「 現在の中国はいかにしてできたか 特異な隣国についての自覚を促す書 」
『週刊ダイヤモンド』 2012年8月4日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 947
少々前の本だが、あまりに興味深くて、書かずにはいられない。『もし、日本が中国に勝っていたら』(文春新書)である。著者は趙無眠氏、ネット上にしか存在しないペンネームだ。日本語訳は富坂聰氏。
「まえがき」で富坂氏は同書が中国で、少なくとも知識人の間では、驚くほど広く読まれていると指摘し、趙論文が、「天使か悪魔か」の二極で捉えられていることを紹介する。同書は中国人に、「深く共感するか、唾棄してこれを憎むか」を迫る「心をかき乱す」要因になっているというのだ。
「趙無眠」は中国の「四大漢奸」の一人とされているそうだが、本書を読めば、なぜ国賊呼ばわりされるか理由がわかる。一言でいえば、年来日本人を悪として恨み、「日本鬼子」と蔑称してきた考え方に異を唱え、部分的ながら日本人を評価しているからだ。
無論、趙論文は日本評価の半面、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」を歴史の事実と捉え、日本に対して不条理な非難ともなっている。その点、年来の反日と同質ではある。しかし、同書の特質は、その点を超えて、例えば、日本と米英仏露などを比較し、後者の国々の侵略が日本のそれに比べて「少ない」といえるのかと問う姿勢を貫いている点だ。1905年に日露戦争でロシアが勝っていたら、それははたして中国にとってよいことだったのかと、次のように語る。
「スターリン時代のソ連は、中国東北部(満州)を『もともとロシアの領土だった』といってはばからなかったのであり、帝国ロシアの軍人たちはその土地──なかでも旅順──をずっと自分たちの故郷だと考えてきたことからも、(中国が)ソ連に呑み込まれてしまった可能性は消せない」
また、日本が北京や上海、広州などの外国人租界の治外法権を一挙に撤廃したことを指摘した上でブルース・リーの映画についても問うている。ブルース・リーが、租界の入り口にあった「犬と中国人は入るべからず」の看板を打ち壊し、通りかかった日本人を一撃する場面に関して「中国人のためにこの看板を徹底して取り除いたのは、まさにその日本人自身であったという事実をしっているのだろうか!」と問う具合だ。
中国人の激しい思い込みを正し、日本人非難によって得られる中国人の快感に水を差すのだから、趙氏が「漢奸」として憎まれるのも当然であろう。
さらに興味深いのは、中国がいかにして現在の中国になったかの趙氏の見方である。中国は外族(外国民族)に侵略され支配されたが、外族は最後には中国人になり、結果として中国の版図は広がり文化文明も高め深められてきたというのである。例えば、モンゴル帝国創始者のチンギスハンは元朝を築いて版図を広げ中国を支配したが、最終的に彼は中国人になったという具合だ。
「世界の中でこれほど大きな影響を中国に及ぼした国は日本のほかにはない」としながらも、いったん日本が中国支配を始めれば、つまり「中国の運営に国家としてコミットしたとするなら、その後はどんな理由や方法を使おうと中国から離脱することは容易でない」。台湾やチベットのように、中国人は「日本の離脱を許さない」という。
日本が中国を征服して統一することは、中国が日本を征服して統一することと全く同じ結果、「中国はひとつ」を実現することだと氏は結論づける。
漢奸として非難されているが、趙氏は実に漢民族そのものではないだろうか。周辺民族をのみ込みながら版図を広げ、いま、その広大な版図をもって自らの力となしてきた歴史を、氏は率直に認めているのであり、日本がいかなる形で中国に関わろうとも、しょせんは中国の一部になるという考えこそ、中華思想の粋であろう。この国の隣国である日本の自覚を促す書でもある。