「 規制をなくして育てよ、人工知能 」
『週刊新潮』 2016年2月11日
日本ルネッサンス 第691回
週末、2人の奇才に人工知能(AI)について聞いた。MITメディアラボの所長で、『ニューヨーク・タイムズ』社外取締役などを務める伊藤穰一氏と、ソニーコンピュータサイエンス研究所所長の北野宏明氏である。
初対面の北野氏からは、機関銃のように言葉がつながって飛び出てくる。最新の情報技術や産業についてのアイデアが溢れ出るのだ。
AIといえばお定まりのように「日本は周回遅れ」と言われる。そうなのか。氏が語る。
「アメリカのAI学会では、中国訛りの英語がわからなければ結構苦痛です。中国はアメリカのしていることは殆どしています。北京、清華、上海の各大学の学生が大挙して留学し、米国で快適に学んでいます」
中国のAI分野での人材急増には目を見張るという。13年に中国で開催したAI国際学会では殆ど人材はいなかったが、この2年で爆発的に増え、清華、北京、深圳、杭州などの各大学にAIの人材が集中しつつある。一方、日本人の存在感は確かに希薄である。そもそも「気合いが違う」と、氏は語る。
「インドでも中国でも、成功の果実はとてつもなく大きい。日本の成功は2年早く教授になるという程度です。私は去年3月頃、文科省の依頼でAI研究の基本計画を描きました。計画推進を任され、研究の場は理研になり、当初の概算要求額100億円は13億円になりました。
それはともかく、人間の根本から研究したいという理研の考え方とはミスマッチです。AIは今や完全な産業政策で、その主舞台は殆どバトルフィールドと化しています。そうした現実とは無縁の選択のようです」
AIが高度に発達すると、どんなことが起きるのか。今でもAIはスマホで情報を教えてくれる。夕食のメニューも、未知の道もガイドしてくれる。やがて人間の仕事も代行してくれる。たとえばタクシーの運転だ。
「運転しない」時代
北野氏が説明した。
「百度(バイドゥ)が突然、自動運転の車を走らせ始めました。中国は、道路交通に関する国際条約、ジュネーブ条約に加盟していませんから無人車をバンバン走行させられる。先を越されましたが、日本でも2月中に僕らの作った会社ZMPが湘南でタクシーの自動運転実証実験をします」
車は確実に「運転しない」時代に入りつつある。ホンダのキャッチコピー、Fun To Driveはどうなるのか。自動車産業の根本的変化も避けられない。
「先週、ニューヨークで『AIの未来』という会議に出ました。フォードがグーグルと提携と報じられましたが、皆の見方は、『グーグル、やったね!』ではないのです。フォードが自らの生き残りの場所を見つけたという見方です。同様にGMがLyftという、アプリを用いたタクシー配車サービスのUberみたいな会社と提携しました。Lyftは強気で、これからGMをコントロールするつもりです。AIで完全なゲームチェンジが起きているのです」
GMは自動運転の部分で進んでいるとは思えず、LyftがGMをコントロールできる余地があるという。ハードウエアは絶対に必要だが、利益はそこからは出ない。ハードウエアメーカーがAI企業の指示に従わなければならないという現実は今もある。いずれその力関係はもっと絶対的になると、氏は確信する。
「すでに家電メーカーがアップルやアマゾンの事実上の下請けになりつつあります。車産業も間違いなく、そうなります。日本の基幹産業がアップルやグーグル、中国の百度などに侵食される事態が5年から10年で起きると考えるべきです」
日本のAI研究はどうなっているのか。伊藤氏は、日本のAIはトヨタの事例に見られるように物理的な物作りになりがちだと指摘する。
「トヨタはモノを賢くしようとしています。でもAIってネットワークなんです。だからトヨタの自動運転はなかなか難しいと思う。過去にすばらしい実績を積んだ企業は、中々物作りの枠から抜け出せない」
企業の成功物語が偉大であればある程、既存のものを破壊した上に成り立つ完全に新しい試みには当然、反発が強くなる。
「意外かもしれませんが、日米は同じ問題を抱えています。イスラム国(IS)が急速に力をつけたのはネットの効用です。しかし米軍は特に強くなっていない。ネットワーク化されても縦割りの軍では効果が限られるからです」
伊藤氏が、米国を激しく追い上げる中国の特徴を説明した。
「中国は僕たちのルールなど気にかけません。たとえば、アメリカはスパイ活動で得た情報は絶対に民間には渡さない。そこは法の壁で厳格に仕切っています。けれど中国は国、軍、民間が完全につながっているため、情報も共有される。アメリカが、スパイ活動を国益に限定して民間の営利目的には使わないという話を中国側にすると、馬鹿じゃないかと彼らは笑う。経済は国の競争力なのに、なぜ、という理屈です。民主主義や法治国家について、彼らとは全く話が合わないのです」
「オープンAI」
中国のAI推進の主力は「剥き出しのキャピタリズム」だ。「金儲け」への溢れるような熱情を追い風に、中国のAI研究は急速に進む。一方、アメリカには全く異なる新しい風が生まれている。伊藤氏が語った。
「一昨年、グーグルがディープマインドという12人の会社を5億ドルで買収しました。巨費を投じて、12人の人材を買ったわけで、人材獲得競争の熾烈さが見てとれます。でもそこにはよりよい社会を目指す精神があります。僕の仲間たち、テスラ、Yコンビネーター、リンクトインなどの創業者が『オープンAI』に10億ドル出資すると発表しました。
AIはデータとアルゴリズムが基礎です。それを今、グーグル、フェイスブック、アマゾンが持っている。彼らはさらに情報を蓄積して、世界一賢いAIを生み出してしまう。一部の資本の支配をうけるAIが世界を席巻することへのリスクヘッジとして、オープンソースのAIを育てたいという考え方がここに反映されています。アメリカの健全な民間人、起業家精神です」
さて、日本である。結論から言えば捨てたものではない。無人タクシーはアメリカより日本の方が導入し易い。日本のタクシー運転手は教育レベルが高く、技術の導入がスムーズに行く。千葉・幕張では無人機による配達実験が行われる予定だ。高度な科学的試みを高い教育水準を備えた一般国民が支える。こうした実験をオープンにし、情報を集積して実用化する。同時に、ここに紹介した奇才の両氏をはじめとする人材を登用して、自由な研究を進める場を早急に設ければ、日本も大丈夫だ。