「 感性だけの議論では解決出来ない原発問題 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年11月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1011
「原発は即ゼロがいい」と語り、原発再稼働にも反対した小泉純一郎元首相の会見を見て、郵政改革に向けた決意を語った場面を思い出した人は少なくなかったであろう。氏はあのとき、「殺されてもいい。郵政改革を断行する」と語ったのだ。
カメラの前で、短く、きっぱりと心情を吐露した瞬間に、小泉氏は郵政民営化の闘いに勝ったといえる。「殺されてもいい」との決意に国民は感動し、民営化に反対する人々は抵抗勢力とされ、退けられた。白か黒かに分けられたわかりやすい二項対立の構図の中で小泉氏への支持は急上昇し、そして高止まりした。
今回も氏の発言は大きな衝撃を与えている。「朝日新聞」は11月13日1面トップで報じ、世論調査では60%が支持を打ち出した。小泉発言が「政界再編の軸」にもなりかねないとの見方もある。原発反対の立場の「朝日」をはじめとするメディアや運動体は、小泉発言を大いに活用していくことだろう。
氏の発言が強い影響力を及ぼすとみられるのは、原発問題を論ずる土俵がいわば感性の磁場とでもいうべき状況になっているからだ。
現在、原発の駄目さ加減を象徴する問題の一つとして注目され続けているのが福島第一原発の汚染水である。約1,000基のタンクに汚染水をため込み、漏れた汚染水への追及が続く中で、わが国の原発問題は迷路に入り込んでしまっている。
これこそ、科学的思考を捨て去った感性の議論となっている具体例だ。感性で論ずるために、本来なら十分に解決可能な問題が非常に困難な問題にされてしまう。そこで膨大な予算と人手が無駄にされ、福島の復興が遅れるのである。
「ニューズウィーク日本版」(NWJ)の11月12日号が参考になるだろう。そして読んだ人はおよそ皆、疑問に思うだろう。日本のメディアはなぜこのような論理的かつ科学的報道が出来ないのかと。
いまの福島基準では汚染水を海に放出する基準は、例えばセシウムに関していえば1リットル当たり1ベクレル以下でなくてはならない。それ以外の放射性物質に関しての放出基準は1リットル当たり25ベクレル以下とされている。
他方、日本の飲料水はどうか。ペットボトルで売られている飲料水の基準はセシウムが1リットル当たり10ベクレル以下である。福島の汚染水放出基準は飲料水の許容基準の10倍も厳しいのだ。福島に適用されているセシウムの基準を当てはめれば、ペットボトルの水を福島の海に流せば重大な基準違反として、それこそ新聞のトップ記事にもなりかねないということだ。
また、平均的な人間の尿に含まれるカリウムからの自然放射能は1リットル当たり約50ベクレルだが、福島ではカリウムの放出基準がない。逆の意味で非科学的なのだ。
「NWJ」がこうしたことを伝え、国際社会では、原発から出る汚染水はALPS(多核種除去設備)で放射性物質を取り除き、残るトリチウムを十分に希釈して海に放出している、日本はなぜ、それが出来ないのかと問うているのだ。このような情報を知って、福島の現実の非科学性を理解すれば、おのずと議論のあり方も対処策も根本から異なってくるのではないか。
小泉氏の議論は常に感性を軸に行われてきた。それはそれで素晴らしい問題提起であった。私はその点を高く評価する一方で、氏が論理と知識を欠くために、氏の改革がおよそすべて失敗したことを忘れてはならないと思う。
皇室典範改正問題、道路公団民営化問題においては、氏が各問題の本質を全く理解していなかったことが議論の過程で明らかになった。原発問題もまた感性だけの議論では解決出来ないことを強調したい。