「 なぜ日本経済は〝一人負け〟になったか 」
『週刊新潮』'08年2 月7日号
[特集] 日本ルネッサンス・特別編 第299回
経済大失速を招いた「福田首相の無策」
1月21日、官邸記者団との会見で、株価下落は政府の政策不在が原因だと言われていると質されると、福田康夫首相は気色ばんで言った。 「そんなふうな専門家はいますか? ちょっとお顔を拝見したい」。プライドを傷つけられた首相の苛立ちを冷笑するかのように、株価は翌日も下げた。
他方、低所得者向けの住宅融資、サブプライムローン問題を端緒とする景気後退と金融不安に、米国政府は当初の対策の遅れを取り戻すかのように、連続して手を打っているが、そのスピードと積極性は日本の政府当局と対極にある。
今年初めの1月4日、ブッシュ大統領はホワイト・ハウスにポールソン財務長官、バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長を呼んだ。会談後、記者団に「米国の経済成長はもはや当然視出来ない。やれることは何でもやる」と述べて、景気の先行き不安を打ち消すべく、断固たる政治の意思を表明した。
18日には1,500億ドル(約16兆円)規模の減税を柱とする緊急経済対策を発表。1月28日の一般教書演説に合わせて公表する予定を前倒しして発表したこともまた、米政府のやる気を印象づけた。
22日にはバーナンキFRB議長が、これまた、月末の定例連邦公開市場委員会(FOMC)を待たずに、0.75%の緊急利下げに踏み切った。
通常は0.25%ずつ小刻みに下げるのを一挙に0.75%の下げを断行したのだ。まさに「何でもやる」決意を実行しているのだ。
わが国はどうか。この問題が深刻になってきた1月中旬、福田首相は、米国の問題だとして、官邸で記者団に、「米国にしっかり対応してもらいたい」と、他人事のように述べた。
1月26日、スイスでのダボス会議で首相は「サブプライムローンの影響は限定的」と演説した。
経済ジャーナリストの財部誠一氏が呆れて語る。
「福田政権は無為無策そのものです。首相は他人事のように語っていますが、ロシア、中国、インドなど、世界各国政府は、自らの手で現状を打開しようと懸命に手を打っています。首相の無策には呆然とします」
元日銀金融研究所所長で千葉商科大学大学院客員教授の三宅純一氏も、首相の経済に関する知識と指導力の欠如を指摘した。
「サブプライムローンで米国の金融機関が失速すれば米国経済に影響が出るのは当然で、そうなれば日本の経済も悪化します。それを限定的とは、グローバル経済の本質について知識がないのです」
経済にも金融にも、人間の心理が深く大きな影響を及ぼす。だからこそ、金融不安を起こしたり、景気の冷え込みを誘発することのないように、政府や中央銀行は市場心理に十分配慮しながら、手を打つのだ。にもかかわらずまるで自分には関係ないとでもいうかのような首相の反応は、゛政治の無策〟を強く印象づけ、株価を大幅に下げていく。首相の稚拙な反応が市場や株価にどれほどの負の影響を及ぼしているか。
日銀総裁も無策
財部氏が語る。
「1月15日、日経平均株価が1万4,000円を割り込みました。明らかに株は下がりすぎです。株価の低さとは対照的に、予想配当利回りは2%を超えています。太平洋金属は5%以上、日産自動車でさえ3.77%の利回りです。これだけの配当があるのに株価が低いのは、下がりすぎ以外の何物でもない。政府は市場に向かって『株は大丈夫。買うべきです』と宣言しなければならなかったのです。それなのに首相のコメントは抽象的で、訴えるものがありません」
福田政権の特徴は、見詰めても見詰めても、何も伝わってこないことだ。短命に終わった安倍内閣も、その前の小泉内閣も、内容はともかく、明快な目的を掲げ、政権の意図は明らかだった。しかし、福田政権は考える能力を喪失したかのように漂流を続ける。
三宅氏はそんな首相の経済政策から、父赳夫首相のそれを思い出すという。
「大蔵省出身の赳夫氏は昭和50年代初め、大蔵省の言いなりの政策を打ちました。石油ショックで日本経済は停滞していた時期、国債発行は致し方ありません。しかし、その後は極力、国債発行を減らす努力が必要です。それをせずに、大蔵省の方針に沿って国債を乱発し、そのツケがいまに回っているのです」
ここ数年、日本の経済政策は竹中平蔵氏らの「上げ潮」路線と、与謝野馨氏らの「財政均衡」路線の対立が続いてきた。消費税率引き上げに反対し、景気対策で景気拡大を図り日本経済を上げ潮に導くべきだという主張に対し、与謝野氏らは増税路線を強調する。
「康夫首相はおそらく、父の赳夫氏と同じく、財務省寄りで増税路線に近いのでしょう。けれどそれすらはっきりしないのです。リーダーシップに欠けているのです」と三宅氏は憤る。
信念も、経済への理解もない首相の得意技は゛調整〟である。しかし、調整路線はこんな切迫した状況では負の影響しか及ぼさない。日本の悲劇は、リーダーシップを欠く調整型の首相に、同じようにリーダーシップを欠く日銀総裁が控えていることだ。再び三宅氏が指摘した。
「景気が上向いてきた2005年3月、日銀は量的緩和を引き締めて金利引き上げの方向に向かうべきでした。それをしなかったからこそ、世界中が金融緩和に走っているいま、日本だけが手を打てずにいるのです。
日銀が05年に金利を引き上げなかったのは、一言でいえば政府に従属していたからです。当時の小泉―竹中の上げ潮路線の前に、中央銀行が自らの金融判断を捨て、政府の言いなりになった。それが福井(俊彦)氏です」
首相と中央銀行総裁、2人が2人とも、その職責を貫くだけの実力を欠く。日本政府の無為無策とは対照的に、米国の行動の素早さが印象に刻まれる。
18年間にわたって世界経済体制の頂きに君臨したグリーンスパン前FRB議長は、1987年レーガン大統領に要請されてFRBに入った。そのわずか2か月後にブラックマンデー、株価大暴落が起きた。一日で史上最悪の508ドルの暴落が起きたとき、氏はその後の36時間で基本的な対策を全て打っている。「危機がすべて終わるまでには1週間以上かかった」と彼は『波乱の時代 わが半生とFRB』(日本経済新聞出版社)で語っているが、1929年の大恐慌以来最悪の株式暴落に果敢に対処したのだ。
2001年9月11日の同時多発テロ攻撃のとき、氏は19日の議会指導者との会議で、経済の回復支援のための対策は「まだ決断出来ない」、「今は事態の推移を見守ることが最善の戦略」と主張した。結論を出せないときは出せないと説明し、曖昧にはしないのだ。米政府が1,000億ドル(約12兆円)規模の景気対策を打ち出したのは10月3日だった。
「9・11の後、(米国)経済は驚くほどの反応(回復)をみせた」とグリーンスパンは回想しているが、それも、明確な対策があればこそだ。
そのような指導力を発揮する能力も意図もない福田政権の下で、日本経済は、実力不相応に縮小していく。無策のツケは全て国民にはねかえってくるのである。