「 イタリア式かオランダ式か アメリカと同じ運命を辿るのがベストとはいえない 」
『Voice』 2001年9月号
森永卓郎・櫻井よしこ対談 特集 日本経済「自力再生プラン」
景気を回復させること自体はいとも簡単
森永(三和総合研究所主席研究員): 小泉さんが構造改革を訴えて登場したら、女性たちのあいだで大フィーバーが発生しましたね。先日、羽田空港国際化の問題で呼ばれて自民党本部に行ったら、売店で小泉首相のポスターを求める女性たちが行列していました。私もつい買いそうになりましたが(笑)。小泉さんのいうことに諸手を上げて賛同するのは、日本人がまだ自立していない証拠だという気がしますね。私は、守旧派が築いてきた利益誘導型政治を叩き潰すという点では構造改革に賛成ですが、そこからあとの社会をどうデザインするのかという点については一貫して批判的なんです。
櫻井: たしかに小泉内閣の異様に高い支持率は、日本人一人ひとりが自ら考える意識を欠いている表れとも考えられます。それだけ閉塞感が強いということでもあります。私は小泉内閣がなぜ必要か、そのことについて、少しお話をさせてください。
いま日本の長期債務残高は666兆円といわれていますが、その下には、もっと深い根が張っています。それは、日本のお金が官の支配のもとに流れていることです。予算には一般会計と特別会計があり、特別会計の使い道は閣議決定事項になり、国会で事実上審議されません。今年度の一般会計予算83兆円のうち、純歳出額はわずか34兆円しかない。一般会計と特別会計のあいだを行き来する重複分を除くと、特別会計からの歳出が圧倒的に多く、じつに251兆円です。特別会計で流れるお金が一般会計の7、8倍あるということです。その配分を決めるのも政治家ではなく官僚で、地方自治体の隠れ借金や特殊法人への出資金・補助金、国債の償還金などが使い道になっています。日本のGDPが510兆円で、国と地方を合わせた特別会計の歳出は300兆円ですから、GDPのおよそ6割が官の手を通ったお金です。これはもはや社会主義以外の何ものでもありません。
森永: おっしゃるとおりです。
櫻井: こうした実態を私たちは見つめるべきであって、借金を返すと同時に、日本のシステムをどう改めるかを考えなければなりません。小泉内閣の「骨太方針」は必ずしも100点だとは思いませんが、小泉さんはサミット後に「いまの痛みを多少我慢して、明日をよりよくする『米百俵』の精神は、どんな時代でも変わらない大事な精神だ」と述べ、「改革なくして成長なし」の覚悟を国民に問うたわけです。歴代の政権は「政府が何とかするから大丈夫」とか「お任せください」といって赤字国債を増発してきました。小渕内閣のように、一時的に景気はよくなっても、その後の収拾がつかなくなるよりは、国民に財政問題の痛みを分かち合う覚悟を訴えた内閣のほうが価値があると、私は思います。
森永: ええ。ただし、「構造改革なくして景気回復なし」という小泉内閣の台詞は、そこから先に大きな矛盾を孕んでいるんです。
櫻井: ご著書(『日銀不況』東洋経済新報社)でもお書きになっていましたね、致命的な論理矛盾があると。
森永: 日本は所得も貯金も十分ある国です。にもかかわらず景気が悪いのは、国民がお金を使わないからです。構造改革とは、自民党の塩崎恭久議員が述べているように、経済効率を上げて潜在成長力を上げる政策を意味します。要は、同じ人や設備があれば、より多くモノをつくれるようにすることです。構造改革はいわば供給拡大の政策で、中長期的には絶対に必要です。でも、日本は需要する力がないから不況なのに、供給をいくら高めても、当面の景気回復にはならない。むしろ私は、いま日本はわざと不況にしているのではないかと思うふしがあります。
櫻井: といいますと。
森永: 1983年に日の出山荘でロン・ヤス会談が行われました。そして86年に、前川春雄日銀総裁が書いた『前川リポート』が中曽根総理に渡されました。そこに書いてあることは、いま小泉改革が打ち出している内容とほぼ同じです。『前川リポート』の最後には、「改革の先送りは許されない」という趣旨のことがわざわざ項目を立てて書いてある。しかしこのレポートは実行されなかった。その後、日銀の金融緩和によってバブルが発生した。誰も改革の痛みを甘受しようと思わなくなったからです。
政府は「財政出動を繰り返してゼロ金利も解除したが、それでも駄目なので構造改革をする」というレトリックを使っています。しかし、景気を回復させること自体は、いとも簡単なんです。
日銀券は現在、58兆円ほど市中に出回っています。国民1人当たり50万円、一家4人なら200万円のキャッシュがあるはずなのに、どこの家にもそんなお金はない。ということは、億単位のお金をもっている人がいることになる。この人たちは、いま状況を見ているんです。もし日銀が本気でデフレを止めると宣言したら、彼らのお金は動きはじめるでしょう。
1929年の世界恐慌後、1933年の3月にアメリカで同じことが起きました。ルーズベルト大統領が事実上の金兌換停止を決定し、FRB議長が金融緩和派のブラックにバトンタッチされ、量的金融緩和への期待が高まっただけで、アメリカ経済は奇跡的な成長を遂げた。たった4ヵ月で鉱工業生産が57%、年率にすれば170%も増えました。デフレに陥ったあとの回復の仕方は、いつもこのパターンなんです。問題は量的緩和のカードを一回しか切れないことで、景気が一気に回復すると、バブルの二の舞になる。『前川リポート』の失敗は、具体的な施策に結びつく前にバブルを起こしてしまったということです。
櫻井: 先ほど1人当たり50万円相当のキャッシュが市場にあるはずとおっしゃいましたね。庶民ではないとすると、誰がもっているのですか。機関投資家ですか。
森永: いえ、機関投資家ではなく、個人がそのうち8割で、中にはたぶんイリーガルな儲け方、いちばん多いのは脱税ですよね。私、いろんな銀行に取材させてくれと頼んでいるんですけど、いま銀行の貸し金庫を開けると、キャッシュがぎっしり詰まっているはずです。ところが、どこも取材をOKしてくれない(笑)。
櫻井: 貸し金庫というのはどのくらいの大きさなんですか? なにしろ、あまり縁のない世界なもので(笑)。何千万円も入るのかしら。
森永: いやいや、何億円も入りますよ。本来なら預金すればいいわけですが、後ろめたいお金であるのと、もう一つはペイオフが控えているので、キャッシュでもっておきたい。往々にして金持ちほどケチで、しかも市場の動きに敏感です。デフレが止まり、他に運用したほうが有利になると思った瞬間に、値上がりしはじめた不動産や株を買うでしょう。すでに、今年の地価公示にその兆候が出ています。渋谷区と新宿区と港区の土地が上がりはじめた。市場原理の世の中になると、少数の大金持ちと多数の貧乏人に分かれる。渋谷区の松濤や港区の白金、麻布など、お金持ちが住む街の地価はすでに上がりはじめています。その一方で、庶民が住んでいる街の地価は下がりつづけている。このまえ長野県に講演に行ったら、塩尻駅の駅ビルが経営破綻で競売にかけられており、価格はなんと7,000万円でした。駅ビルがですよ。もっと驚いたのは、西武ヴィラ苗場というリゾートマンションの1Kの部屋の所有権が、70万円です。
櫻井: 70万円?
森永: 信じられないでしょう? 首都圏の端やリゾートはどんどん地価が値崩れしているんです。週刊誌を読むと、千昌夫さんがバブル後に2千億円以上の借金をしたと書いてある。でも、現在のダイエーと西友の株をすべて買っても、2千数百億円です。バブルのときに資産をすべて現金に換えていれば、日本最大級の流通グループ二つを買い占めることができたのです。金持ちにとって、こんなおいしい時代はない。そこで利用したのが、ITバブルだったと思われます。IT企業は株式の新規公開で何十億円という資金を手に入れる。思いつきのような商売にもお金が集まったのは、デフレでほかに投資先がなかったからです。そして今度の構造改革で不良債権の最終処理をすると、企業が次々と倒産する。とくに建設、不動産、流通など土地をもつ業種の企業が潰れると、ますます地価が下がる。下がったところで一気に土地を買い占め、そののちに政府の調整インフレを待つというのが、短期間で儲ける一番のやり方です。
櫻井: いま森永さんのおっしゃったようなストーリーを誰かが仕組んだとはにわかに信じがたいのですが、森永さんのご主張のように仕組んだと仮定して、ではいったい誰が仕組んだのでしょう。
森永: 具体的に誰というのは分からないのですが、表に出てこないお金持ちは大勢います。85年に電電、専売、国鉄の三公社を民営化する中曽根行革がありましたね。当時は加藤寛さん、島田晴雄さんが、そして小泉内閣では竹中平蔵さんが特殊法人の民営化を訴えました。彼らは市場原理を信奉する学者たちです。その背後には、マーケットメカニズムで解決をはかる学者を支援して金儲けを目論むお金持ちがいるわけです。
櫻井: 誰かの陰謀というより、マーケットの流れのなかでそうした動きが出てきたのではないでしょうか。マーケット原理を批判する人は、アメリカのように成功者と失敗者に両極化する社会は好ましくない、競争原理がすべてではないといいます。たしかに、たとえば不良債権を大量に引きとって、その中身を分別して、いいところだけを選び出し、付加価値をつけて売ってしまう外資系企業などを見ると、日本全体が外国資本に乗っ取られてしまい、戦後の日本人が努力して会社を築いてきたのは何のためだったか、と悔しく思うのは人情です。しかし、これまでの日本には競争原理がなさすぎたから、事態がここまで悪化したのです。停滞を続けるよりは、資本の持ち主が誰であろうと、活発な経済活動で利益を上げて、多くの研究開発費を投じ、よりよい製品や技術をつくって人類に貢献するほうが、はるかに健全な社会ではないでしょうか。
イギリスのサッチャー政権時代、アメリカやフランスの企業の社長やオーナーのなかに、首相とお昼やディナーをともにした人が多勢いるそうです。日本でも驚くほどの企業経営者がサッチャー首相と単独で会っています。どうしてだろうと考えたら、サッチャー首相は、労働党から政権を引き継いだのちの経済再生のために、外国資本を積極的に呼び込もうとしたのです。優秀な人材が来て、よいマネジメントでよい製品をイギリスでつくり、職と利益、税金をもたらしてくれれば、どの国の資本でもいいと考え、首相自ら、率先して外国企業との交流を図ったのです。
日本に与えられたもう一つの解
森永: 構造改革というのは、じつは2層構造になっているんです。1つは櫻井さんのおっしゃった特殊法人のような非効率な組織を改革して効率化する。この破壊の部分とセットで、アメリカ式の市場原理中心の経済社会構造にするという売り文句がある。たしかにこの2つは整合性をもった解だといえる。実現可能だし、持続も可能でしょう。
ところが、世界にはもう1つの解があるのです、ヨーロッパという解が。サッチャーさん以降のイギリスはヨーロッパ式を離れて、アメリカ式の社会に進路を変えたわけです。それで、イギリスの情報通信産業や金融業は爆発的な発展をした。一方、イギリスが歴史的に培ってきた自動車産業をはじめとするモノづくりは、一気に衰退していく。金融や情報通信に関してはアメリカ式が強いのは確かですが、選択は各国次第だと思うんです。たとえば日産自動車を買収したのはフランスのルノーですし、ここ2年間の対日投資のトップは、じつはアメリカではなくフランスです。ヨーロッパ型社会という選択肢は、案外日本人に向いているのではないか。私個人はイタリア式で行きたいけれども…。
櫻井: なぜイタリアなんでしょうか。
森永: イタリア式というのは、最も高い付加価値を稼げるのです。あんなに働いていないのに、1996年の1年間だけですけど、国民1人当たり経常収支の黒字で日本を抜いたんです。ローマよりも南のイタリア、たとえばナポリなどの地域では、誰もまじめに労働をしない。それでも国全体として経済が循環しているのはすごいことです。しかも、イタリアの大企業はオリベッティ、フィアット、最近はベネトンなど数えるほどで、残りはほとんど中小企業。しかしグッチやフェラガモ、フェラーリ、アルファロメオ、マセラティ、トラサルディ、アルマーニなど、世界に通用する一流ブランドが無数にあるわけです。
日本が市場原理で世界と戦うやり方を選ぶと、結局アメリカと同じく製造業を犠牲にする運命を辿ってしまうと思うんです。典型的なのは工作機械産業で、1960年代までアメリカの工作機械産業は世界トップだった。ところが日本がメカトロニクス化で電子部品を改良して追い抜く。アメリカの工作機械産業はアジアと価格競争を繰り広げて、徹底的に安物づくりに走った。経済学の教科書に書いてあるような価格競争を実行したわけです。日本の工作機械産業の敵は、じつはヨーロッパのマニアックなモノづくりです。ライカのカメラ、ロレックスの時計とかがその典型。
櫻井: たしかにヨーロッパのものって、高いけれどなかなか魅力的な製品が多いですね。
森永: 高品質なものを売っていくというのは、一つの生き方でしょう。彼らが売っているのはセンスなんです。単純に性能だけだったら日本車のほうがいいのですから。
櫻井: 形とか、ファッション性を追求する。
森永: そうそう。センスを高く売る商売をしている。だから、たとえば、いま日本でプジョー206のカプリオレが売れており、納車は半年待ちとか1年待ちといわれる。つくろうと思えばつくれるのに、彼らは1ヵ月のバカンスを優先するわけです。
櫻井: ハッハッ、日本人なら一所懸命注文に応えますね。
森永: 休日出勤して、サプライ・チェーン・マネジメント(ITを応用した生産管理)をしてしまう。古いシステムを潰すというファーストステップは同じでも、セカンドステップはどちらがいいかという点は、きちんと議論をしないといけない。いままではなし崩し的にアメリカ式を選んでいた。地方分権によって、東京はアメリカ式に、大阪と沖縄だけイタリア式にしようというのもありだと思う。彼らにはラテン気質の土壌ができていますからね(笑)。
それは極論として、日本人が受け入れやすいのは、オランダ式のライフスタイルだと思うんです。オランダはここ何年も3%以上の経済成長をしている。失業率も去年は2.6%で、アメリカよりはるかに低い。世界で最も経済パフォーマンスの高い国といっていいでしょう。
櫻井: どういう要因があるんですか。
森永: 90年代の構造改革で雇用が失われたとき、オランダは徹底的にワークシェアリングを行いました。労働時間によって時給を変えないと法律で定めて、月・火・水曜日午前に働くパートタイマーと、水曜日午後から金曜日までのパートタイマーというように、いろんなパターンがあるんです。彼らは進んでパートタイマーになるのです。午前中公務員で午後は貿易商という人もいて、働き方はじつに多彩です。日本人も死ぬまで働きたいと思っている人は少なくなっているけれども、まだ労働市場に自由度がない。二週間夏休みをくれといっただけで、もう自分の机はない社会ですから。
さらにオランダのすごいところは、自己責任原則の徹底ぶりです。ご飯を食べるときに割り勘にしようぜというのを、「ゴー・ダッチ」とか「イート・オン・ダッチ」といいます。オランダは、すべてが割り勘システムなんです。だから雇用も分け合う。福祉事業もNGOに発注しますから、自分たちの考えが反映される。日本のように役所お仕着せの介護メニューだと、中心街から離れた場所にポンと特別養護老人ホームを建て、みな同じ時間にご飯を食べさせ、風呂に入らせるという、工場のような暮らしになってしまう。コストも高いし、住む人も不幸せです。
櫻井: 学生時代にアメリカ大陸を旅行したときに会った学生の1人がオランダ人で、その人の知り合いで90歳近いオランダ人のお年寄りにお会いしたことがあります。話していると、じつにしっかりした方なんです。朝起きたらシャツとジャケットを着て出かけて、ご飯も自分でつくる。ところが、彼は「年を取って生きるということは、とても辛いことなんだ」というんです。「生きているというのはたしかにナイスだが、生きつづけるというのは、とても大変だ」と。
日本のお年寄りだったら、孫と一緒に暮らすとか、特別養護老人ホームに入るという手もあるのでしょうが、彼はヘルパーを雇うことはあっても、周囲にけっして甘えない。自立の魂のようなお年寄りでした。しかし戦後の日本人は、オランダ人のような自立と自己責任で生きることができなくなっています。
森永: オランダでは売春とドラッグ、安楽死が合法化されています。これらを自己責任でやるぶんには罪を問わない。逆にいうと、この法律は社会の厳しさの象徴です。安楽死してもいいといわれたとたん、真剣に死について考え、自分の選択を決めなければいけない。一律に安楽死はいけませんと切るほうがはるかに楽なんです。
櫻井: 日本には自立と自己責任が必要というけれども、私たちはいったい、これほどまでに自立、自己責任といわなければならない民族だったかと考えると、昔はそうではなかった。ちゃんとやっていたんです。清少納言の昔から、人は「昔はよかった」といっている。人類はきっと永遠に「昔はよかった」と思うものなのでしょう。では、この「昔」とは何か。人間が自分の手で、自発的により多くのことをこなした時代のことだと思うんです。機械技術が発達していない時代には、仕事は自分たちでやらなければいけなかった。寒さ暑さのコントロールから始まって、日常のことすべて自分たちの手で対処していた時代では、人間は必然的に自立していなければ生きていけなかったわけです。それが自分でやらなくてもいい時代へと移り変わって現在に至るわけです。どの時代から見ても、過去の時代の人のほうが、自立し自己責任が強かったというのが文明の構図としてあります。が、現代日本人はそういう構図を超えて、精神の自立を失ってしまった面がありますね。
森永: 明確な時期は分かりませんが、戦時経済体制が依存型システムの雛型をつくったことは間違いないでしょう。19世紀までの日本は、離職率を見ても、現在のアメリカ並みに高かったし、どんどん離婚もしていた。明治時代に民法ができるまでは男にしか離婚権がなかったと聞きますから、不平等ではあったでしょうが…。
櫻井: その点には反論したいですね(笑)。じつは江戸時代は、むしろ女性から離婚を言い渡していたんです。私たちは歌舞伎の世界像から、三行半(みくだりはん)を突きつけるのは男だと決め込んでしまいがちですが、三行半は女性からも突きつけていた。これは意外に知られていないことですが、当時の女性も思いのほか、自分の意思を通していたのです。
森永: そうでしたか。たしかに私も何件か女性のほうから突きつけられたような記憶はありますけれども(笑)。
構造改革は自分でやれ
森永: 日本が富国強兵、殖産興業の国家総動員体制に変わるなかで、自分の考えを表明して議論をすることが許されず、命令に必ず従う姿勢が広がるわけです。『中央公論』の今年5月号に齋藤健さん(内閣官房行政改革推進事務局企画官)が「組織が自己改革力を失うとき」という面白い論文を書いています。日本軍がサント・トマス大学というフィリピンの収容所に連合国軍の捕虜を収容したとたん、彼らは自発的に警察、衛生、建設、給食、防火、厚生、風紀、教育にいたるまで委員会をつくり、裁判所までが置かれ、しかもそれが2~3週間しかかからなかったそうです。
かたや日本人がサハリンで捕まり、日本への帰国が決定したとき、自分たちを生かしてくれたソ連に感謝の気持ちを表すため、連日10時間の自主的な労働を行い、反対者は村八分にして『インターナショナル』や『スターリン賛歌』まで歌ったという。つい先日まで「天皇陛下万歳」といっていた人たちがですよ。どうも日本人は自分よりも偉いと思った人に「地の果てまでも」追従したがる人が多い。
ですから今の構造改革の何が問題かというと、国民の多くは、小泉内閣が構造改革を行ってくれると思っているところです。構造改革は自分でやるものです。政府だけが腐っているんじゃなくて、会社だって腐っている。自分の勤める会社で不正があったら、新聞社に電話すればいいんです。早めに発覚すれば、組織の再生も早いかもしれない。ハイヤー代水増し請求のようなことは、日本中の役所でやっていることです。外務省の問題に矮小化せずに、「うちの役所でもそうなんです」と電話すれば、すぐ記事を書いてくれますよ。もし書かなかったら、私がテレビで放送する(笑)。なのに、どうして告発しないのか。それは、日本人の感性では密告者を悪人扱いするからなんです。
櫻井: そう、たとえそれがどんなに正しいことであっても。お金をめぐる政治家や官僚の不正が絶えないのは、事実とか正義に対する評価が現実の利便性や利益との相対評価にとどまっているからです。悪いといわれても、そうはいってもというふうな、現実の利益とはかり合って事実や正義を軽視する傾向があります。また、どんなに不利益なことでも事実や正義を尊び具現化していく気風が弱いのは、日本にほんとうの意味でのエリート、西欧でいう「ノーブレス・オブリージ(高貴なる義務)」を担う人がいないからでしょう。よくヨーロッパの人に「日本にはほんとうのお金持ちがいないですね」といわれるんです。どうしてかと聞いたら、些細なことだけれど、と断って「どんなジェントルマンでも、タクシーに乗ったらレシートをもらう」という。つまり、社会全体の利益を考えるよりは、常日頃から自分の利益を最大限にすることばかり考えているから、車代の領収書をとるような格好悪いことをするといいたいのでしょう。
森永: 私にはどうも構造改革ののちに日本経済界の支配層に立とうとしている人たちが、パブリックマインドのない成金ばかりという気がして仕方がないのです。自分のお金を増やすことだけ考えている。たぶん、教育から直さないといけないのでしょうね。無能な経営者ほど、すぐ「次の成長分野は何だね」と聞きたがる。「次の成長分野は何だね」と「全社一丸になって頑張る」という話を聞いた瞬間、この会社は駄目だと思いますね。
櫻井: それは自分で考えるべきことですよね。その会社が何をすべきかなんて、外からは全然分からないわけですから。
森永 それに、アメリカで50年以上繁栄しつづける企業では、権限移譲が進んでいます。若手に新規事業にチャレンジさせ、責任は全部とるという経営者をもつ企業が発展する。日本では、権限を握り、責任を下に押しつける経営者ばかりです。私は企業へ講演に招かれて「うちの会社をどう立て直したらいいですか」と聞かれると、「簡単ですよ。そこに並んでいる、働いていない役員を切ればいいです」と答えています。すると案の定、2度とお呼びがかからない(笑)。
今儲けているエコノミストは「これからはリーダーシップの時代です。あなたたちがガンガン会社をリードしていかないといけないんです」と役員を持ち上げて、講演料を100万円も200万円ももらうわけです。そういうのを見ていると、こいつらに任せたら日本は絶対に駄目になると思うんですけれど。
櫻井: 日本経済の停滞の原因は、財界の改革が行われていないことが大きいですね。財界人たちの平均年齢って高いでしょう。楯突けば飛ばされるから、なかなか「お辞めください」ともいえない。
森永: ほんとうにそうなんですよ。
櫻井: それでも、時代は変わりつつあります。たとえば石油公団を潰そうという話が、具体案として出ていますね。道路公団も民営化するとか、本四公団はなくすとか、ほんの半年前までは考えられなかった政策が、国会で論議されはじめたということは、大きな変化ですよ。石油公団一つでもなくなれば、日本の官と民に精神的なインパクトを与えると思うのです。国民も「ああ、なるほど変わるものだ」と思い、そこから突破口が開けていく。森永さんがおっし