「 己への信頼を憲法改正で勝ち取れ 」
『週刊新潮』 2018年1月18日号
日本ルネッサンス 第786回
世界が大きな変化を遂げつつあるのはもはや言うまでもない。70年余りも日本が頼ってきたアメリカは強大ではあるが普通の民主主義国へと変化していくだろう。
日本は価値観を共有するそのアメリカを大事にしなければならない。頼るばかりでなく、助け合わなければならない。日本にできることはもっと実行していかなければならない。アメリカが世界の現場から少しでも後退すれば、そこに生ずる政治的空白に、中国やロシアがさっと入り込み、私たちとは全く異なる価値観で席巻しようとするだろう。そのような悪夢を上手に防ぐことも日本のやるべきことになるだろう。
そのとき、日本が担うべき課題が国際社会のルール作りだ。わが国はこれまでそんなことは他国の仕事だと考えていた節がある。だが、やろうと思えば日本はきちんとやれる国なのだ。昨年末にも、日本とEUが経済連携協定(EPA)で合意した。現在はアメリカ抜きの環太平洋経済連携協定(TPP)で、11か国をまとめようとしている。合意したEPAについて安倍晋三首相が答えた。
「EPAで関税が下がることよりも、21世紀のルール作りで日本が中心になれたのは大きかったと思います」
ルール作りとは、どのような価値観を掲げるかという問題である。日欧EPAは、中国を念頭に、彼ら流の価値観でこちら側の経済や生き方、法律の解釈などを仕切られるのは絶対に避けたいとして、決めたものだ。世界の国内総生産(GDP)の約3割を占める巨大経済圏は、不透明な中国方式の世界と向き合う為に誕生したのである。TPP11が加わればさらに事態は明るくなる。
習近平主席は中国に立地する外国企業に、会社の中に共産党支部(細胞組織)を設けよと要請する。企業経営でも共産党の指導を受けよという意味だ。それだけではない。彼らは国際政治のやり方、国際法、領土領海のルール、歴史さえ変えようとする。中国は歴史修正主義の権化である。
根絶の政策
日本が中国に相対峙し、アメリカを助け、共に自由や民主主義を守る役割を担うとしたら、どうしても改めなければならないことがある。それは日本人が祖国や歴史を真っ当に評価しない、或いはできないという現状を変えることである。
アメリカが「根絶の政策」として日本に与えたのが現行憲法だ。アメリカの国際政治学者サミュエル・ハンチントンは『軍人と国家』でこう指摘したが、70年間一文字も変えることができないのは、日本が悪い戦争をしたと心中、思っているからではないか。
だが、そうではないのだ。大東亜戦争は「好戦的な日本」が無謀にも始めた邪悪な戦争ではないのだ。なぜ日米は戦ったのかを理解するには3冊の本を読めばよい。①アメリカ歴史学会会長、チャールズ・ビーアド博士の『ルーズベルトの責任』、②ハーバート・フーバー大統領の『裏切られた自由』、③コーデル・ハルの『ハル回顧録』である。
ビーアドの書は1948年に出版された。ルーズベルト大統領はすでに死亡していたが、評価はまだ高かった。そのような中で、ビーアドはルーズベルトには日米開戦の責任があると明確にした。アメリカ社会は、学界も含めてビーアドを非難した。彼は出版から4か月後に亡くなったが、その後の展開は彼の指摘と分析が正しかったことを示している。
ビーアドは、たとえば、昭和16(1941)年11月26日にハル国務長官が日本に手交した10項目の要求、通称「ハルノート」についてこう書いた。「1900年以来、アメリカのとったいかなる対日外交手段に比べても先例をみない程強硬な要求であり、どんなに極端な帝国主義者であろうと、こうした方針を日本との外交政策に採用しなかった」。
ビーアドは野村吉三郎駐米大使や来栖三郎特使が日米戦争回避の道を探り、暫定措置を決めて、そこから本交渉に入ろうと懇願しても、ハルは相手にしなかったと、公表された政府資料、報道などを入念に分析して、詳述している。
敗戦した日本を裁いた「東京裁判」で、ただ一人、戦犯とされた日本人全員の無罪を主張したインドのラダ・ビノード・パール博士は、ハルノートを「外交上の暴挙」と喝破した。それまでの8か月にわたる交渉の中で一度も話し合われたこともない過激な条項が、理解し難い形で日本に突きつけられていたからだ。
祖国の歪んだ基盤
昨年夏に日本で訳本が出版されたフーバーの『裏切られた自由』(草思社)は、ビーアドとは異なる情報源によるものだが、開戦の責任はルーズベルトらにあると、同じ結論に達している。
同書には生々しい会話が頻繁に登場する。たとえばハルノートを日本に手交する前日、41年11月25日に、ルーズベルトはハル国務長官、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官らを招集した。その会議でルーズベルトは「問題は、いかにして彼ら(日本)を、最初の一発を撃つ立場に追い込むかである。それによって我々が重大な危険に晒されることがあってはならないが」と語っていた。
11月28日の戦争作戦会議では、日本に突きつけた10項目の条件についてハル自身がこう述べていた。「日本との間で合意に達する可能性は現実的に見ればゼロである」。日本が絶対にのめない条件を突きつけたのだ。
もうひとつの事例は、12月6日、ルーズベルトが天皇陛下にあてて送った平和を願う公電である。公電の文案を下書きしながらハルが語った言葉をフーバーは次のように明かしている。
「この公電は効果の疑わしいものだ。ただ公電を送ったという事実を記録に残すだけのものだ」
ハルも回顧録を書いている。だが、日米開戦やハルノートについては殆ど触れていない。日本側が再三再四、和平交渉を求めたことも、自身がそれを無視したことにも触れず、こう書いている。
「われわれとしては手段をつくして平和的な解決を見出し、戦争をさけたい、あるいは先にのばしたいと考えた。(中略)一方日本は対決を求めていた」「最後まで平和をあるいは少くとも時を求めて(われわれは)必死の努力をつづけた」
ハルの回想は、ビーアド、フーバーなどの研究によって偽りであると明らかにされた。ドイツと結んだのは日本の間違いではあったが、日米開戦に関して日本が一方的に、好戦的だ、帝国主義的だといって責められるべきではないのである。ビーアドやフーバーらの書き残した歴史の真実を知れば、日本人は賢くなり、自身への信頼も強化できる。祖国の歪んだ基盤を直す第一歩、憲法改正も可能になるだろう。