かつての姿に戻っただけの自民党 政変の背後に蠢く幾人かの人物
『週刊ダイヤモンド』 2007年10月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 709
9月26日に発足した福田康夫新内閣の特徴はいわゆる古い自民党体質の温存と官僚重視にある。
古い自民党体質は党の役員人事に明らかだ。だが、福田氏と特に親しいわけでも、党の実務に精通しているとも思えない伊吹文明氏を幹事長に任命したことは意外だった。福田氏と伊吹氏の共通項を強いて挙げれば、官僚重視ということか。
伊吹幹事長以上に驚いたのが、古賀誠氏の処遇だった。福田氏が総務会長を提示すると、古賀氏はそれを断り選挙の仕切り役こそ自分の任だと、主張したそうだ。福田氏は古賀氏の要求を入れ、総裁直属の選挙対策委員長のポストを新設し、党三役と同格に引き上げ、古賀氏を党四役の一角に据えた。
選対委員長は、来年春にも行なわれると見られている衆議院議員選挙に向けて、候補者選び、選挙区の調整、選挙資金の配分など、全権を振るうことになる。いまさら指摘するまでもなく、これらはすべて、幹事長に与えられた特権ともいえる権限だ。
幹事長の力の源泉は、公認候補の選定と、資金配分の権限である。古賀氏はまさにそれらを掌中に収めたわけだ。しかも、ほかの三役と同格で、総裁直属となった。伊吹幹事長の指揮の下に入らなくてもよいというのである。
最重要の権限を奪われたにしては、伊吹氏は少しもいやな表情を見せてはいなかった。よほどの器量のある人物か、もしくは、党の実務に疎いために、そのことの重要性を認識できなかったか、いずれかであろう。
党総裁が決定した人事に注文をつけて変更させてしまうという、自民党の歴史のなかでも異例の事態を、古賀氏はいかにして可能にしたのか。つまり、古賀氏はなぜこのように重用されるのか。各紙の情報を集めてみると政変の背後で蠢(うごめ)く幾人かの人物が見えてくる。
まず、野中広務氏である。氏は、安倍晋三首相が辞意を発表するや、ただちに地元の京都から上京し、古賀氏と会った。野中氏の古賀氏や鈴木宗男氏らとの関係は昔も今も非常に近い。安倍退陣で自民党はまたもや大きく変わると見て、その自民党を、いかにコントロールしていくか、そのためにはどんな手を打てばよいのか、知恵を授けるための上京だったのは、おそらく間違いないだろう。
野中氏は当然のことだが、森喜朗元首相とも親しい。なんといっても小渕恵三首相が亡くなったあと、青木幹雄、亀井静香、村上正邦氏らと密室の話し合いで森氏を後継総裁に決めたのが、野中氏である。
野中氏は一気に往時の自民党の権力構造を再構築したいとの思いで、森氏らとも相談したのであろう。あるいは、相談などしなくても、互いに心中を読み合えるほど、共通項を有していると考えるべきか。その野中氏の“子飼い”のような古賀氏を、森氏が軽んずるはずがない。
一方で、福田総裁の生みの親のような存在が森氏である。氏が、一年前、総裁選に立った安倍氏を、まずは福田氏に総裁を務めさせ、そのあとで登板してもよいではないかと説得したのは周知の事実だ。必ずいつか福田氏を総裁にしたいと考えていた森氏は、安倍氏辞任の情報を得るや、ただちに動いた。野中氏が動いたように、森氏も素早く手を打ち続けた。その結果、誕生したのが福田総裁であれば、福田氏は、人事も政策も、森氏の影響を色濃く受けることになる。もう一歩踏み込んでいえば、森氏のみならず、野中氏ら“往時”の古い自民党実力者らの影響を受けることになる。その典型的な事例が、古賀氏の処遇なのだ。
こうしてみると、自民党はかつての自民党に戻ったのだ。だが、それでは、国民は支持しないだろう。この難局を切り開き、未来につなげることも難しく、まさに自民党の終焉の始まりだと思うのだ。