「 萩生田氏の心優しい本質を見よ 」
『週刊新潮』 2019年11月7日
日本ルネッサンス 第876回
「朝日新聞」の萩生田光一文部科学大臣に対する批判が凄まじい。大学入学共通テストの内、英語のテストで活用予定だった民間試験に関する発言への批判だ。
周知のように萩生田氏は今月1日、英語の民間試験の利用を2024年度実施に向けて延期すると発表した。歴代の文科大臣らが決定に関わり、準備が進んでいた中での延期決定には、文科省事務局側の反対も強かったが、正しい選択だったと思う。
朝日も2日の社説で決断は遅すぎたとしながらも、「見送りの結論は妥当」と評価した。他方、翌日同紙の看板コラム「天声人語」は論難した。
「(萩生田氏は)裕福な家庭の子が腕試しできることを認めつつ『自分の身の丈に合わせて、頑張ってもらえば』と述べた」「教育に格差があるのはしかたない、そんな社会の気分を萩生田氏はグロテスクに示しただけかもしれない」
天声人語は朝日新聞の顔と言ってよい堂々たるコラムだ。イデオロギーや価値観の差を超えて注目されている。天声人語子は、例えば産経新聞の石井英夫氏、毎日新聞他で名コラムを物してきた徳岡孝夫氏、また、亡くなってしまったが「週刊新潮」の山本夏彦氏らと同様、正に日本メディア界の大御所と位置づけられる。
普通の記者がどんなに背伸びしても「天声人語」のコラム担当になるのは至難の業であろう。同コラムに期待されているのは、目の前の事象の表面の薄い皮一枚を論ずることではなく、背景も歴史も心得たうえで、寸鉄人を刺す批判、或いは本当に心をあたためてくれるような励ましを表現することではないのか。左の人であれ右の人であれ、読者はそんな渋い味をコラムに求めていると思う。
全体像を汲みとった内容であれば、批判であったとしても納得できるだろう。的を射た批判に脱帽さえするやもしれぬ。天声人語子はそんな堂々たるコラムを書く立場にあると思うのは、私だけではあるまい。
剥き出しの敵意
そうした視点から読むと、先の萩生田批判には味わいがない。剥き出しの敵意ばかりが突き刺さる。その表現は、天声人語子の言葉を借りればむしろグロテスクだった。
改めて萩生田氏の「身の丈」発言の全文を読んだ。一体この発言の何が問題なのか、わからない。氏はたしかに「裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれない」と語っている。
しかしその後こう言っている。
「そこは、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば。できるだけ近くに会場を作れるように今、業者や団体の皆さんにはお願いしています」
世の中が全ての面で平等であるなどと大人は考えていない。しかし、良識ある大人は、平等の足らざるところを何とか埋めようとし、全ての人々に平等のチャンスを与えられる社会の構築を目指している。萩生田氏も全く同じだ。だからこそ、氏は業者側にできるだけ近くに会場を作ってほしいと要望している。
さらに「できるだけ負担がないようにいろいろ知恵を出していきたい」「離島なんかはもう既に予算措置しました」と明言している。
こうした氏の発言を、貧しい家庭の子供たちに対する上からの冷たい目線だと非難するのは間違っている。そのことは萩生田氏のこれまでの働き振りを見れば一目瞭然であり、その背景をも含めて書くのがコラムニストではないだろうか。
14年4月に自民党の馳浩会長、民主党の笠浩史事務局長の形で「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」が発足したが、この課題にとりわけ熱心に取り組んだのが自民党の幹事長代行となった萩生田氏だった。同件に関して自民党政権は文科省よりも積極的な姿勢を打ち出した。
夜間高校、夜間大学に較べて公立の夜間中学はまだ少なく、貧困、親の理解不足、引揚帰国、外国人などといった理由で修学の機会を逃し続け、義務教育の中学教育を受けられなかった人々がわが国には存在する。
そのような人々のために、萩生田氏は同僚議員らと共に汗をかき公立夜間中学拡充に奔走した。恵まれない国民に対する氏の目線は決して「上から」でも「グロテスク」でもない。むしろ非常に心優しい。国民、とりわけ困った立場の人々への思いの深さは、氏自身の人生と深く関わっているのではないか。
氏は東京都八王子の普通のサラリーマンの家庭に生まれた。なぜ政治を志したのかと問うたことがある。大学在学中から八王子市議会議員の秘書を務めた体験に加えて、当時の八王子市が生活基盤の整備で非常に遅れていたことが背景にあった。
「身の丈に合った」闘い
「たとえばトイレです。水洗ではなく汲み取り式でした。周辺部に較べてこんなに遅れている。八王子市民の生活を改善したい。そう思ったのです」と、氏は破顔一笑した。
政界入りに必要とされる地盤・看板・鞄のいずれも氏にはなかった。それでも八王子市議選挙に挑み、地元の仲間の応援を受けて議席を得た。10年間市議を務めて都議となり、すぐに衆院選に挑んだ。03年の衆院選からずっと国政選挙を闘ってきた。
市議から始まるこのプロセスは、二世三世議員の歩みと較べると、不利なこと、口惜しいことが多数あって当然だ。政界で大きな力を持つ前述の三つの要素がなくとも氏は、その都度、与えられた立場で、いわば「身の丈に合った」闘いでベストを尽くしてきた。そのような自身の体験があるからこそ、生徒達を励ましたかったのではないか。残念だが、世の中は平等ではない。大人として政治家として、自分は差別のない国造りに努力するが、他方、皆も頑張って欲しい。なぜなら頑張ることで、必ず、道は開けるのだから、と。天声人語子がその点を全く察していないのは驚きである。
だが、一連の朝日新聞の報道の中で、納得できた記事もある。3日の開成中学・高等学校長、柳沢幸雄氏の言葉だった。氏はざっと以下のように語っている。
「日本の大学入試は、入り口で厳格、出口はズルズルというところがそもそも問題だ。国公立大であっても、各々、入試についての考えがある。それぞれの大学の方針に合った、緩やかで多様な入試であっていい」
今回問題とされた経済や地域の格差について、柳沢氏は国や大学が受験生向けの奨学金を出すことを提唱するが、それもひとつの案であろう。
24年度まで先延ばししたとはいえ、萩生田氏には英語試験の見直しをはじめ、日本の教育の土台を担う重い責務が課せられている。身長180センチ、体重95キロ。かつてはこの体で100メートルを11秒3で走り、明治大学ラグビー部にも属した。その体力と志で、萩生田氏には果敢に働き続けてほしい。