「 いつまで温存『水資源開発公団』は不要だ 」
『週刊新潮』 2001年6月14日号
櫻井よしこ告発シリーズ 第6回
この国で殺ぎ取られているのは、経済的活力や人的才能だけではない。大自然の活力や生命力さえもが誤った政策によって削り取られている。
瑞穂の国の豊かな水の流れは、日本全国の河川に作られた2700を超えるダムによって切断され、ダムの段々畑のようになった川からは、逞しくも神秘的な魚類の遡上が減少していった。ダムの淀みにはプランクトンが増え、清流の輝きをくすませていった。
かつては美しく、豊かで、美味だった水が、気がついてみると、私たちの手元から離れ変質してしまっている。身近で触れることの出来た水が、今や、コンクリートや異様な堰で、遠く私たちから隔てられている。山々と平地と海とをつないでいた水量豊かな川が、今や水涸れし、命の循環の輪が分断されている。
全国で起きているダム建設反対運動は、決して一部の過激な市民運動の結果ではなく、多くの国民が、私たちの生活を取り巻く水のおかしさに気付いた結果である。国民の多くが、高速道路の建設はもはや不必要と答えたように、これ以上のダム建設も不必要である事を感じ取っているのだ。
それはかつての日本人が身につけていた水への理解を現代日本人が再び取り戻しつつあることではないだろうか。
新潟大学工学部教授で河川工学専門の大熊孝氏が語る。
「大昔から日本人の自然に対する理解は、現代日本人が考える以上に深かったと思います。ヨーロッパでは、ダ・ヴィンチでさえ、海水が地下の水脈を通って山頂に登り、川となって降りてくると考えていました。雨が循環しているのではないかとうすうす考えていたと思われる記述もあるのですが、はっきりとは分かっていなかった。しかし、日本人はそんなことは当然のこととして理解していました。山と川と海がつながっていることを識っていたからこそ、山中の川の側の祠にサンゴと鮑がお供えしてあったりするのです。自然に対する理解が、自然への謙虚さとして表現されていたのです」
この謙虚さを失って久しい日本。特殊法人・水資源開発公団も例外ではない。彼らはまだまだ、ダム建設を続ける構えだ。同公団は39年前の1962年に設立された。右肩上がりの高度経済成長期に入っていく時期での誕生は、その性格に、時代の価値観を反映させていた。
同公団の役割は利根川、荒川、豊川、木曽川、淀川、吉野川、筑後川の7水系で長期的総合的に水資源を開発することだ。重厚長大型産業を支える水資源の需要に応えるのが目的だ。公団が手がける49事業の内、すでに26のダムを完成させ、現在、10事業が、建設中或いは調査中である。
所管官庁は、他の特殊法人とは異り、旧建設省、旧厚生省、旧農水省、旧通産省など、複数の省にまたがる。旧建設省(現国土交通省)の竹村公太郎河川局長が説明した。
「日本は低地に工業地帯を作った国です。国土面積の10%が洪水で氾濫する区域で、この10%の地域に人口の50%、資産の75%が集中しました。明治29年の旧河川法は治水が大きな目的でした。昭和40年に新河川法を施行、利水の考え方を反映させました。平成9年には新河川法を改定し河川環境の整備と保全を組み込みました」
河川法に盛り込まれていく“新しい価値観”は、歓迎すべきものだ。しかし、付加される価値観に比例して国土交通省は新たな事業を考え出し、その執行機関としての水資源開発公団にも、新しい役割が付加されていくことは妥当なのか。事業が際限なく続行していくこと自体、事業の必要性から離れて組織の自己増殖と生き残りの罠に陥っていないか。
治水、利水は水資源開発公団が設立された当時の価値観から離れて、今、根本から見直すべきだ。見直しの起点は、特殊法人・水資源公団の役割は終わったという点である。
虚構だらけの事業計画
公団の2001年度事業計画には、烈しい反対運動にも拘わらず、昨年起工式が行われた木曽川水系の徳山ダムをはじめ約3400億円分の事業計画が並んでいる。利根川水系の思川開発もその1つだ。
同事業は、32年前の1969年に計画された。栃木県中禅寺湖から出ている大谷川から取水し、トンネルで引っ張って下流に流し、水道、工業、農業用水に充てる計画だ。
同時に、地元の今市市と鹿沼市を走る他の3本の川、行川、大芦川、南摩川と大谷川を導水路で結び、両端に南摩ダムなど2つのダムを作る。総額2520億円の壮大な計画で99年度までに約209億円が投下されてきた。
だが、計画は進まず、昨年与党3党が計画の見直しを求めた。折りしも地元では昨年11月の知事選挙で思川開発の見直しを公約にした福田昭夫知事が当選、計画はこれで中止と思われたが、今年5月、新知事がダム建設に規模を縮小して参画すると表明、水資源公団が現在、調整中だ。
公団の企画部計画課、稲田修一課長が説明した。
「当初の計画では水道用水、工業用水、農業用水合わせて毎秒7.1トンの開発予定でした。しかし、大谷川からの分水をやめ、栃木県は工業用水と農業用水は不要で、水道用水のみ毎秒1トン強を確保したいということです。それを含めて現在、下流県の水需要を調整中です」
ダム開発は、国土交通省など所管官庁が計画を作り水資源公団に実行させるが、治水目的だけのダムや堰は全額、国の負担となる。水道水や工業用水を含めた利水の場合は、水を分けてもらう地元自治体も財政負担する。
公団に支払う水料金は当然、利用する水量によって異なる。では水利権はどのようにして決まるのか。三重県の企画調整部長として、長良川河口堰問題に長年取り組んだ竹内源一郎氏が語る。
「あの河口堰は1960年の所得倍増計画の頃に発案され、68年に国と愛知県、三重県、岐阜県の間で水の配分を決めました。私のところの三重県は四日市石油コンビナートを抱えて伊勢湾臨海部の開発に期待していましたから、総量毎秒20.5トン、半分の水利権を主張しました」
だが、河口堰は1985年の完成予定が、遅々として進まなかった。
「1989年、私は県の3役らから水の需給計画の見直しを命じられました。県は、半分の水利権を主張したけれど時代は変わり、水の需要の頭打ちを心配していたのです。不要な水を買っても、ユーザーがいなければ、税金を伊勢湾に流すのと同じですから」
竹内部長は愛知県に相談した。同県にも新たな水需要は無く、三重県同様長良川河口堰の着工を延期すべしとの考えだった。岐阜県のみ、治水上の観点から河口堰が欲しいとの立場だった。竹内氏は所管官庁の通産省、厚生省、建設省などを回って水余りを訴えた。
結論からいえば一旦、決定した計画に異を唱える地方自治体の声は、中央省庁の前では極めて無力だということだ。中央省庁側は「それでは三重は長良の水はいらないということですね」「河口堰関連の三重の補助金はつけない」などと言った。
三重の声は、結局聞き届けてもらえなかった。竹内氏が振り返る。
「知事が頭を下げて各省を回ることになり、建設省では河川局長に会いました。同席した計画課長は“工事は進めましょう”と、とにかく建設するという失礼な口調でした」
結局、三重県が望む負担軽減措置の実現は、副知事に建設省からの天下りを受け入れた後だった。
公団のダム建設は、フルプランと呼ばれる水資源開発基本計画によって行われる。フルプランをつくるには水需要予測が必要だ。特殊法人問題に詳しい、民主党の石井紘基議員が語った。
「長良川河口堰に関して建設省が各省庁に水需要について問い合わせた93年の内部資料があります。それを見ると通産省は工業用水は供給力過多と明記しています」
これ以上の水は不要と言ったのは、三重県だけでなく、通産省も同じ主張だったのだ。石井議員の手元の内部資料には、工業用水として確保したはずの水を上水用に転用しておきながら、それでも需給バランスのとれないフルプランは「妥当なものとは言い難い」と書かれている。
身内のような通産省からさえも批判されたフルプラン、それに基づくダム建設が、虚構の水需要の上に成り立ってきたことは、もうひとつの資料からも見て取れる。
93年に木曽川水系のフルプランが改定され、計画目標の2000年を超える水需要予測が行われた。その中で2005年には毎秒94.6トン、2010年には106.7トンの需要と推測されていた。
だが、木曽川水系の長良川河口堰とその他のダムの2000年時点での水供給量は毎秒95トン、対する需要予測は83トンだった。
2005年、2010年までに14%から29%も需要が伸びるという根拠は示されておらず、右の長期予測は外部には「非公開」とされたうえで関係省庁のみに示され、今、問題となっている木曽川水系の徳山ダムにゴーサインを出すための資料として使われた。このフルプランで派生する事業費は1兆円規模と見られている。
当初、水産庁はこの件について需要のないダムは無駄だと反対したと報じられた。だが、結局、このフルプランを了承した。通産省も長良川河口堰に関して“供給力過多”と内々で批判しながら、河口堰にゴーサインを出した。
民主主義国では当然のチェック機能が欠落しているため、官僚の好き勝手が通用するのだ。こうして不要なダムが造られていく。事実、完成した長良川河口堰は、工業用水14.8トン、水道水7.7トン、計毎秒22.5トンの取水が可能なのに、利用されているのは上水のみ計2.4トンである。
まずダム建設ありき
現在全国で進行中のダム100カ所の内、10カ所を公団が手掛けている。新たなダムの必要性として、竹村局長は大渇水の危険を挙げた。
「94年の大渇水の時、木曽大堰から下流は毎秒1トンの漏水のような流量しか無かったのです。つい先日、気象庁が100年後の気温分布を発表しました。3.5度から5.5度上がり、東京は南西諸島の暑さ、北海道は現在の関東の暑さになると書いています。各地の積雪も消滅します」
積雪は時間差を置いたダムだから、これが無くなることを過小評価してはならないと言うのだ。
水資源開発問題全国連絡会の嶋津暉之氏が反論した。
「渇水時、ダムは現実には余り役に立っていないのです。94年の渇水は、とくに西日本で記録的でした。そこで木曽川流域のデータを分析しますと、ダムからの補給水も含めて、木曽川水系全体で生み出された水量は平均で毎秒120トン。他方、3つのダムから補給された水量は20トン程です。つまり全体の6分の1しか役立っていない。ダムが空っぽになっても、川の水が途絶えないのは、森林が川の水を養ってくれるからです。必要な事はダム建設ではなく、広葉樹林を中心とした森林の整備なのです」
竹村局長とは真っ向から対立する。嶋津氏は更に語った。
「森の生み出す水量を、いかに賢く活用するかで大渇水も乗り切れます。例えば木曽川水系の全取水量の7割が農業用水で、2割が水道水、残り1割が工業用水です。94年に愛知県知多半島で水道の19時間断水が始まった時、農業用水側が自主的に節水を強化して、水道水に水を振り分けたのです。これで断水は直ちに解除されました。賢い水のやり繰りで、大渇水も乗り切ることは可能だという具体例です。愛知県は後で、農業組合側に水代金5000万円を払いましたが、ダム建設費負担の数百億円に較べればわずかな金額です」
嶋津氏は、国土交通省も公団も、ダム建設を続ける新たな理由を考えたのだと指摘する。これまで10年で2~3回起きる通常の渇水を想定して計画してきたのを、もっと厳しい10年に1回しかないような渇水対策として新たなダム建設が必要だと言い始めたという。
「国土交通省は、1995年の都市用水の需要を1日平均で8310万トン、2015年にはこれが8950万トンになると予測しています。この予測では、10年に2~3回は起きる渇水の場合、現在の保有水源のままでも不足する水は120万トン程で、節水で容易に埋め合わせのきく量です。
ところが彼らは10年に1回の渇水まで考えると言い始めました。その場合、10年に1回の渇水が起きれば、2015年には約1130万トンの水量不足という数字を出し、この不足分をカバーするために、新たなダム建設が必要と主張、ダム建設の理由を変えたのです」
実は、同じ構図がダムの治水に関しても見えてくる。
水資源公団の稲田計画課長が説明した。
「水資源白書に、日本の5年間の降雨量の推移が示されています。最大降雨量とナ小降雨量の変動幅が広がり、極端に降る時と降らない時が多くなっています」
稲田課長の抱く危機意識は、竹村局長の言葉によって更に強調される。
「日本の川は急流です。どんな雨も2泊3日で海に流れ込みます。緑のダム輪は耳障りの良い話ですが、ドバッと雨が降って来た時、全てを森林が受け止めてくれる事は無いのです。ダムを水でカットしていく事が必要です」
大洪水の危険性は、100年に1度の洪水などと表現される。これを竹村局長は次のように語る。
「100年に1度の洪水というのは、100年後に1度来るというのではなく、50年に1度、丁半の確率で来るということなんです」
竹村氏はなかなかの口達者である。話していて憎めない面もある。右の例え話には思わず説得されてしまいそうだった。しかし、この論には陥穽がある。嶋津氏が語る。
「例えば利根川水系で語られる洪水被害の例に、1947年のキャサリン台風があります。死者行方不明者1700名を出した同台風の洪水流量は毎秒1万7000トンと推定されました。49年の利根川改修改定計画では、これを基準にし、上流のダムで3000トンを調節、残りは河川改修で対応することになりました。同計画は80年に再び改定され、想定洪水流量は更に毎秒2万2000トンに引きあげられました。ダムで調節する水量は6000トンとなり、完成済み、計画中の7つのダムに加えてまた新しいダムが必要になりました。これによって、200年に1回の洪水が防げるというのです」
100年ではなく200年に1回の洪水に、更に“格上げ”されているのだ。
これまでの利根川水系の洪水被害をみると、47年のキャサリン台風の洪水流量は断トツで高い。この未曾有の被害は、戦時中に食糧難を解消するため赤城山麓が開墾され、エネルギー源としての木材も供出され、森が伐採された状態で生じたのだ。
堤防の整備も当時は出来ていなかった。従って、当時の洪水流量1万7000トンは、現状では発生し得ない数値だ。2万2000トンの供水流量は更に非現実的だと嶋津氏は指摘する。
自然の力に任せよ
「水資源公団のダムの特徴は、10年以内に出来るものは無いということです。20年、30年の時間がかかる。だからこそ、計画中のダムは必要か否か、議論する事が非常に大事です。しかし、新たな社会状況にあわせて修正していくことは非常に困難です。そのためのシステムが不完備だからです」
こう述べるのは、東洋大学教授の松浦茂樹氏だ。松浦教授は建設省のOBである。
一旦動き出した計画を止める仕組みが無いというのは恐ろしい話である。こんな変な仕組みで年間3400億円もの事業費を使っているのが水資源公団だ。
評論家の屋山太郎氏が語る。
「世界中を見ても、国が直営でダムを作るなんて例はありません。地方自治体がまず、コンペで計画書を出させ、公開入札します。資金は国営銀行から調達する。100億円なら100億円を借りて、国債や公債で賄うのです。その上で、世界のダム業者に公開入札させるのです。最も優れた条件を出した所が仕事をして、工事が終われば全て終わり。後に何とか公団などという組織は残りません」
世界の現実とは対照的に、日本のダム工事は、国際価格と較べて少なくとも2割から3割は高い。長野県の田中康夫知事もコメントした。
「巨大なダム建設で地元が潤うわけでは決してありません。多目的ダムを作れば総額の81%は国からお金が出ます。ダム建設は通常、3社のJVで受注され、地元ではなく中央のゼネコン2社が主幹事副幹事となって国から出たお金をそっくりそのまま持っていきます。地元の業者は県税で負担した残り2割分を辛うじて受注するのみ。中央から出たお金は中央に還流するだけで、地元にお金が落ちるなど幻想にすぎません」
地元の業者も潤わないダム建設は、住民の生命・財産を守るという大義を掲げていながら、不思議な事に住民の知らないところで計画が作られて行く。
こんなダムに国民が反乱をおこすのも当然だ。そんな空気を行政側が認識させられたのが長良川河口堰問題である。竹村局長はこの問題が意識転換のきっかけになったと語ったが、国民を無視してのダム建設は不可能であり、ダムの必要性も、もはや薄れていると感じたからこそ、政府は97年の河川法改正で、河川環境の整備と保全を新たに盛り込んだのではないか。
環境への負荷の大きさについては、ダムの必要性を主張する竹村局長も認めざるを得なかった。氏はダムのもたらす負の影響は、魚が往き来できなくなることや、水質を悪化させることだと語った。
北海道大学教授の松永勝彦氏は、今では海の赤潮の原因がダムであることも明らかだとして山と川と海の連鎖を強調した。
水を完全にコントロールするという考えを、水を水本来の姿にとどめて人間が共存する姿勢に改め、欧州諸国が人工的な真っ直ぐな堤防から脱皮し、自然の蛇行を取り戻すべく改修を始めてすでに久しい。蛇行した川には流れの緩やかな淀みがあり、そこに水草が生え、苔が付き、魚たちが休み、産卵し子孫を増やしていくことが出来る。
ダム大国アメリカでさえも、必要なダムの建設は続けながら、不要のダムの取り壊しに取り組んでいる。日本が学ぶべきことは、アメリカではダム見直しのシステムが確立されていることだ。だからこそ経済性、環境などを考慮して、取り壊しや中止という臨機応変の対応が可能なのだ。
竹村局長は、日本には不要なダムは無いと説明した。だが、建設省は97年にダム18件を中止・休止し、70年の事業を凍結した。公共事業費7%削減を受けた結果だ。
つまり、これらはカット出来る事業だったのだ。不要なダムは無いという事ではないのだ。ならばこそ、今、ここで立ち止まり、ダムをもう1度見直すことだ。20世紀はダムを作る世紀、21世紀はダムを維持管理する世紀とも、竹村局長は述べた。
昨年12月の河川審議会の中間答申も洪水を人間の力で完全に防ぐことは不可能で水との共存を考えることが必要だと示唆している。遅ればせながら、明らかに日本の水政策も方向転換しつつある。
だからこそ、公団が手掛けている10カ所のダム建設、及び全国に建設予定の256ものダムの見直しと共に、役割を終えた水資源公団の存否を再度考えるべきだろう。