「 日本がより大きな責任を担う時 」
『週刊新潮』 2022年6月2日号
日本ルネッサンス 第1001回
バイデン米大統領の韓国及び日本訪問の最大の意味は、中国の脅威に断固対処するとの米国の国家意志を明確にしたことだろう。ロシアの侵略戦争と中国の脅威への両睨みの中で、バイデン氏は台湾有事の際、軍事介入するかと問われ、「イエス。それが我々の誓約だ」と言い切った。
右の発言は5月23日午後、岸田文雄首相と共に開いた記者会見でなされ、以下のように続いた。「我々はひとつの中国政策を認めている。しかし軍事力で強制的に取り込んでいくことは許されない」
重要発言だったが、質問も答えも厳格に詰める形ではなかったために、これをバイデン氏らしい失言だと見る向きもある。だが、バイデン氏は昨年8月19日にも10月21日にも同じことを言った。今回は三度目だ。米大統領の三度にわたる発言の意味を正しく受けとめたい。
台湾に対する米国の年来の「曖昧戦略」は「明確戦略」に転換すると見るのが正しいだろう。日本の戦略はその考えに基づいて構築すべきだ。地理的に見れば台湾有事は日本有事に他ならない。
中国の海洋戦略の専門家、トシ・ヨシハラ氏は、長射程・超音速ミサイルを大量に使う現代の海戦に、日本の海上自衛隊は勝てないと中国は確信していると指摘する。のみならず、中国は有事の際、在日米軍基地を攻撃することで、西太平洋における米軍基地を全滅させ得ると侮っている、とも言う。まさに、台湾有事は日米同盟の有事だ。米国の軍事介入を大前提として米国と共に台湾を守る戦略を具体的に論じ、備えなければならないゆえんである。
だが台湾の現状は生易しくはない。この戦域で中国は、軍用機、艦艇双方で日米台の総合力を圧倒的に上回る。中国側には中距離ミサイルも約1250基ある。米国は今、中距離ミサイルを猛スピードで作っているが、現時点ではゼロだ。中距離ミサイルに積む戦術核も、中国は「山のように、少なくとも数百発は持っている」と、防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏は語る。
米国も戦術核は数百発の規模で保有していると高橋氏は言うが、それは戦闘機に巡航ミサイルを積み、そこから発射するもので、機動性において中国に劣る。
核を使う危険性
このような状況の下で、日本はこれまで考えたことのない多くの事柄について考えなければならない。まず、ロシアがウクライナ侵略戦争で核を使う危険性が懸念されていることだ。小野寺五典元防衛大臣は5月の連休中に訪米し、米国要人らとの意見交換でこう言われたそうだ。
「ウクライナ戦で劣勢に陥ったロシアが核を使って形勢逆転をはかったと仮定して、米国はどうすべきか。ウクライナよ、武器などを支援し続けるから頑張れと言って済むのか。米国は核で報復すべきではないのか。仮に報復する場合、我々は単独では決定しない。日本を含む同盟国や当事国に相談する」
小野寺氏は米国で実際に核兵器を戦場で使うか否か、どのように使うかの議論がなされているのに驚いたという。日本の元防衛大臣に対する米国の問いについて、安倍晋三元首相が5月20日の「言論テレビ」で語った。
「米国側の発言、問いの意味をよく考えなければならないと思います。戦術核、小型核であっても瞬時に数千人、場合によっては万を超える人たちを殺害するわけです。その責任を分かち合えと言っているわけです。アメリカがやったのだから、ではないということです。日本に対して拡大抑止、核の傘を貸しているのはそういうことだ、現実から目をそらすなということでもあると思います」
米国側の問いに、日本は答え得るのか。国防の専門家達が語った。
「日本は何も言えないでしょう。言う力もない」(岩田清文元陸上幕僚長)
「相談されたらうろたえるだけでしょう。日本には戦略的思考も核抑止の理論もありませんから」(織田邦男元空将・麗澤大学特別教授)
「その時の総理大臣次第」(高橋杉雄氏)
現在の総理は岸田文雄氏だ。岸田総理は「非核三原則」は絶対にゆるがせにしないと述べる。広島出身の政治家として、「核なき世界を目指し続ける」と強調し、来年、日本が開催国となる先進七か国首脳会議(G7)も広島で開くと発表した。
首相の掲げる理想に反対する人はいないだろう。しかし問題が二つある。まず、「現実を見ること」である。核廃絶を求めるのなら、言葉で言うだけでなく、具体策を示さなければならない。もう一つは、核廃絶までの間、如何にして日本国民と日本を守るのか、これまた具体策で示す責任がある。防衛予算の積み上げは国民・国土を守る手立てのひとつにすぎない。軍事的脅威を受けた場合、自衛隊はどう動くのか、国民はどう行動するのか。全て戦後の日本ではおよそ考えもしなかった事柄だが、政府が先頭に立って皆で考え、守り通す力を築き上げなければならない。
独立した国として…
なぜなら、専制独裁者、中国の習近平国家主席が台湾侵略を諦めることはないからだ。この日本の危機に対処する基本は、日本が普通の国のように、国を守るためのあらゆる形の戦いに全力を尽くせるようにすることだ。その第一歩は憲法改正しかない。核についても非核三原則を超えて、二原則、或いは一原則にすることも皆で話し合うべきだ。
だが、バイデン氏は米国の核による拡大抑止の強固さを強調し、日本で語られ始めた核の共有や保有についての主張は受け入れないという姿勢を示した。
2006年に北朝鮮が初めて核実験をした際に、中川昭一氏が日本も核について議論しようと言っただけで、米国務長官、コンドリーザ・ライス氏が急遽来日し、有無を言わさず日本での核の議論を潰した。現在、同じことが起きている。
この不安定な国際情勢の下で、国民と国を守り通す手立ては何か、独立した国として何を成し得るのかと模索するのは当然だ。日本の安全の土台を米国の拡大抑止と非核三原則で担保し、それ以上踏み込むなというのは、日本は究極の事態を考えなくてよいということだ。反対に、先述した核使用の可能性については責任を分担せよという姿勢は、日本も究極まで考えよということだ。米国は矛盾している。迷ってもいる。国防についてようやく考え始めようとしている日本側から、独立国としての資質を備えるために問題提起し、米国にも考えてもらう時だ。
米国はよき同盟相手、また協力者としての日本を必要としているはずだ。同盟を支え日本を守り抜くために、日本はより強い国になり、より大きな責任を果たすのがよい。核を含めてタブーなき国防論を戦わせる時だ。