2008年02月

「 高速道路、相変らずの騙しの術 」

『週刊新潮』’08年2月28日号

日本ルネッサンス 第302回

道路問題についての国会論戦が面白い。2月15日、衆議院予算委員会で民主党の馬淵澄夫議員に質問された冬柴鐵三国土交通大臣が、「私は、人間限界がありますよ」「能力が追いつかないですよ」などと悲鳴に近い答弁を繰り返した。
馬淵氏をはじめ、笠浩史氏ら民主党議員の質疑から、10年間で59兆円を費やす「道路の中期計画」に関して重大なことが判明しつつある。
昨年11月に国土交通省が素案を策定した同計画は、10年間で59兆円、9,342キロの高速道路を完成、さらに1万4,000キロを目指すものだ。
9,342キロまであと1,300キロの高速道路に、建設費だけで12兆円、保全、管理費を入れるとさらに膨らむ額を新たに借り入れ、その後もさらに数十兆円の借金を重ねていくことになっている。高速道路の借金はいまざっと40兆円、果たして返済出来るのか。
それにしても、なぜ、借金を重ねつつ、高速道路を作り続けるのか。たしかに必要な道路もあるだろうが、そのための借金に加えて、59兆円もの税金の投入は妥当なのか。
どこに何キロの道路が必要かを定める道路計画は、道路交通センサスを用いた最新の交通需要推計に基づいて策定される。現在の「中期計画」は99年の交通量調査に基づいて策定されているが、実はもっと新しい、05年の調査資料が存在する。
05年の新資料は、99年のそれとは対照的に、日本の交通量の明確な減少傾向を示していた。99年と05年の資料に基づく計画では、2030年で8.7%、2050年では15.6%もの差が生ずる。
馬淵議員は2月12日の予算委員会で、冬柴国交相に、なぜ新しい調査資料を道路計画に反映させないのかと問うた。そこで判明したのは、冬柴氏が民主党に質問されるまで、この新しい資料の存在について知らなかったことだ。右肩下がりの交通量予測に基づけば、従来の道路需要予測は当然、下方修正されなければならない。工事量の減少を嫌った道路官僚らが、新しい資料を隠したのは明らかだろう。

冬柴答弁に隠れたトリック

3日後の2月15日の予算委員会では、さらに巧妙なトリックが指摘された。40兆円の有利子負債を抱え、故意に古い交通量予測に基づいた道路建設計画を策定し、借金を増やし道路を作り続け、果たして計画どおり、借金の返済は出来るのか。馬淵氏の質問に、冬柴国交相は答えた。
「(平成)18年度、(道路公団民営化で生まれた高速道路会社)6社の合計で(収入は)2兆5,243億円」で、料金収入が借金の返済額を「444億円上回っている」「決して悲観的なものではない」と。
冬柴氏は、40兆円規模の借入れの返済は順調だと強調したのだが、ここには普通の民営企業なら到底考えられない狡猾な仕掛けがあるのだ。
かつての道路公団などは現在6つの道路会社となっているが、その6社の道路資産と債務を引き受け、返済するのが日本高速道路保有・債務返済機構(以下、機構)である。高速道路を作るのは6つの道路会社だが、彼らが作った道路は、完成時点で機構が保有する。道路建設にかかわる全ての借金も、機構が引き受ける。機構が資産も債務も、経営権も全て握るわけだ。道路会社は資産もないかわりに借金を背負わない。彼らは機構から道路をリースして、運用し、料金を徴収して会社の維持管理費用を払う。各会社は利益をあげてはならないとされているため、経営努力をするインセンティブはない。
右の仕組を上下分離方式と言う。上下分離の下で、道路会社は、せっせと道路を作り続ける。採算が合わなくても、道路を完成させた途端に、道路も借金も機構が引き受けるのであるから、全く気にならない。通常の民営企業の事業なら、採算が合わない場合、金融機関は資金を貸さない。しかし、道路会社の背後には機構、つまり、国が控えている。借金を最後に引き受けるのが政府であれば、金融機関は資金を貸す。
こうしていま各地で高速道路の建設が進行中だ。その債務は道路会社の「仕掛かり資産」として処理され、機構の債務には加えられない。会社が高速道路建設を進めれば進めるほど、債務、つまり仕掛かり資産は膨れ上がる。
現在計上されている仕掛かり資産は1兆7,982億円だが、いま工事中の高速道路が完成して機構に引き渡されるまで、それらは、仕掛かり資産ではあっても、機構の債務とは見做されないのだ。

罷り通る詐欺的手法

いま、第二東名の工事が進行中だ。1キロメートル作るのに180億円、通常の3乃至4倍近くのコストがかかっている。まさに金食い虫工事だ。総延長500キロとして、大雑把に言えば全体で9兆円の工事となる。
但し、右の数字はあくまでも大雑把な目安である。道路官僚らが実に巧妙に、非常にわかりにくい方法で工事発注や会計処理を行っているため、第二東名の全容を掴むのは至難の業なのだ。
それを踏まえたうえで敢えて指摘したい点は、第二東名が完成して供用されるとき、それまで仕掛かり資産として計上されてきた金額は、機構の引受債務になるということだ。そのときまで、本当の債務は表面化せず、隠され続けるのだ。
であれば、06年度の収入実績は444億円も返済額を上回った、返済は順調だなどといって安心出来るわけではないのである。
馬淵氏は、「結局は、大規模の道路供用がなされない限り、実態の債務返済が進んでいるかどうかが全く見えない状態になってしまっている」と強調する。
道路官僚らはこの種の胡麻化しを易々とやってのける。なぜ、普通の民営企業では逆立ちしてもあり得ない、このような詐欺的手法が罷り通るのか。なぜ、経営の規律が働かないのか。理由は明らかだ。道路公団民営化のやり方が根本的に間違っていたからだ。
小泉純一郎首相の下で、7人の委員で発足した道路関係四公団民営化推進委員会は、最後には猪瀬直樹氏と大宅映子氏が残るのみとなった。当初改革の旗手と見られていた猪瀬氏は、蓋を開けてみればまさに真の民営化を潰した張本人の一人だった。その間の経緯は『権力の道化』(新潮社、現在『改革の虚像 裏切りの道路公団民営化』として文庫本化)に詳述した。いま、都副知事となっている猪瀬氏らこそが、 上下分離方式の民営化を推進し、高速道路建設を巡る絶望的ともいえる現状を作り出した元凶なのだ。
国民の期待を無残に裏切った偽りの民営化は、いま、少しずつ、しかし、確実に、明らかになりつつある。上下分離方式の民営化の失敗の実態を見据え、真の道路改革のために、再び大いに提言していきたい。

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「 日本国籍を取得した者だけに参政権を与えるべきではないか 」

『週刊ダイヤモンド』   2008年2月23日号

 

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 728

福田康夫首相の下で特別永住者の参政権付与の問題が再浮上している。各政党内に賛否両論あり、根深い対立を引き起こしてきた同問題は、これまで関連法案が四度廃案となり、22回継続審議となった、いわくつきの課題だ。

特別永住者とは、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾から、戦前戦中に日本に来た人びと、あるいはその子孫である。現在約43万人、うち約3,000 人が台湾の人びとで、残りは朝鮮半島出身だ。彼らは韓国系の在日本大韓民国民団(民団)と北朝鮮系の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に分かれる。参政権を求めているのは民団系の人びとだ。ちなみに朝鮮総連は参政権の取得には反対の立場だ。

首都大学東京教授の鄭大均氏が語る。
「特別永住者の圧倒的多数が日本で生まれ育ち、日本語を母国語とし朝鮮語は話せません。国籍は朝鮮半島にあっても、彼らは本国への帰属意識に欠け、一方で、法律上日本では外国人なのですが、外国人意識にも欠けます。己は何者かという自己認識と帰属(国籍)のあいだに埋めがたい溝があるのが特徴です」

だからこそ、鄭氏は、在日コリアンは日本国籍を取得するのが合理的だと主張する。日本政府は、外国籍のままの在日コリアンに参政権を与えるのでなく、正式に日本国民になった人びとに参政権を与えるべきで、そのために、彼らの国籍取得は簡便な手続きで可能になるよう策を講ずるべきだという。

私も、氏の主張に賛成だ。そして外国籍にとどまりたい人びとには、たとえ地方レベルといえども参政権は与えるべきでないと考える。地方選挙では時に、米軍基地問題、原子力発電所問題など国家政策の根幹にかかわる事案が焦点になる。そうした重要問題が外国籍の人びとによって左右されるのは国益上好ましくないからだ。

こんな折、気になる動きが民団内で浮上した。2月6日の「統一日報」が一面トップで「河丙鈺(ハービョンオク)氏復権 上程の動き」の見出しで報じた事柄だ。2年前の2006年、民団は深刻な危機に直面した。自由、民主主義、法治を旨とする民団が、拉致、麻薬、偽札、武器密輸などの犯罪を続ける金正日総書記に忠誠を誓う北朝鮮の出先機関、朝鮮総連に乗っ取られそうになったのだ。

当時中心的役割を果たしたのが河氏だった。氏は06年2月に民団団長に就任し、それに伴って親北朝鮮の活動家たちが民団組織の中枢部に入り始めたのだ。同年5月、彼らは突然「民団・総連5・17共同声明」を発表、2つの組織が協力体制に入ると宣言した。民団の機関決定なしになされた右の独断的決定は、約45万の会員を擁する民団が、その1割程度の会員しかいない朝鮮総連にのみ込まれることを意味していた。民団地方本部が相次いで反対を表明、最終的に河氏は除名された。

先の「統一日報」によると、今年1月以来、河氏以下7人の処分撤回が民団中央本部で検討され始め、郭東儀氏もその対象だという。

驚愕の情報である。郭氏は在日韓国民主統一連合の議長を長年務めた筋金入りの北朝鮮系活動家だ。民団が氏を除名して35年、それを今、復権させようというのだ。事態の行方はまだ不明だが、一連の動きは民団中枢部に伸びる北朝鮮勢力の黒い手を思わせる。

特別永住者の参政権問題に話を戻せば、確かに、表向き、朝鮮総連は参政権を拒否する。だが、実際は、朝鮮総連よりはるかに会員が多く、財政・資金面で余裕のある民団を操り、国籍は韓国あるいは北朝鮮籍のままで、日本の参政権を得て、日本の政治に影響を与えようとしているとも思われる。

このような事態の進行を目にすれば、特別永住者だからといって、外国籍のまま、参政権を与えるのは日本のためにも、北朝鮮勢力と闘う民団および韓国のためにも、はなはだ不適切だと思うのである。

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「 南大門炎上、失われた韓国の10年 」

『週刊新潮』’08年2月21日号
日本ルネッサンス 第301回


韓国の首都ソウルで、南大門が焼失した。燃え盛る炎と噴き上げる煙、李氏朝鮮の代表的建築物の炎上を伝える映像を見ながら、他国のことながら、動悸が高まった。まさかという驚き。610年の歴史が消え去ることへの痛恨と悲しみ。諸々の想いが日本人の私の胸にも満ちてくる。年来の友人で、韓国を代表する言論人の趙甲済(チヨカプチエ)氏が電話で語った。
「タクシーの運転手も商店のお内儀さんも、韓国人全員が、自分の家が焼けてしまったような気分に陥っています。自分の体の一部が奪われたようで心が重く打ち沈んでいます。皆、崇礼門の焼失をわがこととして受けとめているのです」
2月10日夜、零下の大気のなかで焼け落ちた南大門の正式名称は崇礼門である。朝鮮最後の王朝、李王朝の太祖李成桂の時代に建てられた。1392年、漢城、現在のソウルに都を開いた李成桂は、95年に、東西南北4か所で都の大門の建設を開始、3年後に完成させた。日本でいえば、室町時代、三代将軍の足利義満の頃である。
東西南北の大門は各々異なる機能を担っていた。北大門は1968年、北朝鮮の武装工作員が青瓦台に侵入したのをきっかけに立ち入り禁止になっていたが、06年以降、再び公開されている。西大門は1915年、日本の植民地時代に取り壊された。東大門は、間もなく大統領に就任する李明博(イミヨンバク)氏がソウル市長時代に蘇らせた清流、清渓川(チヨンゲチヨン)の近くにある。最大規模の南大門は、朝鮮戦争の戦火にも耐え、都に通ずる正門として存続してきた。
趙氏が話を続けた。
「ソウルの真ん中で、南大門はずっと、歴史を見詰めてきた。秀吉の朝鮮出兵のときも、朝鮮戦争のときも、戦火のなかで生き残った。それがいま、呆気なく焼け落ちてしまいました。国家の危機管理の実相がそのまま現われたのです」
近年の開発の結果、南大門は道路に囲まれる形で残り、そのために以前は人々は南大門に近づくことも出来なかった。李明博氏がソウル市長だったとき、歩行者用の道をつけて、南大門に入場出来るようにした。しかし、国宝第1号である南大門に対して、韓国政府は全くなんの文化的保護策も講じなかったのだ。
「全ての責任は盧武鉉大統領にあります。火災を防げず、鎮火出来ず、無能な行政機関を放置し、兪弘濬(ユホンジユン)のような輩を文化財庁長官に任命しました」と趙氏は非難するのだ。兪長官は韓国国民の過半数が゛最も偉大な大統領〟と評価する朴正煕(パクチヨンヒ)元大統領を呪い、北朝鮮工作員を美化した映画の主題歌を歌い、文化財指定の古い建物で、本来禁止されている炭火焼きで食事をする人物だと、憤る。
早稲田大学客員研究員の洪辭鈀(ホンヒヨン)氏も強調した。
「国家管理能力の欠如を象徴しています。過去10年間続いた左翼政権に蝕まれ空洞化した韓国。何年間も、主人がいないような無責任体制で国がすごしてきた結果です」

北朝鮮非核化の可能性

今月25日には、李明博氏が正式に大統領に就任する。金大中・盧武鉉両政権の左傾化路線と決別し、歴史的建築物をむざむざと焼失させる規律のなさ、覇気のなさ、準備のなさの中から、韓国を引き上げることが課題である。
現実主義者の李氏は、選挙に勝利したその日から矢継ぎ早に手を打ち、政権の方向性を示してきた。日米両国との関係改善にいち早く乗り出すなど、氏の手腕への期待は高いが、唯一、不安が残るのが北朝鮮政策だ。
氏の対北朝鮮政策は非核、開放、経済成長の3本柱で支えられる。北朝鮮が核を諦めれば「本格的な南北協力」を前倒しすると明言し、米国にも「平和的に」北朝鮮を開放させる術を考えるべきだと進言する。核放棄した金正日政権が国を開いて協力体制を築けば、北朝鮮の1人当たり国民所得を10年で3,000ドルに引き上げてみせるというのだ。
どう考えても、上の3政策は非現実的だ。非核が実現するのは金正日政権が倒れるときだ。金総書記にとって、核兵器は最後の切り札といってよい。北朝鮮の軍隊が、国民を守るという本来の使命を放棄して、自らの生存のために、武器を持った暴力集団と化しつつあることは、これまでも指摘されてきた。特に、中朝国境地域の警備部隊は、脱北者から金をとって見逃すことが脱北者増加の直接の原因のひとつといわれるほど、「勤務を金儲けの手段」として活用する。規律を失った軍に金正日総書記への忠誠心が残っているはずもない。金総書記にとって、最も恐るべきことのひとつは軍の反乱だ。だからこそ、金総書記は゛先軍政治〟で軍を最優先しつつも、軍内部の不穏な動きに神経を集中させ、反乱のわずかな兆候にも厳しい粛清で臨んできた。彼にとって信頼出来るのは、資金不足で配備も整備も追いつかない通常兵器よりも、一発で大きな効果のある核兵器なのだ。

李政権への期待と不安

「開放」もまた、金正日政権下では、見果てぬ夢だ。圧政は、鎖国状態において初めて可能なのであり、国を開けば金総書記の立場は危うくなる。米国との交渉で北朝鮮が繰り返し、最も強く要求するのは、金総書記の生き残りと体制維持の保証である。そのような人物を相手に開放を説くのは無意味である。
さらに、北朝鮮経済を1人当たり国民所得3,000ドルの水準に引き上げるには、韓国側の一方的かつ大幅な支援が必要だ。韓国国民がその負担に耐えられるか疑問である。
李明博氏の志は、現実の政治目標としては理念先行に傾きがちだ。理想を持つことは非常に重要だが、理想だけに終ることも許されない。折りしも、2月10日、新政権の首席秘書官人事が発表された。7人中6人が大学教授、4人が40代だ。趙氏が問う。
「若い知的集団は、政治の現場を知っているわけでも、人間と組織を動かす術に長けているわけでもありません。自負心の強い彼らが己れを捨てて国益のために身を挺することが出来るか。彼らの観念論は偽善的道徳主義に陥らないか。国益の一点に基づいて、全てを賭ける孤独な決断が、彼らに出来るか。私は一抹の不安を抱いているのです」
歴史を振り返れば、李明博氏が見習うべきは、レーガン政権の対ソ連政策だと趙氏は強調する。レーガン大統領の軍事拡張路線は、旧ソ連のさらなる軍事拡張を誘い、旧ソ連経済が破綻し、ソ連邦は滅び去った。
「いまは支援ではなく、北朝鮮をさらに追い込む政策が必要です。強い政策が、結果として北朝鮮の開放と非核化につながることを、世界史と戦略論から学ばなければなりません」
強硬論に敢えて立脚する戦略的視点を持てというのだ。経済運営を得手とする新大統領は、この冷徹な戦略を物することが出来るか。まさに新政権の真価が問われている。

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「 ヒラリー候補の顕著な“中国重視”が懸念される米国大統領選と日米関係 」

『週刊ダイヤモンド』   2008年2月16日号

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 727


米国の大統領候補予備選挙を伝える深夜の報道に見入ってしまう。バラク・オバマ、ヒラリー・クリントン両上院議員の接戦に、投票権もないのに注目するのは、それが日米、米中、日中の関係に大きな影響を及ぼすからだ。
日本人の会話でたびたび耳にするのが、「女性への応援歌として、ヒラリー氏に大統領になってほしい」「若くて、改革を推進してくれると思えるオバマ氏のほうがよい」というような声だ。
いずれの意見にもそれぞれの背景があるとは思うが、「日本にとってどの候補がいちばん望ましいか」の視点に立てば、両氏の政策を問わざるをえない。
その視点で、私はヒラリー氏に民主党候補にはなってほしいが、米国大統領にはなってほしくないと考える。
外交専門雑誌「フォリン・アフェアズ」の2007年11・12月号に、「二一世紀の安全保障と挑戦」と題して彼女が大統領になったときの政策が詳述されている。彼女は大統領夫人の時代からずっと、顕著な中国重視の人物だったが、右の論文では「米中関係こそ二一世紀の最も重要な二国間関係」と断じている。「米中両国の政治体制と価値体系は非常に異なり、貿易、人権、信教の自由、労働慣行、チベット問題まで、われわれの考えは深く対立するが、米中両国が共に目指すべきものは多い」とも書いた。
米国がこれからの100年間、どの国との二国間関係よりも、中国との関係を重視し、しかも人権、自由、チベットなどをはじめとする問題で中国が世界の常識に逆行してこれらを弾圧し、米国と深刻に対立しても、それでも、中国と緊密な関係を築くのが自分の外交だと言っているのだ。
中国の人権弾圧も、言論の自由への厳しい抑制も、不当なチベットの併合も、米国は目をつぶって受け入れ、米中関係を進めていくというのだ。
ヒラリー氏と夫のクリントン氏の外交は、ほぼ共通していると考えてよい。とすれば、夫のクリントン政権の8年間に、日米関係がどのように暗転したかも、日本の視点では見過ごせない。あの8年間、日米関係を形容する言葉は「日本たたき」と「日本無視」だった。先述のヒラリー氏の論文も、完全なる「日本無視」で貫かれている。
他方、オバマ氏は、米国は二国間の枠組みを超えて「北朝鮮問題をめぐる六ヵ国協議」のような多国間の枠組みをつくり、「中国に責任ある指導的役割を果たすよう奨励する」との政策を掲げる。日米安保条約や米韓軍事同盟の意義を事実上否定し、日本や韓国はまるで眼中にないかのようだ。
ちなみに、「フォリン・アフェアズ」誌に政策を発表した民主、共和両党の六候補のうち、明確に日本支持を打ち出したのは、共和党のジョン・マケイン上院議員である。
「日本の前首相は自由と繁栄の弧を築くべきだと提唱した」「私は、日本が国際社会で指導力を発揮し、大国となって、その価値観外交を進めていくことを奨励する」と、氏は書いている。
対照的に中国に対しては、軍事力の強大化、台湾への軍事的圧力、ミャンマー、スーダン、ジンバブエなどの独裁強圧国家への支援、アジア地域の政治的経済的枠組みから米国を排除するようなことがあれば、米国は“対応する”と明言して、警告の姿勢を明らかにしている。
こうしてみると、日本にとって最も好ましいのはマケイン氏である。だからマケイン氏への一票を持たない私は、氏の勝利のために、皮肉かもしれないが、民主党候補にヒラリー氏が選ばれることを希望するものだ。ヒラリー、マケイン両氏の闘いが展開されれば、民主、共和両党の政策の相違が最も際立つ論争の枠組みが出来上がる。伝統的な共和党の視点とクリントン政権の8年間を踏まえた民主党の視点の交差のなかで、マケイン氏の長所が最も強く印象づけられると思うからだ。

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「 日本は「地球温暖化」防止の抵抗勢力か 」

『週刊新潮』’08年2 月14号

 

【特集】日本ルネッサンス・拡大版 第300回

 いま、地球人口66億のうち約半分の32億人が都市に住む。都市人口は、食糧をはじめ生活必需品を基本的に、他者に依存する。増え続ける都市人口は周辺地域への負担を高め、世界資源の乱獲をもたらす。そして周辺地域の自然はさらに荒廃する。
地域に住めなくなった人々は、生活の糧を求めて都市に流入し、都市人口を押し上げる。都市は、夢をもって集まる人々というより、地域で暮らせなくなった人々によって、さらに膨張していくのだ。
人口増と、エネルギー消費の膨張によって、地球温暖化が目に見えて進行中だ。大気中の二酸化炭素(CO2)濃度は産業革命前の280ppmに較べ、35%も高い380ppmに上昇した。そうしたなかで、私たちはかつて経験したことのない事態に直面し続けている。
京都造形芸術大学教授の竹村真一氏が指摘した。
「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書で、北極の氷が今世紀末にはすべて解けてしまうと言われたのは、わずか2年前です。ところが1年前には今世紀半ばにはなくなってしまうと、前倒しされました。そしていま、北極の氷の消滅はいつ起きてもおかしくないと言われています」
さらに深刻なのはグリーンランドや南極での氷床流動だ。グリーンランドは平均高度2,000メートル厚い氷に覆われている。温暖化で解け出した水が浸透して、クレバスを深く抉る。気温の上昇で、水はより深く、クレバスを抉り、大地に達する。大地と氷の間に水が入り、氷層が大地から離れて、海中に滑り落ちる。それが氷床流動だ。
「IPCCの報告も、氷床流動を踏まえているわけではありません。地球環境は私たちの予想よりはるかに速いスピードで変化しているのです。地球環境の暴走を防ぐためにも、いま出来る限りの手を打たなければならないのです」と竹村氏は警告する。
科学者によっては、地球環境の危機回避にはあと10年のうちに行動を起こさねばならないという。もっと厳しく、あと5年との警告もある。時間軸の予測で異なるものの、これらの警告に共通するのは、地球温暖化の原因とみられるCO2の排出を大幅に減らさなければならないとする点だ。
本来なら、私たち人類は、地球環境を破壊することなく、生きていくことが出来る。活路は自然エネルギーの活用である。そして日本はその分野で、世界の中心を担う底力を備えていた。
太陽が地球にもたらすエネルギーは年間、17万テラワットにのぼる。石油換算で130兆トンだ。他方、人類が消費するエネルギーは年間12テラワット、石油で90億トンと言われる。計算すると、太陽が1時間に送り出すエネルギーで人類の1年分のエネルギー全てが賄われることが分かる。太陽エネルギー、17万テラワットの1万分の1でも利用出来れば、地球にエネルギー問題は存在しないことになり、CO2排出の問題もなくなるのだと、竹村氏は次のように語る。
「米ソ対立の時代から科学者は言っていました。昼と夜は米国とソ連に交互にくると。太陽光発電で作ったエネルギーを超伝導ケーブルで地球の反対側に送る仕組みを作れば、電力を必要とする全ての地域に供給することが出来ると」
たとえばゴビ砂漠の面積の4%に太陽光発電パネルを敷きつめれば、全人類の需要を賄えるというのだ。

自然エネルギーへの取り組み

このような世界規模でのCO2対策が実現する前に、私たちに出来ることは多い。CO2の削減は幾つかの段階を踏むのが合理的だ。まず第一は、現在使用している電力などのエネルギーを減らすことである。日本のCO2排出量のうち、産業部門と並ぶ大量排出者は電力業界だ。発電によるCO2排出は全体の30%を占める。だから、まず、省エネで電力業界のCO2排出を減らすことが大事なのだ。
そのうえで実際に使うエネルギーを太陽光エネルギー、生物及び森林資源を素材としたバイオマスエネルギー、或いは風力エネルギーなどの自然エネルギーに置き換えていけばよい。
実は日本各地の自治体やNPOが、すでに注目すべき実績を積んでいる。政府のCO2削減への動きは、鈍いの一言に尽きるが、政府よりもはるかに進んでいる人々が、日本には少なくない。
江戸川区のNPO「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ」(足温ネット)は11年前の京都会議開催の年に発足した。事務局長の山﨑求博氏らが試行錯誤の末に辿りついたのが、省エネ家電購買の資金を融資し、排出するCO2を減らしていくことだ。
「家庭のエネルギー消費の1位はエアコン、以下冷蔵庫、照明、ビデオやテレビで、全体の3分の2を占めます。これらを省エネ家電に置き換えることで少なくとも40%の省エネが可能だと分かりました」
そこで山﨑氏らは2003年8月から、冷蔵庫の買い換え費用、最高10万円を無利子で融資し、買い換えによって節約される年2万円の電気料金で返済してもらうことにした。買う側の負担が軽減され、返済後は安い電気料金のままで、ずっと節約が出来るわけだ。政府は、たとえば道路特定財源を一般財源化して一部をこのような目的に回すことも、考えてよいのではないか。
自治体ぐるみでCO2削減に取り組んでいるのが沖縄県糸満市だ。同市の市庁舎は建物の屋上と南面がソーラーパネルで覆われ、鳥かごのように見えるため、鳥かご庁舎と呼ばれている。旧庁舎が道路建設用地にかかり、新庁舎に建てかえたとき、糸満市は96年に制定した「新エネルギービジョン」に則って自然エネルギーを積極的に取り入れた。同地域に最適なのは太陽光だ。ソーラーパネル2536枚で195・6キロワットを発電、市庁舎総電力需要の20%を賄う。パネルが太陽光から建物を守ってもくれるため、冷房に必要なエネルギーが25%も削減された。総務課主幹の上原竹次郎氏が語る。
「新庁舎を自然エネルギー志向にしたことで、数字には表われない効果も出てきました。地域の大人も子どもも、環境意識が高くなりました。抽象的に考えるのでなく、これだけの電力を化石燃料で発電したら、どれだけのCO2が出るかなど、極めて具体的かつ現実的に、エネルギーや環境について考えられるようになったと思います」
しかし、問題もある。
「すばらしいプロジェクトですが、経済的に元をとるには100年かかります。沖縄の海の塩害や台風を考えてのソーラーパネルですから、コストが上昇し4億円余りかかりました。NEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)から2億4300万円の補助が出て助かりましたが、それがなければ難しかったと思います」

逆行する日本政府の方針

糸満市のような事例に出会うと、昨年12月、インドネシアのバリ島で開催されたCOP13(気候変動枠組み条約第13回締約国会議)の会議場前で起きたことを想い出す。世界各国の代表が集い、地球環境の未来を討議する会場前で、沈み行くタイタニック号を連想させる船の甲板に、ブッシュ大統領、ハーパー・カナダ首相、それにわが国の福田康夫首相の3人が並んでいる意見広告のプラカードが掲げられ、参加者の注目を集めたのだ。
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏が語る。
「日本国内では、日本の環境技術は世界のトップ水準にあるとして、環境分野における日本の国際的地位は高いと考えている傾向がありますが、現実はそうでもないのです。何よりも、NGOが掲げたこのプラカードに見られるように、日本は、京都議定書を離脱した米国やカナダと同じく、地球温暖化防止の抵抗勢力ととらえられているのです」
温室効果ガスを1990年の水準から6%削減するという京都議定書の公約も守りきれず、逆に8%も排出を増やした日本とは対照的に、世界はいま、凄まじい勢いで省エネ、低炭素社会の実現に向かって走っている。ドイツが掲げる目標は、自然エネルギーの比率を2030年までに45%に引き上げるというものだ。EU全体では2020年に30%、中国や米国でさえも2020年に各々21%と15%を目標値として掲げた。対する日本は2014年で1・63%である。
「これでは余りにも低すぎます。経団連、経産省、電気事業連合会などが世界に向かって『自然エネルギーは増やさないぞ』と宣言しているかのようです」と飯田氏。
日本は他国に先駆けて省エネを実施し、すでに高いレベルに達しているのだから、将来の目標値が低いのは当然なのだという思いにばかり囚われていると全体像が見えなくなる。
日本での自然エネルギーの活用は、太陽光と森林資源の活用が適していると言われる。太陽光発電では、たしかにかつて、「世界一の成果」をあげていた。その裏には各家庭で発電して余った電力は電力会社に売ることが出来る仕組みや、「太陽光発電導入促進事業」によって発電装置にかかる設置費用を補助する政策があったからだ。
だが、その後、典型的な役所の発想で、世界に誇る成果を帳消しにするような政策がとられていった。
太陽光発電の設置費用は1キロワットで当初250万円もかかった。だが、技術は改良され、安価になり、現在、価格は約60万円に下がっている。家庭用の3キロワット発電の場合、かつて750万円かかったものが、180万円になったのだ。太陽光発電は、大きな波に乗って増えていくはずだったが、そうはならなかった。そのわけを飯田氏が語った。
「政府は補助金は平等にという立場で、設置費用が下がったのなら、補助金を削減しなければ、先に設置した人に不平等になると考えるのです。そこで段階的に補助金を下げ、2005年には1キロワット発電につき2万5千円程しか出さなくなりました。そして、これくらいしか出さないのだから、もう補助金がなくても変わらないとして、打ち切ったのです」
これから最も必要となるときに、打ち切り政策をとり、可能性の芽を摘みとってしまうのだ。なんという愚策であろうか。他国の事例とは文字通り天地の差である。

環境大国への道を

たとえばドイツでは、自然エネルギーを化石燃料由来の電力料金の3倍近くの価格で買い取るコストを電力会社と全ての消費者が負担している。全家庭が一律に約250円を負担し、自然エネルギーの発電を奨励する一方で、太陽光発電装置を設置した企業も個人も、余剰電力を高値で買いとってもらえるのだ。結果として約10年でコストが回収出来る。こうして国ぐるみで自然エネルギーの割合を高めたうえで、彼らはいま、買い取り価格を下げつつある。20年かけて、年5%ずつ、下げていくのだ。技術は普及によって改善され、コストが下がるために、年5%の値下げは理に適っているとドイツ人は考えた。
飯田氏が強調する。
「試算では、自然エネルギーに関する国民負担のピークは2014年で、世帯当たり400円弱です。以降は年5%の価格減によって、自然エネルギーがシェアを拡大しながら、コストは下がるという夢のようなことが実現するのです。これを日本がやらない手はありません」
だが、繰り返すが、日本は「やらない」のだ。余剰電力の買い取り価格は他の電力と同じに設定され、設備の設置に関して国の支援も全くないのである。かつての太陽光発電の日本の御三家、シャープ、京セラ、三洋電機は、そのまま、世界の御三家だった。それがいま、ドイツのQ―cellsが年毎に倍増という驚異的な業績で、2007年、シャープを抜いて世界のトップに立ったと推測されている。中国のSuntechも京セラを抜いて第3位の座を勝ちとるとみられる。日本政府の制度設計が余りにもまずいために、折角の企業の力も、国民の努力も、こうして潰されていくのだ。
太陽光発電以外にも、国土の7割弱が森林の日本では、バイオマスの可能性は大きいはずだ。豊かな水流を擁するだけに、水力発電も有力だ。これらの可能性が、日本でだけ退けられているのには理由がある。こうした可能性を知ったとき、それを夢物語だとして退ける官僚的思考に加えて、電力業界など既存の業界の利益擁護のメカニズムが深く根を下ろしているからだ。そのメカニズムの中では、電力を多く消費する大口ユーザーには割引き料金が適用され、小口ユーザーには割高料金が適用されるという、世界に逆行する料金体系が罷り通るのだ。
発想を変えるときだ。環境を守る自然エネルギーを作れば作るほど、使えば使うほど、利益に繋がり、料金も安くなるべきだと。そうして日本が環境大国になり、地球の未来を切り拓いていくのだと。この発想の大転換のなかにのみ、日本と地球の生きる道が担保される。忘れてならないのは、日本にその力は、まだ残っているということだ。

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暫定税率据え置きは公約への裏切り 雲散霧消する一般財源化問題

『週刊ダイヤモンド』   2008年2月9日号

 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 726

与党も野党も政治の要は「生活第一主義」の実現だと唱え、国会ではガソリンの暫定税率問題に焦点が絞られている。わかりやすく論じなければ、国民がついてこないという思いがあるのだろうが、きわめて限定的かつ単純化された問題提起は、あまりにも国民をバカにしているのではないか。

ガソリンの暫定税率問題は、小泉純一郎元首相が明言し、安倍晋三前首相も明確に引き継いだ、道路特定財源の一般財源化問題の一部として議論されなければならないものだ。
小泉氏に高い支持率をもたらした一因は、問題の図式を単純化し、“抵抗勢力”を仕立て上げ、黒か白かの対立構造をつくり上げたその手法だった。氏は対立構造のなかで自身を改革の旗手と位置づけ、道路公団の民営化問題を“政治の小道具”として利用した。
重要な課題である道路公団民営化をあえて“小泉氏の小道具”と呼ぶのは、幕が下りてみれば、それが氏の基本的姿勢だったとわかるからだ。

惨めな失敗に終わった道路公団民営化を「成果だ」と主張する小泉氏や、民営化委員会委員だった猪瀬直樹氏らは、国民を騙した点で狡猾である。

だが、道路公団民営化に失敗した小泉氏は、次に道路特定財源の一般財源化を持ち出した。これは、もし実現すれば後述する理由で、民営化の失敗を補って余りある成果をもたらすきわめて有効な改革案だった。私は驚きの気持ちで再び、小泉改革に期待した。

そして安倍政権は同じ路線を引き継いだのみならず、一般財源化の具体的項目として、ガソリン税に言及した。まともに考えれば、これらすべて、道路公団改革を諦めていないという強い決意を表す政治公約だ。

道路特定財源は、これまで一部を除き、道路公団が造る高速道路や有料道路の建設には使われてこなかった。とすれば、それがどこで道路公団改革につながるのかと疑問に思う方もいるだろう。だが、高速道路も道路行政の一部である。その道路行政に、毎年、黙っていても道路特定財源という巨額のおカネが流れ込むのである。2007年度で5兆4,000億円、じつに、日本国の防衛予算を上回る額だ。

これが一般財源化されたとする。国土交通省道路局が、まるで自分の財布からおカネを取り出すような感覚で使ってきた5兆円あまりの使い道は、今度は国民が見ている国会で審議されることになる。
そのとき必ず、どの道路が真に必要なのか、ムダなのかの仕分けが行なわれるはずだ。国道や県道、市道などの一般生活用道路に限らず、高速道路問題を含めた道路行政全般の議論をせざるをえなくなる。そこであらためて、高速道路を造り続けるのがよいのか、あるいは県道などの一般生活道路をもっと拡張したり便利にしたりするのがよいのか、が問われるはずだ。
現在、第二東名高速道路の建設が進んでおり、その平均コストは1キロメートルで150億円、他の高速道路に比べて3倍にも上る。だが、肝心の厚木以東、東京へのアクセスを造るメドはまったく立っていない。第二“東名”と言いながら、この高速道路では、最終目的地の東京に入ることさえできないのだ。となれば、そのような高速道路に際限もなく莫大な財源を注ぎ込むより、生活道路の整備のほうが重要だとの議論も起きてくるだろう。つまり、高速道路の聖域化に歯止めがかかっていくと思われる。
ガソリンの暫定税率問題は、この道路特定財源問題とセットで論じなければならないのだ。小泉、安倍両政権以来の公約は、明確な一般財源化だった。それは、道路に投入される税金の使い道の透明化と合理化の公約である。

にもかかわらず、自民党は今、暫定税率を10年間このまま据え置くという。一般財源化の公約が雲散霧消しているのだ。なんという裏切りか。

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「 なぜ日本経済は〝一人負け〟になったか 」

『週刊新潮』’08年2 月7日号

[特集] 日本ルネッサンス・特別編 第299回

経済大失速を招いた「福田首相の無策」

 1月21日、官邸記者団との会見で、株価下落は政府の政策不在が原因だと言われていると質されると、福田康夫首相は気色ばんで言った。 「そんなふうな専門家はいますか? ちょっとお顔を拝見したい」。プライドを傷つけられた首相の苛立ちを冷笑するかのように、株価は翌日も下げた。
 他方、低所得者向けの住宅融資、サブプライムローン問題を端緒とする景気後退と金融不安に、米国政府は当初の対策の遅れを取り戻すかのように、連続して手を打っているが、そのスピードと積極性は日本の政府当局と対極にある。
 今年初めの1月4日、ブッシュ大統領はホワイト・ハウスにポールソン財務長官、バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長を呼んだ。会談後、記者団に「米国の経済成長はもはや当然視出来ない。やれることは何でもやる」と述べて、景気の先行き不安を打ち消すべく、断固たる政治の意思を表明した。
 18日には1,500億ドル(約16兆円)規模の減税を柱とする緊急経済対策を発表。1月28日の一般教書演説に合わせて公表する予定を前倒しして発表したこともまた、米政府のやる気を印象づけた。
 22日にはバーナンキFRB議長が、これまた、月末の定例連邦公開市場委員会(FOMC)を待たずに、0.75%の緊急利下げに踏み切った。
 通常は0.25%ずつ小刻みに下げるのを一挙に0.75%の下げを断行したのだ。まさに「何でもやる」決意を実行しているのだ。
 わが国はどうか。この問題が深刻になってきた1月中旬、福田首相は、米国の問題だとして、官邸で記者団に、「米国にしっかり対応してもらいたい」と、他人事のように述べた。
 1月26日、スイスでのダボス会議で首相は「サブプライムローンの影響は限定的」と演説した。
 経済ジャーナリストの財部誠一氏が呆れて語る。
「福田政権は無為無策そのものです。首相は他人事のように語っていますが、ロシア、中国、インドなど、世界各国政府は、自らの手で現状を打開しようと懸命に手を打っています。首相の無策には呆然とします」
 元日銀金融研究所所長で千葉商科大学大学院客員教授の三宅純一氏も、首相の経済に関する知識と指導力の欠如を指摘した。
「サブプライムローンで米国の金融機関が失速すれば米国経済に影響が出るのは当然で、そうなれば日本の経済も悪化します。それを限定的とは、グローバル経済の本質について知識がないのです」
 経済にも金融にも、人間の心理が深く大きな影響を及ぼす。だからこそ、金融不安を起こしたり、景気の冷え込みを誘発することのないように、政府や中央銀行は市場心理に十分配慮しながら、手を打つのだ。にもかかわらずまるで自分には関係ないとでもいうかのような首相の反応は、゛政治の無策〟を強く印象づけ、株価を大幅に下げていく。首相の稚拙な反応が市場や株価にどれほどの負の影響を及ぼしているか。

日銀総裁も無策

 財部氏が語る。
「1月15日、日経平均株価が1万4,000円を割り込みました。明らかに株は下がりすぎです。株価の低さとは対照的に、予想配当利回りは2%を超えています。太平洋金属は5%以上、日産自動車でさえ3.77%の利回りです。これだけの配当があるのに株価が低いのは、下がりすぎ以外の何物でもない。政府は市場に向かって『株は大丈夫。買うべきです』と宣言しなければならなかったのです。それなのに首相のコメントは抽象的で、訴えるものがありません」
 福田政権の特徴は、見詰めても見詰めても、何も伝わってこないことだ。短命に終わった安倍内閣も、その前の小泉内閣も、内容はともかく、明快な目的を掲げ、政権の意図は明らかだった。しかし、福田政権は考える能力を喪失したかのように漂流を続ける。
 三宅氏はそんな首相の経済政策から、父赳夫首相のそれを思い出すという。
「大蔵省出身の赳夫氏は昭和50年代初め、大蔵省の言いなりの政策を打ちました。石油ショックで日本経済は停滞していた時期、国債発行は致し方ありません。しかし、その後は極力、国債発行を減らす努力が必要です。それをせずに、大蔵省の方針に沿って国債を乱発し、そのツケがいまに回っているのです」
 ここ数年、日本の経済政策は竹中平蔵氏らの「上げ潮」路線と、与謝野馨氏らの「財政均衡」路線の対立が続いてきた。消費税率引き上げに反対し、景気対策で景気拡大を図り日本経済を上げ潮に導くべきだという主張に対し、与謝野氏らは増税路線を強調する。
「康夫首相はおそらく、父の赳夫氏と同じく、財務省寄りで増税路線に近いのでしょう。けれどそれすらはっきりしないのです。リーダーシップに欠けているのです」と三宅氏は憤る。
 信念も、経済への理解もない首相の得意技は゛調整〟である。しかし、調整路線はこんな切迫した状況では負の影響しか及ぼさない。日本の悲劇は、リーダーシップを欠く調整型の首相に、同じようにリーダーシップを欠く日銀総裁が控えていることだ。再び三宅氏が指摘した。
「景気が上向いてきた2005年3月、日銀は量的緩和を引き締めて金利引き上げの方向に向かうべきでした。それをしなかったからこそ、世界中が金融緩和に走っているいま、日本だけが手を打てずにいるのです。
 日銀が05年に金利を引き上げなかったのは、一言でいえば政府に従属していたからです。当時の小泉―竹中の上げ潮路線の前に、中央銀行が自らの金融判断を捨て、政府の言いなりになった。それが福井(俊彦)氏です」
 首相と中央銀行総裁、2人が2人とも、その職責を貫くだけの実力を欠く。日本政府の無為無策とは対照的に、米国の行動の素早さが印象に刻まれる。
 18年間にわたって世界経済体制の頂きに君臨したグリーンスパン前FRB議長は、1987年レーガン大統領に要請されてFRBに入った。そのわずか2か月後にブラックマンデー、株価大暴落が起きた。一日で史上最悪の508ドルの暴落が起きたとき、氏はその後の36時間で基本的な対策を全て打っている。「危機がすべて終わるまでには1週間以上かかった」と彼は『波乱の時代 わが半生とFRB』(日本経済新聞出版社)で語っているが、1929年の大恐慌以来最悪の株式暴落に果敢に対処したのだ。
 2001年9月11日の同時多発テロ攻撃のとき、氏は19日の議会指導者との会議で、経済の回復支援のための対策は「まだ決断出来ない」、「今は事態の推移を見守ることが最善の戦略」と主張した。結論を出せないときは出せないと説明し、曖昧にはしないのだ。米政府が1,000億ドル(約12兆円)規模の景気対策を打ち出したのは10月3日だった。
「9・11の後、(米国)経済は驚くほどの反応(回復)をみせた」とグリーンスパンは回想しているが、それも、明確な対策があればこそだ。
 そのような指導力を発揮する能力も意図もない福田政権の下で、日本経済は、実力不相応に縮小していく。無策のツケは全て国民にはねかえってくるのである。

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福田首相“無策政治”の背景にある日本本来の力への認識不足

『週刊ダイヤモンド』   2008年2月2日号 

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 725



 福田康夫政権の下で株価下落が続いている。下落が日本だけの問題でないのは確かだが、それでも福田政権の無策は見るに堪えない。なぜ、これほど無策なのか。問題への理解の欠落以前に、首相は日本の持てる力に気づいていないと思えてならない。

 日本への愛も信頼も欠くかのような福田流政治への憤りが静められ、慰められた本がある。『白洲次郎 占領を背負った男』の著者、北康利氏の『匠の国日本』(PHP新書)である。

 焼土となった戦後日本にまだ「日本人」が残っていた、それこそが日本蘇りへの「一筋の光明」だった、と著者は強調する。残っていた日本人とは、「匠の伝統を受け継いだ、手先が器用で我慢強く、向上心旺盛な、世界有数の勤勉な国民」だ。

 同書は、単に匠やその技を紹介するのではない。匠の歴史を繙き、職人と職人技を育んだ日本社会のありようを広く深く書き込んで、それは日本文明論にもなっている。

 昔の人の職人への視線の熱さは、現代人が芸術やスポーツに秀でた英雄を見つめるそれと変わらないと北氏は結論づける。そういえば、山本周五郎の『おたふく物語』の主人公・おしづが憧れ、結ばれたのも彫金職人の貞二郎だった。

 興味深いのはしかし、中世の日本の職人には女性も多かったという指摘で、職人のほとんどが男性だった西洋とは対照的だ。彼女たちは土器や酒造りなど多分野で活躍した。それが男性中心になるのは近世中期以降だという。

 酒造りは男の仕事で「女杜氏の酒なんか飲めるか」などと言ってはいけないのだ。なんといっても、昔は女杜氏の酒を皆が楽しんでいたのだから。そのせいか、日本の女性はお酒を嗜む点においても男性に引けを取らない。

 イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの『日本覚書』には、「ヨーロッパでは女性がワインを飲むことは非礼なこととされるが、日本の女性は頻繁に飲酒し、祭礼でしばしば酩酊するまで飲む」とある(北氏)。

 北氏は、匠の技を守ってきた“お上”についても高く評価する。飛鳥、奈良時代の天皇家や豪族、平安時代の藤原家、室町幕府下の北山および東山文化、盛んに行なわれた神社仏閣建築などで匠の技は磨かれてきた。時が下り現代でも、財政事情が厳しいなか、政府は職人のやる気を、技の顕彰によってよく引き出してきたという。

 匠の技の顕彰は、明治初期の廃仏毀釈の苦い経験への反省から生まれた。北氏は、興福寺の五重塔が神仏分離令で破壊される寸前だった事例について書いている。奈良県令(知事)の四条隆平の命令で、五重塔の頂上に綱をかけ、万力で引き倒そうとしたのだそうだ。しかし、1,000年は持つ匠の優れた技の結晶である塔は容易に倒れなかった。すると今度は、五重塔を焼き払うことになった。周囲に柴が積まれ、火をかけようとしたとき、周辺住民の反対で中止となった。だが人びとは、五重塔を惜しむのでなく、類焼を心配して反対したという。

 時勢というもの、その時々の世論の怖さを感じさせる話だ。

 こうしたきわどい局面で、伝統と匠の技を守るべく立ち上がったのが、福澤諭吉門下の元文部少輔(事務次官)の九鬼隆一だったと紹介されている。九鬼は、日本古来の美術品の保護の重要性を訴え続けてきた人物で、宮内省臨時全国宝物取調局の設置に尽力し、初代委員長となる。彼の下に集まったのが、『茶の本』を著した岡倉天心らである。彼らの活躍が国宝保存法、文化財保護法となって現在に至る。

 官僚の堕落がいわれるが、日本の伝統や文化文明を守るために頑張っている官僚も存在するのだ。日本は歴史と伝統の国である。日本再生の力を、まさに、そこから汲み上げていきたいものだ。

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プロフィール

櫻井よしこ Yoshiko Sakurai

職歴

1971~74
クリスチャンサイエンスモニター紙
東京支局勤務
1975~77
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  記者
1978~82
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  東京支局長
1980~96
TVニュースキャスター
1980~現在
ジャーナリスト

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