「 96条改正反対論の事実誤認 」
『週刊新潮』 2013年6月13日号
日本ルネッサンス 第561回
自民党の参議院選挙の公約から憲法96条の先行改正が外される見込みである。安倍晋三首相は攻めどころを間違えていないか。
安倍政権の課題は経済再生、安全保障の危機、教育改革など山積し手に余るほどだ。しかし、日本立て直しに必要なのはなんといっても憲法改正である。そのことを十分に認識しているからこそ、首相は96条の改正から始めると明言してきた。
現行の96条は衆参両院の議員総数の3分の2以上の賛成を得て初めて、国会は改正を発議出来る。その上で国民投票で過半数の賛成を得たとき改正が実現される。この改正のハードルは後述するように極めて高い。
米国が作った現行憲法を66年間、一度も改正出来ずにきた結果、日本は重要な問題に全く対処できない国になった。一例が尖閣諸島を危機に陥れ、沖縄本島の日本の領有権にさえ疑問を突きつける中国の脅威に、海上保安庁も自衛隊も十分な対処ができ兼ねていることだ。中国資本が狙う国境の島々や戦略的に重要な国土の売却及び使用に全く規制をかけられないのも、元を辿れば憲法29条に行きつく。
まさに憲法によって国が喪われ、主権が侵されているにも拘らず、条件が厳しくて改正出来ずにきた。日本国民が憲法に手をつけることが出来ないのでは民主主義に悖る。国民の手に憲法を取り戻すためにも96条の定める議員総数の「3分の2」から「2分の1」に変えようというのが改正の主旨だ。
しかし、96条の改正にはさまざまな反対論が沸き起こった。5月23日には護憲派の憲法学者や政治学者が「96条の会」を結成した。小林節慶大教授までも名を連ねたことに見られるように、改憲は必要と主張する人々までもが96条改正には批判的だ。
「大変時代錯誤」?
こうした反対勢力の側に、共産党や社民党が立つのは想定の範囲内だが、民主党はどうか。同党は憲法改正を国会で堂々と論じたいとしながらも、96条の先行改正反対の名目で、事実上、改正そのものに反対していると見られても仕方がない。なによりもその議論は粗雑で、党憲法調査会副会長の長島昭久氏でさえ、「7月の参院選挙を念頭においたレトリック」だと批判する。
民主党の議論がどれほど酷い内容か、3月29日の参議院予算委員会での質疑を見てみよう。同委員会は実は暫定予算を論ずる場だったが、民主党・新緑風会の小西洋之議員が唐突に憲法について問い始めた。
氏は安倍首相に「憲法の中で一番大切な条文をひとつ挙げ」よと問うた。「ひとつだけ挙げることは出来ない」との首相の、或る意味当然の答えに小西氏は尚同じ質問を繰り返し、「包括的な人権規定といわれる条文は何条か」と尋ねたのだ。
暫定予算の審議の場で憲法について「クイズのような質問」をするより、自分で調べたらよいだろうと首相にあっさりあしらわれても尚、小西氏は同じ質問を繰り返した。
自らの言葉に酔ったかのように興奮気味に質問を続ける小西氏に、委員長を務める民主党の石井一氏もたまりかねて注意した。それでも小西氏の興奮はおさまらず、「自民党の改正草案において徴兵制は違憲か合憲か」「闘う政治家の誇りにかけてお答え下さい」と首相に詰めよった。だが自民党の改正案にはそもそも徴兵制は含まれてもいない。
小西氏の論はさらに飛躍して「自民党草案は、かつての治安維持法の(ように)言論や結社の自由、表現の自由、そういうものを全て規制し得る」とまで主張する。
氏の主張は非論理的で本来、小欄で取り上げる意義もないが、それでも取り上げたのはこの種の粗雑な極論が、同党の憲法論の基調をなしているのではないかと思わせる発言が党幹事長の細野豪志氏から飛び出たからだ。細野氏は6月2日のNHK「日曜討論」で、石破茂自民党幹事長をこう批判した。
「なぜ自民党は表現の自由すら公益及び公の秩序で制限出来るというような、正直言いまして大変時代錯誤の憲法案を出しているんですか」
このような考えを露骨に出す一方で改正要件を緩和しようとするのは立憲主義国家として絶対にとるべきではないと、細野氏は言うのだ。
こんな議論を展開して、民主党は大丈夫かしらと思う。氏が自民党案の第21条を問うているのは明らかだ。同条は集会、結社、言論、出版その他一切の表現の自由を保障したうえで、第2項で「公益及び公の秩序を害する」場合は表現及び結社の自由は認められないと定めている。
これは「大変時代錯誤」どころか21世紀のいま、国際人権規約19条3項(b)で明確に定められている国際社会のスタンダードである。小西氏は前述の国会審議で特定の内容が条文の第何項に当たるのかなどとクイズまがいの質問を連発した揚げ句、首相は「何も知らない」と決めつけ続けた。その言葉は民主党幹事長に贈る方が妥当ではないだろうか。
守りの姿勢
民主党だけでなく、先述の小林節教授らも、96条を変えてはならない、96条は必ずしも厳しい基準ではない、たとえば米国は改正の発議に3分の2を必要とし、その後州議会の4分の3の賛成が必要だ、日本より厳しいのではないかなどと主張する。しかし、このような主張は間違いである。
日本大学教授の百地章氏の論を借りれば、米国の憲法改正の発議は議員定足数(過半数)の3分の2で足りる。つまり6分の2で発議できるのである。他方、日本の場合は「議員総数の3分の2」である。6分の2と3分の2、両者の間には大きな相違がある。
また、もうひとつの批判に、96条を改正したと仮定して、憲法の下位規範である法律と同じ簡便さで憲法を変えることが出来るようになるのは危険であり、おかしいという指摘がある。これも間違った見方である。
法律を変え、新しく立法するには衆議院では議員20人、参議院では10人の賛同が必要である。法律案の可決は定足数(3分の1)の過半数、つまり6分の1超でなされる。つまり、最低、法律は6分の1超の賛成で成立するのだ。そのあと国民投票は不要である。
他方憲法は、改正原案を国会に発議するのに衆議院なら100名以上、参議院なら50名以上の賛同がまず必要だ。これを可決するには議員総数の3分の2以上が賛成し、そのあとさらに国民投票にかけなければならない。このように96条を改正したからといって、法律と同じ簡便さで変えることなど金輪際出来ないのである。
安倍首相はこうしたことを明確に説明し、96条改正の意味を説かなければならない。安倍内閣の最重要課題を消極的な守りの姿勢でやり抜けるとは、到底思えないのである。