「 朴政権まで利用する中国の対日闘争 」
『週刊新潮』 2014年7月17日号
日本ルネッサンス 第615回
米キニピアック大の世論調査で、オバマ大統領が戦後の歴代大統領の中で最も評価の低い、つまり最悪の指導者に選ばれた。だが、世界で最悪の指導者を選ぶとしたら、隣国の朴槿恵大統領ではないだろうか。
人権と法治を基調とする民主主義の国を目指しながら、そうした価値観に逆行する中国に接近し、依存度を高める姿は、どう見ても韓国の人々を幸福にすることにもその国益に適うとも思えない。
「それ(自分の運命)が何であれ、私は堂々と受け入れ克服していく」(『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす』朴槿恵著、晩聲社)と誓いながら、彼女は「克服する」どころか国内世論の批判に絶えず屈服し続ける。父親ゆえに「親日」と非難されるが、その非難が理不尽であり北朝鮮の対韓世論工作の一端であることを見抜けない。反日路線に走り続ける反動も加わって、親中路線をひた走り、習近平政権の実態を直視することも、国家指導者として大局を見ることも出来ない。
誰が見ても習体制下の中国で起きていることは醜悪である。7月1日には香港で51万人というかつてない大規模デモが発生した。翌2日には一国二制度の下で香港に認められるべき自由が中国政府の介入によって阻害されている現状に反発し、香港人たちが普通選挙を求めて座り込みを行った。習政権は、デモを主催した「民間人権陣線」の幹部ら5人、座り込みを行った香港人511人を拘束した。
ウイグル人の抵抗も止むことがない。4月末に続いて5月22日、再び新疆ウイグル自治区ウルムチ市で大規模爆発事件が起きた。漢族ら39人が死亡、負傷者は100人近くに達した。習政権はこれから1年間、「超強硬措置」と「通常規定を超える特殊手段」で取り締まると宣言した。
弾圧は「超強硬」
しかし、その後も抵抗運動は激化し、6月20日にはウイグル自治区のホータン地区で警察の検問所が襲撃され警察官5人が死亡した。21日にはカシュガル地区で公安局の建物に車輌が突っ込み爆発、現場で容疑者13人が射殺され、一方で警官3人が負傷した。
中国政府の弾圧は文字どおり、「超強硬」である。6月16日、ウイグル人テロリストとして13人の死刑を執行した。同じ日、テロ活動に加わったとしてウイグル人3人に死刑判決、他5人に無期懲役を含む有罪判決を下した。ウイグル自治区では5月末からのひと月で32グループ380人が拘束された。ウイグルのみならず、少数民族の恨みは深まりこそすれ消え去りはしない。
中国政府のターゲットになっているのは漢民族も同様である。著名な人権派弁護士、北京市の浦志強氏は5月6日までに、また広東省広州市の唐荊陵氏は同月16日に拘束された。6月23日には、1月以来拘束されていたウイグル族の学者イリハム・トフティ氏が改めて逮捕された。面会した李方平弁護士は、イリハム氏が20日以上足枷をかけられ、10日間も食事を与えられなかったこと、非人道的扱いで、体重が16キロも減少したことを公表した。
中国共産党支配に楯つく者は何が何でも取り締まるという強権手法は、中国政府のシンクタンク、中国社会科学院にも及んだ。6月16日までに中国共産党中央規律検査委員会は、社会科学院が「海外勢力の侵食」を受けていると批判し、「いかなる研究者にも特別待遇は許さない。党指導部の思想に従え」と要求した。
海外事情、歴史、経済など幅広く客観的な研究、分析を通じて、自国の戦略構築に貢献すべき中国最高の知能集団が、客観的に思考することを許されないのである。最も冷静に思考すべき組織に、党のイデオロギーに忠実であれと厳しい枠をはめる国家の展望が明るいはずはない。
だが、こんな習政権にいそいそと従うのが朴大統領である。習主席は7月3日、4日の両日訪韓し、日本に批判的な発言を多く重ねた。朴大統領に抗日記念式典の共同開催も呼びかけた。朴大統領は、習政権が韓国を対日歴史戦争の格好の道具としていることに気づかないのか、中国の負の側面には一切触れず、終始友好ムードを維持した。
なり振り構わず締めつけを強化している習主席が7月4日にソウル大学で行った講演の欺瞞に、朴大統領も韓国の知識人も違和感を覚えないのだろうか。習主席は、「中国は常に平和を守る国、協力を促進する国、虚心に学ぶ国であり続け」「親善、誠実、互恵、包容の理念に従」っていると強調したが、同演説への疑問は、韓国からはほとんど聞こえてこない。
習、朴両首脳は会談で日本の集団的自衛権行使容認の決定について批判した。習政権は中国のインターネットメディアに対してすでに「行使容認を批判し、対日世論闘争を強化せよ」との指示を出したが、日本にとってこうした批判は想定の範囲内だ。歴史を通して、日本が力をつけ始めると中国があらゆる理由で日本を叩くという型が浮かんでくる。
世界はいま日本の側に
1980年代に中曽根康弘首相とロナルド・レーガン大統領が非常に良好な日米関係を築き、中曽根氏が日本を不沈空母になぞらえてシーレーンの防衛強化に乗り出したとき、中国は日本の首相の靖国参拝を非難するキャンペーンを始めた。おどろおどろしい「南京大虐殺記念館」もその時期に開館した。
90年代に橋本龍太郎首相がビル・クリントン大統領との間で日米ガイドラインを見直して日米同盟の強化に乗り出したとき、江沢民国家主席が訪米し、真っ先にパールハーバーを訪れて、「中国とアメリカは共にファシスト国家の日本と戦った戦友の国である」と演説した。その時期に愛国教育の名目で反日教育が体制として整えられた。
そしていま、惰眠の中に沈み込んでいた戦後の日本を普通の自主独立の民主主義国に立て直そうと発奮する安倍晋三首相に対し、歴史問題を材料に習政権が必死の戦いを仕掛けてきているのである。
中国の言葉と行動の間の埋めようのないギャップは、国際社会の多くの国々にとってはすでに辟易するほど明らかだ。美辞麗句で取り繕うほどに中国の外交安保政策の矛盾が浮き彫りになるのだが、習主席、李克強首相が盧溝橋事件から77年目の7月7日、共に「歴史の教訓」を強調して対日歴史非難の演説を行った。が、歴史の教訓を日本に向けるより、中国は歴史を捏造する自身を反省して自身に向けるべきなのだ。
中国の欺瞞を十分に承知している世界はいま、日本の側に立っている。集団的自衛権行使についても、豪州、ニュージーランドの反応が示すように、安倍首相の外遊先のすべてで歓迎されている。中国の反発は、日本の正当性が認められることの裏返しであり、その意味でいま、日本は大いに自信をもってよいのである。