「 日本に殉じた英霊は等しく心を込めて祀るのがよい 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年8月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 998
8月15日の「産経新聞」1面に北京発時事伝が掲載された。それによると、中国共産党の毛沢東政権が1956~57年当時、日本との関係正常化を目指して日本の元軍人を含む「右派」への工作を展開し、「A級戦犯」の畑俊六(しゅんろく)元帥の訪中を熱望していたという。
日中友好促進のために中国共産党が「A級戦犯」を熱烈歓迎しようとしていたわけで、現在とは正反対の政治状況が読み取れる。靖国をはじめとする歴史問題がどれほど政治的に利用されてきたかを示す事例である。
畑は真珠湾攻撃の2年前の39年に陸軍大臣となり、翌年、米内光政内閣で中国派遣軍総指揮官に、44年には元帥となった。彼は「A級戦犯」として終身刑を受けたが、日本が独立を回復後、全国で起きた「すべての戦犯の赦免運動」によって、54年に釈放された。
この畑に毛沢東が接近したのだ。時事は、「親中派の遠藤三郎元陸軍中将」が56、57の両年訪中し毛らと会見したこと、日中友好協会(当時)理事長の内山完造も56年に訪中し、廖承志(リョウ・ショウシ)共産党対外連絡部副部長と会見したと伝えている。畑の訪中を望む中国の意向は内山に伝えられ、内山は遠藤を介して元「A級戦犯」の畑に接近したという構図が見える。
畑はしかし、申し入れを固辞した。遠藤は毛らの希望をかなえるべく、畑以外に4人の元陸軍大将に訪中を働きかけたが、いずれも失敗したことが中国側の外交文書に記されているそうだ。畑同様、訪中を断った4人は岡村寧次、今村均、下村定、河辺正三であり、いずれも陸軍大将を務めた。
実に興味深い。いま、中国が口角泡を飛ばして「A級戦犯」と靖国神社参拝を非難するのと同じ「政治の企み」が、「A級戦犯」本人を招くべく、接近工作した事実から見えてくる。時事が伝えたニュースの核心は、毛以下全中国人はA級戦犯など全く問題視していなかったという点に尽きる。
様変わりしたのは中曽根康弘元首相のときだ。このころから中国も韓国も歴史を政治の道具にし始めた。彼らの不条理極まる歴史の政治利用は、それを許す隙を日本側が与えたからであり、日本に半分の責任がある。
中国がどれほど「A級戦犯」にも「靖国合祀」にも無関心であったか、小欄でも繰り返し指摘してきたことだが、大平正芳首相の事例で見てみよう。
「A級戦犯」の靖国合祀は79年春に「毎日新聞」がスクープした。「A級戦犯」が合祀された靖国神社に当時の首相、大平は春も秋も例大祭で参拝した。その大平が同年12月に訪中すると、中国側は大平を熱烈歓迎した。
翌80年に訪中した中曽根は当時一介の代議士ながら、「青年将校」と綽名され靖国参拝を欠かさないことで知られていた。その中曽根に中国側は日本の軍事費を倍増してGNPの2%にすべきと進言した。
再度強調する。これはいずれも「A級戦犯」合祀後の外交である。中国人が「A級戦犯」も靖国合祀も全く気にしていなかったことの明らかな証拠である。にもかかわらず、日本のマスコミはこうしたことを歴史摩擦に仕立て上げる。彼らこそ、諸悪の根源である。
こうした中、安倍晋三首相は8月15日、靖国神社に玉串料と真榊を奉納して参拝を見送った。首相は時機を選んだのであろう。私は、首相はいずれ必ず参拝すると信じている。
小泉純一郎元首相を支え続けた飯島勲氏は、いま内閣参与を務めるが、安倍首相の今回の決断について語った。
「怒ってるんです。なぜ、行かないのか。行けばいいんです。政治の決断なんです」
靖国は政治問題にされているが、死者は区別せずに、等しく心を込めて祀るのがよいのである。とりわけ日本に殉じた英霊を区別してはならないのだ。