「 日欧EPAで拓く日本の未来 」
『週刊新潮』 2017年12月21日号
日本ルネッサンス 第783回
安倍政権の外交の巧みさを実感したのが、12月8日の日欧EPA交渉の妥結だった。この日本と欧州連合との経済連携協定は、来年夏にも署名され、再来年春にも発効する。
ドナルド・トランプ米大統領は、12か国がギリギリの妥協を重ねてようやくまとめた環太平洋経済連携協定(TPP)を、今年1月、いとも容易に反故にすると発表した。これによって自由主義陣営の結束が危ぶまれたが、今回の日欧EPAの合意には、TPP頓挫の負の影響を着実に薄める力がある。
日欧EPAは世界の国内総生産(GDP)の約3割、貿易総額の約4割を扱う。日本が参加する自由貿易協定(FTA)としては最大規模で、日欧間貿易では最終的に鉱工業製品、農産品の関税がほぼ全廃される。
たとえばいま自動車輸出には10%の関税がかけられているが、これが協定発効から8年目にゼロになる。韓国はすでにEUと自由貿易協定を結んでいるため、関税ゼロで自動車や部品を輸出している。日本は10%の関税をかけられる分、不利な闘いを強いられてきたが、これで対等に競い合える。
日欧EPAのこの条件は、アメリカも無視できないだろう。アメリカとはTPPで2.5%の関税を25年目に撤廃することで合意しているが、それに較べても、ずっと有利な協定を日本は勝ちとったのである。
自動車輸出では目に見える大きなメリットを日本は確保したが、EUからの輸入について問題がないわけではない。キヤノングローバル戦略研究所の研究主幹、山下一仁氏の指摘によると、EUの対日輸出では、ワインもチーズも関税はゼロになるものの、チーズに関しては輸入枠をオークションで業者に売るために、価格は下がらないというのだ。従って日本の酪農家にも影響は及ばない。本来なら、より厳しい競争に晒されて日本の酪農産業の基盤を強化する好機とすべきだが、必ずしもそうならない。長い将来を展望するとき、日本の酪農産業はこのままでよいのかという深刻な疑問が残る。
双方に大きなメリット
日欧EPAで日本の対EU輸出は約24%、EUの対日輸出は約33%増えると見られ、双方に大きなメリットがある。だが、日欧EPAの意義はそこにとどまらない。より注目すべき点は協定の内容の透明度の高さにある。
たとえば知的財産の保護、電子商取引の透明性、鉄道など政府調達分野への市場アクセスの拡大、サービス貿易、企業統治などがより公正なルールで行われるよう、高い水準の規則が設けられた。中国やロシアが貿易や取引においてルールの透明性を欠く国であることは、今更指摘するまでもない。彼らは力に任せて自国有利の状況を作り出そうとする。他方イギリスはEUを脱退し、アメリカはTPPを否定する。
そうした中で達成された今回の合意は、自由貿易を後戻りさせてはならないという日欧の決意であり、今後の国際的メガ協定の先駆けとなる。これから起きるであろうアメリカの変化を予測すれば、今、安倍首相がしていることは、自由主義陣営を支える経済活動のルールをまさに日本が主軸となってEUと共に作ったということだ。これからの世界の自由貿易を日本が主導する可能性が強まったということなのだ。
次に日本が目指すべきはTPPの合意だ。トランプ大統領のTPPへの強い忌避感は、氏が多国間協定よりも2国間交渉を好むからというだけでなく、TPPは前任者のオバマ氏が手掛けたものだからと言われている。
感情的要因が強いのであれば、トランプ大統領を説得するのは非常に難しい。それでも安倍首相がアメリカ抜きの11か国でTPPをまとめたら、或いは、新たな要求を持ち出して異論を唱えるカナダを除いて10か国でまとめたらどうなるか。
11月に、ベトナム中部のダナンで参加11か国の閣僚会合において合意が確認された際、カナダの新たな強い要求があって合意は流れそうになった。土壇場での変心を茂木敏充経済再生担当相は「こういうことを詐欺と言うんじゃないか!」と怒ったそうだが、安倍首相は、カナダ抜きの10か国でも合意を成立させ、年明けにも署名式を行う方針だ。
それが実現した場合を山下氏が予測した。
「TPPが成立すれば、日本はオーストラリアの牛肉を9%の関税で輸入することになります。他方、TPPに入らないアメリカの牛肉には38.5%の関税が続きます。明らかにアメリカンビーフは不利です。マーケットから排除されかねない。乳製品でも小麦でも、その他でも同じことが起こります」
豚肉も小麦も
氏はさらに続けた。
「アメリカは日欧EPAの影響も受けます。豚肉も小麦も、TPPで起きる現象と同じようなことが次々に起きると言ってよい。トランプ大統領がどれほどTPPはいやだと言っても、アメリカの国益を考えれば入らざるを得なくなります。逆にアメリカが入れて欲しいと言う立場に立たされるでしょう」
TPPはオリジナルの12か国が参加すれば世界のGDPの約38%を占める規模だ。アメリカ抜きなら約13%、カナダも抜ければ約11%である。それでも日本が主軸となってまとめるのは、前述したように大変重要な意味がある。
実利面からアメリカも参加せざるを得ない場面が生ずることに加えて、自由主義陣営の大事な価値観を守り抜く意味合いがある。何と言っても、自由貿易、公正なルール、民主主義、国際法による問題解決などといった価値観を尊重する国々のメガFTAが、ふたつ出来るのだ。合わせると世界貿易の約半分が、透明性の高いルール圏で取引されることになるのだ。
日欧の今回の合意内容は、中国が世界に発信した彼らなりの経済のあり方とは明確に異なる。中国は10月の共産党大会で、人口13億人以上の社会主義大国を指導するには国民全員が優れた本領を身につける必要がある、優れた本領はマルクス主義の学習によって養われると宣言した。党の指導を徹底させるために、外国資本の民間企業も含めて、企業内に共産党の支部を設けよと指導する。
すでに外国企業の70%が共産党の「細胞」組織を設置しており、各企業の情報は中国共産党に筒抜けになっていると考えた方がよい。知的財産の窃盗も含めて、何でもありの経済体制が中国で公に強化される傍らで、日本主導の日欧EPAが合意に至ったのだ。非常に心強い。
安倍首相は、いまこそ、自らの考える地球儀を俯瞰した外交戦略を推し進めるのがよい。そのときに、忘れてはならないのは、経済活動にも強さが必要で、憲法改正こそが全ての根本にあるという点だ。