「 南大門炎上、失われた韓国の10年 」
『週刊新潮』'08年2月21日号
日本ルネッサンス 第301回
韓国の首都ソウルで、南大門が焼失した。燃え盛る炎と噴き上げる煙、李氏朝鮮の代表的建築物の炎上を伝える映像を見ながら、他国のことながら、動悸が高まった。まさかという驚き。610年の歴史が消え去ることへの痛恨と悲しみ。諸々の想いが日本人の私の胸にも満ちてくる。年来の友人で、韓国を代表する言論人の趙甲済(チヨカプチエ)氏が電話で語った。
「タクシーの運転手も商店のお内儀さんも、韓国人全員が、自分の家が焼けてしまったような気分に陥っています。自分の体の一部が奪われたようで心が重く打ち沈んでいます。皆、崇礼門の焼失をわがこととして受けとめているのです」
2月10日夜、零下の大気のなかで焼け落ちた南大門の正式名称は崇礼門である。朝鮮最後の王朝、李王朝の太祖李成桂の時代に建てられた。1392年、漢城、現在のソウルに都を開いた李成桂は、95年に、東西南北4か所で都の大門の建設を開始、3年後に完成させた。日本でいえば、室町時代、三代将軍の足利義満の頃である。
東西南北の大門は各々異なる機能を担っていた。北大門は1968年、北朝鮮の武装工作員が青瓦台に侵入したのをきっかけに立ち入り禁止になっていたが、06年以降、再び公開されている。西大門は1915年、日本の植民地時代に取り壊された。東大門は、間もなく大統領に就任する李明博(イミヨンバク)氏がソウル市長時代に蘇らせた清流、清渓川(チヨンゲチヨン)の近くにある。最大規模の南大門は、朝鮮戦争の戦火にも耐え、都に通ずる正門として存続してきた。
趙氏が話を続けた。
「ソウルの真ん中で、南大門はずっと、歴史を見詰めてきた。秀吉の朝鮮出兵のときも、朝鮮戦争のときも、戦火のなかで生き残った。それがいま、呆気なく焼け落ちてしまいました。国家の危機管理の実相がそのまま現われたのです」
近年の開発の結果、南大門は道路に囲まれる形で残り、そのために以前は人々は南大門に近づくことも出来なかった。李明博氏がソウル市長だったとき、歩行者用の道をつけて、南大門に入場出来るようにした。しかし、国宝第1号である南大門に対して、韓国政府は全くなんの文化的保護策も講じなかったのだ。
「全ての責任は盧武鉉大統領にあります。火災を防げず、鎮火出来ず、無能な行政機関を放置し、兪弘濬(ユホンジユン)のような輩を文化財庁長官に任命しました」と趙氏は非難するのだ。兪長官は韓国国民の過半数が゛最も偉大な大統領〟と評価する朴正煕(パクチヨンヒ)元大統領を呪い、北朝鮮工作員を美化した映画の主題歌を歌い、文化財指定の古い建物で、本来禁止されている炭火焼きで食事をする人物だと、憤る。
早稲田大学客員研究員の洪辭鈀(ホンヒヨン)氏も強調した。
「国家管理能力の欠如を象徴しています。過去10年間続いた左翼政権に蝕まれ空洞化した韓国。何年間も、主人がいないような無責任体制で国がすごしてきた結果です」
北朝鮮非核化の可能性
今月25日には、李明博氏が正式に大統領に就任する。金大中・盧武鉉両政権の左傾化路線と決別し、歴史的建築物をむざむざと焼失させる規律のなさ、覇気のなさ、準備のなさの中から、韓国を引き上げることが課題である。
現実主義者の李氏は、選挙に勝利したその日から矢継ぎ早に手を打ち、政権の方向性を示してきた。日米両国との関係改善にいち早く乗り出すなど、氏の手腕への期待は高いが、唯一、不安が残るのが北朝鮮政策だ。
氏の対北朝鮮政策は非核、開放、経済成長の3本柱で支えられる。北朝鮮が核を諦めれば「本格的な南北協力」を前倒しすると明言し、米国にも「平和的に」北朝鮮を開放させる術を考えるべきだと進言する。核放棄した金正日政権が国を開いて協力体制を築けば、北朝鮮の1人当たり国民所得を10年で3,000ドルに引き上げてみせるというのだ。
どう考えても、上の3政策は非現実的だ。非核が実現するのは金正日政権が倒れるときだ。金総書記にとって、核兵器は最後の切り札といってよい。北朝鮮の軍隊が、国民を守るという本来の使命を放棄して、自らの生存のために、武器を持った暴力集団と化しつつあることは、これまでも指摘されてきた。特に、中朝国境地域の警備部隊は、脱北者から金をとって見逃すことが脱北者増加の直接の原因のひとつといわれるほど、「勤務を金儲けの手段」として活用する。規律を失った軍に金正日総書記への忠誠心が残っているはずもない。金総書記にとって、最も恐るべきことのひとつは軍の反乱だ。だからこそ、金総書記は゛先軍政治〟で軍を最優先しつつも、軍内部の不穏な動きに神経を集中させ、反乱のわずかな兆候にも厳しい粛清で臨んできた。彼にとって信頼出来るのは、資金不足で配備も整備も追いつかない通常兵器よりも、一発で大きな効果のある核兵器なのだ。
李政権への期待と不安
「開放」もまた、金正日政権下では、見果てぬ夢だ。圧政は、鎖国状態において初めて可能なのであり、国を開けば金総書記の立場は危うくなる。米国との交渉で北朝鮮が繰り返し、最も強く要求するのは、金総書記の生き残りと体制維持の保証である。そのような人物を相手に開放を説くのは無意味である。
さらに、北朝鮮経済を1人当たり国民所得3,000ドルの水準に引き上げるには、韓国側の一方的かつ大幅な支援が必要だ。韓国国民がその負担に耐えられるか疑問である。
李明博氏の志は、現実の政治目標としては理念先行に傾きがちだ。理想を持つことは非常に重要だが、理想だけに終ることも許されない。折りしも、2月10日、新政権の首席秘書官人事が発表された。7人中6人が大学教授、4人が40代だ。趙氏が問う。
「若い知的集団は、政治の現場を知っているわけでも、人間と組織を動かす術に長けているわけでもありません。自負心の強い彼らが己れを捨てて国益のために身を挺することが出来るか。彼らの観念論は偽善的道徳主義に陥らないか。国益の一点に基づいて、全てを賭ける孤独な決断が、彼らに出来るか。私は一抹の不安を抱いているのです」
歴史を振り返れば、李明博氏が見習うべきは、レーガン政権の対ソ連政策だと趙氏は強調する。レーガン大統領の軍事拡張路線は、旧ソ連のさらなる軍事拡張を誘い、旧ソ連経済が破綻し、ソ連邦は滅び去った。
「いまは支援ではなく、北朝鮮をさらに追い込む政策が必要です。強い政策が、結果として北朝鮮の開放と非核化につながることを、世界史と戦略論から学ばなければなりません」
強硬論に敢えて立脚する戦略的視点を持てというのだ。経済運営を得手とする新大統領は、この冷徹な戦略を物することが出来るか。まさに新政権の真価が問われている。