「 信念と行動が大きく乖離した安倍首相の“曖昧路線”外交が残した痕跡の大きさ 」
『週刊ダイヤモンド』 2007年9月22日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 707
安倍晋三首相の突然の辞任は、首相自身の考え方や思惑とはまったく別に、首相の目指した戦後体制からの脱却を頓挫させ、日本を一時的に古い日本に逆戻りさせる可能性がある。喫緊の課題であるテロ対策特別措置法の延長問題も、なお混乱させる可能性がある。
首相就任以降の足跡の特徴は、これが自らの信念だと主張してきた内容と現実の行動が、非常に重要な、少なからぬ点において大きくかけ離れていることだ。
それらはたとえば、河野談話の継続であり、祖父・岸信介の否定である。いずれも、安倍首相の、日本の歴史に関する見方や価値観の、まさに中核を成す重要事である。そうした点について、首相就任前と後で正反対の考えを示したことは、中国に対する外交姿勢にも影を落とした。
首相就任以前は、指導者として、日本に殉じた人びとへの感謝と慰霊のために、靖国神社に参拝するのは当然の責務であると公言していた首相は、首相就任の可能性が現実味を帯びるにつれ、参拝するかしないかを明らかにしないという、いわゆる曖昧(あいまい)路線を採り始めた。どのような当面の政治事情があるにせよ、曖昧路線は、戦後体制、つまり第二次世界大戦も日中戦争も、すべて日本ひとりがひたすら反省すべきことなのであり、相手国にはその必要はないという日本加害者論からの脱却を否定するものだ。
安倍首相はそのようなかたちで訪中した。小泉純一郎前首相とのあいだで生じた摩擦を乗り越えて、日中関係を改善に導く首脳会談ではあった。だが、安倍対中外交は当初から、半ば以上、中国の舞台に乗っていたのである。
今年八月一五日の靖国神社参拝は、中国の舞台で展開された日中外交の実態を雄弁に物語っていた。安倍内閣の閣僚は、高市早苗氏を除いて、全員が参拝を見送ったのだ。高市氏さえも当初は参拝する予定はなかったのだが、自民党の島村宜伸氏が、内閣全員が参拝しないという“異常事態”に気づいて急きょ、高市氏に参拝を依頼した経緯があった。
閣僚たちは明らかに、安倍首相の意向や顔色を見ていたと思われる。安倍首相の対中外交に配慮したのである。靖国神社を避けることは、歴史問題において日本の主張を展開しないことを意味する。安倍首相が打破したいと願ってきた戦後体制のなかに沈み込んでしまうことにほかならない。
中国は、日本コントロールの手段として歴史問題を活用してきた。「押せば退く日本の国柄」を利用して、日本を屈服させることが中国の国益にかなうと分析し、「押す」ときの材料として「歴史問題が最善である」と結論づけたのが一九九八年の夏だった。この点は昨年出版された『江沢民文選』にも記述されている。安倍首相の曖昧路線外交は、まさにその中国の戦略にはまるものだった。かくして安倍首相は、強固だと思われたその志とは裏腹に、首相在任中一度も靖国神社への参拝を果たさずに終わった。
テロ特措法について、小沢一郎・民主党代表が話し合いに応じないのを直接のきっかけとして辞任したという。だが辞任は、同法の延長に関してなんの展望も開いてはくれない。むしろ民主党を勢いづけることによって、事態が混乱することが見て取れる。問題はより複雑になったのである。
国会での混乱は衆議院の解散、総選挙への動きを加速する要因となろう。その場合、民主党に政権が移る可能性は低くはない。政策を見れば、民主党が安倍首相の一連の価値観を否定するのは明らかだ。安倍首相は結果として、戦後体制からの脱却を当面不可能にする役割を演じたことになる。じつに皮肉なことである。
精根尽きて倒れるところまで闘えば、このような事態は避けられたと考えられる。きわめて残念なことだ。