「異形の大国“中国”が企てる“少数民族”大抹殺」
『週刊新潮』’08年5月22日号
【特別座談会】 日本ルネッサンス・拡大版 第313回
櫻井:先週、行われた福田首相と胡錦濤国家主席の首脳会談は、日本にとって、特に見るべき成果はあがりませんでした。チベット問題が影響し、福田首相が北京五輪開会式の参加を明言しなかったのは良かったと思います。さらによかったのは、朝食会に出席した安倍晋三・前首相の一言です。チベット問題に加え、やはり中国の少数民族であるウイグル人の人権問題を話題にしました。中国で弾圧を受けている民族はチベットだけではないのです。そこで、今回は、チベット、ウイグル、内モンゴル出身のお三方にお集まりいただきました。
ウイグル(エリク・タリーム氏=仮名):勇気を出してくれた安倍さんに私は、ウイグル人として永遠に感謝します。安倍さんが胡主席に話したのは、東大大学院に留学していたウイグル人のトフティ氏が中国で逮捕された事件です。10年前のことでした。彼はウイグルの歴史を調べていて、中国国内で公開されている資料をコピーしていただけなのに、突然、分離主義者だとして逮捕され、懲役11年の刑に処せられた。新聞報道では、胡主席が安倍さんに゛その件を知りません″と答えたそうですが、それは嘘です。救出しろとの声が、東京の中国大使館に何本も届いていますからね。日本の新聞は、安倍さんがこのことを言い出して、その場の雰囲気が気まずくなったと書いていましたが、本当に気まずかったのは、胡主席の方でしょう。
櫻井:チベット問題を振られると考えていた胡主席にとって、きっと想定外の一言でしょう。でも、中国の人権侵害はチベット、ウイグルに限ったことではありません。例えば日本でモンゴルというと、横綱・朝青龍の母国のモンゴル国をイメージします。しかし、このモンゴルとは別に、中国の北方には、内モンゴル自治区という地域があります。ここに暮らすモンゴル人たちもこれまで激しい弾圧を受けてきましたね。
内モンゴル(リ・ガ・スチント氏):その通りです。モンゴルはチベットやウイグルで起きているような抵抗運動も、いまはあまりなく、比較するともっとも中国の侵略が進んでいる地域となってしまいました。モンゴル人の暮らす国土は草原で、高度もウイグルやチベットに比べて低いため、漢民族は入り込みやすかった。また、人口密度が低く、侵略のニュースが中々、モンゴル人に伝わらなかった。今では、内モンゴルの人口の70~80%を漢民族が占め、モンゴル人はわずか20%程度です。
チベット(ペマ・ギャルポ氏):内モンゴルを中国が早く押えることができたのは、モンゴル国と中国、ソ連以外、周りをどこの外国とも接していなかったからです。例えば、ウイグルの北側には同じトルコ系の住民が暮らす中央アジアの国々がありますし、チベットはインドやネパールと国境を接し、激しい抵抗運動も起こりました。そのために120万のチベット人が犠牲になったのですが……。
[不可解な飛行機墜落]
櫻井:残念ですが、私たち日本人は、これらの国々が辿った歴史を知らなすぎます。お国がどうして中国に組み込まれてしまったのか。父祖の土地は如何にして、漢民族に奪われたのか。まず、その歴史を教えて頂きたいと思います。
ウイグル:もともと中央アジア一帯は、トルコ系部族が暮らす土地でした。しかしスターリンの政策によって、ウズベク、キルギスなどと、民族ごとのアイデンティティーを与えられて、ソ連に加盟する共和国が幾つも誕生したのです。1930年代、チュルク族の住む東トルキスタン、つまり、今のウイグルは、中国国民党の軍閥に押えられていて、やがて独立運動が始まりました。この国のエリートは当時、モスクワに留学し、ソ連共産党に学んだ共産党員でした。彼らはこの独立戦争に参加して、軍閥を追いだし、一時期、東トルキスタン共和国が出来たのです。しかし、ソ連にとって、連邦に加盟していない独立国家は脅威です。そのため、軍事委員会など国の要職を、モスクワで学んだ共産党員が占めるように工作活動が行われたのです。
櫻井:東トルキスタンはソ連共産党、つまりコミンテルンの影響下にあったわけですね。
ウイグル:はい。その後、中国国内の内戦で、共産党軍が国民党軍に勝ち、ほぼ全土を押えた40年代の後半、スターリンは東トルキスタン指導者層に対して、゛これから中国は社会主義陣営の一員になります。中国共産党は東トルキスタンに高度な自治を与えるので、一緒になって、社会主義国家を作りなさい″という指示を与えたんです。同指示に、これまでモスクワに従っていた東トルキスタン共和国の指導層が、大反発しました。゛東トルキスタンは歴史的に中国の一部ではない。我々の戦いは中国から独立する戦いだった″と、首を縦に振らなかったのです。ソ連側と激しい論戦をした後、東トルキスタンの指導層5人は、ソ連領内から北京に飛行機で向かいました。そして事故が起き、全員死亡とされました。飛行機が本当に墜ちたのか、5人はKGB刑務所で殺されたのか。今でもわかりません。
櫻井:ソ連共産党と中国共産党が結託していたわけですね。この後、すぐに毛沢東が新しいリーダーを指名しましたね。
ウイグル:そうです。その証拠の一つが、1949年2月、ソ連共産党のミコヤンが毛沢東と面会した際の記録です。ミコヤンは明確に、゛東トルキスタンは独立させない。ソ連は中国の領土の保全を保障します″と、言っているのです。毛沢東はこれを聞いて喜んだという電報を、ミコヤンがスターリン宛に送っています。もともとトルコ系住民が住んでいた中央アジアの西をソ連が獲り、東側を中国が奪って、歴史を改竄したのです。
[偽の判子で協定]
内モンゴル:共産主義と資本主義の戦いの中に、国が巻き込まれたという点では、ウイグルの歴史は内モンゴルと非常によく似ています。モンゴルはもともと一つの国でした。それが1915年にモンゴルとロシア、中国が交わした条約によって、内モンゴルと外モンゴルに分割されたのです。内モンゴルでは、独立運動の指導者たちが日本と手を結び、臨時政府を樹立しましたが、日本の敗戦で孤立。この頃、共産主義に憧れ、中国共産党の本部があった延安で共産主義を学んだウランフーという人物がいました。彼は貧しい人を集めて騎馬隊を作り、中国共産党の指揮下に入った。そして1947年、モンゴルで中国国内の自治区となるか、独立するかを決める選挙が行われたのです。この選挙で、ウランフーは自分の軍事力を最大限利用し、結果、内モンゴルは中国の自治区となってしまったのです。
櫻井:そのウランフーの選挙での動きが原因だったのですか。
内モンゴル:そうです。ここから、内モンゴルの悲劇が始まるのです。中国共産党にとっての功労者だったウランフーにしてもそうでした。彼は、文革の犠牲者でもあった。ウランフーは、最後には全国人民代表大会の常務副委員長まで務めましたが、60年代の半ば、民族主義者と批判されて、10年間ほど監禁されました。晩年、゛自分はモンゴルに悪いことをしてしまった″と、後悔していたそうです。
櫻井:なるほど……。では、ペマさん、チベットはどういう風に中国に騙されたのですか。
チベット:1907年の英露協商で、チベットの宗主権は清にあることが確認され、1910年には清の進駐軍がチベットに入りました。しかし、1911年、辛亥革命が起こり、その混乱に乗じてチベットは中国人の駐チベット大臣を追い出すことに成功したのです。チベットには条約を結んでいたイギリスを支持する「英国派」と「中国派」が生まれ、国内では内戦が続きました。しかし、中華人民共和国が成立した翌年の1950年、毛沢東は「チベットを帝国主義から解放する!」という大義名分の下、4万人の人民解放軍を派遣して、チベットを占領しました。実は、その時、チベットにいた西洋人はわずか6人ですよ。たったその6人のために4万の軍を送り込んだのです。そして、1951年、悪名高い「17ヶ条協定」が結ばれました。
櫻井:アポという僧が北京に行き、偽の判子を作らされて毛沢東と結んだ協定でしたね。
チベット:毛沢東は、「チベットの文化を尊重する」「チベットには一切手を加えない」と確約しましたが、すべて言葉だけ、完全に裏切られました。そして、チベットに対する激しい弾圧が始まったのです。
櫻井:お国の悲劇の裏にコミンテルンの暗い影と、大国の御都合主義があったことがよくわかります。
「火を舐めろ!」
櫻井:弾圧について語って下さい。チベットでは活仏転生を中国共産党の許可制にしたと聴きましたが……。
チベット:そうです。中国人は最初、信仰の自由は認めると言って、チベットにやってきた。ところが、仏教よりも共産主義を学べといって、お寺を破壊しました。座禅は健康上良くない、社会秩序を乱すとか、理不尽な理由をつけて僧を弾圧、抹殺しました。
内モンゴル:内モンゴルでは先ほど話したように、周辺に外国の存在がなかったため、早い段階から弾圧が行われていたにも拘らず、その情報は中々、外に伝わりませんでした。特に文化大革命(1966年~1977年)のときは、内モンゴル人民党という地下組織に関係しているという濡れ衣を着せ、中国人がモンゴル人を捕まえて拷問するのが日常茶飯でした。私は子供の頃、見せしめになったお婆さんが、胸に看板をぶら下げられ、火のついたストーブの前に立たされ、真っ赤な火を舐めろと言われ、無残に火傷し、倒れてしまうまで拷問されていたのを見たことがあります。馬車のむちで体を打たれ続けた人もいた。閉じ込められて食事を与えられず、飢えて自分の排泄物を食べさせられた人もいました。
ウイグル:ウイグルでも同じです。釘を打った板で叩いたり、極寒の中で水を掛けて立たせたり……。
内モンゴル:文革のときは中国全土で同じことが行われていました。しかし、われわれ異民族の地域では、人種差別から拷問が行われていたのです。
ウイグル:ウイグルでは1950年代、知識人、財界人、牧場経営者などの資産家ら、影響力を持つ人が次々と銃殺されました。これは、ウイグル人の共産主義者が同じウイグル人の国民に行った弾圧です。しかし、60年代に入ると、今度は中国共産党が足場を固め、ウイグル人への弾圧を始めました。民族分離主義者のレッテルを貼って、銃殺した。60年代後半までに、ソ連留学
派の親ソ・ウイグル人エリートが一掃され、70年代には、ウイグル人の知識層が反動的知識人と呼ばれて、刑務所に連行され、強制労働を科せられました。今でもウイグル人が3人集まれば政治的な集会とみなされ、密告され逮捕されています。
チベット:こちらでは5人で逮捕ですね。
ウイグル:捜索令状なしに、警察は24時間、好きな時間に家に踏み込み、家宅捜索ができます。帰ったら、家が警察に荒らされていたなんてことも、珍しくない。
櫻井:軍は今でも多く駐留しているのですか。
チベット:鄧小平の時代、400万人いた人民解放軍を100万人削減したと中国は発表しました。しかし、削減したはずの兵士は、草原部隊や武装警察と呼ばれる警察と軍の中間のような組織に改組されました。これらの組織は少数民族を、軍と同じく弾圧します。例えばチベットでは27万人の軍と23万人の武装警察がいると見られています。
ウイグル:しかも中国は国外にまで少数民族弾圧の手を伸ばしています。その良い例が2001年にできた上海協力機構という組織で、中国は、中央アジアの各国、例えばキルギスタンやカザフスタンと我々が結びつくことを極端に警戒していました。双方が協力したら、厄介だと思っていたからです。そのため中国は、中央アジア各国と話をつけて、経済援助する代わりに、東トルキスタンの支援組織を全て非合法化するように働きかけた。結果、中国の望みどおり、全ての東トルキスタン支援組織は非合法とされ、組織の最強のリーダーだった重要人物、5人が暗殺されました。
[狡猾な情報戦略]
櫻井:内モンゴルもウイグル、チベットも、独自の言語は厳しく制限されています。女性は、漢民族との結婚を奨励されると聞きます。ペマさん、文化的な弾圧はどうでしょうか。
チベット:中国の狡猾さは情報戦略にも現れています。彼らは、まず言葉をその地域に入れてくる。例えば、チベットでは最初、「テンダ アメリカ」という言葉が入ってきました。訳すと「仏の敵、米国」ということになります。彼らはこの言葉をキャンペーンして情報操作を行うのです。特定の新聞記者に便宜を図り、必ず協力者を作る。だから、50年代、朝日新聞の記者は、さもチベットが豊かになったかのような錯覚を与える「チベットの都 太陽の都」という記事を書きました。限られた招待者を連れて行き、見せたい場所に連れて行くのが彼らの流儀です。中国共産党は一つの村や町全体を劇場のように演出してしまう。それでみんな騙される。中国の情報操作は本当に恐ろしいと感じます。
櫻井:インテルCEOのC・バレット氏もシーグラムのE・ブロンフマン会長も、メディア王のマードック氏も同じような体験をしたと報じられています。
チベット:外国人がその村に行くと、食べ物は豊富、子供たちは幸せそうに遊んでいて非常に友好的で活気ある町に見えるのです。ところが、それが全て演出。そういう宣伝工作が非常に上手い。
ウイグル:我々のことも、中国は過激なイスラムのテロリスト呼ばわりをしています。でも、私たちが望むのは穏健なイスラム国家で、政教分離のトルコ型政体を目指しているのです。
チベット:その一方で、海外在住の反中国勢力に対しては、きめ細かな攻撃をする。大使館の人間が資料を整えて、「ダライ・ラマ一派が自分たちの利益のために話している」と信じ込ませるような宣伝工作をします。嘘でも100回繰り返し話して、ついに本当の話にしてしまう。これが彼らのやり方です。
ウイグル:人を貶める情報を平気で流しますから、それが怖い。もし、僕が実名でしゃべったら、他のウイグル人を使って、僕の悪口をあちらこちらで一杯言わせるんです。侮辱して、それでも効果がないと最後には殺されます。
チベット:こんな中国の実態を、日本が世界に暴くチャンスではないでしょうか。みんなで結束して運動をしていかねばなりません。
櫻井:日本の国益上も皆さんの悲劇は見すごせません。皆さんは、日本はこれらの問題にどのように対処すべきだと考えていますか。
チベット:日本政府と日本国民には、まず、事実を知ってもらいたい。対中国政策を作る方たちにもまず、現状を勉強していただきたいのです。日本の担当者は今、チベットで何が起きているのかという問題に正面から向き合ってくれていないと思います。しかし、日本の安全保障を考えるとき、今日集まった我々の祖国は、中国の周囲にある地政学的に非常に重要な国々でしょ。ですから日本の国益を守るためにも真剣に考えていただきたいと思います。
ウイグル:現在も進行中の問題を理解してほしいと思うのは我々、ウイグルも同じです。ウイグルは本当に歴史的に中国の領土だったのか、どうか。中国の植民地にされていることを知ってほしい。我々は侵略されているのです。中国は植民国家です。この事実を識った上で、日本政府は植民地に関する国際条約に則って外交的な対応をしてもらいたいのです。
櫻井:本当にそうですね。第二次大戦後、武力を用いて不法に国土を拡大したのは中国だけですからね。
ウイグル:二つ目に、安倍前首相が胡主席に話してくれたウイグル人の人権問題の件です。前述のトフティさんは、何一つ政治活動もしていないのに、でっち上げの罪で逮捕され、11年の刑を受けました。彼は東大の留学生ですから、日本政府の目の前で起きた事件です。それなのに、文部省も外務省も抗議の声一つ上げてくれなかった。日本はアジアで一番の民主国家、最初に豊かになった経済大国なのに、目の前で起きた人権侵害にすら口を閉じました。これはあまりにも無責任ではないでしょうか。
内モンゴル:日本は共産圏や独裁国家から迫害された亡命者や難民に対しての人道的な義務を果たしてくれていません。義務を果たすというのは、口で言うだけではもちろんなく、経済的な支援をすることだけでもなく、保護するということです。相手国に対してハッキリとしたメッセージを発することです。日本は中国に対し、ちゃんとメッセージを送っていないように思えます。逆に中国は大国として、要求を突きつけます。日本は中国の抱える問題を研究するチームを作り、周辺の民族問題で、どうかはっきり発言してほしい。
チベット:もう一つ付け加えれば、財界にも注文をつけたいです。政治家は財界の顔色を窺います。しかし、財界のしていることは近視眼的で、中国の植民地支配の手助けをしているように我々の眼には映ります。
[ビール会社の中国軍援助]
櫻井:具体的には?
ウイグル:たとえば、日本の大手ビール会社の一つは中国の生産建設兵団からホップを輸入してます。
櫻井:生産建設兵団とは……。
ウイグル:ウイグル人を弾圧するためにできた常駐の半軍事的な組織です。先程触れましたが、削減されたはずの兵力で作っており、呼び名は違っても、同じような軍事的組織は他の自治区にもあります。ここからホップを輸入することは、日本のお金を中国に渡して、ウイグル人らの弾圧に手を貸しているのと同じです。たぶん、このビール会社の担当者はそこまではわかっていないと思いますが……。
櫻井:どのくらいの規模の兵団ですか。
ウイグル:ウイグルだけで250万人といわれています。軍の農場で、建設兵団がホップを作り、それを日本企業が買い、代金は中国の軍事費の一部になる。日本のビール会社が中国軍を支えているのです。本来なら軍事費は税金から出るでしょ。でも中国は軍事組織が自分で商売をして稼ぐのです。アメリカが、中国の軍事費は発表される数字の3倍以上だと見ているのはこういう理由です。
内モンゴル:財界が利益のためにどんな相手とでも商売するのが悔しいです。
ウイグル 昔、アメリカの資本家がソ連と貿易すると言い出したとき、レーニンが、「資本家は自分が首をつって入る穴を掘っている」といった。日本の財界はこれと同じ。判っていないです。
櫻井:もし、日本の国土が大陸と陸続きだったり、もう少し日本海が狭かったら、日本も少数民族にされていたに違いありません。皆さんのために発言することが即、日本の国益につながるということなのです。
異形の大国“中国”が企てる“少数民族”大抹殺…
櫻井よしこ ブログ! » 「異形の大国“中国”が企てる“少数民族”大抹殺」 抜粋
『週刊新潮』’08年5月22日号 【特別座談会】 日本ルネッサンス・拡大版 第313回
櫻井:チベット問題が影響し、福田首相が北京五輪開会式の参加を明言しなかったのは良かったと思います。さらによかったのは、朝食会に出席した安倍晋三・前首相の一言です。チベット問題に加え、やはり中国の少数民族であるウイグル人の人権問題を話題にしました。中国で弾圧を受けている民族はチベットだけではないのです。そこで、今回は、…
トラックバック by 欺瞞的善人の悲哀 — 2010年09月05日 23:26