「小泉元首相は"拉致問題"で1兆円支払いを"密約"していた!」
『週刊新潮』’09年1月1・8日号
日本ルネッサンス・拡大版 第344回
「2002年9月17日、金正日が拉致を認めたのは、小泉政権から100億ドル(1ドル100円として1兆円)の支払いが約束されていたからです」
こう語るのは張哲賢氏だ。氏は、朝鮮労働党の対南工作機関である統一戦線部で働いていた。金正日の覚えもよく、北朝鮮の権力中枢の一員だった。だが、04年、韓国に亡命、以降、韓国の情報機関である国家情報院傘下の研究機関で北朝鮮分析を担当してきた。
元駐日韓国公使で現在、早稲田大学客員研究員の洪辭虫≠ェ張氏について語った。
「韓国の脱北者はもうすぐ1万6,000人になるでしょう。その中で、労働党中央本部のことがわかるのは、私の知る限り2名です。1人は97年に亡命した黄長燁・元労働党書記。そして、張氏です。張氏の知識は北朝鮮の先軍政治の謎や秘密にまでわたっており、この点については黄氏も及ばないと思います」
軍の構造に関する情報も含めて、金正日体制下の北朝鮮について語り得る、まさに第一人者が張氏なのだ。
氏は12月に来日、同月に開かれた国際シンポジウム「北朝鮮の現状と拉致被害者の救出」に参加、初めて日本の拉致被害家族らに、日朝交渉について語った。
亡命から4年、被害家族をはじめ日本国政府や日本人が知っておくべき北朝鮮情報を初めて語ったのは、韓国で盧武鉉大統領が去ったからだ。同大統領は対北宥和策に反するいかなる証言も情報も公にすることを許さなかった。私は氏への取材を重ね、まず小泉純一郎首相の訪朝について聞いた。
「金正日と小泉首相の会談から2日目か3日目に、(朝鮮)労働党中央本部の重要部門の幹部に、秘密の書類が回覧されました。金正日の対日方針を纏めたもので、A4の紙に12頁でした。金正日の指示を示す通常の『講演資料』とは異なり、『該当者限り』と書かれていて、対南(韓国)、対日心理戦を担当する統一戦線部の幹部らが読みました」
「日本社会や政界の拉致に対する関心の度合、それに対する将軍様(金正日)の戦術、その裏にある知恵と領導(指導)についての説明が強調され、小泉首相は将軍様の領導に、頭を下げて平壌を訪問した、拉致を認定すれば日本政府は北朝鮮に100億ドルを支払うと明記されていました」
張氏は、小泉政権の対北交渉の手法は最初から間違っていたと指摘。拉致を解決したら100億ドルと言うべきところを、認定すれば100億ドルとして、要求レベルを下げたからだ。
「首脳会談後、平壌は祝賀ムードでした。我が国の戦略が勝った、日本がそれに乗ってきたという感じで、勝利を祝う雰囲気でした」
小泉訪朝の時だけでなく、日朝交渉の場面では、必ずといってよい程、兆円単位の金額が取沙汰される。65年に日韓基本条約を結んだとき、日本側は有償無償の援助、計8億ドルを出したが、北朝鮮には兆円単位の膨大な援助だという。しかし、そこにはいつも落とし穴がある。張氏が語る。
「北朝鮮は日本、韓国を含めてすべての資本主義国を敵と見做しています。そうした敵国から資金や食糧や技術など北朝鮮が必要とするものを手に入れるとき、特別の窓口を設けます。そのひとつがアジア太平洋平和委員会です」
実体のない交渉窓口
直ちに金容淳という名前が浮んでくる。彼は1990年、自民党の金丸信氏の訪朝時に暗躍し、以降、野中広務氏と密接な関係を築いた。日朝交渉のキーマンとなった金氏は対南事業担当の書記だったが、アジア太平洋平和委員会の委員長も兼ねていたのだ。
張氏は、このアジア太平洋平和委員会は、金正日の戦略に沿って、必要な時だけ構成された組織だという。
「同委員会は、対外的にそれが北朝鮮の平和・外交チャンネルだと偽装するために、外務部(省)などからも人を入れてそれらしく見せているにすぎません。目的と相手によって、その都度、構成員を変えるため、常任はいません。固定した本部も建物もなく、戦略だけが存在します。戦略を描くのは統一戦線部の政策課です」
張氏はこの委員会は「北の戦略を実現する臨時の組織」にすぎないとして、このような実体のない機構を窓口にして交渉するのは謀略の餌食になるだけだと断じた。
金正日は自らの権力を強め、すべての権力を奪取するために北朝鮮の国家組織を根本から変えた。
「金日成時代と正日時代で北朝鮮の国家体制はまったく異なります。金日成体制は1980年代初頭で事実上、終わっています。金日成の時代は、曲がりなりにも党と内閣の二つの権力機関が機能していました。勿論、彼は他の社会主義国の指導者同様、党中心で絶大な権力を握っていましたが、内閣にも力を与えました。側近は、党のほうよりも内閣のほうに多く配置したのです。
しかし、正日の時代になると一変しました。彼は60年代に労働党に入党し、首領の神格化事業を始めました。同時に、権力を内閣から党に移し、党に組織部と書記室という二大報告体系を作りました」
労働党にも書記局があるが、右の書記室は別物で、いわば秘書室のような存在だ。金正日にあらゆる文書を総合して報告する最側近組織である。ちなみに、組織部は、すべての組織を統括管理する部署で、人事権、行政決定権をもつ。正日はこの党組織部を通して、唯一独裁体制の基礎としたのだという。
それにしても、独裁者は小心である。正日は組織部や書記室が自分の存在を超えてそれ自体が権力を握ることを避けるために、党の各部署や朝鮮人民軍、内閣などから直接報告をうける情報ルートの多元化につとめた。すべてを知り、すべてを決めるのは唯一人、自分であるという体制を作ったのだ。特に各部署の特殊性を反映した敏感な問題については直接報告を受け、直接指示を出した。
元工作員の安明進氏が拉致の指示を金正日から受けたように、指示を出せるのは金正日ひとりなのだ。
権力の絶対的把握に向けて、正日はさらに「部長(党の専門部署の長)代行制」を作ったと張氏は語る。
「党各部の行政責任を第1副部長に下げ、部長を自分が兼任し、人事権、行政決定権を独占する部長代行制を実施したわけです。この措置で今も部長が空席となっているのは、組織指導部、統一戦線事業部、党軍事部、国家保衛部、党軍需動員部など、いずれも権力の核心部署です。これらの部署を押さえることは即ち北朝鮮全体を統制する力をもつことです」
権力を自分に集中させるために、金正日は次に批准制度を作った。
「行政業務は勿論、個別幹部の個別事情まで、各々の上級党指導部署に提議書の形で提出させ、党組織担当書記の『批准』を受けるように法制化しました。金日成は゛主席″で頂点に位置していましたが、父親に上げる書類も報告も、すべて金正日が目を通し、了承したものに限る仕組みがこうして作られました」
経済破綻を招いた゛主席ボンド″
父親は祭り上げられ、息子が実権を握ったのだ。その具体例として、張氏は86年末の事例を語った。
「ソ連軍の代表が平壌を訪問したときのことです。金日成は彼ら用の宿舎や待遇を、金斗南という四つ星の将軍で当時の最高人民会議議長の実弟に調べさせました。結果、金斗南に指示して、宿舎や待遇を変更させました。そのことを知った正日は、この案件を父親に報告した人間を罷免し、金斗南を思想改造所に6ヵ月間送り込みました。すでに、この頃、父親は息子を統制出来なかったのです」
誰も正日の暴走を止めることが出来ない中で、北朝鮮経済は破綻していった。破綻の原因ともなったのが「主席ボンド」制度だった。これは金正日が視察の先々で現地指導を行い、唐突にそこに道路を作らせたり、トラクターを何十台も支給させたりする際に出される約束手形のようなものだ。ただでさえ統制経済で効率の悪い経済が、この突然の構想で計画を狂わせられる。A地区における主席ボンドはB地区における本来の割当てを奪う形でしか実現出来ないために、全体の計画の破綻が加速されたという。
経済が目に見えて悪化するなか、旧ソ連は、1989年のベルリンの壁崩壊以降、ゴルバチョフの民主化路線が始まった。そのソ連と北朝鮮は距離を置き始め、国内経済はいよいよ逼迫した。飢えによる死者が目立ち始めたのは94年からだ。99年までに300万人が餓死したとされる。
金正日はこれを「苦難の行軍」と呼び、国民の不満を解消するために内外の危機を煽り、「先軍政治」を打ち出した。軍最優先政策で、事実上、国民を恫喝し、反抗をおさえたのだ。その最中の97年、黄長燁労働党書記が亡命した。これは北朝鮮に原子爆弾が落とされたほどの衝撃だったと、張氏は語る。
「金正日は直ちに黄長燁氏暗殺命令を出しました。しかし、警備が厳しすぎて、不可能だとわかると、最高幹部を集めたのです。対外連絡部長の姜寛周、作戦部長の呉克烈、統一戦線事業部長の林東玉、35号室部長(室長)の権煕京です。金正日は彼らに、南から黄長燁氏と同程度の重要人物を、自ら望んで北に来たような形で拉致せよと命じ、『黄長燁対応工作』の結果によってお前たちに評価を下すと言い渡しました。
泣く子も黙る権力者の彼らが震え上がりました。命令を実行出来ないときの結果を誰よりもよく知っているからです」
彼らはその日から泊まり込みの合宿作業を始めた。そして、金大中氏の友人でもある天道教の最高指導者、呉益済氏を拉致候補として絞り込んだ。金正日の決裁を得て、工作が開始された。北朝鮮の謀略を取り仕切る主要組織が全力をあげて呉氏拉致を実行したのだ。
拉致主犯は金正日
呉氏は元々、北朝鮮出身で、本妻と娘は平安南道成川に残されていた。彼らは本妻に手紙を書かせた。
「私は再婚せず、統一のその日を待って、老母と一緒に待ち続けてきた。老母は、死ぬ前に一度でも息子の顔が見たいと願っていた」などと彼女は書いた。
実際には、彼女は二度再婚していた。また越南者の家族だという理由でひどい虐待をうけていた。だが、手紙と写真を見て、呉氏はトイレの便器の上に座って1時間も泣いたそうだ。
こうして呉氏を騙し、彼らの拉致は成功した。北朝鮮に着いた彼は妻に懇願され、北朝鮮に来たのは自らの意思だと発表した。
「拉致も何もかも、すべてが金正日の責任です。小泉首相に日本人を拉致した犯人はすでに処罰したと、彼は言いましたが、彼以外の犯人は存在し得ないのです」と張氏。
いま北朝鮮で力を持つ3人の存在を張氏は挙げた。労働党組織指導部第1副部長で組織担当の李済剛、同じく第1副部長で軍事担当の李勇哲、第1副部長で行政担当の張成沢だ。
彼らは正日の指示の下で実際に北朝鮮を動かす面々だ。だが、金正日が病に倒れたいま、彼らとて、指導体制を作れるわけではない。張氏は語る。
「日本や韓国の人々は、金正日の独裁体制の真実を知らないのです。正日の妹の夫の張成沢が、実権を持つというような見方は間違っています。金正日にとって直系の親族、つまり、子供以外は横枝、脇枝です。それらを取り払って初めて幹、つまり直系が太く育つという見方です。金正日は親までも事実上、粛清した人物です。妹の夫は横枝にすぎず、むしろ監視対象です」
金正日が死亡した場合、北朝鮮の権力構造はどうなるのか。
「権力の空白が生ずる可能性があります。金日成が死亡したときは、正日はすでに実権を手にしていました。しかし、いまは、正日ひとりに実権があります。後継者は3人の息子が第一候補ですが、北朝鮮の既得権を持つ階層、それに、事実上北朝鮮を支えている中国の思惑を考えると、長男の正男が権力を握る可能性があります」
正男は94年から99年にかけて300万人が餓死したとき、父親に、中国式の改革開放を進言した。すると正日は正男を呼び、お前は経済の前に政治を学べと言って国家保衛部の副部長に就けたとされる。
中国政府は北朝鮮へのコントロールを如何に実現するかについて、さまざまな布石を打ってきた。親中派の正男への厚遇もそのひとつだ。さらに、これまで中国に脱北した数万人の中から、金正日に離反して逃れた高官や軍人を、ある地域に集めて保護管理している。このことを知った金正日は、彼らの殺害を狙って工作をしかけて失敗した。報復として、金正日は親中派と思われる高官をすべて粛清したという。
洪氏が補った。
「正日はスターリンや毛沢東の遺した遺産です。彼とは戦うしかありません。拉致の本質は戦い、戦争なのです。日本政府はこれを刑事事件として扱い矮小化しています。証拠がなければ対処できないとの見方は金正日を喜ばせるだけです」
拉致問題を解決するために日本は何をなすべきか。張氏が強調した。
「原則を守ること。拉致の解決なしには6者協議からの脱退も辞さないこと。そして、拉致被害者の情報提供に日本政府が報奨を出すこと。そうすれば、北の高官の中からさえも情報を提供する人間が現われると思います。心の奥深いところで、誰も皆、この生き地獄から抜け出したいと考えています。日本政府が拉致解決を決意して呼びかければ、瞬時に口コミで伝わり、情報は北の内部から引き出されてきます」
拉致解決を言葉だけに終わらせ、国民を見捨てるような国であってはならないのだ。国民を守る気概も持てなければ、国際社会で、日本のひとり負けとなる。