「 忘れるな、ロシア人の蛮行 」
『週刊新潮』 '05年11月24日号
日本ルネッサンス 第191回
よく指摘されることだが、日本では学校でも家庭でも歴史を語り継ぐ機会が非常に少ない。学校では現代史に辿り着く頃には時間切れとなり、家庭では戦争を語る資格のある祖父母や父母の世代が口を噤んできた。
現代史、就中、戦争を語らないことによって、幾つもの空白が日本人の記憶のなかに生じている。そのひとつは間違いなく日ソ・日露関係の実態である。
首相の靖国神社参拝問題などもあり、日中戦争については多くの議論が闘わされてきた。しかし、旧ソ連による日ソ中立条約の一方的破棄、その後の対日軍事行動、日本降伏後も続いた暴虐、日本軍兵士の強制抑留、民間人への殺人、強奪、強姦事件などについてはほとんど、語り継がれてこなかった。
たとえ世間の耳目を集めることが、いまは出来なくても、歴史の事実として、生き証人が多数残っている間に記録だけでも整理しておく必要がある。そのような理由から、平和祈念事業特別基金が戦後強制抑留史編纂委員会を設置、同委員会は97年4月から丸8年の努力を経て、『戦後強制抑留史』(全8巻)を出版した。日露関係を考えるにあたって、ソ連が日本に対して行ったことはどういうことだったのか、を改めて確認するための実に貴重な資料集である。
まず、日本人はなぜ、抑留されたのか。ソ連政府が1945年8月に出した「9898号命令」は、労働に耐えうる日本人50万人をソ連領内に連行するとし、彼らは実行した。抑留者はソ連各地およびモンゴル領内の収容所も含めて、約2,000ヵ所に分散抑留された(第2巻)。
『抑留史』に掲載された配置図を見ると、おびただしい数の収容所の位置が、建設する予定の鉄道路沿いにびっしりと書き込まれている。収容所は6キロ毎に建てられていたというが、この配置を見ると、抑留者が労働力として強制的使役の対象となっていたのがよくわかる。これら2,000ヵ所にものぼる収容所には一体どれほどの数の日本人が抑留されたのか。ソ連軍に拉致され抑留された日本人の引揚げは、米国の仲立ちでようやく1946年12月に始まった。第一次引揚者数は5隻の船で1万2,610人にのぼり、47年12月までに計19万5,765人が引揚げた。
10万もの日本人が死亡
外務省はこれら引揚者に聞きとり調査を行い、各地区の収容所数及び残留人員、死亡人員をまとめた。それが1947年12月1日現在の「ソ連地区収容所掌握概況表」であり、それによると、死者7万7,107名、残留人員47万7,898名である。
帰国者と残留者と死者を単純合計すれば75万0,770人となる。しかし、『抑留史』第2巻では、外務省の調査票にはペトロパブロフスク、マガダン、エラブカなど十数地区の抑留者6万7,200人と、南樺太・千島及び、ソ連国内の収容所のような位置づけだった北朝鮮の収容所の分が抜けていると指摘、それらの収容所での人数を加えると、死亡者数は「多分十万人以上」「抑留者数も七十―八十万人にのぼっていたであろう」との推測を示している。
ポツダム宣言第9項は日本国軍隊が完全武装解除されたあとは「各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ」と定めた。ソ連はこの第9項を破り、武装解除した日本兵を抑留し、強制労働を経て、10万人とも推測される日本人を死に追いやったのだ。
武装解除した軍人たちを日本に送還するどころか、ソ連政府は少なからぬ人々を銃殺した。第4巻には「ソ連は、日本の特務機関関係者を狙い撃ちして逮捕、早々に判決を下して銃殺刑に処した」と書かれている。尋常ではないソ連の違法行為であり、ソ連がそこまでするとは当時の日本人も考えていなかった。その一例に山形求馬陸軍少佐がいたという。
山形少佐はソ連情報の専門家でハルピン特務機関にも在籍していた。ソ連が突如、対日侵攻を開始すると、彼は新京(長春)在住の家族集団の引率者として帰国を命ぜられ、平壌まで南下してそこで歩を止めた。彼自身、米軍の支配地域に入ることをためらったのだという。「山形少佐のごときソ連情報の専門家ですら長期の熾烈な戦争を戦った米軍よりも、一方的に満州に侵攻したソ連の方が日本人に対する扱いが穏便であろうと誤判断した」と『抑留史』第4巻には書かれている。
彼は逮捕され、沿海地方に送られ、特務機関関係者として裁かれる。弁護人も傍聴人も、山形がロシア語を解したとはいえ通訳もいない法廷で裁判は行われ、やがて銃殺刑を言い渡される。
真のロシアを分析せよ
彼は窓もない鉄製の箱形の囚人用自動車に乗せられ収容所の広場に放置された。そこに夕方の運動のために連れ出された日本人抑留者たちが来た。無論、彼らは箱形自動車に山形がいることも、彼の死刑判決のことも知らない。鉄の箱の中に閉じ込められていた山形は、自分の置かれた状況を知らせるために車体に体当たりして大きな音をたて、仲間の注意を引いた。「山形参謀銃殺!」と彼は絶叫した。驚いた仲間たちは山形の「血の絶叫」を察知し、「わかったぞ! 必ず家族に伝える」と叫び返したと綴られている。
この記録を残したのは満州国元法務部次長(満州国法務大臣)だった前野茂である。彼は25年の重労働の刑を受け、ウォロシロフ野戦監獄で山形と同獄だった。前野氏の記録ではじめて私たちは山形少佐の事例を知るのであり、これら犠牲者についての情報がソ連側からもたらされたわけではない。
前述のように日本人50万人の連行を目指したソ連側は、人数を揃えるため手当たり次第に“人狩り”をした。中には病弱者も含まれ、建設労働などの役に立たないこれらの人々、約4万5,000人をソ連は満州や北朝鮮に送り返した。吉野氏という人物のその時の体験談が第4巻に紹介されている。
「シベリア抑留中の苦痛の中で、送り返された列車輸送時が一番苦しかった。役に立たない者は見捨てられたようなもので、着衣ははがされ、最低の服装で、貨車は暖房もなく、暖を取るために貨車の壁に体をぶつけてみたが、そのようなことでは何の役にも立たず、本当に死ぬかと思った」
送還が人道主義に基くものではなく、重労働の役に立たないが故に切り捨てる、という発想からなされたものであることを示している。
ソ連の一連の行動は、不思議なほど、日本では論じられていない。だが、シベリア抑留をはじめとするソ連の行動は冷徹に分析しなければならないものだ。その分析からソ連の、そして今日のロシアの姿を読みとらなければならない。その作業なしには日本は再び日露関係を読み誤り、国益を損ないかねないのだ。
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トラックバック by 手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ — 2005年11月25日 08:19
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トラックバック by なめ猫♪ — 2005年11月26日 01:21
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トラックバック by 諸葛川 — 2005年11月27日 22:55
西洋占星術で、最近きつい土星、海王星のアスペクトを見ると乃木希典将軍を思い出す。
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トラックバック by ズイフー!!ブログ - 西洋占星術 — 2006年04月13日 18:50
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トラックバック by Amoxicillin flavors for kids. — 2007年04月10日 13:41