、国連にすべてを託そうという氏の考えは、自己責任の対極にある。壮大な自己矛盾だ。氏がたどった普通の国構想から国連至上主義構想への変化は、憲法改正論から憲法擁護論への変化でもある。結局、小沢氏はいつの間にか、現行憲法の比類なき擁護者になったのだ。日本の歴史を加害者の歴史と位置づける東京裁判史観の信奉者だともいえる。氏の対中政策が朝貢的色彩を帯びる一つのゆえんである。
『週刊新潮』 2010年1月14日号
日本ルネッサンス 第394回
2つの国が領有権を争う領土について、それぞれ主張を展開するのは当然のことだ。しかし、日本政府はまず相手国の立場を度し、日本の立場を十分に主張してこなかった。そのツケは北方四島にも竹島にも明らかで、主張なき無策は必ず、尖閣にも影を落とすだろう。
昨年12月25日に発表された高校の学習指導要領解説書では、領土問題としての竹島の記載が見送られていた。学習指導要領はほぼ10年に一度改訂され、解説書も更新される。したがって、高校教育では向う10年間、韓国と領有権を争う竹島についての教育が不徹底になる可能性がある。
川端達夫文部科学大臣は、解説書を公表した日の記者会見で「竹島はわが国固有の領土であり、正しく認識させることに何ら変更があるわけではない」と述べた。
氏は保守派の政治家であり竹島を解説書に記載することは、氏にとっても文科省にとっても既定方針だった。にもかかわらず、蓋を開けてみれば解説書は一変した。日本が竹島の領有権を諦めたととられ、歴史的な汚点となりかねない解説書は如何にして生まれたのか。
日本政府の領土問題に関する発言や外交姿勢の及び腰は自民党時代からのものだ。学習指導要領とその解説書に、領土問題として明記されてきたのは北方領土に限定され、竹島はまったく触れられてこなかった。
他方、韓国の竹島不法占拠は年毎に昻じ、いまや警備部隊が常駐し、電話線が引かれ、郵便番号も住所も定められている。竹島を所管する島根県は思い余って05年、「竹島の日」を設けた。韓国の反発は凄まじかったが、島根県の動きは、改めて、日本人に領土や国土についての教育の重要性を気付かせた。こうした中、新学習指導要領の中学社会科の解説書に竹島を「我が国固有の領土」と明記するかどうかの問題がまず、持ち上がった。05年のことだ。
火に油を注ぐ生半可な配慮
文科省の立場は明確だった。05年3月に中山成文科相(当時)が新指導要領に明記すると答弁。しかし、3年後の08年2月、新指導要領案が公表されたとき、竹島の文字は消えていた。理由は、反日政策を掲げた盧武鉉大統領の後に、李明博氏が登場し、竹島問題の主張を控えることがより良い日韓関係の構築につながると日本政府が期待したからだ。
学習指導要領の改訂は解説書の更新を意味する。韓国は日本への働きかけを重層的に展開した。08年5月19日、韓国外相は駐韓日本大使を呼びつけ警告した。7月、洞爺湖サミットへの参加直前に、李大統領が共同通信と会見して「日本の指導者たちが無理に(竹島を)載せることはしないと信じている」と牽制した。来日した大統領は、9日、福田康夫首相と立ち話形式で短時間会談し、慎重な対応を求めた。韓国大統領府は、大統領が「深刻な憂慮」を伝え、福田氏は「十分に分かっている」と答えたと発表した。
国内では文科省が「我が国固有の領土」と明記すべきと主張し、外務省は反対に見送りを求めた。そして結論は中途半端なものになった。
08年7月14日に発表された解説書には、「我が国固有の領土」という表現はなかったが、竹島について、「韓国との間に主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要」と書き込まれていた。婉曲な表現ながら、初めて、竹島を領土問題として盛り込んだわけだ。日本の視点に立てば「竹島はわが国固有の領土」と書いて当然だが、そうは書かずに婉曲な表現をとったことについて町村信孝官房長官は、「日韓関係をぎくしゃくさせてはいけない」と説明した。
だが、このあと、日韓関係は「ぎくしゃく」どころか、大荒れとなった。李大統領は「断固たる措置をとる」よう指示し、柳明桓外相は駐韓日本大使を呼びつけて抗議し、駐日韓国大使を召還した。29日には韓昇洙首相が、首相として初めて竹島に上陸。30日には韓国軍が最新鋭戦闘機、F-15Kを含む大部隊を動員し「独島(竹島)防衛演習」を行った。
福田首相は解説書発表の直前まで、自ら文言をチェックし、韓国への配慮に努めたが、李大統領は8月15日に、「韓国が強い国になれば、日本が私たちの領土を不当に欲しがることもなくなる」と演説した。
日本が「竹島は紛れもなく韓国固有の領土です」とでも言わない限り、韓国側は納得しないのである。生半可な配慮は、むしろ火に油を注ぐ。
そして今回の高校用の学習指導要領解説書である。文科省は、大臣、副大臣、政務官の三役以下、中学用の解説書同様、竹島の記述は当然と考えていた。が、三役会議で提示されたのは、竹島を除外した案だった。
竹島の二文字が落ちたのは…
川端大臣が三役会議で、文科省としては不満だが、内閣の一員として上の決定に従うとの意思表示をしたのは、小沢一郎幹事長の訪韓時期と重なる12月中旬だと思われる。小沢氏は中国訪問後、12月11日夜にほぼ単独で韓国入りした。李大統領と2人だけの非公式会談の内容は非公開である。韓国側が通訳を務めたために、日本政府は小沢氏が何を語り、何を聞いたかも把握出来ていない。だが、その席で、李大統領がかねてより関心を示していた外国人参政権、天皇陛下御訪韓などとともに、高校指導要領解説書問題に触れた可能性は大きいと見るべきだろう。
したがって、小沢氏が李大統領の要請を受けて影響力を行使し、解説書の内容を大幅に変更させた可能性は少なくない。一方で、元凶は鳩山由紀夫首相その人だとも考えられる。首相は11月15日、シンガポールでのAPEC首脳会議で、李大統領と歩きながら短時間、2人だけの会話を交わしている。そのとき、李大統領が、「教科書の件、重要ですので宜しくお願いしたい」と述べ、鳩山首相が「分かっています」と答えていたことは取材で確認出来た。
小沢、鳩山両氏との会談が、解説書問題で12月の発表を前にした重大な時期であることを李大統領は意識していただろう。大阪生まれで日本人の感情の機微にも通じている大統領だけに、その説得が功を奏したと考えて、ほぼ間違いないだろう。つまり、最終的に竹島の二文字が落ちたのは、小沢、鳩山両氏かまたはいずれか、民主党トップの「政治決断」ゆえだったと考えてよいだろう。
自民党はそれでも竹島の二文字をどうにか書き込んだ。民主党はそれを水泡に帰しかねない決定をした。一方韓国では、12年からの中学社会の解説書で竹島について「日本が継続的に国際紛争に訴えようとする意図を分析し、領土を守る方法も考える」とし、生徒たちに具体策を考えさせるよう踏み込んでいる。
国益を害する点において、民主党外交の罪は重いのである。
『週刊ダイヤモンド』 2010年1月9日新春号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 820
新しい年が巡り来た。私たちの前に広がるこの一年は緊張溢れる年になるだろう。民主党政権下の政治的空白と機能停止状況から脱して、多くの緊急事態に向けての準備を整えなければならない。その一つが北朝鮮有事である。
近い将来、北朝鮮情勢が激変する可能性は大である。日本は北朝鮮有事を日韓関係の根本的改善につなぎ、植民地時代の記憶を乗り越え、真の日韓友好関係を築くべく戦略を練らなければならない。
そのために、朝鮮半島の危機を真に韓国の国益となるような方向で乗り越えるための支援を行なうことが必要だ。それは、韓国による朝鮮半島の自由統一を日本の戦略目標とすることだ。米韓両首脳は昨年6月16日に「自由民主主義と市場経済にのっとった平和統一を志向する」とした自由統一ビジョンを発表した。日本はこの考えに沿って、日米韓の戦略対話を、政府、軍および民間専門家の各レベルで行なわなければならない。
そのなかで、米韓軍が北進するとき、日本はどのような協力をすべきなのか、拉致被害者の安全確保のために、米韓両国にどのような協力を求めるのかも、詰めておく必要がある。朝鮮半島の自由統一の主体はあくまでも韓国であることを内外に明らかにして、日韓、および日米韓の連携で動くのである。
このような戦略を、昨年、シンクタンク国家基本問題研究所(国基研)で発表し、同提案を持って、年末に韓国を訪れた。多くの専門家と意見交換したなかで、意外だったのは、韓国の戦略問題専門家のなかに、日本は統一韓国を望んでいない、分断国家のまま、弱い韓国にとどめておくことが日本の利益にかなうと考えているのではないかと思う人びとが少なからず存在したことだった。そうしたなかで、日本は韓国の自由統一を支持すべきだと明確に打ち出した国基研の提言を、多くの人びとが前向きに受け止めた。
韓国戦略問題研究所の高在弘(コージェイフン)氏は、北朝鮮有事の研究者として知られる若手研究者である。氏は有事の際に起きうる状況として、四つのケースを挙げた。(1)特定国(中国)が一方的に軍事的、政治的に介入、(2)米中合意によって朝鮮半島の分裂が固定化、(3)北朝鮮に社会主義体制が維持される、(4)南北朝鮮が連邦制となる。
いずれも韓国にとっては望ましくなく、こうしたシナリオを避けるために、利害が衝突する点についてあらかじめ協議を重ねることの重要性を、氏は強調した。
とりわけ問題になるのが、不可避と思われる中国軍の早期介入である。場合によっては、韓米両軍が三十八度線から北上し、中国軍が国境から南下し、平壌(ピョンヤン)で相対峙するという最悪のケースも考えられる。このような方向に、事態が向かう場合、危機を回避するために、日本に果たしてほしい重要な役割があると、高氏は言う。
第一に、北朝鮮有事で、同じ民族である韓国軍が進入するのは正当な行為だと発表し、中国の部隊派遣には正当性がないという国際世論をつくる先頭に立ってほしいというのだ。日本の国益を考えても、これは当然である。
だが次の言葉を聞いたときに、私は少なからず驚いた。氏は言った。
「もし、中国軍が北朝鮮に入るなら、日本も自衛隊を派遣する可能性があるという意思表示をしてほしい。そのことによって中国軍の撤退を誘導してほしい」
タブーと思われてきた日本の自衛隊の派遣を表明せよというのである。それは韓国の日本に寄せる期待と信頼の表れである。韓国の若手研究者の言葉に応えることができれば、日韓関係は確実に過去を乗り越え、新しい次元に立つことができるだろう。そこまで考え、賢く戦略的に対処できる日本に、今年は成長してほしい。そのための議論を闘わせていきたいと私は思う。
『週刊新潮』 2009年12月31日・2010年1月7日合併号
日本ルネッサンス 第393回
民主党の小沢一郎幹事長が絶対的権力者の風貌を見せている。政府の要職にあるわけでもないが、氏は事実上、日本国の政治を動かしている。内政・外交において氏の声はまさしく天の声としての力を発揮する。
強大な力をもつ氏の、2009年12月の韓国での発言には、外国人参政権問題をはじめ、受け入れ難いものが多かった。それらの点については、すでに論じられているが、私は、氏の発言のうち、余り目立ちはしないが、日本の外交政策を左右しかねない重要な要素として、氏が語った対米観に注目したい。ソウル国民大学での講演でこう語っている。
「私はアメリカ人は好きなんですけれども、ややもすると、割合、単純でしてね」「その中でたとえば、(中略)ニクソンさんは、大変な、私はいい政治家だと思っています」
「単純」な国民だと、米国人を卑しめる一方で、ニクソンを「いい政治家」と語る小沢氏の対米観は明らかに間違っている。
米国人は率直ではあっても、決して単純ではない。いわんや国際政治における米国人の考えには、こちらの肝胆を寒からしめる奥深さがある。日米関係の歴史を遡れば遡るほど、そのことは明らかだ。国際政治や安全保障について、これほど洞察鋭い戦略を考え、実行する国は多くはない。米国人の戦略の奥深さと、日本政府の戦略の欠如の余りの対比に、私は脱力感さえ抱く。
古くは1921年、ワシントン会議で、米国は日英同盟を破棄させた。それは、1905年、ロシアとの戦争に勝った日本を米国の将来の敵と見て、日本の力を殺ぐために米国が準備した戦略だった。
アジア進出を考えていた米国は、将来日本と対立し、戦うときがくると見ていた。そのとき、当時の世界最強の国家であった英国と日本が同盟関係を結んでいては、米国にとって厄介だ。中国への肩入れと日本への憎しみが加わって、日英同盟を破棄させ、英国と日本を切り離さなければならないと目論んだ。企みに気が付かなかったのは日本だけだった。
単純なのは日本
同会議で日本は米・英の各5に対して3という艦艇の保有比率を呑まされ、そのうえ、中国の現状維持を守ると合意させられた。欧米列強が中国においてすでに勝ちとっていた特権や領土をそのままにして、日本の新たな中国本土への進出を禁ずるということだ。この後、日本の孤立は決定的となり、歴史が示すように日本は戦争への道を歩み始めた。
日本を敵と見て、日本の孤立化をはかったにも拘らず、米国は日本に対して友好的に快活に、さらに紳士的に振舞い、中国などともはかりながら練り上げてきた「日本外し」の計画を日本に気取らせないよう、万全の準備で臨んだ。笑顔で背中から斬りつけるかのような戦術は、見事に成功した。日本は自らの陥った危機的状況に対して、まったく危機感を抱かなかった。自らが標的になっていることにさえ気付かなかった。
米国も英国も、単純どころではない。単純なのは日本である。
さて、小沢氏はニクソンを「いい政治家」と語ってもいる。どういう意味か。ニクソンは日本をいわゆるニクソンショックに突きおとした大統領だ。1971年7月15日、電撃的に中国訪問を発表した。中国敵視をやめて、味方として取り込む関与政策に華々しく踏み切り、米国のアジア政策を根本的に転換した。そして、日本の重要性は相対的に低められていった。
米国の国益を睨んで決断したニクソンの力量と戦略性に深い敬意を抱くのは自然かもしれないが、日本の国益の観点に立てば、ニクソンを「いい政治家」として持ち上げるのは不適切だ。小沢氏の「いい政治家」という表現は、恐らく氏の語彙の乏しさから出たもので、「優れた政治家」の意味でもあろうか。であるなら、小沢氏はニクソン外交そのものをどう見ているのだろうか。
ニクソンの外交は、国益のためには敵とさえも手を結ぶ現実主義外交である。国際政治は、夢や理想や価値観ではなく、現実の力で動くという信念がニクソン外交の基盤である。敵の片割れだった中国と手を結び、ソ連を包囲したニクソン、その流れをくむ米国の共和党外交は、やがてレーガン・ブッシュの時代にソ連を追い詰め、崩壊させた。このように、ニクソンの戦略は冷戦における米国の勝利と、ソ連の敗北への呼び水となった。この対中関与政策は、いまも米国のアジア外交の基調である。
ニクソンを評価するなら、その現実主義を見習うのではないかと、普通は思う。しかし、小沢氏は、そして氏が影響力を行使する民主党は、現実主義外交には向かおうとしない。
日米安保葬送の年
ちなみに小沢氏は、英国首相だったサッチャーを、「大変なリーダー」と評価する一方で、「あまり好きにはなれない」と退け、鄧小平については言葉少なく、「非常に感銘を受けた」と語っている。
政治家の資質という点でいえば、両氏ともに炯眼の士だ。国際政治の現実の細部が示す意味を見逃さず、大きな戦略を考え出す能力において、いずれ劣らぬ逸材である。
だが、小沢氏はサッチャーは好きになれないが、鄧小平には感銘を受けたという。ひょっとして小沢氏は、自由や民主主義をそれほど大切な価値観だとは考えていないのではないか。だからこそ、社会主義的体質に陥り国民が働く意欲もなくしていた英国を立ち直らせ、強い民主主義の国としての英国を再建したサッチャーは「好きになれ」ないが、同じく強力な国家の土台をつくったけれど、自由も民主主義も置き去りにして強い統制で国民を締め上げ続けた鄧小平に「感銘を受け」るのではないか。
改定から50年という節目の年の2010年、日米安保は、祝賀祭典どころか葬送の年を迎えるとさえ、言われ始めている。普天間飛行場の移転問題をはじめとする日米間の懸案事項への対処の仕方は、紛れもなく鳩山政権の米国離れ願望を示す。そして明らかに、日本は米中の狭間でいよいよ存在感を失いつつある。
かつて、「単純な」日本の指導者は、ワシントン会議で謀られ、孤立へと追いやられたことに気付かなかった。いま小沢氏や鳩山由紀夫首相らは、米中接近の中であのときと同じように日本が孤立へと追いやられつつあることに気付いているだろうか。気付いているに違いない。にも拘らず、異常なほどの米国離れに邁進するのはなぜだろうか。小沢、鳩山、岡田克也各氏が米国に抜き差しならない不信感を抱き、中国に不合理なほどの信頼を寄せているからである。つまり、現執行部の下の民主党がその実態において、社会主義政権そのものだからである。日本をそんな政党に任せておいてよいとは、私は断じて思わない。
『週刊ダイヤモンド』 2009年12月26日・2010年1月2日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 819
2009年は目まぐるしい1年だった。日本の未来を考えると、とても心配な年でもあった。けれど、目を広大な宇宙に向ければ、おもしろい一年だった。宇宙で今いちばんホットな話題は、火星のメタンであるが、その解明に向けてのエネルギーがいっそう高まった年である。
昔から私たちは、宇宙には人類以外の生物が存在するかもしれないと想像してきた。典型が火星人である。数知れない小説や映画が創作され、子どもたちは宇宙の神秘に憧れてきた。太陽系惑星のなかで最も地球の環境に近い火星に、生命体が存在するかもしれないというのはおとなにとっても尽きない興味である。そんな地球外生命存在の可能性を示すのが、まさに火星のメタンなのである。
火星探査のために、欧州宇宙機構(ESA)や米航空宇宙局(NASA)はこれまでに多くの探査機を送った。しかし、火星に降り立つのは容易ではなく、約三分の二が着陸に失敗した。火星の姿はそれでも少しずつ、明らかにされてきた。かつては水も生命も存在しないと考えられていたこの星の北極や南極の地中深くに、大量の水が隠されていることがわかったのは1990年代後半だった。火星の周りを飛び続けているESAの探査機、マーズ・エクスプレスが送ってくる情報で、火星の大気に微量のメタンが含まれていることも判明した。ちなみに火星の大気は95%が二酸化炭素で、残りは酸素や水蒸気で構成される。
地球上のメタンは約半分が生物学的に、つまり生物が栄養素を消化する過程で作られる。一方で、地質学的に、つまり鉄が酸化するなどのプロセスでも発生する。火星のメタンが、そのどちらから生じているのかは現段階では区別がつかない。けれど、火星は確かに、メタンを発生させている。火星が、少なくとも地質学的には、「生きている」証拠なのである。
千葉工業大学惑星探査研究センター所長の松井孝典氏は、近年、火星の特定の地域でメタン濃度が高くなり、しかも夏に高く、冬には薄くなるという季節的変化もわかってきたと指摘する。
「それが生命活動で作られているなら、生命の存在の可能性が急にリアルになる。その場合、本当に普遍的な、宇宙で成立する生物学を確立できるかもしれない。20世紀の科学者は物理学と科学が宇宙で成立することを確かめた。だから物理学と科学の普遍性を使って宇宙や太陽の起源が議論できるわけです。ところが今の生物学は地球生物学で、なんの普遍性もない。しかし、これが太陽系生物学に、さらに銀河系生物学に発展すれば、初めて生物の起源と進化に迫ることが出来る。ワクワクするような話なのです」
火星は、太陽から地球までの距離を1とすると、1・5のところにある。地球よりずっと太陽から離れていて、そのぶん非常に冷たい。サイズは地球の約半分、そのまた半分が月である。直径は地球から順に1万2,000キロメートル、6,000キロメートル、3,000キロメートルである。
火星は地球と似た歴史を持つ。まず、その誕生は地球とほぼ同じ45億年前である。火星にも地球と同じくらいの水があったとされるが、質量が地球の約10分の1で、重力が弱いために、太陽から電気を帯びた風を吹きつけられると火星の水は宇宙空間に飛び散っていく。大気も薄くなり、地表熱も奪われる。地球と似た環境にあった火星が、地球のように美しい水の惑星になれなかったのは、こんな理由である。
NASAは14年以降に、火星の石を地球に持ち帰るという目標を掲げて探査技術を高めつつある。ESAも16年以降に打ち上げる探査機で集中的にメタンを調査する予定だ。日本はこの研究では米国、EUと肩を並べる先進国である。こうした基礎的な科学研究に夢を託しつつ、国力の基盤をつくっていきたいものだ。
新年おめでとうございます。
昨年の政権交代以降、日本は迷走の度合いを強めてきました。一人一人の努力が反故にされてしまうような政治の空白が続いています。こんなときこそ、私たちの考え方や価値観が問われます。国全体の大きなゆらぎの中では、一人一人の発言や判断が、究極的に社会を動かし、国を動かす力となり得ます。
そのためにも、一緒に考え、日本の未来を前向きに立て直していきたいと願っています。
言論活動で、そして国家基本問題研究所の活動で、今年も大いに力を尽します。昨年同様、沢山の方々と意見交換しながら進んでいきたいと思います。
皆さまもお元気で、大いに羽ばたいて下さいね。
櫻井 よしこ