「 仏週刊紙襲撃事件で世界が団結でもお寒い日中韓の「言論の自由」 」
『週刊ダイヤモンド』 2015年1月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1068
イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したフランスの政治週刊紙「シャルリー・エブド」をめぐる言論、表現の自由の戦いの激しさに、私たちは何を読み取るべきだろうか。
事件は1月7日に発生。シャルリー・エブド襲撃で風刺画家5人を含むジャーナリスト8人、全体で12人が殺害された。
11日には、パリで120万人を超える人々が、フランス全土で370万人が追悼大行進に参加した。オランド仏大統領を中心にメルケル独首相、キャメロン英首相など欧州連合首脳に加えて、ウクライナ大統領とロシア外相、イスラエル首相とパレスチナ自治政府議長などが、政治的立場を超えて腕を組み、横一列に並んでゆっくりと歩みを進め、強い連帯を示した。
編集出版を担う主要人物を失ったにもかかわらず、シャルリー・エブドは襲撃後初の号の発行部数を通常の6万部から、AFP通信によると、300万部へと大幅に増やした。
シャルリー・エブドには、フランスの左派系新聞「リベラシオン」が編集作業用のスペースを用意し、主要紙の「ルモンド」もテレビ局もフランス政府もおのおのの形で支援を提供した。フランス全体、そして世界が、言論、表現の自由へのいかなる弾圧も挑戦も許さないという立場で団結したのだ。
フランス革命は自由、人権、平等をうたった血の革命だったが、血の襲撃に直面して、大増刷し、しかもその最新号にはまたもムハンマドの風刺画を掲載するという、この不屈かつ大胆な反撃の精神はどこから生まれるのか。
明治大学教授の鹿島茂氏が1月12日の「読売新聞」にフランス革命の最大の敵はカトリック教会だったとして、「平和の第一原理は非宗教性(政教分離)にある。公の場に宗教は全く持ち込まない。シャルリー・エブドのイスラム教を含む宗教批判はその伝統に沿っている」と解説していた。
宗教を含めてあらゆる価値観からの自由を求めた革命は、農民暴動、王の処刑、独裁政権と恐怖政治などを巻き起こしながら、10年間続いた。このような歴史を持つフランスのいかなる宗教をも公然と風刺し、批判する価値観は、ムハンマドを聖なる預言者として一切の批判を許さないイスラム過激派と折り合うことはないだろう。
イスラム過激派からの血の襲撃は再び三たび起こり得るということだ。この状況下でシャルリー・エブドは立ち上がった。つまり、彼ら、そして彼らを支援するフランスのメディアおよびフランス政府の側には、文字通り、命懸けで自由を守ろうという決意があるということだ。
フランスでの様子を見ながら、私は日本と中韓両国における言論、表現の自由について考えざるを得なかった。中国が一党支配の下で言論、表現の自由を締め付け続けているのは周知のことだ。人間の自由を認めない遅れた国に対しては、こちらも覚悟を持って彼らの情報、謀略戦に対処するしかない。
韓国は民主主義国だと主張しながら、「産経新聞」前ソウル支局長、加藤達也氏の出国禁止措置をまたしても3カ月延長した。朴槿恵大統領の狭量と韓国司法界の思想的偏りの結果だと考えてよいだろう。
しかし、日本でも随分おかしなことが起きている。「朝日新聞」の元記者、植村隆氏が、慰安婦報道に関して名誉を毀損されたとして、西岡力氏と文藝春秋社を訴えたことだ。
かつて植村氏は元慰安婦のテープを入手し、スクープ報道した。それを批判した西岡氏も文春も再三、氏に取材を申し込んだが、氏は応じることなく司法に訴えた。氏は元記者で言論人である。言論人なら言論の自由の原則に沿って堂々と反論すればよい。それを司法に訴えるのは、自ら言論の自由を規制するものでしかない。