「 韓国大統領が再び問題化した「徴用工」 日本は過去の経緯踏まえしっかり主張を 」
『週刊ダイヤモンド』 2017年8月26日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1195
拓殖大学教授の呉善花氏は、「文在寅大統領で韓国は潰れる」と語る。なぜか。韓国大統領として向かうべき方向を完全に間違えているからだ。文大統領は8月15日、「光復節」の記念式典で「強制動員」について語った。
「(徴用工などの問題で)被害規模の全ては明らかにされておらず、十分でない部分は政府と民間が協力し、解決せねばならない。今後、南北関係が改善すれば、南北共同での被害の実態調査を検討する」、解決には、被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止が欠かせず、「日本の指導者の勇気ある姿勢」が必要だ(「産経新聞」8月16日)。
仁川にはすでに徴用工の像が設置され、その数がふえる兆しは濃厚である。北朝鮮危機の中、韓国にこんなことをしている余裕はあるのか。第一、徴用工は韓国映画「軍艦島」に描かれたような強制動員ではない。『朝鮮人徴用工の手記』(鄭忠海(チョン・チュンヘ)著、井下春子訳、河合出版)などがその実態を伝えてくれる。
同書の出版は1990年10月だが、鄭氏が自身の徴用体験をまとめたのは70年12月だった。約20年後、訳者の井下さんに会って、初めて日本語になった。つまり鄭氏が体験を手記にした時期は、日本人らが火をつけて始まった戦後補償の要求がでてくる前だった。従って手記には現在の日韓関係を歪めている政治的思惑は反映されておらず、その分史料的価値も高い。
鄭氏は1944(昭和19)年11月に徴用令状を受け、12月11日に博多港についた。氏の働き先、東洋工業の「野口氏」が出迎え、「非常にお疲れでしょう」とねぎらってくれた。
会社では新しい木造2階建てが「朝鮮応徴士」の寄宿舎に充てられた。20畳の部屋に、「新しく作った絹のような清潔な寝具が10人分、きちんと整頓されていた」、「明るい食堂には大きな食卓が並」び、「飯とおかずは思いの外十分で、口に合うものだった」と書かれている。
宿舎も食事も悪くなく、給料は月額140円だった。当時の巡査の初任給の45円、上等兵以下兵士の平均給与の10円弱に較べれば、非常に高い。
手記には徴用工が自由に移動し、街で酒や肉、あわびなどを購入して宴会をする様子も描かれている。日本人による残虐な扱いどころか、日本人が朝鮮人に気を遣っているのが明らかだ。日本国の人口統計も渡日した人々の多くが、自らの意思で来た出稼ぎ移住だったことを示している。数字を『日韓「歴史問題」の真実』(西岡力著、PHP研究所)から拾ってみる。
終戦当時、国内の事業現場にいた朝鮮人労務者は約32万3000人、朝鮮人の軍人、軍属が約11万3000人、計約43万6000人である。他方、終戦時の在日朝鮮人人口は約200万人だ。つまり、朝鮮人人口の8割が戦時動員ではなく自らの意思で渡日した出稼ぎ移住だったということだ。
もう一点重要なのは、敗戦後朝鮮人徴用工への手当ができないまま年月がすぎたことに関して、日本政府は日韓請求権交渉で前向きに対処しようとしたことだ。
同志社大学教授の太田修氏による『日韓交渉 請求権問題の研究』(クレイン)には、日本政府が朝鮮人徴用工一人一人への援護措置を考えていたのに対し、韓国側は「国内問題として措置する。(個々の労務者への)支払いはわが国の手で行う」と主張、結果、日本政府は当時15億ドルきりだった日本国の外貨から有償・無償合わせて5億ドルを支払ったとある。
交渉の経過を精査した盧武鉉大統領はその反日姿勢にも拘わらず、日本政府に徴用工問題で請求はできないと判断した。それを文大統領は再び問題化し、第2の慰安婦問題にしようとしている。日本側は過去の経緯を踏まえて今度こそ、しっかり主張すべきだ。