「 日本は米国に第二次世界大戦に追い込まれたことを示した書物 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年6月30日特大号
オピニオン縦横無尽 第402回
かつて小欄でも触れたロバート・スティネット氏の著書『Day of Deceit』の日本語版がこの6月、文藝春秋からついに翻訳出版された。題名は『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』、訳者は妹尾作太男氏である。
元米国海軍軍人であるスティネット氏は、戦後はジャーナリストとして働き、60歳で退職、その後十数年を費やして1999年暮れにこの書を出版した。77歳になるベテランジャーナリストの物した書は、私たち日本人に非常に多くのことを告げている。
先のコラムとの重複をお許しいただいて書けば、その第一はこれまで60年間、「スニークアタック」(だまし討ち)として日本が非難され続けてきた1941年の真珠湾攻撃は、非常に巧妙に仕組まれた米国側の戦争挑発行動によって誘われていたということだ。
真珠湾攻撃計画を米国大統領ルーズベルトは事前に知っていたとの説は、繰り返し語られてきたが、スティネット氏は、情報の自由法などを駆使して約600点に上る原資料を引用しながら、この点を証明したのだ。
日本を戦争に駆り立てるために提言された「戦争挑発行動八項目覚書」は、すべて実行された。そのなかの第四項目「D」は「遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣すること」となっている。
スティネット氏は、ここはルーズベルト大統領が担当し、「ポップアップ(飛び出し)」作戦と呼んだことを紹介、次のルーズベルトの言葉を引用した。
「自分はそれらの巡洋艦があすこやここでポップアップ行動を続けて、ジャップに疑念を与えるようにしたい」
日本に対米不信の念を抱かせ、猜疑心を深まらせ、日本が戦争を開始してくれることをルーズベルトは待っていた。そのためにポップアップ作戦はさまざまなバリエーションで実行された。
たとえば41年3月から7月にかけて、巡洋艦3隻が日本海に派遣され、瀬戸内海への主要接近水路である豊後水道に出撃した。「豊後水道は九州と四国との間に横たわり、1941年には日本帝国海軍お気に入りの行動海域だった」のである。自国の領海の鼻先を米国の巡洋艦が国際法を無視して航行していくことに、日本側は強く抗議したのは当然だ。
日本が戦いへの準備に入る様子を、米国側がおよそすべて把握している事実も、この書は恐ろしいほど克明に描き出している。国家の頭脳にあたる情報について、どれほど日本側がルーズであるかも見せつけられる。
真珠湾攻撃のために日本帝国海軍機動部隊は択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に集結し、41年11月26日にハワイに向けて出発する。日本側の作戦行動を察知されないために無線の使用は禁止され、その命令は固く守られたとこれまではされてきたが、スティネット氏はなんと、米海軍監視局によって傍受され解読された129件の電報を原資料のなかから発掘しているのだ。
129件の電報のうち、真珠湾奇襲を担当した南雲艦隊の南雲忠一中将の打った電報は60件に上る。つまり、日本側は、機密中の機密、作戦行動に関する情報の管理も、まったくできていなかったということだ。「単冠」という単語は暗号化されることもなく、そのまま「ヒトカップ」と打電されていたことも紹介されている。
私たちは日本が第二次世界大戦へと走ったのは、米国から“走らされた”要素があるということ、同時に、“走らされ”“察知される”愚かさが日本側にあったということをこの書から学び、まさにこの種の“歴史の教訓”を21世紀の日本を築き上げていく時に賢く活用していかなければならないと思う。その意味でも、多くの人に読んでほしい書である。