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『週刊新潮』 2009年4月30日号
日本ルネッサンス 第360回
「中国を、敵として扱えば敵となり、友人として扱えば友人となると言う専門家がいます。馬鹿ばかしい限りです。どう対処するかに拘らず、中国は中国になるのです」
“absurd”(馬鹿げた)の一言でこう断じたのはキャロリン・バーソロミュー氏である。彼女は米国議会の政策諮問機関である米中経済安保調査委員会の委員長で、現在、下院議長を務めるナンシー・ペロシ氏の首席補佐官を、かつて務めていた。委員会は、民主、共和両党が各々6名ずつ委員を選んで構成し、米国の中国政策に直接的な影響を及ぼす。
4月12日から約1週間、意見交換と取材で訪れた米国で、彼女は時折、朗らかに笑いながら明確に語った。こちらが平和と協調を目指せば、世界も中国も、そうなってくれると考えるのは無知のなせる業だと。
それにしても、オバマ大統領の下で米中関係は緊密化しつつあるかに見える。民主党陣営には、国連もG8(主要8ヵ国首脳会議)も機能しないため、米中でG2を開き、世界戦略を決定すべきだという意見も根強い。ヒラリー・クリントン国務長官も、2月の中国訪問の際、世界の大枠を決定する戦略対話を米中両国が定期的に開催すべきだと提案し、共同発表した。米国政府の中国傾斜は、“中国の声”が満ちているワシントンの政治的雰囲気を反映しているともいえる。保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート(AEI)副理事長のダニエル・プレツカ氏はこう語った。
「毎週、どこかで必ず、中国主催のセミナーや研究会があります。つい先頃も、中国政府はある研究に気前よく1,500万ドル(約15億円)をポンと出しました。研究者は喜び、中国研究が増えます。陰に陽に活発に自己主張を展開するのが中国です。けれど、政治の中枢のこの界隈に、日本人の姿はまばらです。中国研究にいそしむ米国人の急増とは対照的に、日本研究者は少数派となり、日本の存在感が薄れています」
米国人が語るアジア政策の多くが中国を中心とする。同盟国ながら、日本は忘れ去られているかのようだ。それでも、先述のように中国に違和感を抱く人々も増えている。
甘かった対中認識
バーソロミュー氏は一言で言えば人権擁護派である。1989年の中国の天安門事件での国民の弾圧、チベット人やウイグル人の弾圧などに厳しい意見をもつ。しかし、いまは強大化する中国の軍事力にも、重大な懸念を抱いている。
「去る3月に、委員会で中国の軍事ドクトリンについて公聴会を開きました。見えてきたのは、中国の軍拡は、当初彼らが言っていた台湾に関する中国の国益を守る目的にとどまらず、そのはるか先を目指しているということです。我々には、たしかに、中国の軍事的意図がよく把握出来ていない面がありました。結果、中国の出方に驚いてばかりだったのです。しかし、いまでは、驚くことに驚かなくなりました」
力を蓄えた中国がどれだけ侵略的になり得るか。中国の実態をようやく把握したというのだ。つい最近まで、米国人の対中認識は甘かった。その実例を彼女が語った。
「国防次官補代理のD・シドニー氏が、中国は軍拡に余念がないが、米国とは十分に協調出来る勢力だと、楽天的な分析を語ったのが3月4日の水曜日でした。しかし、そのわずか4日後にはインペッカブルの事件が起きたのです」
米海軍の非武装海洋調査船「インペッカブル」が海南島沖の公海上で調査活動をしていたとき、5隻の中国艦船が異常接近して、インペッカブルを取り囲み、海中に丸太を投げ込み妨害したのだ。
「こんな事例は少なくないことを、我々は承知しています。中国は大変な進展を遂げ、アデン湾での海賊対策にも貢献しています。しかし、同時に、中国は自分たちの力をどこまで拡大出来るか、我々を、どこまで押しやることが出来るか、試しているのです」
氏は、また、06年10月、空母キティホークが沖縄沖で訓練中に中国の潜水艦が至近距離まで接近し、浮上した事件を指摘した。
「彼らは、気づかれずにここまで接近したぞと、示したわけです」
どの国も軍事力を強大化する権利がある。しかし、何のための強大な軍事力なのかと、氏は問う。
「中国は海にも宇宙にも前例のない速度で軍拡を進めつつあります。加えて、見逃せないのがサイバー攻撃です。IBM関係者の証言を聞いた当初、クレージーなことを、と思いましたが、いまやそれらすべてが現実です」
オバマ政権の陥穽
委員会が発足した2000年当時、彼らはタカ派強硬論者の集りと見做され、パラノイアだと言われさえした。しかし、ある時期から委員会に登場する証言者らが、米国は対中防護策(ヘッジ)をとれと言い始めたという。中国の脅威に対する米国一般の、そして委員会の認識は、ここ数年で変化してきたわけだ。バーソロミュー氏は、中国が宇宙に本格的に有人衛星を打ち上げた4年前がその明確な転換点だったと述懐する。
無論、米国には多様な見方が存在し、ワシントンの政府関係者が皆このように考えているわけではない。経済を重視するあまり、中国の負の側面や中国の脅威に目をつぶる人々も多い。国内経済の回復を最優先するオバマ政権は、その陥穽にはまりかねない。バーソロミュー氏は言う。
「中国が米国債を買ってくれるから、米国は中国を批判出来ないというのは、間違いです。中国の貿易黒字の投資先としては、米国債以外ないのです。一旦買った米国債を叩き売ることは、自国の資産を減らすことで、それも出来ないのです。にも拘らず、中国との経済取引が重要だから、人権についても、軍事についても、他の事柄についても言えないという状況が10年も続きました。経済を口実にするのを止めて、軍事的脅威や人権弾圧を訴える声に、耳を傾け、対処しなければならないのです」
だが、ゲーツ国防長官は、中国の軍拡路線を横目に、ステルス戦闘機F22の生産中止や、空母の削減策などを打ち出した。同方針は、アジアにおける中国の大軍拡を容認し、米国のプレゼンスの弱小化をも受け入れると、受けとめられる。日本にとっては大いなる脅威につながる。
「そのような感じ方が現に存在することを、政府は受けとめるべきなのです」
バーソロミュー氏は、ゲーツ国防長官の提案も、中国の軍事的脅威を懸念する議員らによって、或いは、修正されないとも限らないと語る。
オバマ大統領の外交政策は半ば以上、霧の中だ。こんなときこそ、日本はよりよい日米関係構築のために発言していくべきだ。
『週刊ダイヤモンド』 2009年4月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 786
「米国の対中国政策は、非現実的な愛他主義に陥る可能性がある。米国は中国と本質的なかかわり合いを持っていないから、そういうこともできる。しかし、それは日米にとって耐えがたい状況をつくり出す」
1920年代から30年代にかけての米国のアジア政策について、当時、米国の中国問題専門家の1人だったジョン・マクマリーが書いた言葉だ。米国のオバマ政権の中国政策は、当時に比べてよりいっそう「非現実的」になりつつある。「愛他的」なのか、米国の利益優先なのか、信念に忠実だからか。理由はおそらく重なっているのだが、中国への傾斜が著しい。
国防総省は3月25日、「中国の軍事力」に関する年次報告を発表、中国が戦略核戦力をはじめとする軍事能力を高め、台湾攻撃能力も大幅に増強されたと警告した。同報告書に先駆けて、米国防大学のバーナード・コール教授も、過去21年間、2ケタの伸び率を続ける「中国軍の展開が、米国とその同盟国の国益と衝突しかねない」と警告した。
しかし、オバマ政権の国防政策には、国防総省の分析などはまったく反映されていない。オバマ大統領は4月5日、プラハで核廃絶を目指すと演説し、翌日、ゲーツ国防長官は米軍を基本的に改編すると発表した。中露を潜在敵としてきた従来の方針を、テロリスト勢力など、非従来型の脅威制圧を念頭に置いた編成に切り替えるという。
最新鋭のステルス型戦闘機F22の生産を中止し、ミサイル防衛網計画への予算を削減する。中国の軍事力の脅威に直面する日本にはF22を売却せず、台湾が望んでいたディーゼル推進の最新鋭潜水艦も生産を中止するそうだ。
これでは、「日本にとって耐えがたい状況」が生まれた20年代のように、再び日本、そして、台湾にとって、耐えがたい状況が生ずるのではないか。
だが、米国には多様な意見が存在し、かつてのマクマリーのように、過度な対中偏向を戒める人がいる。彼らは単に中国を批判するのではなく、日本が心して耳を傾けなければならない点をも指摘する。
「中国の海軍力が弱かった時代に(米欧諸国によって)つくられた海上戦力のルールを北京は是としない」「しかし、彼らは歴史から学び、あからさまに挑戦を突きつけることはしない。中国は平和的に台頭するというのである」
こう書いたのは、アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)のブルメンソール研究員だ。氏は続けた。
「しかし、力をつけた中国が国際社会のルールに従うわけではない」
具体例として氏は、南シナ海の公海上で調査をしていた米国海軍の測量調査船への激しい妨害工作を挙げる。調査船のインベカブルが海南島沖の公海上で行なった調査活動を阻止するために中国海軍は大量の丸太を海に投げ込んだという。調査船は幾本もの長いロープを曳航しながら調査するが、そのロープを丸太で切断したり、絡ませたりしようとしたわけだ。海南島には原子力潜水艦の新しい基地があり、中国は、たとえ公海といえども、米国海軍をこの海に近づけたくなかったのだ。
日本周辺の公海のみならず、排他的経済水域や領海にまで侵入し、居座り続ける中国は、立場が逆になったとき、相手国にそのような行為は許さない。
AEIのオースリン研究員は、アジアにおける米国の支柱は日本であると指摘する。しかし、その日本は、年ごとに力を弱め、内向きに、かつ、二流国になり下がりつつあるという。米国が当てにしたくとも日本を当てにできず、その支持を失うとき、世界は日本という国ののどかさにようやく気づくというのだ。
中国への偏りを批判する人びとの目にも、日本の凋落ぶりは激しい。だからこそ、私たちは今足元を固めなければならない。
『週刊新潮』 2009年4月23日号
日本ルネッサンス 第359回
オバマ政権の外交政策が迷走中だ。北朝鮮がテポドン弾道ミサイルを発射した5日、大統領は直ちに国際社会のルールを破った北朝鮮について、「違反は処罰されなければならない。強力な国際社会の対応が必要だ」と述べて、強く非難した。
日本も同様に厳しい対処を主張し、国連安全保障理事会での決議の採択を目指した。「決議」はすべての国連加盟国に履行を義務づける法的拘束力をもち、実効性が高い。
当初米国は、オバマ大統領の強い非難の言葉からも窺えるように、日本と同一歩調をとっていた。ところがわずか数日間で、同大統領は態度を変えたのだ。日本ではなく中国と足並みをそろえて、法的拘束力のない議長声明の採択へと、後退した。
日本は完全に“梯子を外された”わけだ。それにしても朝令暮改に近い方針転換は、2つのことを示している。オバマ大統領の外交政策が、未だ、基本路線においてさえ固まっていないこと、中国への配慮、もしくは気兼ねが並々ならないことである。
米大統領の外交政策の大きなブレは、米国がアジア外交で日中のどちらに重点を置くかに直結する。北朝鮮への制裁緩和、増大化路線を取り続ける中国の軍事力の分析と評価、米国自身の軍事力に関する政策などは、米国が中国脅威論から脱却しつつあることを示している。
大統領は今月5日、プラハでの演説で、はからずも、安全保障政策の自らの基本理念を世界に発表した。
「私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する」
「米国は、核兵器のない世界を目指して具体的な方策を取る」
大統領は、他国にも同じ行動をとるよう要請し、さらに述べた。
「核兵器が存在する限り、敵を抑止するための、安全で、厳重に管理され、効果的な核戦力を維持する。そしてチェコを含む同盟国に対し、その戦力による防衛を保証する。一方で、米国の核戦力を削減する努力を始める」
米国歴代政権の安全保障政策とは大きく異なる考えだ。米国に超大国の座を担保する軍事力に関して、核廃絶を目指すと言明した大統領は、オバマ氏が初めてである。
日本の苦しい立場
大統領と呼応する形で、ゲーツ国防長官も6日、軍事装備編成の方針転換を発表した。中国やロシアなどを潜在的脅威としてきた従来の編成とは対照的に、アフガニスタンにおける戦いのように非従来型の脅威、テロリズムに備えるよう編成し直すという。同長官はまた、2010年度の軍事費を5,340億ドル(約53兆4,000億円)、前年度比で4%増やすことを発表したが一方で、武器装備調達計画の大幅見直しも明らかにした。
見直しのひとつが最新鋭のステルス戦闘機、F22の生産中止である。F22を、現在の計画の183機から4機増やして187機とするかわりに、それを以て生産を終了するというのだ。
米空軍は同機、250機が必要と主張してきた。生産中止は、安全保障上、また、44州で2万5,000人が生産に関わっているという雇用政策上からも、反対論は根強い。紆余曲折は予想されるが、ゲーツ提案は、なによりも日本の安全保障に深刻な影響を及ぼすだろう。
1機140億円といわれるF22は、日本の次期主力戦闘機(FX)の有力候補で、日本はF22を調達、つまり輸入したい旨、再三、米国に要請してきた。
次期主力戦闘機は、中国の第4世代や4・5世代戦闘機の脅威にも対処するものだ。中国は、ロシアから輸入した最新鋭戦闘機スホーイ27(SU27)をはじめSU30や、国産のJ-10などをもつ。日本には、それらに対応する機種がない。にもかかわらず、米国は日本には売却せず、生産も中止する。F22に替わる第5世代戦闘機の開発計画も示していない。日本は、早急に次期主力戦闘機の選定見直しに入らなければならないが、苦しい立場である。
ゲーツ長官は、さらにミサイル防衛(MD)構築への支出を約1,400億円削減することも明らかにした。一方、米国はすでに空母を減らしつつある。12隻から11隻体制へ、さらにもう1隻削って10隻体制にする予定だ。
但し、その場合でも、米国の海軍力が並外れているのは事実である。米国の二桁の数の空母は、いずれも基準排水量がほぼ8万トン以上。対して、ロシア保有の1隻は、5万8,500トン、英国の3隻、フランス、イタリア、スペイン、インド、タイ、ブラジルが各々1隻ずつ保有する空母は米空母よりはるかに小型である。
米国の超大国としての地位に変わりはないが、空母3隻の建造計画を表明した中国の軍事政策を念頭におくとき、米国の安全保障政策の方針転換に危惧を抱くのも、たしかである。
米中接近の切実な脅威
一方、中国も、武器装備の調達方針を変えつつある。但し、その方向は米国の方針転換とは逆方向だ。これまでロシアから完成兵器を輸入していたのをやめて、技術導入に主力を置くというのだ。
中国が輸入する武器、装備の90%はロシア製だが、これからは、中国は技術導入を進め、自国での兵器開発と生産を主力とする方針だ。スホーイ27や30はすでに中国でライセンス生産されているが、スホーイ35や他の最新鋭武器装備の自力生産を強化する考えだ。
正反対を目指す米国と中国。私はつい、カーター元大統領の過ちを連想する。1977年に大統領に就任するや、氏は“善意”と“無知”を発揮し、世界を軍縮に導くには、米国が率先垂範すればよいと考えた。旧ソ連との緊張緩和を目指し、SALTⅡに調印して、米国の軍事費を削減乃至は横ばいにとどめた。
ブレジネフは、ここぞとばかりに軍拡に走り、カーター政権の4年間で、それまでの米国の軍事的優位に替わって、両国の軍事力の均衡(パリティ)が実現した。
オバマ大統領はいま、中国との関係で、同様の間違いを犯そうとしてはいないか。無論、米国と覇を競った当時のソ連は、現在の中国より優れた軍事技術とはるかに強大な軍事力を有していた。両者の軍事力を同列に考えるのは誤りであろう。それでも、両国に対する米国の政策の誤りは、基本的に似ているのではないか。善意と理想に基づく軍事力軽視が、結果として、世界に軍事的緊張とより大きな脅威をもたらすことにならないか。
日本にとっては、米ソ間の緊張よりも、米中間の接近ははるかに切実な脅威となる。日本が、日米同盟の維持に努めながらも、安全保障及び外交において、真の自立を目指さなければならないゆえんだ。
『週刊ダイヤモンド』 2009年4月18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 785
4月5日に日本列島を飛び越えた北朝鮮の長距離弾道ミサイル、テポドン2号改良型が日本にもたらしたのは、自力で国を守れる水準まで軍事力の整備を急げ、というごく平凡な教訓だ。
ミサイル発射への国際社会の対応は二つに割れた。国連安全保障理事会では日米両国が厳しく北朝鮮を非難したのに対し、中露両国は冷めていた。「安保理の行動は、慎重かつバランスの取れたもの」であるべきだと主張する中国に、北朝鮮非難の気配はない。
一方、中国が北朝鮮にミサイル関連技術を供与していたという情報がある。韓国系新聞「統一日報」によると、これは4月2日、韓国国家安保戦略研究所主催のセミナーで韓国国防研究院が発表した情報だ。テポドンミサイルの1段目が、中国製ミサイル「東風」か、「東風」を人工衛星の打ち上げ用に改良した「長征」だというのだ。
発表はさらに、中国が1970年の人工衛星打ち上げに使用したロケットは、射程4,750キロメートル、弾頭部搭載重量2,200キログラムの長征4型を元に製造されたが、今回のテポドンはこの長征4型の技術供与を受けて改良されたと推定されるという。とすれば、テポドンは、約40年前の中国の技術を改良して飛ばしたものとなる。韓国国防研究院の発表は、中国と北朝鮮が水面下で利害を共有していることを示す。
では、日本の同盟相手国、米国はどうか。北朝鮮は98年と2006年の2回、テポドン1号と2号を発射したが、いずれの場合も日米両軍が連携して対処したわけではない。米本土に届く可能性のないミサイル発射に米国が真剣に対処しないとしても、これは仕方がない。だが、今回は、米国は日本と役割分担してミサイルを追尾した。その意味で北朝鮮のミサイルに対する日米両軍の連携は今回が初めてだ。
とはいっても、ゲーツ国防長官は当初から日本の直面した脅威にはまったく触れず、北朝鮮のミサイルが米国を狙ったものでない限り、撃墜しないと言明した。国家の安全保障は、第一義的に当事国自身が担保すべきで、同盟ゆえに米国が常に日本に降りかかる軍事的脅威に対応するわけではないとのメッセージを、米国が突きつけている。
その米国と、中国、ロシアに北朝鮮が事前にミサイル発射について詳細を報告していたことも判明した。はずされたのは日韓両国だ。
韓国無視は、南に対する優位を主張する北朝鮮の政治戦略だ。だが、日本に対する一連の政策は、北朝鮮が米国との関係さえ改善すれば、国防力が不十分で米国の庇護を受けるしかない日本は、いや応なく米国に追随するとの見方に立脚している。軍事力と外交力というごく普通の国家なら必ず備えている国家の基盤が、日本に欠けているために、端から、まともに相手にしようとしないのである。
テポドン2号改良型ミサイルは、2段目のブースターの切り離しができないまま、太平洋に落下したことが確認された。つまり、北朝鮮は今回も失敗したわけだ。同時に、しかし、飛距離は予測の約2倍に伸びた。
北朝鮮は、今回の発射で、独裁体制の引き締めを図り、同時に、テポドンの“威力”を見せつけてイラン、シリアなどへのミサイル輸出に弾みをつけたい考えだ。その技術は国際道理に反してでも軍事力を利用して、自国の主張を貫こうとする国々に、さらなる力を与えることになる。
そのような北朝鮮の軍事的脅威に、最も深刻なかたちで直面しているのが日本である。だからこそ、米国が日本に送り続けるシグナル、いかなる国も、基本的に自力で自国の安全保障を担保するのが通常の姿だという意図を、心して読み取らなければならない。防衛力整備のために、日本は、これまで一律に防衛予算を2%ずつ削除してきたが、それをやめ、早急に防衛予算を増やすべく方向転換するのがよい。
『週刊新潮』 2009年4月16日号
日本ルネッサンス 第358回
4月10日、天皇、皇后両陛下は御成婚50周年を迎えられる。お二人の半世紀にわたる歩みは、国民への慈しみ、あらゆる人々への労り、そして過去、現在、未来の日本人に捧げる祈りに満ちた歩みだったと言ってよいだろう。その中には、日本と皇室の未来についての、言葉だけではない、行動を通しての揺るぎないメッセージも込められている。
お二人について最も印象的なことは、御成婚に至るまでに重ねられた多くの会話の中で、皇太子及び妃としての役割をどのように認識され、確認され合っていたかである。
この件については、門田隆将氏の指摘で気がついたのだが、御成婚20周年記念の写真集の中に、皇后さまのお言葉が引用されている。今上陛下が皇太子殿下でいらしたとき、美智子さまに度々おかけになった電話での会話についての回想である。
「殿下はただの一度もご自身のお立場への苦情をお述べになったことはおありになりませんでした。またどんな時にも皇太子と遊ばしての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐものとはっきり仰せでした」と、美智子さまが仰っていたというのだ。
そうして御成婚を迎えられたお二人を、多くの試練が待ち受けていた。初めて民間から嫁がれた美智子さまと皇太子殿下にとっては、新しい試みに挑戦しつつも、惑い悩まれた半世紀だったはずだ。だが、御成婚時からお二人で得心なさっていた「義務は最優先」と「私事はそれに次ぐ」という信念が揺らいだ様子はない。お二人ともに、国民の上に立ち、日本を象徴的に統合する存在としての覚悟を備えていらしたと思う。
「飛び石の役割」
『皇后さまと子どもたち』(宮内庁侍従職監修・毎日新聞社)の中に、心に刻まれる一節がある。
「(皇后さまは)時代の変わり目にあるために生じる様々な不合理やご不便については、決して口にされることはなかった」というくだりだ。
皇太子さまのお気持にぴったり寄り添い、お気持を尊重し、自らもまた、同じようにしておられる美智子さまのお姿が見えてくる。また、御成婚後の幾多の御苦労については、こう書かれている。
「ご自分がしのばれたのは、次の時代に来る人を同じ枠で縛るためではなく、一時代を経ることによって、ようやく時が熟するということがあり、ご自分がその時をつなぐ飛び石の役割を担われようとされていたのではないか、と見ている人もある」
『皇后さまと--』も含めて皇室関係の多くの書から見えてくるのは、皇室が積み重ねてきた労りと慈しみ、慰霊の心の深さである。美智子さまは、この皇室の精神を御成婚当初より見事に実践してこられた。例えば、「ねむの木賞」である。
同賞は、高校時代の美智子さまが作詞なさった「ねむの木の子守歌」の著作権を、1966年に「日本肢体不自由児協会」に下賜されたことを受けて、創設された。体の不自由な子どもたちを支え、ともに歩む人々を励ます賞である。賞創設以来、美智子さまは毎年、受賞者を御所に招き、親しく語って来られた。障害をもつ人、病める人、困難のなかにある人々への慈しみと労りは皇室の伝統であろう。三笠宮寬仁親王殿下も、こう語っておられる。
「高松の伯父様はこの病気(ハンセン病)の大家でいらした」
かつて、強い偏見の下で、社会の隅に追いやられ、隔離され続けてきたハンセン病患者について、「正しく啓蒙活動をする」ために、皇室は藤楓協会を創った。明治天皇と大正天皇の各々の皇后のお印から名づけられたのがこの協会だ。同協会は、ハンセン病は触れても伝染せず、正しく投薬すれば治癒する病気であり、恐れも排斥も無用だと広く伝える役割を果たした。決して派手ではないが、皇室の方々が地道に続けてこられたこの種の活動には、心底、敬意を表したい。事実、皇室のお見舞と貢献に心からの慰めを得たという元患者の方々の声は少なくない。
「日本の福祉は天平2年(730年)に聖武天皇のお妃であった光明皇后が悲田院、施薬院をお作りになったことに始まるとされています。その時から、歴代の皇后様はハンセン病の面倒を見てこられた。それを(明治の)昭憲様も(大正の)貞明様も引き継がれたわけですが、とくに貞明様は積極的になさっておられました。そこで貞明様が崩御あそばされた時、息子たち4兄弟が相談して、皇后様のご遺金の一部に4人それぞれがお金を足して、それを基本財産として財団を作ったのです」
と、寬仁親王。言うまでもなく、4兄弟は昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮である。寬仁親王は、笑顔で加えられた。
「とても素敵な話でしょう」
横浜市にある「こどもの国」が、御成婚を祝う多くの国民の寄付金で創設されたことを、私は『皇后さまと--』によって、初めて知った。
国民の無関心、無責任
お二人は、国民の善意と祝福を嬉しく受けとめ、未来を担う子どもたちのために費やしたいと考えられたのだ。当時、「子供の遊び場は、人工的な遊具の全盛期」だったが、お二人は「なるべく子供たち自身が遊びを工夫できる自然の環境を願われた」。皇太子さまは、「こどもの国」の環境調査に鳥類、魚類、昆虫、植物の専門家を派遣され、その地の自然の維持に心を砕かれ、開園式ではこう述べられたという。
「日本には、狭いながらも、わたくしどもの祖先から長い間親しんできた豊かで美しい自然があります」
「物質生活を充実させようとする要求は限りないものですが、これは人の心に深く根ざす自然そのものを愛し保護しようとする要求とは、とかく両立しないものであります。しかしながら、この二つの要求を調和させ、満足させることが、今後の日本にとって、重要な問題であると思います」
斯くして「こどもの国」は、いま、貴重な緑地として残され、子どもたちの学びと遊びの場となっている。
子どもたちへの深い想いは、現在の日本を築き上げてきた過去の国民への、同様に深い想いと重なり合う。2005年6月、サイパンのバンザイクリフで、碧い海に向かって捧げられた長く静かな祈りは、日本のために戦い、或いは、日本人にとって最上の生き方と信じられていたその時代の価値観に殉じて命を落とした人々への、尽きない感謝と慰霊の祈りだった。真心からの慰霊のお姿。お二人の背に私は国民の一人として深い感謝の念を抱いたものだ。
御成婚から50年、お二人は常に日本と国民のための存在であり続けてこられた。翻って私たち国民は、私たちを慈しみ、祈り、慰霊を続ける皇室が存続の危機にあるというのに、余りにも無関心、無責任ではないだろうか。皇室と日本の未来のために、皇室典範改正こそが急がれる。
『週刊ダイヤモンド』 2009年4月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 784
米国防総省は3月25日、2009年版の「中国の軍事力に関する年次報告書」を発表した。オバマ政権になって初めての報告書から、米国の中国政策の微妙な変化が読み取れる。
8回目となる今回の報告で、米国は、中国が初めて海中からの核攻撃能力を身につけたことを明記した。米本土への攻撃が可能な潜水艦発射弾道ミサイル搭載の原子力潜水艦が、実戦運用に入るとの分析だ。これによって、中国の脅威は一段と高まることになる。
06年夏、沖縄沖で訓練中の米第7艦隊の空母キティホークからわずか八キロメートル地点まで、米軍に気づかれずに中国の原子力潜水艦が迫り、浮上した。中国海軍の能力の飛躍的向上として注目された“事件”だったが、以来、中国は米本土に届く戦略核能力を増大してきたのだ。西太平洋に配備する軍艦、潜水艦、航空機も増やし続けた。対艦ミサイル攻撃能力も向上させた。
中国政府はすでに、航空母艦建造の意図を発表しているが、国防総省は、中国海軍は「20年までに」「複数の空母を建造する」と見る。わずか11年後、中国は米国に次ぐ世界第二の海軍力を持つわけだ。
中国は、昨年12月、ソマリア沖の海賊対策に軍艦2隻と補給艦1隻を派遣、遠洋作戦能力を高めつつある。国防総省報告は複数の領有権問題を抱える中国が、「領有権の主張を強制的に実現しようとするための兵力展開を可能にする」と指摘しているが、それだけではあるまい。前述した西太平洋での軍事力強化は否応なく、「太平洋分割統治案」を連想させる。
ハワイを基点として太平洋を二分し、中国が西太平洋を、米国が東太平洋を支配しようと中国が米国に提案したのだ。同提案が明らかにされた08年、世界は驚いたが、西太平洋での軍拡の速度と規模は、中国が分割統治に関して真剣であることを示す。
過去20年間に中国の軍事費は19倍にふくれ上がった。世界でたった1ヵ国、今も戦略核能力を高め続ける中国の軍事力は、確実に国際政治を動かす大きな要因になりつつある。
一例が尖閣諸島だ。国防総省報告は、「潜在敵の側の航空母艦までを抑止する能力をつけ始め、東シナ海での尖閣諸島をめぐる日本との領土紛争への対処能力をも高めた」と分析した。平たくいえば、米国の航空母艦の動きは中国によって妨害され、牽制されかねない。したがって、尖閣諸島に中国が手を出した場合、米国は必ずしも、日本の側に立って、日本の領土を守り切ることは出来ないかもしれないという意味だ。
尖閣諸島がそうであれば、台湾も同様であろう。
では、米国は中国にどう対応しようとしているのか。シンクタンク「国家基本問題研究所」の主任研究員、冨山泰氏は、「ヘッジ」という言葉が巻頭の要約から消えたことに注目する。
「『ヘッジ』は06年の報告書から中国の軍事力増強に防衛措置を講じるという意味で、一貫して使われてきました。それが今年の報告書にはありません。代わりに『域内の同盟・友好国と協力して事態を見守り、政策を適宜調整する』というあいまいな文章が挿入されました。また、中国の軍事費の『透明性の欠如』という表現も消えて、『限られた透明性』という、より穏やかな表現に差し替えられています」
これらをもってただちに、オバマ外交は対中融和だと断定できるわけではない。だが、少なくとも、米国が日本の領土や台湾を守りたくとも守り得ない可能性も生じることを示唆したのが今年の国防総省報告だ。であれば、日本の防衛について、日本自身が深く考え、自衛力を高めなければならないのは、自明の理である。
そのための喫緊の課題が自衛隊を通常の軍隊にすること、つまり、集団的自衛権の行使を可能にすることだ。
『週刊新潮』 2009年4月9日号
日本ルネッサンス 第357回
3月8日から10日まで、ニューヨークで「反地球温暖化対策」のシンポジウムが開かれた。温暖化はCO2増加による現象であり、CO2削減の先頭に立たなければならないとして、対策に万全を期そうとしている日本にとっては、思いがけないシンポジウムだが、主催は米国保守系シンクタンクの「ハートランド研究所」、今年の参加者は、昨年より大幅増の800名に達した。
「地球温暖化はCO2の所為だという説に疑問を持つ各国の気象研究者や政策専門家が集り、議論は活発でした。各国政府が間違った科学予測に基づいてCO2削減や温暖化対策に莫大な無駄金を使おうとしているいま、科学者がきちんと発言しなければならないという雰囲気でした。特に私は日本の科学者として、日本政府、政治家、官僚の皆さんに、温暖化とCO2は必ずしも結びつかないという科学の知見に、謙虚に耳を傾けてほしいと思い、論文も発表しました」
こう語るのは地球物理学の権威、赤祖父俊一氏である。氏はアラスカ大学フェアバンクス校(大学院)でオーロラの研究で博士号を取得、同大学で地球物理学教授を20年余り務め、86年からは同大学の地球物理学研究所長、国際北極圏研究センター長を歴任した。約50年間、海外で研究してきた氏は、日本の温暖化問題の議論は、科学的知見や分析とは無縁の次元で、思い込みに基づいて行われていると指摘する。
「温暖化の原因をCO2だと信じ込み、CO2削減に官民一体で膨大な資金を注ぎ込む国は、国際社会でも日本だけです。そのような姿は異常です。温暖化とCO2には直接の因果関係がないことを示す現象が、かれこれ10年も前から起きていて、少数かもしれませんが、科学者らはそのことを指摘してきたのです」
早くも外れた警告
氏の指摘が正しければ、CO2の大幅削減なしには地球の気温は2100年までに最大6.4度も上昇し、異常気象と海面上昇で、人類を含む生物は、存続の危機に直面するとしたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の警告は間違いだということになる。米国のゴア元副大統領のノーベル平和賞受賞は根拠を失い、ツバルも水没しないことになる。さらに、6%のCO2削減目標を達成するため、数千億円から兆円単位の資金を使って中国などから排出権の買いとりを考えている日本政府の政策も、全く、意味を失う。赤祖父氏が語る。
「たしかに温暖化や気象変動については未知の部分が多く、私たちも慎重を期す必要があります。IPCCは慎重さを欠き、温暖化=CO2の増加、の図式で問題提起しました。加えて、本来は科学の問題であるべきことを国際政治に持ち込み、いまや、国際政治と経済に大きな影響を及ぼしています。もし、その説が間違いであれば、学者や研究者こそが声をあげなければならないのです」
IPCCの主張の正否を判断するには、地球の気象変動を大きな枠でとらえることが大事だ。
「これまで地球は大体10万年単位の氷河期を4度繰り返してきました。私たちは現在、間氷期に生きているのですが、その間にも地球は小規模の温暖化と寒冷化を繰り返します。現在の温暖化は1800年頃から始まったもので、その前の約400年間の寒冷化(小氷河期)からの回復期に当たると考えられています」
1800年以降今日まで、100年で摂氏0.5度の気温上昇が起きてきた。これがいまも続く大枠での温暖化である。それに加えて、50~60年の準周期変動と呼ばれる気温の上下が発生する。
「過去120年間の気温とCO2の推移を見ると、気温は1910年から40年頃まで上昇を続け、40年をすぎた頃から75年頃までは下降気味で上昇していません。しかし、CO2は1946年、第二次世界大戦直後から急増しているのです。つまり、46年以降75年頃まで、CO2が一貫して増えたのとは対照的に、気温は上がらなかった。気温が上昇し始めたのは70年代半ばからです。この数十年単位の変動が準周期変動です。そして、98年から現在までの約10年間、CO2急増にもかかわらず、気温は下がり続けています。これから約20年間は、気温は下がると思われます」
赤祖父氏の指摘は地球の気温の研究では最も信頼されている英国のイースト・アングリア大学や、米国商務省の海洋大気圏局の研究によっても裏づけられている。事実、昨年の地球気温は21世紀に入って最も低かった。地球気温はCO2の増加で上昇し続けるというIPCCの予測は、最初の10年間で、早くも外れたのだ。
排出権に金を払うムダ
「1910年から75年までがひとつの準周期変動なのです。前半の40年までの気温の変動はポジティブ(温暖化)、後半はネガティブ(寒冷化)です。それに続く次の準周期変動が、75年からの動きです。2000年までがポジティブ、00年(正確には98年)からはネガティブの変動に入っていると思われます」
それにしても、なぜ、IPCCは間違えたのか。赤祖父氏は、IPCCが地球の変動を1975年からの20年余りという短い期間だけで分析したことが大きな原因だと語る。
「この期間はたしかにCO2の増加と気温の上昇を表す線は、一致していました。しかし、その前後を見ればCO2の増加と気温上昇の線は一致しません。にもかかわらず、IPCCの人々は、わずか20年余りの傾向を見て、コンピューターにCO2が原因だというプログラムを入力したのです。こうして、2100年には最大で6度も上昇という結果が導き出された。前提が間違っていれば、結果が間違うのは当然です」
こうしてみると、CO2は温暖化の原因ではないと考えるのが合理的だ。だが、日本政府は、3月にもウクライナから3,000万トン分のCO2排出権を約300億円で購入したと報じられた。与野党間では莫大な資金が必要なCO2の地下貯留計画も協議されつつある。
「CO2削減自体は資源の無駄遣いを抑止しますから結構なことです。しかし、CO2削減にお金を使うのは無意味で、日本国の富が奪われるばかりです。国際社会の狡猾な政治的闘いにすぎない温暖化議論に振りまわされず、日本なりの科学研究にこそ、お金を投資してほしいのです」
赤祖父氏は、2月に帰国し、政官界に、IPCCの報告への疑問と、その疑問が世界の科学者たちの高度の科学的知見によって根拠を与えられていることを説いた。だが、ある政治家はこう切り返した。
「ノーベル平和賞のゴア(元)副大統領に楯突くのですか」
私たちが脱すべきは、まさに、この思考停止からなのである。
『週刊ダイヤモンド』 2009年4月4日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 783
民主党代表、小沢一郎氏の公設第一秘書が3月24日、起訴された。小沢氏は代表の座にとどまることになったが、批判は党内にも根強く、早晩、交替する可能性が高い。
その場合、緊急避難の選択として、次期党代表は岡田克也氏だといわれている。氏は2005年の衆議院解散総選挙で惨敗したときの党代表である。一度、惨敗を喫した人物が再登板を期待される理由は何か。あらためて、氏の月旦を試みる。
まず、小沢氏の灰色の印象とは対照的に、おカネには公正だというのが一致した評価だ。民主党は岡田代表のときに、政党助成金の配分法を、衆議院議員は1人年間1,200万円、参議院議員は1,000万円、落選中だが次も公認したい人物には月額70万円と決めた。これは現在も民主党のルールだ。
「融通無碍の小沢さんと違って、公平に配るのは大変いいことだと思います。岡田氏は、各人の政党支部の会計に外部監査を義務づけ、経理収支を一定のかたちで報告することなども決めました。これは当然のことで、政治資金の透明化に貢献したと思います」
と、民主党議員は語る。その一方で、批判の声もある。
「岡田氏は党の政治改革本部で活躍したのですが、その姿勢はまじめを超えて余裕がない。目一杯、キチキチで、常軌を逸しています。政治資金の収支は一円から領収書を付けるというのもその類いです」
氏のキチキチ姿勢は、人間的余裕のなさの表れか。氏には仲間がいない。手下もいない。よくも悪くも一匹狼だ。だが、おもしろいことに、そのキチキチさが今、評価されている。
「小沢氏は政党助成金も含めて、10億円あまりに上る不動産を個人名義で購入していた。秘書も起訴された。けれど、岡田氏ならいくら調べられても大丈夫でしょう。緊急避難としては彼しかないと考える理由です」
と、別の民主党議員。だが、岡田氏の政策には多くの疑問符も付けられている。そもそも民主党は政策を軸にすれば水と油の寄せ集めである。
拉致と北朝鮮、外国人地方参政権、靖国参拝と中国、憲法改正と集団的自衛権。いずれも国家的重要性を持つ問題なのに、政策をまとめ切れていない。まとめようとすれば党が真っ二つに割れるからだ。旧社会党の生き残り組と自民、民社党系の議員の集合体としての宿命である。
そのなかで、岡田氏にまつわる強烈な記憶がある。02年、蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国したとき、救う会の会長だった佐藤勝巳氏が岡田氏と語り合った。そのとき、岡田氏は徹頭徹尾、5人の被害者をとにもかくにも、一度北朝鮮に戻すべきだと主張した。5人は日本国民であり、意思に反して拉致されたことなどお構いなしだった。
民主党には、松原仁、渡辺周両氏を筆頭に、拉致問題の解決に積極的に取り組んできた議員らがいる一方で、「日本国民は拉致問題に拉致されている」と言って、救出への訴えを非難する議員もいる。明らかに岡田氏は後者に属する。
次に外国人参政権である。この件で、岡田氏ら参政権を推進する民主党議員の勉強会に、私は講師として招かれた。
外国人参政権を認めてはならない理由を論点整理して語り、質疑応答まで入れて一時間あまり、私は参政権推進論の誤りを明確にしたつもりだった。が、岡田氏は、「ご意見はわかりました。しかし、外国人参政権付与は進めます」と、一方的に総括した。
私は呆れた。政策は宗教ではない。日本の国益を考えて冷静な判断が求められるのに、頭から決めてかかるのは間違いである。
「そうなのです。本当に、人の言うことを聞かない。大きな欠点です」
民主党議員らはこう嘆く。民主党にはまだ、一波も二波も来るだろう。
『週刊新潮』 2009年4月2日号 特別レポート
日本ルネッサンス 拡大版 第356回
「ガン発生率が35%も高い」 ウイグル医師が語る「中国核実験」の惨状
3月18日、東京・千代田区の憲政記念館で、シンポジウム「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」が日本ウイグル協会主催で開かれた。
新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)での中国の核実験の惨状をいち早く突き止め、世界に発信したウイグル人医師のアニワル・トフティ氏、札幌医科大学教授で放射線防護学を専門とし、昨年夏、『中国の核実験』(医療科学社)という衝撃の書を出版した髙田純氏らが登壇した。
中国の弾圧に苦しむチベット人も含めて、約200名が集った同会では、1964年から96年までに東トルキスタンのロプノルで46回の核実験が行われ、少なくとも19万人以上が死亡、129万人以上が被爆したことが発表された。
ロプノルでの核実験は、総爆発出力20メガトン、広島の原爆の約1,250発分に相当するという。被害の凄まじさは想像を絶するが、だからこそ、中国政府は一切の情報開示を拒んできた。
シンポジウムに先立って取材に応じた髙田教授が語る。
「広島上空で炸裂した核爆発の災害調査から始めて、私はソ連のセミパラチンスクでの地表核爆発災害、マーシャル諸島での地表核爆発災害を調査してきました。これまではソ連がいかに国民の生命や健康に配慮しないひどい国かと思ってきましたが、中国を調べ始めて、中国に較べればあのソ連さえ、紳士的だと思ったものです」
髙田教授の批判は、中国共産党の核実験の方法にも向けられる。
「核実験の被害は地表で行った場合が最も深刻です。空中や地下でのそれに較べて、核分裂生成核種が大量の砂塵となって周辺や風下に降りそそぐからです。ですからソ連でさえも人々の居住区での地表核実験は避けてきました。それを中国は強行し、結果、日本人も大好きなシルクロードにも、深刻な放射線汚染をもたらしています。こうした一切の情報を、中国政府は隠し続けています」
住民には情報自体が与えられないのであるから、健康被害に関する指導も支援もない。シルクロードに憧れて現地を訪れる旅行者に対しても同じことだ。
中国の隠された核実験の悲惨さを、初めて国際社会に伝えたのが英国の「チャンネル4」によるドキュメンタリー、「死のシルクロード」だった。98年8月に報じられたこの27分間の作品は、世界83ヵ国でも報じられ、翌年、優れたドキュメンタリーに与えられるローリー・ペック賞を受賞した。そのとき取材の核となって情報を集めたのが、今回のシンポジウムで来日したアニワル氏である。
氏は1963年生まれ、10年前から英国で亡命生活を送っており、英国ウイグル人協会会長をつとめる。医師である氏は、当初、中国の核実験についてなにも知らなかった。
「今振り返れば、93年に奇妙な話を聞いていたのです。弟の結婚式で、クムル(中国名=哈密=ハミ)に戻ったときのことです」
クムルは東トルキスタンの東端、中国に近い。
「親戚友人の集った席で羊飼いの老人が『自分は神を見たことがある』と言い始めたのです。老人は、或る時、中国の軍人たちの姿を見かけるようになり、暫くすると、太陽の100倍くらいも明るい光が射した。地面が大きく揺れて、凄まじい嵐になったと語るのです。それはいつのことかと問うと、『何年か前』と言います。後に私は、老人の話は、神の出現などではなく、中国の核実験だったと気づくことになります」
アニワル氏も、小学3年生の時に、似た体験をした。
「地震のような大地の揺れのあと、3日間、太陽が隠れました。空が落ちんばかりに大量の砂塵が降りました。学校の中国人教師は、土星の嵐が地球に土や砂を降らせていると出鱈目の説明をし、私たちはそれを信じたのです」
病床を占めるウイグル人
驚くことに、日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムティ氏にも同じような体験があった。
「小学5年の時、大砂嵐が吹き起こり、50センチ先の人の顔さえ見えなくなりました。2001年秋に日本に来て初めて、あの嵐は核実験の嵐だったと知りました。ただ、私の住むクムルなど東部では、被爆の被害は比較的少なかったのです。核実験は、風が東から西、中央アジア方向に吹くときだけ行われたからです」
イリハム氏の体験は79年から80年にかけてのことだ。中国は79年には地下で、80年には空中で、核実験をした。前者の規模は不明だが、後者は0.2から1メガトンの間と見られている。核実験であると知っているか否かは別にして、東トルキスタンの多くのウイグル人が、核実験による砂嵐や大地の揺れを体験していることがわかる。
アニワル氏は石河子大学医学院で学び、医師となり、1991年、ウルムチの鉄道局付属病院に勤務した。94年、上司の主任医師が冗談のように言った。
「君は、ウイグル人は頑健だというが、違うじゃないか。病人が随分多いぞ」
たしかに、鉄道の労働者16万人中、ウイグル人は5,000人にすぎない。にも拘らず、40病床中、10床をウイグル人が占めていた。
「16万対5,000、比率で言えば40床の内、1床か2床にウイグル人がいるのが普通です。なのに、なぜ10床も占めているのか、私は秘かに調査を開始しました。ガンの専門医としての立場を利用して、自分の病院だけでなく、他の病院のガン患者に関する資料も集めることが出来ました」
ガン患者に共通する因子はあるのか。やがて彼は、ガンは、最も多い順に、白血病、悪性リンパ腫、肺ガンであることを突き止めた。
「94年までには、共通因子は放射能だと確信するに至りました。さらに慎重に調査を進めて驚くべきことを発見しました。東トルキスタンにおけるウイグル人のガン発生率は中国内陸部の平均と較べて、35%も高かったのです。当地に30年以上居住している場合、ウイグル人だけでなく漢人も同程度のガン発生率だった。20年居住の場合は、これまた民族の如何を問わず、25%高く、10年居住の場合は15%でした。10年未満の場合だけが内陸部の中国人と同じでした」
氏の調査は、やがて当局の注意を引いた。或る日、上司から、「君のしていることは間違った調査だ」と警告された。
「私はきっぱり調査をやめました。それまでにすべてを解明していたからです。私は、この恐るべき実態を外の世界の人々に伝えなくてはならないと考え、中国を出る決意を固めました」
氏は97年にウズベキスタンを経由してトルコに着いた。東トルキスタンのトルキスタンは、「テュルク人の土地」を意味するペルシャ語である。テュルク人とはテュルク語を母語とする人々のことだ。そして、ウズベキスタンもトルコもテュルク系で、ウイグル人とは元々、同族である。
「トルコで、私は一人のチャンネル4の英国人特派員に出会いました。彼は中国取材で私の協力を欲しており、私は二つ返事で引き受けました」
実験場から噴き出す核の灰
こうして、アニワル氏はそれまでの自分の調査結果の概要を教えた。チャンネル4は直ちに取材体制を整え、準備に入った。取材班には放射線汚染の医学的影響を客観的に判断するために、アニワル氏以外にもうひとり別の医師を加えた。彼らは旅行者を装って中国入りした。被爆者と思われる多数の患者も取材した。しかし、決定的な証拠がない。
そのときに、アニワル氏が驚くべき決断を下したのだ。彼は、旅行者を装った取材班の観光ガイドに扮して、中国に戻り、かつて自分が行った調査資料をはじめ、中国政府が隠し続けてきた核実験の資料を手に入れるというのだ。
「ここでわれわれは重大なミスに気づきました。資料があるはずの大学は図書館も含めて夏休みだったのです」
彼は一計を巡らせた。98年7月8日である。大学の図書館のガードをレストランに招待した。博士論文を書かなければならず、そのための資料がどうしても必要だと訴えた。レストランのウエイターらには、ガードを自分の大切な友人だと紹介し、100ドルを支払って最高のもてなしをするようにはからった。ガードにも100ドルを渡した。生まれて初めてレストランに招待され、歓待されたガードは、彼に、図書館の鍵束を渡してくれた。
摘発されれば少なくとも20年の刑だ。だが、アニワル氏は資料室の奥深く入り込み、なんと、必要な資料、分析報告のすべてを、持ち出すのに成功したのだ。
「初めてこの話をしました。あのときから10年以上がすぎ、もうガードも、いませんから」とアニワル氏。
スパイ小説を地で行くような展開は、98年8月に報じられた「死のシルクロード」にも詳しい。
彼らはホテルにこもって、門外不出の内部資料の山を一枚一枚読み込み、重要なファイルをマイクロフィルムにおさめていった。ロンドンから、別の記者が旅行者を装って飛んできて、あるレストランで、素知らぬ顔でマイクロフィルムを受け取った。彼は運び屋としてマイクロフィルムをロンドンに持ち帰ったのだ。資料が無事に本社に届いたことを確認したあと、アニワル氏らは手持の全資料を焼却した。こうして、アニワル氏は再び中国を後にしたが、空港で数時間にわたって、隅から隅まで取り調べられた。
「何も見つかるはずはありません。空手ですから。しかし、翌99年、私は英国に亡命しました。中国共産党政権が倒れない限り、生涯二度と中国に戻ることはないでしょう」
寿司をつまみながら、アニワル氏は語る。
「中国政府は、核実験はすでに中止したと主張します。しかし、悲惨な後遺症は続いています。情報を隠し、恰も核実験など存在しなかったかのように封じ込めようとしているのです。中国政府は情報の開示と医療対策を直ちに実行すべきです。なによりも、ウイグル人に対して根拠のない支配をやめるべきです」
一方、アニワル氏とは別ルートで、髙田氏も中国の核実験の悲惨な現実を掘り起こした。
氏はソ連のセミパラチンスク核実験場の放射線影響調査の過程で、中国の核実験がカザフスタンにどのような影響をもたらしたかを分析した報告書を手に入れたのだ。
中国の核実験の凄まじさは際立つと、氏は語る。
「セミパラチンスクの地表での核実験では、ソ連は半径100キロの範囲で柵を立てました。それでも大量の核の灰が実験場の外へ噴き出した。中国が東トルキスタンのロプノルで行った地表での核実験の中には、セミパラチンスクの10倍の威力のものもありました。半径300キロの範囲から人間を退避させなければならないとしても、隣のチベットにまで及ぶ広範囲を封鎖することは困難でしょう。中国政府が安全管理を徹底させたとは思えません」
つまり、柵も立てずに実験したと言っているのだ。日本でもどこでも、科学者や研究者は、実験に際しては徹底した安全管理を旨とする。しかし、中国政府にはそのような考えはない。住民への予告も警告もなかったのは、先述の羊飼いの老人らの話からも明らかだ。居住区で、防護策も講じずいきなり核実験を強行する野蛮な手法をとるのは、世界広しといえども中国だけだ。
国会議員の姿はなし
髙田氏が世に問うた『中国の核実験』には、中国が意図的に東トルキスタンはじめ中央アジア諸国の方向に核物質を降らせるよう、工夫して実験してきたことも書かれている。
周知のとおり、1トンの100万倍がメガトンである。メガトン級の核実験を中国は度々、強行したが、不思議なことに、どの場合も日本の東海村での観測は、中国からの大量の放射線降下物を記録していない。
2メガトンを超える大型核実験が行われた67年と73年の各々6月、風はいずれも北北西、つまり、カザフスタン方向に吹いていた。76年11月の4メガトンという巨大実験の日、現地の気象データがないために確認は出来ないが、風は少なくとも、カザフスタンでも日本の位置する東方向でもない別の方向に吹いていた。なぜなら、双方の地点で放射線降下物は観測されていないからだ。理由を髙田教授は次のように説明した。
「ソ連では、危険な核実験は、風向がモスクワを向いていない日に行われました。中国も同様でしょう」
東トルキスタンの核実験場ロプノルから北京方向への風が吹く日には実験は行われないのだ。東京は、ロプノル─北京を結ぶその延長線上にある。北京の共産党指導者層を核放射物質から守るための工夫が、中央アジア諸国に「核の砂」を降らせ、東京を守る結果となっていると、高田教授は分析する。だが、北京方向に風が吹くときには大型実験は避けられても、中型、小型は行われてきた。日本への被害はゼロではない。
イリハム氏が強調した。
「核実験の後遺症で、東トルキスタンには種々のガン患者をはじめ、流産、死産、小頭症、重度の知的障害など、次の世代にも影響する多くの問題が顕著に表われています。アニワル氏は、ウイグル人の滅亡につながりかねない中国の核実験の被害の実態と悲劇を世界に伝えるために、これからの一生を費やすと決意しています。私も同様です。中国の圧政に屈せずに、チベット人やモンゴル人とも協力して、訴えていきます。その決意で、シンポジウムを国会のすぐ近くで開きました」
だが、シンポジウムには、日本の国会議員の姿は見当たらなかった。中国の核は、有事の際の対日軍事オプションとして、大きく重い意味をもつ。中国の核実験に日本が政治的に無関心であってはならないのだ。