「 中国に、早期潜水艦増加で対処せよ 」
『週刊新潮』 2014年3月27日号
日本ルネッサンス 第600回
3月13日、中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が9日間の日程を終えて閉幕した。時代に逆行する習近平国家主席への権力集中と、前代未聞かつ不透明な軍拡への傾斜が、今日の中国の特徴として浮かび上がってくる。
圧倒的な権力集中に加えて、かつての常務委員(閣僚に相当)、周永康氏の取り調べに見られる粛清人事という恐怖ゆえに、習主席はいま恐れられ、毛沢東に並び称される。
毛沢東時代の中国は極度に貧しかった。だが、現在の中国は仮そめにも世界第2の経済大国として、かつてとは比較にならない力を有する。習氏がどんな外交・安保政策を推進するのかによって、世界情勢は否応なく大きな影響をうける。
いま、中国を読み解く唯一の鍵は習氏の心を読むことだが、文革で追放され、敵視され、その敵視の壁を打ち破り、或いは溶かして生き残り、今日の地位に辿りついた習氏は、誰にも心を打ち明けないと言われる。だが、語らずとも、その心にあるものは自ずと明らかだ。第1が、ますます強い軍を創ることだ。
全人代では今年度の経済成長率の目標を7・5%とする方針を掲げたが、同時に、前年度比12・2%という突出した軍事費の伸び率を明らかにした。中国の国防は防御的だと、彼らは相変わらずの言い訳を続けるが、習氏の目指しているのは比類なく強い軍の実現である。習氏は全人代で軍幹部を前に「強軍」という言葉を10回以上も口にしたと、日経新聞の中国総局長・中沢克二氏が伝えている。
第2は日本への憎悪である。弱含みの経済、埋まらない格差の中で、類例のない軍拡は偏狭なナショナリズムを刺激する。その中で国民の不満が募れば、日本を悪者に仕立て上げ、捏造した歴史で責めたてるのが習政権の戦略である。日本を最大の憎しみのターゲットと位置づけ、あらゆる局面で日本に災いを降りかけてくるのは間違いないだろう。
変化はロシアからの購入
日本にとって中国こそ厄災の源であり、眼前の危機は尖閣諸島だ。危機は、日本が中国と対等の立場に立つとの気概なしには乗り越えられない。中国の軍事力に対応し、尖閣を守るのに最も効率的な手法は潜水艦能力を高めることだといわれている。深い海に潜んで中国艦船の動きを監視、抑制する力を発揮出来るのが潜水艦であり、この分野での日本の優秀さは中国を寄せつけない。
しかし、中国の軍拡のペースと、軍事的優位獲得への飽くなき野望を見れば、将来も中国の脅威をかわし続けるのは容易ではない。私たちは、これまでの中国の軍拡のスピードとスケールから、一体何を学び得るだろうか。
アメリカが中国の潜水艦を脅威ととらえ始めたのは、2002年から03年にかけてだと、防衛戦略教育研究室の青井志学氏は見る(『海幹校戦略研究』「中国潜水艦の脅威と米海軍」)。この頃、アメリカ保有の海洋監視艦5隻のすべてが大西洋から太平洋に移された。その後約5年を経て、太平洋配備の潜水艦の数が大西洋配備のそれを上回った。つまり、ソ連を脅威と見做したかつてのアメリカの国防戦略が、中国を脅威と見做すものに変わり始めたのだ。
アメリカは冷戦終結後、97隻あった潜水艦の約半数を除籍にした。いま、大西洋に22隻、太平洋に31隻を展開させているといわれる。一方、日本保有の潜水艦は16隻である。
中国は71隻を保有する。90年代半ばまで、それらの潜水艦は非常に音が大きく、追尾は容易だった。その意味で、殆ど脅威ではなかったのだ。
変化は95年、中国がロシアから静粛性の高いキロ級潜水艦4隻を購入したときに生じた。その後約10年かけて、彼らはキロ級潜水艦を12隻に増やした。この間、ロシアは国内仕様の高性能型潜水艦を中国に輸出し、中国が飛躍的に潜水艦能力を向上させる結果を生んだ。こうして12年までに、中国保有の潜水艦の約70%が近代化されたと青井氏は分析する。
このキロ級潜水艦が堂々たる姿を私たちに見せつけたのが2010年4月だった。愚かな鳩山由紀夫首相が東シナ海を友愛の海にしようなどと胡錦濤国家主席に提言し、オバマ大統領に「トラスト・ミー」と言っていた頃、日本の眼前をキロ級潜水艦2隻が浮上して航行し、計10隻の艦艇が編隊を組んで沖縄本島と宮古島の間を堂々と通過した。
その前の04年にはハン級攻撃型原子力潜水艦が先島諸島の日本の領海を潜ったまま航行した。さらに前年の03年には大隅海峡をミン級潜水艦が通過した。
ちなみに、96年3月、台湾の李登輝氏が総統選挙に出馬し、中国が圧力をかけるために台湾海峡にミサイルを撃ち込んだ。アメリカが空母2隻を台湾海峡に派遣したそのとき、中国は潜水艦3隻を周辺海域に展開していたのだという。
守り切る限界値
上の事件は中国に対米軍事力構築の急務を実感させたが、同時に、アメリカが中国の潜水艦への警戒を深めるきっかけとなったはずだ。
潜水艦に注目せざるを得ないのは、過去の紛争や戦争の歴史からその凄まじい威力が明らかだからだ。第2次世界大戦でドイツの潜水艦1隻に対処するのに、英米は艦艇25隻、航空機100機を展開させなければならなかったという。海中深く潜り、静かに接近し、致命的な攻撃を仕掛けるのが潜水艦だ。大海に潜った1隻を発見し、追尾するのは大変なことなのだ。大東亜戦争で日本海軍は全軍艦の3分の2に当たる201隻を米海軍の潜水艦に撃沈された。潜水艦の威力こそ、軽視してはならない。
米ソ冷戦当時、両国の潜水艦保有の比率は米国の1に対しソ連は3だった。3分の1だったが、米海軍は対潜哨戒機と対潜艦艇、統合広域監視体制と技術的な優位性で隻数の不足分を補った。当時、海上自衛隊は日本周辺海域を守り、冷戦下の秩序維持に貢献したが、軍事理論上、相手との差が1対2・8以内であれば、守り切ることは可能だという。
いま、アメリカの潜水艦と中国及びロシア海軍太平洋艦隊配備の潜水艦の隻数の比率は1対2・6だとされる。理論上守り切ることの出来る限界値の中にあるが、それは現在のことでしかない。加えて、当欄で度々指摘しているように、アメリカが必ず日本を守るという保証はないのである。
中国の潜水艦は71隻を超えて、隻数も能力も急速な右肩上がりを、この瞬間も続けている。
安倍首相は、日本の16隻の潜水艦を6隻増やして22隻にすることを昨年末の防衛大綱で決定したが、予算上、実現には10年かかる。こうした状況下で、成し得ることはなんとしてでも全て実行しなければならず、そのひとつが、集団的自衛権の行使容認なのだと、またもや強調したい。