「 米国一部に根強い対日歴史批判 」
『週刊新潮』 2013年1月17日号
日本ルネッサンス 第541回
新年早々、『ニューヨーク・タイムズ(NYT)』紙が安倍晋三首相批判の激しい社説を掲げた。「日本における修正主義」の見出しで「もし首相が戦時の性奴隷(sex slavery)に関する公式謝罪を修正(modifies)するなら、地域の緊張を激化させるだろう」という書き出しだ。
これは昨年12月31日の『産経新聞』紙上の安倍首相の単独インタビューを報じたロイター電を基にした批判である。『産経』で首相は95年の村山富市首相の談話に代えて「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と語った。対してNYT社説はこう書いた。
「アジアの安定のために日韓関係ほど重要なものはない。にも拘らず、安倍晋三日本国首相はその任期を過ちでスタートするかに見える」、「彼は朝鮮や他の国の女性を性奴隷としたことも含めて第二次世界大戦の侵略(aggression)への謝罪を修正するかもしれない意向を示した」
安倍首相を社説子は「右翼の民族主義者」と断じ、「性奴隷として奉仕した女性たちが強制された(coerced)証拠はないと主張している」、「(日本国の)犯罪の如何なる否定も(日本国の)謝罪の如何なる希薄化も、日本の残忍な(brutal)戦時支配に苦しんだ韓国、中国、フィリピンなどを激怒させるだろう」と書いている。
首相の意向を、「安倍氏の恥知らずな衝動(shameful impulses)」と決めつけ、「日本が過去の歴史のごまかしではなく長年の経済停滞の改善に集中すべきときに、修正主義は当惑以外の何ものでもない」と結論づけている。
全文で35行の社説には「性奴隷」「右翼」「民族主義者」「修正主義」「恥知らず」などの〝修辞〟が多出する。昨年秋、徹底した取材で中国共産党の凄まじい腐敗問題を暴いたジャーナリズムの雄、高い国際的評価を勝ちとってきたNYTらしからぬ感情論の目立つ社説である。
日本の主張や説明を無視
ジャーナリズムの基本は取材である。社説は事実に基づいた洞察でなければならない。
だが、安倍首相批判の社説からは歴史の事実関係を調べた痕跡は読みとれず、むしろ知識の欠落が目立つ。当該社説子は安倍首相に突きつけた「衝動」という言葉を自らにこそ重ねて省みてはどうか。
かつて慰安婦問題に関して強調された日本非難は女性たちを日本国政府や軍が強制連行したという点だった。しかし、多くの調査にも拘らず強制連行を示す資料も文書も見つからず、複数の証言もむしろ、強制連行の否定に行きつくものだった。軍命で朝鮮半島の女性を強制連行したと嘘をついた吉田清治氏も、当の韓国側によって商業主義のでたらめと批判された。
こうして強制連行非難が成り立ちにくくなると、この点についての日本の主張や説明を無視して、韓国も中国も、米国の一部のメディアや要人も女性に性行為を強制したことを非難するのだ。その点を意識したのか否かは不明だが、 NYTの社説も強制連行と言わず、「性奴隷」の「強要」だと非難している。
私も慰安婦を存在させたこと自体が悪いとする価値観を否定はしない。性の売買などさせないほうがよいと私も思う。しかしそこまで主張するなら、では一体どの国とどの軍隊に日本非難の資格があるのかと、問わなければならないのも事実だ。
敗戦の日本を占領したとき、米国はまっ先に「女を用意せよ」と要求した。このことは『毎日新聞』の政治記者で東京本社編集局長、副社長まで務めた住本利男氏が『占領秘録』(中公文庫)に書き残している。
『占領秘録』は昭和27年4月、日本の主権回復と同時に開始した連載をまとめたものだ。それまでは米国の占領下で、新聞、雑誌、ラジオ、演劇などすべてが厳しい検閲を受けており、日本人には表現の自由も報道の自由もなかった。住本氏は占領終了を待ち侘びていたかのように記者としての体験と取材を世に問うた。そこにはこう書かれている。
「米軍が横浜に進駐したその晩に、早くも佐官級の人々がジープを飛ばして東京にきた。そして丸の内警察署を警視庁とまちがえてか、入ってきて、女を世話しろ」と迫った。丸の内警察が「そういうものはないと答えると、あの辺に大勢いるではないかといって、日比谷あたりを歩いている女の人たちを指さした」と。
これは昭和20年夏のことだ。絶対的権力を握った占領者が有無を言わさず女性を要求した様が浮かんでくる。その後各地で起きたことは多くの日本人が心の中にいまも生々しい記憶としてとどめているはずだ。私たちは忘れてはいない。だが敢えて口にすることもしない。戦いに負けるとはこういうことなのだと自らに言いきかせ、同時にその時代の価値観と背景を考慮するからだ。
現在の常識で過去を裁く
日米両国の歩みには共通の失敗とより良い未来への共通の志がある。戦時中の慰安所における売買春と同様の事例が戦後もあったことは、すでに前述した。NYTや韓国や中国は戦時中の行為をいま、「性奴隷」として非難するが、奴隷制度の本家本元は米国である。アフリカ大陸から人々がどのように強制連行されたか。人間としてではなく物として運ばれ、売り捌かれたのではなかったか。黒人奴隷に多くの子供を産ませた大統領も存在していたのではなかったか。
とは言え、私は米国のもうひとつの側面を高く評価する。奴隷制度を作った米国は歴史の経過の中で、あらゆる差別をなくそうと極めて真摯に取り組んできた。性差別も人種差別も含めた差別撤廃に、他のどの国よりも熱心に取り組んできた米国に私は深い敬意を払っている。
このような国柄を創った米国人だからこそ、日本人が米国人と同じ価値観を守るべく、過去も現在も努力していることを、最もよく理解できるはずだと確信もしている。たとえば日本は1919年、第一次世界大戦後の国際社会の秩序構築に寄与したいと願い、人類で初めて人種平等の原則を提唱した。人種差別の苦しみを知る日本国の提案を取り上げなかったのが、パリ講和会議議長を務めたウッドロー・ウィルソン米大統領だった。
そして現在、日本人は戦前の売買春が当時の常識であったとしても自省し、米国同様、普遍的価値に資するべく努力を重ねている。にも拘らず、実態も調査せずに決して奴隷的扱いではなかったその制度を「性奴隷」と決めつけ、日本は反省していないと非難し続けることには、名誉をかけて異議を唱えるものだ。
米国の良識を代表するNYTはなぜこのような実態を調査しないのか。なぜ事実の検証を疎かにするのか。同盟国日本をなぜもっとよく見詰めないのか。日米は多くの価値観を共有する。こうした事実を米国に伝え、双方で学び合うための情報発信に国家プロジェクトとして取り組むことを、安倍首相に望むものだ。