「短期集中連載・最終回 あえて言う“後期高齢者医療制度”は絶対に必要だ」
『週刊新潮』’08年8月7日号
日本ルネッサンス・拡大版 第324回
【短期集中連載・最終回】「迷走の果て」に目指すべきもの
メディアの大批判と国民の大反発を受ける後期高齢者医療制度を、政府は部分的修正で乗り切ろうとする。片や、民主党のみならず、政府、与党内からも同制度を廃止し、元に戻すべきだとの主張が展開されている。
一体、日本は、どのような医療・介護制度を目指すべきなのか。舛添要一厚生労働大臣は、出来たてのシンボルマークを印刷した大臣の名刺を示して言った。
「今回の事は、族議員の了承をとって事足れりとするのでなく、一般の国民、高齢者を軽んじることなく、わかってもらえるように、十分な説明をしないと、物事は前に進んでいかないことを如実に示しました」
マークは男性と女性が頭上に高く手を掲げ、輪を作っているデザインだ。人と人との絆の重要性を厚生行政に反映させるとの思いを込めたのだろう。マーク作成を推進した舛添厚労相が目指すものは何か。
「最重要課題は国民皆保険を守ること」と言い切る舛添氏は次のようにも語る。
「高齢化が進み、長生きをすれば、その分、病気に罹るリスクも高まります。医療費の高騰は避けられず、本来なら、財源として消費税アップも考慮に入れなければならない。けれど、選挙を目前にすると、国会議員はその議論を封印してしまいます。結局、厚労省は医療費抑制に走らざるを得ないのです」
本来行うべき消費税率のアップが政治的理由で出来にくいために、厚労省は医療費抑制策を打ち出さざるを得なかったというのだ。だが、年金問題で生じた国民の厚労省への強い反発を受けて、厚労省は自らが打ち出した後期高齢者医療制度の部分的修正に追われ続けてきた。
「御承知のように、4月に実施した後期高齢者医療制度では、75歳以上の高齢者に、それまで世帯単位で払っていた保険料を個人単位で払ってもらうことになりました。保険料の支払いがなかった被扶養者も、これからは払う立場に立ちます。また、病院などで支払う医療費は原則1割負担です。
ところが、福田首相は、公約に基づいて、昨年秋に保険料の軽減策を打ち出しました。施行5ヵ月前の決定で現場は混乱し、批判を招く一因となったのです」
これまで幾度となく繰り返したであろう混乱の原因を説明したうえで、舛添氏は、将来の日本の医療、介護は、後期高齢者医療制度に基づいて構築していくしかないと決意を表明する。
「小泉政権の下で、さまざまな方式が議論された末に、ここに落着いたのです。決めた以上は定着するよう、努力することが肝要です」
後期高齢者医療制度は、国民一人ひとりに、老いと医療に掛かる費用を意識させ、自己責任の自覚を促す。その象徴がたとえば掛かりつけ医制度の導入や終末期医療についての意思確認だった。前者については医師会や病院会の既得権益を守りたいとの思惑から強い反対が生まれ、福田政権は政治的思惑から、この制度に対する方針を決めることが出来ないでいる。終末期医療についても政府は方針を貫けないでいる。治癒が難しいと判断されるとき、どこまでの治療を望むのか、医師があらかじめ本人に意思の確認を行うのは、当然のことである。それを文書等にまとめると200点(2,000円)の診療報酬をつけることになっていた。だが、これを政府は早々と凍結してしまったのだ。後期高齢者医療制度の趣旨から言えば、リビングウィルの確認は重要な意味を持っていたはずだ。にもかかわらず、凍結したのはなぜか。舛添大臣が語る。
「この制度は、患者への治療をやめることを目的にしたものではなかったのですが、感情的に受けとめられて凍結となりました。
私は母の介護の経験から、リビングウィルの重要性を痛感し、法制化の必要を言い続けてきた者です。政治的理由で凍結になりましたが、75歳以上の方々にいきなり持ち出すのではなく、国民全員に提示することが大事だと考えています」
凍結はしたが、冷静に考えられる時点で復活させ、75歳以上だけでなく、全年代層に義務づけるということであろう。
米国の「資産チェック」
それにしても、迷走である。厚労省も、舛添大臣も、いまだに日本の医療、介護体制の最終的な形を描けずにいる。ハンディネットワークインターナショナル社代表の春山満氏が語る。
「度々指摘してきましたが、日本の特徴はベターッと薄い医療体制なのです。真に先進的な医療が驚くほど行われていないのは、介護や療養を医療の枠内に入れて丼勘定で見てきたからです。丼勘定の中の、削るべき無駄を果敢に削った上で、最終的には、日本は医療費を増やしていくべきです。本当に必要とする医療にこそそうした資源を注入していくべきなのです」
増大した医療費についてもこれまでのように、その全てを社会保険や税で賄うのではなく、最終的に二階建方式の医療が好ましいと氏は語る。
「一階部分では基礎的な医療、基準的な介護や療養の全てを、国民に一部を担わせたうえで、国の責任で提供するのです。国の責任でやるからには、適正な規制をかけることが必要です。患者も家族も、医師の決断に頼りがちななかで、医療の無駄を生じさせないためには、公正で厳格な審査を行う仕組が必要です」
また、国が基礎的医療、基準的な介護や療養を提供する場合、担うべき自己負担や保険料については、当人の収入で判断するだけでなく、資産を査定したうえで徴収することが大事だと、氏は指摘する。
「真に貧しいお年寄りには、国が全面支援する。しかし、貧しさの判断は、所得ではなく、資産を基準にして、行われるべきです。日本以外の国々では公的介護や療養サービスをうける場合、資産チェックが前提であることは常識と言えるでしょう。たとえば、米国では、州によって多少違いますが、平均して手持ち資産が5,000㌦(約55万円)を切ったときに、政府が手を差し伸べ、医療や介護サービスを提供します。公助の提供に当たっては、日本で想像出来ないほど厳しい審査を多くの国が実施しています」
米国での資産調査は、通常、預貯金残高、不動産など本人所有の資産にとどまらず、家族の貯蓄まで2年間遡って調べられるという。
「つまり、隠し資産もなく、自己資産がほぼなくなりかけている人に限って、政府が面倒を見てくれるのです。日本は他国にない桁外れの財政赤字を抱えながらも、ここまで手厚く守る体制を作り上げてきました。つまり、それだけ自己責任の概念が薄かったのではないでしょうか。まさにこの点の是非を日本は考えなければならないのです」
米国のような本当の割り切りを選ぶのか、ヨーロッパのような重い税負担を選ぶのか、それとも新たな日本方式を創り出すのかが問われるのだ。春山氏は、一定以上の収入のある人は、民間の医療・介護保険に入るのが理想であり、個々の価値観、生き方に応じてよりよいサービスを供給する民間の医療・介護保険制度を創設すべきだと語る。同時に、ドイツの仕組のように、民間保険に入った人は国の保険からの脱退を勧めてもよいという。
それは国民皆保険制度の切り崩しにつながらないか。春山氏は次のように言う。
「国民皆保険制度は、国民がその有難さを十分認識することなく、導入された点に課題があります。その結果、保険料を支払わない人が数多く出てきて、基盤の脆弱性が目立ちます。国民がより高い保険料や、より高い消費税率を了承しない限り、財政基盤はさらに弱体化します。一方で国民は、より充実した医療・介護サービスを求めています。どちらもよいところだけを取るのは無理なのです。国民皆保険は守ったほうがよいと思いますが、国民の考え方によっては、制度の継続は大変に難しくなる。長期的戦略を描くとき、政府は、これくらいの危機感をもって対処策を考えなければなりません」
ドイツの社会奉仕
後期高齢者医療制度の取材を通して痛感するのは、この問題は日本人の価値観の変遷に踏み入ることなしには到底、展望を開けないということだ。
財源論や保険料負担率など、方法論の検討だけでは眼前の問題は解けない。20年30年、或いは50年先の日本社会の姿を描き、そこに到達するために何が必要なのかについての、根本的な議論が欠かせない。
この連載の冒頭で述べたように、後期高齢者医療制度を巡る議論は、突きつめれば、日本人の品格と誇りに行き着く。神戸大学名誉教授で協同学苑学苑長の野尻武敏氏が語る。
「金がなくなっても何もなくならない。やる気がなくなると多くのものが失われる。誇りを失えば全てがなくなってしまう。
これは1963年から3年余、西ドイツ首相を務めたエアハルトが口癖のように語った諺です。この諺を、現代の日本人に考えてもらいたいのです」
氏は、ドイツは家族を大切にし、「国民全員参加と奉仕」の実践で医療や介護問題に対応してきたと、語る。
「ドイツは伝統を守ってきた。それによって医療も介護も比較的うまくいっています。対照的に日本では個人主義が強調され、家族制度が破壊された。日本社会の特徴が否定され、保障ばかり要求する要求民主主義が出来上がったのです」
ドイツが社会制度の基本に組み込んだ全員参加も、他者と公のために働く姿勢も、本来、農耕民族である日本人の特徴だった。
「それが失われてしまったのです。要求民主主義の広がり、家族制度の崩壊、共同体における人間の絆の希薄化が、日本を変え、間違いなく医療や介護を追い詰めているのです。戦後の歴史を日独両国を比較しながら振りかえると違いは明らかです」
と、氏は強調する。
敗戦したドイツは東西に分断され、米英仏ソ4国に占領された。米英仏の占領下に入った西ドイツは、日本が容易に米占領軍に憲法、教育基本法、税法など、国家の基本の枠組みへの介入を許したのとは対照的に、連合国が自国の国家基盤に介入し、制度を変えることを断固拒否した。
連合国の憲法への介入も許さず、自ら、新しい憲法(基本法)を作ったドイツは、当初は、国際社会のナチスドイツに対する厳しい意見を意識して、日本と同様、侵略戦争を否定する゛平和憲法〟を作った。だが、冷戦が始まるや否や、彼らは憲法を改正し、軍を再建し、徴兵制を復活させた。それは単なる旧軍の復活ではなく、新しい要素も盛り込んでいた。戦後の徴兵制度は、良心的兵役拒否が出来る点において戦前とは大きく変化していたと、野尻教授が解説する。
「それは、ドイツの旧きよき伝統を守ることに貢献する変化だったのです。たとえば、兵役拒否が認められると、兵役の何割増しか、倍くらいの期限の社会奉仕が義務づけられます。社会奉仕の大部分が高齢者介護に向けられてきたと言ってよいでしょう。若者たちの高齢者への奉仕を通じて、世代間の絆も守られてきたのです」
ドイツ人の夫を持つ、グレーフェ彧子(あやこ)氏が、『ドイツの姑を介護して』(中公文庫)のなかで、兵役の代わりに社会奉仕を選んだ若者たちについて書いている。「市民業務遂行者」、略して「ツィーヴィー」と呼ばれる若者たちは、地方自治体や教会関係の福祉団体に雇われる形で、お年寄りや身体障害者のために働くのだ。お年寄りの散歩をエスコートしたり、話し相手を務めたりする。給与は安く、1回の出勤につき看護婦が10マルク(約700円)のところ、ツィーヴィーは7・5マルク程度だったそうだ(89年当時)。
グレーフェさんはこう書いている。
「おじいさんだったら若い看護婦さん、おばあさんだったら青年という組み合わせは、案外良い結果をもたらすものかもしれない」
「兵役の代わりに、人生の終わりに近い人達にこの上もない喜びを与えて、しかも、こういう経験を通して病気、老い、人生そのものを考える機会が与えられるのは、若いツィーヴィーにとっても大変有意義なこと」
だと。
ドイツ政府も国民も、世代間の絆の重要性に留意し、その絆を保険料という単なる財源次元の問題にとどめず、人間同士の直接の触れ合いとして維持することに成功したのだ。それは即ち、家族という単位を守っていくことにつながる。
失われた「人の絆」
ドイツの社会保障制度は、年金、医療、失業、労災の各保険に、1995年の介護保険を加えて5本柱体制となった。出資は労使で折半、社会保険の掛け金は賃金のほぼ40%を占める。
日本に較べて、はるかに高い保険料を課していても、十分な社会保障サービスの供給には、まだ不足である。その不足を埋める奉仕は大別して6団体が推進してきたという。
「カトリック系のカリタス、プロテスタント系のエヴァンゲリッシュ、ユダヤ教の団体、赤十字、労働組合、聖ヤコブ財団です。聖ヤコブ財団は、銀の産出で莫大な利益を得たフッガー家などの企業家が創設し、今も企業に支えられています」(野尻教授)
日本に欠けているのは、こうした人間の絆や組織である。その空白を埋めるには、第一に家族の回復だと野尻教授が力をこめる。
「親孝行は、戦後の日本では、前近代的、封建的と批判されました。しかし、孝は百行の本、あらゆる倫理的行動の根本なのです。キリスト教でも親孝行を重視しています。『十戒』の最初の4つは宗教的な教え、5つ目からは倫理的教えが並び、汝、父母を敬うべしとも書かれています。近代的な個人主義の国々、ヨーロッパに、厳然として家族が残っている。権利と自由だけでなく、義務も責任も生き続けているのです」
火がついて燃えさかっている眼前の後期高齢者医療制度問題に対処するのに、倫理や価値観を言うのは、迂遠に思われるかもしれない。しかし、50年先には、日本の高齢者の割合は40%を超える。若い世代の負担でこれを賄うのはとても無理だ。財政の無駄を省くために、道路財源を大幅に削るにしても、1,000兆円に上りかねない゛国の借金″を考えれば、長期的には財源論を超える議論こそ必要だ。
また、共同体の回復という長期的目標を掲げ、例えば大学卒業資格に奉仕活動を義務づけるとしても、将来の医療・介護問題の解決には不十分だ。自国の老いを自国だけで支えている国は、どこにもないからだと春山氏は強調する。ドイツ、英国、フランス、米国、どの国でも外国人労働者が医療や介護を支えている。少子化の進む日本は、どの国よりも真剣に外国人労働者の賢い受け入れと彼らとの共存を学び取らなければならない。生き方死に方、という文化の領域で、異文化異文明の人々の支援を頼まなければならないのである。その限りにおいて、老いはいまや、優れて自己責任の営みなのである。