「 中国の軍事膨張で正念場の日本 」
『週刊新潮』 2018年8月30日号
日本ルネッサンス 第816回
8月16日、米国防総省は、中国の軍事・安全保障の動向に関する年次報告書を公表した。非常に堅実で説得力のある内容だ。日本がいよいよ正念場に立たされていることを切実に感じさせられるものでもあった。
ここで重要なのは国防総省や国家安全保障会議(NSC)の考え方と、トランプ大統領自身の考え方がどこで重なり、どこで離れていくのかを知っておくことである。米軍の最高司令官は、無論、大統領だ。議会の承認も必要だが、大統領は殆んどの重要事項を独自に決めてしまえるほどの強い権限を有している。大統領に制度上与えられている一連の強い権限は、トランプ氏の型破りな人柄によって、一層増幅されていると考えるべきだ。
トランプ氏は閣僚や補佐官に依存しない。大事なことでも相談さえしない。独自に決断してしまいがちだ。今回のように国防総省が中国の軍事的脅威を分析し、米国の取るべき道として非常にまともな方針や戦略を打ち出したからといって、大統領がそれに従うわけではないということだ。米国に依存せざるを得ない同盟国として安心などできないのだ。
今年の年次報告書は、中国が眼前の課題に対処しながら、大戦略を着実に進めていることを真っ先に記述している。大事な点である。中国は21世紀最初の20年間を「戦略的好機」の期間ととらえ、世界制覇を実現するために多層的な攻略をしかけているが、その長期戦略から目を逸らすなと警告しているのである。
中国は米国にも世界にも「騙し騙し」の手法でやってくる。弱小国に圧力をかけるにしても、米国との衝突には至らないようにその直前で攻略を止めて様子を見る。中国が世界規模で行っていることを見れば侵略や覇権の意図は明らかなのだが、そこを突かれる直前に、「一帯一路」に代表される経済に重点を置いたかのような政策を打ち出すことで、対中警戒心を緩めさせる。その背後で再び侵略を進める。
中国海兵隊は3万人に拡大
この繰り返しが中国の基本行動型であることを、年次報告書は明記している。圧力、脅迫、甘言、経済支援の罠などを駆使して自らの望むものを奪うその戦略を、習近平政権は「中国の夢」、「偉大なる中華民族の復興」などという美しい言葉で宣伝してきた。「ウィンウィンの関係」「人類運命共同体」などと謳いながら、習氏は中国人民解放軍(PLA)を世界最強の軍隊にするために組織改革を含む中国軍立て直し計画を断行してきた。
中国の軍事力の驚異的ビルドアップの実態をきっちり押さえたうえで、年次報告書はPLAの侵略的行動について具体的に警告する。
たとえば、上陸作戦を担う中国海軍陸戦隊(海兵隊)は現在2個旅団で約1万人だが、これを2020年までに7個旅団、約3万人以上にまで拡大させるというのだ。中国陸戦隊は一体どこに上陸しようというのか。台湾か尖閣か。彼らは両方とも中国の核心的利益だと表明済みだ。
年次報告書には台湾と尖閣を巡る危機も詳述された。たとえば尖閣諸島周辺の日本領海に、中国船は4隻が一団となって、平均すると10日に1回の頻度で侵入、などと詳しい。
中国は海からだけでなく空からもやってくる。中国軍機による接近は急増しており、航空自衛隊の緊急発進も増え続けている。昨年度の実績で全体の約55%が中国軍機に対するものだ。PLAの爆撃機はいまや沖縄本島と宮古島の間をわが物顔に往復する。空自の緊急発進はこれまで2機態勢で行われていたが、現在は4機態勢、まさに尖閣周辺は緊迫の海だ。
そうした中、あとわずか2年、東京五輪までに中国海兵隊は3倍になる。彼らの狙いが台湾にあるのは確かであろうが、尖閣諸島占拠の優先度も同様に高いと見ておかなければならないだろう。
習氏は国家主席に就任する直前の13年1月に、PLA全軍に「戦争の準備をせよ」と指示を下した。同年3月にはロシアを、6月には米国を訪れ、尖閣問題について中国の主張を展開し、両国の支持を求めた。習氏の試みは失敗したが、尖閣奪取の執念はカリフォルニアでのオバマ大統領との首脳会談で浮き彫りにされた。なんと習氏は1時間半にわたって尖閣問題における中国の立場を説明したのだ(矢板明夫『習近平の悲劇』産経新聞出版)。
ギラギラした目で尖閣も台湾も狙う習政権の戦略に対して日本版海兵隊、水陸機動団は今年3月に2100人態勢で発足したばかりだ。五輪後の21年頃には3000人に拡充予定だが、中国陸戦隊の3万人には到底見合わないだろう。
トランプ氏の考え方
にも拘わらず、日本に危機感が溢れているわけでもない。日米同盟が抑止力となり、中国を思いとどまらせることができるとの考えが根強いせいか。現在の日米安保体制の緊密かつ良好な関係ゆえに、一朝有事には米軍も日本を大いに扶(たす)けてくれるに違いないと考える人々が多いせいだろうか。しかし真に重要なのはトランプ氏の考え方なのである。
ロシアのプーチン大統領は敵ではなく競争相手だと言い、北大西洋条約機構(NATO)諸国を悪し様に非難するトランプ氏は、そもそも同盟関係をどう考えているのか。7月のNATO首脳会議にはどのような考え方で臨もうとしていたのか。これらの疑問についてトランプ氏の考えを正確に読みとっておかなければ大変なことになる。
8月11、12日付の「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)紙が「米政府事務方がトランプからNATOを守り通した」と報じていた。トランプ氏は6月の先進7か国首脳会議(G7)で、カナダのトルドー首相を痛罵し、共同声明に署名しないと宣言した。前代未聞のことだった。NATO首脳会議が同様の失敗に終わることだけは避けようと、ボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官がNATO各国と緊急に話し合った。万が一にでも、トランプ氏がNATO脱退を言い出さないように、「肉がしっかり詰まった」NATO軍強化策を大急ぎで取りまとめたのだ。
柱は「4つの30構想」とした。「30機械化大隊、30飛行群、戦闘艦30隻が30日以内に反撃開始可能」な軍事力を20年までに完成させるため、全加盟国が具体的目標を設定し、直ちに取りかかると合意した。
合意を、トランプ氏がブリュッセルに到着する前に成し遂げて、米国脱退の道を塞いでしまったのだ。今回は29か国が力を合わせてここまで漕ぎつけた。しかし、世界全体がどの方向に行くのか定かでない地平に立っていることに変わりはない。この間、中国の世界制覇の野望は不変である。わが国はこれまでに見たこともない速度と規模で国防能力を高めなければならないのである。