「景気回復まであと3年」
『Voice』 2001年2月号
竹中平蔵・櫻井よしこ連載対談 目を覚ませ、日本人 第2回
日本は通信の競争政策に失敗した
竹中:いま、猫も杓子もIT革命ですね。でも、面白いことに気がついたんです。99年発売の『現代用語の基礎知識』には「IT革命」は出てきていないんです。2000年発売のものからなんです。森総理の貢献かもしれませんね。
櫻井:はじめは「イット」とおっしゃったとか(笑)。
竹中:いやいや、いちばん最初に私が説明したときには「イーティー」とおっしゃったんです(笑)。
櫻井:ハッハ、ETみたいな人ですね(笑)。
竹中:皆さん、IT革命なんて最初はわけがわからなかったと思いますよ。でも嗅覚で、いまの時代はこれだ、とピンときたのでしょう。ところが、IT革命が何かというのは、意外にも定義がきちんとなされていないのです。1980年代の末にロバート・ソローがノーベル経済学賞をとったあとの演説で、「コンピュータはそこにある。しかし、生産性の上昇が見えない」といいました。彼のこの言葉はたいへん有名になり「ソローのパラドクス」といわれました。これをめぐって世界中で議論がなされて、ようやく決着がついたのが97年くらいです。アメリカの生産性を上昇させ、経済成長率を高めたのは、まさにITであったということです。
櫻井:そこで、ITとは何かということになりますね。
竹中:私は技術者ではないので経済学者の目から見た言い方になりますが、IT革命の中心にあるのはインターネットです。インターネットとは、デジタル情報のやりとりをするスペースです。しかし、インターネットの実験が始まった80年代後半から90年代前半には、そのための専用の手段がなかった。そこで、たまたまそこにあった電話線を使ったわけです。そうしてデジタル情報のやりとりを始めてみると、けっこう使い道があることがわかってきた。Eメール、ホームページ、ショッピングなどなど。「であるならば」ということで、90年代半ばくらいから、電話線なんていう古臭いものを使うのはやめて、もっとデジタルに適したインフラをつくろうということで、光ファイバーが注目を集めるようになったわけです。ところがわれわれはハタと気づいたのです。日本は、光ファイバーに象徴される高速インターネット・インフラの普及比率が、世界のなかで著しく低いんです。これだけ技術力があって、これだけ投資資金があるのに、驚くべきことです。
櫻井:光ファイバーというのは、もともと日本の技術だったのではないですか?
竹中:そうなんです。それなのに、なぜでしょうか。調べてみると、一つの傾向がわかりました。早い時期から自由化して競争させてきた国は普及率が高く、日本のように1社の独占に任せていた国では普及率が低い。どういう競争政策をとるかが問われる分野なんですね。だからIT戦略会議では、「今後5年で高速インターネットの普及を世界最高水準にもっていこう」という目標を掲げました。
ところが日本に光ファイバーがないわけではないのです。水道業者や道路事業者が引いているので、物理的には存在するのですが、一般のわれわれがデジタル情報をやりとりするためには使わせてもらえない仕組みになっているのです。アメリカでは公共的な空間に引いたものは、たとえ水道局が引いたものでも、公共のために供出するよう開放義務を課しました。そのうえでオークションにかけるのです。いちばん高い使用料金を取れる事業者が、市場でいちばん評価の高いインフラの使い方をしているという理由からです。IT戦略会議でも、開放→オークション方式を提案しました。
櫻井:お話を伺っていて、二つの点に驚きました。ひとつは、電話線を使うことになったのには偶然がうまく機能したこと、そして、光ファイバーはインフラにすでに組み込まれていながら、縦割り行政のために活用されていないということです。しかも光ファイバー技術は日本のものですよね?
竹中:全部ではありませんが、基本的な部分は日本の技術が多く入っているそうです。
櫻井:せっかくの我が国の技術が、自由化がなされてこなかったためにほとんど機能していない。お役所主義の悪弊です。日本の社会が悪しき役所主義、官僚主義から脱却できないということは、日本人のメンタリティが依然としてお上依存に傾いていることだともいえますね。IT革命を成功させるには、この依存症からまず脱却していく必要があります。
ITはご指摘のようにインターネットとコンピュータの組み合わせです。各々のコンピュータは、個々人に、まるで神様だけしかもてなかったような膨大な量の情報を瞬時に与えてくれます。強力な情報力を与えられて、一個人が何を考え、何をしようと思い立つかによって、インターネット上の活動が広がっていくわけです。ですからITを成功させるには、一人ひとりが独立を楽しみ、自己責任を楽しみ、想像を楽しむ土壌がなければならない。究極の分権を楽しむ文化のなかでこそ、IT革命は大成功します。
政府は、まず国のあり方を官僚主導から政治主導に切り替え、中央集権から地方分権につくりなおすために、2001年1月から省庁再編を始めます。これによって日本のシステムは開かれていくか、分権が進み省庁の権益は縮小されていくのか、とても興味深く見ています。橋本元首相が省庁再編を唱え、森総理がIT革命を推進している。この二つの内閣の意志を合わせるならば、日本的システムは開放の方向に向かうはずですが、政局のゴタゴタもあり、官僚が跋扈する状況を許している。お役所主義はむしろ力をつけつつあるのではないか。
竹中:いまいわれたことは、まさに核心です。つまり、われわれが考えなくてはいけないのは、90年代の日本は政策に失敗したということです。とくにITに関連する通信の競争政策に失敗したという現実認識から出発しなくてはいけません。そして、省庁再編については、二つの側面に注意すべきです。一つは、役所の数を二十二から十三にすることで無駄がなくなるようにいわれていますが、必ずしも明白ではありません。以前、テレビで今回の省庁再編を「羊羹の輪切り」だといったことがあります。
櫻井:羊羹の輪切り?
竹中:つまり、政府という羊羹を、いままで二十二に切っていたのですが、それを今度十三に切り直しただけで、別に羊羹の大きさ自体が小さくなるわけではないし、味がよくなるわけでもないのだから、「羊羹の輪切り」だと申し上げたのです。そしたらすごいクレームがきましてね。
櫻井:どうしてですか?
竹中:羊羹は四角いから輪切りではない、とね(笑)。
櫻井:そんなことをいう人は豆腐の角に頭をぶつけて死ねばいいんです(笑)。
竹中:実際に中身を見ますと、経済官庁はほとんど変わっていません。大蔵省が財務省に、通産省が経済産業省になるだけです。一方で、建設省、農水省という利権官庁が巨大化する。これが注意すべき第一の側面。
もう一つの側面は、マスコミがあまり取り上げなかったことですが、総理大臣の機能が著しく強化されるということです。内閣官房に十五のポリティカル・アポインティ(政治的被任命者)のポストができて、かつ、総理補佐官を五人、置けるのです。そして、総理を助けるための内閣府という特別の役所がつくられて、そこに経済財政諮問会議ができます。この会議の役割は二つありまして、一つは予算の大枠を決めること、もう一つが国家の重要事項を審議することです。この機関をうまく活用することができれば、大蔵省主計局の権限の、かなりの部分を分散させることができますし、森さんは史上最強の総理大臣になれるはずです。ところが、11月に自民党のなかでばかばかしい争いが起きてしまって、これらの人事が官僚ペースで進められてしまったのです。せっかくの15のポリティカル・アポインティが省庁のたらい回しになったら、大きなチャンスを潰してしまうことになる。
櫻井:期待したのとは反対の方向に行っているということですね。日本の官僚機構はさらに肥大化して、タイタニック号の運命になりつつあるということでしょうか。
竹中:1月6日をもって省庁再編が行なわれますが、森総理には、1月6日をもって省庁再々編の議論を始めていただきたい。
櫻井:一瞬たりとも立ち止まるなということですね。
竹中:ドッグイヤーなんですから、当然です。とくに、先ほど通信の競争政策に失敗したと申し上げましたが、この問題に関して今度の中央省庁再編はほとんど答えを出していない。ITの行政に関して二つ、残された課題があります。一つは、政策立案機関の集中化です。1990年代の後半に、アジアの主要国はどこも通信情報省のようなものをつくっています。名前はいろいろですが、通信と情報を管理する役所をつくっているのです。ところが日本は違います。郵政省があり、通産省があり、一部は科学技術庁がその役割を担っている。今度の再編でも、これらが分散されたまま残ります。
もう一つの課題は、逆にチェック・アンド・バランス機能を分散させるということです。アメリカがわかりやすい例ですが、政策の企画立案は大統領府、規制監督は連邦通信委員会FCC、そして価格機構の監視は連邦取引委員会FTCと、三権分立が確立しています。日本は、1と2が郵政省で、3番目だけかろうじて公正取引委員会で独立していますが、力は弱い。OECD29カ国中、三権分立になっていないのは日本を含めて4カ国しかない。そして驚くべきことに、1月6日に郵政省と公正取引委員会がともに総務省に入ることで、日本は世界でただ一つ、三権が一つの役所に集まった奇妙な国になってしまうのです。だからこそ、すぐにも省庁再々編の議論が必要なのです。
櫻井:再編のなかで、郵政省問題は、最も深刻ですね。郵政省は、通信の支配にくわえて、国民の現金資産の半分以上をもっています。個人金融資産1314兆円の4割が株や債権それに年金・保険だとすると、現金資産は700兆円前後になります。郵政省の郵便貯金と簡易保険の合計は、その半分以上の370兆円になります。国が個人の現金資産の半分以上を手にしているというのは、異常です。
しかも郵政省に集まるお金はこれからも確実に増えていきます。2002年から実施されるペイオフで民間金融機関が保証する預金は1000万円に限られています。いま、郵便貯金も1000万円までしか預け入れられませんが、じつはここには抜け穴があります。郵便貯金法第10条は、特定の法人等は、貯金1000万円の限りではなく、例外となる法人は所得税法の別表に示される法人だとしています。この別表には200種類近い公共法人が列挙されています。ありとあらゆる法人がこのなかに入るような印象を受けます。たとえば行政書士会、漁業共済組合、自転車協議会、宗教法人、商工会などなどです。地方公共団体も入っています。つまり都道府県から市町村まで、すべての地方自治体も例外扱いなのです。さらには所得税法11条によって、これら法人が得る利子所得には所得税はかからないとされています。郵貯は国営ですから潰れない、つまり元利保証、貯蓄額に制限なし、利子には税はかからない、となれば彼らが預金を民間銀行から引き揚げて郵貯に移すことは容易に考えられます。多くは政府系であるこれらの機関のみが保護され、強力な国営郵貯がさらに強力になることで、日本の社会主義化が進むと心配しています。
竹中:そのとおりですよね。郵貯がなぜいけないかといえば、ノーリスク・ローリターンだからです。リスクとリターンは本来デュアルな関係ですから、ノーリスクの商品はマーケットを歪めます。あってはいけないものなのです。
しかし、こうした郵政省の問題が変わらないのは政治的理由があるからです。それは族議員が横行する巨大な利権官庁だからです。日本で変わらないのは公共事業と郵政ですが、どちらも自民党の最大派閥が利権を握っている。最大派閥ゆえに与党のなかでも手をつけられない。ひょっとしスら、ほんとうに行くところまで行ってしまうかもしれませんね。
IT講習券と地域振興券はまったく違うもの
櫻井:加藤紘一さんの政変劇はばかばかしいものではありましたが、これを収めた野中さんや亀井さんを見ていると、滅びていく日本の姿が映し出されているように思いました。
竹中:今回、加藤さんの処罰をしなかったのは、処罰すると自民党が分裂してしまうからです。自民党は与党でいたい人の集団ですから、「自民党を変えない」という力学が働いて元のサヤに収まったわけです。もう一つ、日本的だったのは、野党の不信任案です。森さんが総理にふさわしいかどうかはともかくとして、ITを中心に展開している政策に特別変なところはないのです。98年の金融国会のときは野党はきちんとした対案をもっていて、しかもその対案のほうが優れていました。そういう状況で自民党の政策は間違っていると不信任案を提出するのならわかるのですが、今回は野党に対案もなく、また森内閣のIT政策を批判しているわけでもないのに不信任案を出した。野党も野党です。
櫻井:感情的な不信任案でしょうね。
竹中:気に食わないというだけですよ。マスコミが何に興味をもったかといえば、権力者を引きずり下ろすという、ただ一点です。在野精神としてはわかりますが、それを認めたら、次に別の人を引きずり下ろすだけです。ショーとしては楽しいかもしれませんが、それは政治ではない。
櫻井:私もメディアの一員として忸怩たるものがあります。
竹中:政治は変わっていませんが、マスコミも、国民も変わっていない。そのことが今回わかりました。
櫻井:ITは変えていく力になりますか。
竹中:そう思います。もう一つITに関していいますと、高速インターネット・インフラを整備するのに合わせて重要なポイントはIP(インターネット・プロトコル)v6という、最近よく聞くキーワードです。これはデジタル情報のやりとりのためのアドレスを割り振るシステムですが、いまのIPv4では全世界60億人の人間に対して43億のアドレスしか割り振れない、つまり1人あたり0.7個。これでは確実にアドレスが不足します。これをv6にバージョンアップすると、1人あたり10の28乗個になります。そして日本はこの分野で技術的に世界をリードしているのです。それだけアドレスが多ければ、たとえば私が自宅の冷蔵庫と直接に交信して、「今日は暑いからビールをもっと冷やしておけ」と命令することも可能です。もっとも、この例自体はそれほど重要なことではありませんが、これを積み重ねていくことで新しいライフスタイルができ、産業が興り、経済や社会がさらに豊かになるチャンスがそこに生まれてくるのです。IT戦略会議では、光ファイバーなどのインフラを整備し、IPをバージョンアップして高速インターネットの普及率を世界最高水準にもっていくのに5年という目標を立てました。つまりIT革命本格化までの目標が5年以内です。それは、10年では遅すぎるが3年では無理ということです。
櫻井:日本に5年の余裕はあるのでしょうか。
竹中:NTTをすぐに解体するようなドラスティックなことをやっても、3年というのは厳しいでしょう。だから5年を最長の目標に掲げておくのは一つの方法です。それではこの方向で積極的に取り組みましょう、ということにしたとき、もう一つ制約が出てきます。情報リテラシーです。インターネットの利用者人口が、日本では20%弱なんです。アメリカが52%、香港・シンガポールが40%近くで、日本は韓国にも追い越されています。何が障害になっているのでしょうか。一つは料金が高いことでしょうか。
櫻井:料金は比較的クリアしやすい障害でしょう。
竹中:リテラシーを高める工夫は、各国行なっていますが、まだ法則性は見えていない。やはり「日本国民はサボっている」というメッセージが必要でしょうね。
櫻井:知的に怠惰です。
竹中:各国、けっこう政府がお金を使っているんです。アメリカにはEレートという言葉があります。Eはエデュケーション、つまり学割のことです。公立学校で子供たちがインターネットを使う利用料金の80~90%は国と地方政府の補助なんです。私がIT講習券のようなものを考えたらどうかと提案しましたら、堺屋さん(前経済企画庁長官)が政策にしてくれました。しかし、結果的に潰された。
櫻井:どうしてですか。
竹中:口火を切ったのはある新聞社です。IT講習券は地域振興券と同じでばらまきだというのです。地域振興券は需要振興でIT講習券は供給振興、需要サイドとサプライサイドでは全然意味が違うということをわかっていない。公明党がばらまきだといったのには、思わず笑ってしまいました。それから財界のトップは理解してくれるかと期待していたのですが、意外に理解してくれませんでした。彼らは「こんなことは、自分でやるべきことだ。国がやるべきことではない」という。私は反論したい。たとえば日本語は勉強したい人がすればいいのだから、国は何もやらなくていい、とはいいません。まさにリテラシーの問題だからです。情報リテラシーが日本語同様、今後必須なものになるのは間違いない。義務教育と同じと考えるべきです。そしてもう一つ、先月も述べましたが、政策にムチの政策を取り入れることです。
櫻井:アメリカの初等教育が、近年たいへん改善されています。それはバウチャー制といわれていますが、親たちには自由に子供の学校を選ばせて、学校に対しては生徒数に応じて補助金を出す制度です。いい教育ができなければ生徒数は減り、補助金もカットされて学校は潰れます。優れた学校だけが優れた教師を雇って生徒数を増やし、生き残っていく。ブッシュ次期大統領はテキサス州知事時代、全米で最低水準の教育レベルを、バウチャー制の導入によって全米一に上げました。こうした徹底した競争原理に基づく政策を住民が受け入れる点が、アメリカ社会に民主主義が根づいていると感じる点です。
竹中:まさにインセンティブ政策ですね。私の主張したIT受講券構想は、IT教育をする学校間に競争原理を働かせようというものでしたが、結局できたものといえば、市町村でパソコン教室を開くならば予算をつけていいというもので、競争原理など少しも考えていない。何千億円も使いながら効果はあまり上がらないのではないかと懸念しています。
不良債権の償却完了まであと2.9年
櫻井:いま世界中で、IT産業への巨額の投資が行なわれています。しかしそれが過剰投資になっていて、アメリカのナスダック市場の64.5%を占めているIT関連株が、2000年年初の最盛期に比べて40%くらい値を下げています。これは何を意味しているのでしょうか。ITが経済を動かす力に限界がきているのか、それともこれは一時的なもので、これからもっと伸びていくのでしょうか。
竹中:IT革命はまだ始まったばかりですから、値は動いても仕方ないでしょう。ITビジネスはハイリターンですから、リスクも高くなるのです。それについては甘受しなくてはいけないと思います。
櫻井:今日は経済の話ですから、竹中さんにたくさん教えていただこうと思って楽しみにしてまいりました(笑)。私は日本の経済がこれからどうなるのかがとても心配です。小渕さんが巨額の財政赤字を出して、森さんも同じ路線をとっています。亀井さんの考え方も同じ。日本の財政赤字は耐えられないくらいに増え、金融業界を見ても土地が下がることによって不良債権が増えつづけています。いくら不良債権を処理しても全然片づきません。2001年になっても経済回復の兆しはほとんど見えてこないと思っています。シュンペーターが創造的破壊という言葉を使いましたが、そのような状態に落ち込んでいくのかなという気がしています。
竹中:きわめて重要な概念が、ここ10年くらいの日本の経済論争のなかで抜け落ちていたと思います。それは“デット・オーバー・ハング”、つまり債務を引きずっているということです。たとえば、ある不動産会社が六本木にいい土地をもっていて、かつ、そこにビルを建てて運営する高いノウハウをもっていたとします。ハイテクビルを建て、外資系のIT企業を入れる。このプロジェクトはすごく有望なプロジェクトです。ところが、バブル崩壊を経て、この会社は何よりもバランスシート上に腐った部分をもってしまった。かつて10億の借り入れをして買った土地が、いまでは1億円の価値しかない。そんな土地をもっているこの不動産会社は、バランスシート上、不良な資産と過大な借入金をセットでもってしまっていることになります。さあ、さきほどの有望な六本木プロジェクトでは何が起きるでしょうか?
櫻井:なんでしょうか。
竹中:答えは簡単です。このプロジェクトは絶対に実現できないということです。この会社が腐った部分をもっているかぎり、どんなにプロジェクトがよくてもお金は貸せません。したがってこの会社は、本来の成長力を発揮できないのです。債務を引きずっているあいだはいくら公共投資を行なってもダメで、やるべきことはただ一つ、一刻も早くこの腐った部分を削り取る、つまり不良債権を償却することです。もっと乱暴にいえば、不良債権を償却しきるまでは、景気が回復するなんて考えてはいけないということです。98年、当時の小渕首相が経済戦略会議を設置したとき、私がいちばん最初に小渕さんに申し上げたことは、3年間はゼロ成長をめざしましょうということでした。マイナス成長では不安が不安を呼ぶというスパイラルが起きるから、それだけは避けるべきだと。小渕さんは99年度の目標をプラス0.5%としました。統一地方選挙もありましたからね。私は今年も0.5%にすればよかったと思うのですが、、1.5%にしてしまったのです。できもしない目標は、無駄な公共事業を生み出します。だから当面は、目標を低くもつことが大事です。
それから不良債権の償却があとどれくらいでできるかということですが、あるシンクタンクの計算によれば、銀行はいままでに50兆円の不良債権の償却をしたそうです。ところが、そごう、ゼネコンが次々に債権放棄要求を出していることからもわかるように、不良債権の償却はまだ続きます。この推計によれば、あと22兆円という数字が出ました。トータル72兆円のうち、50兆円を償却していますから、70%済んだ、ということです。7合目というのは、かなり私の実感に合います。残りの22兆円を銀行の経常利益で割ると、あと2.9年です。ただ、ここでさらに無駄な公共投資をして赤字を増やしてしまったら、財政再建はきちんとやらなければならない。2008年から人口が減り始めますから、財政再建のタイムリミットは2007年。これが、これから7、8年の日本経済のシナリオではないでしょうか。
櫻井:お話を伺って少し先が見えてくるような気がしました。一時期、銀行の不良債権は100兆円を超えるといわれました。その伝でいくと半分の償却が終わったところで70%は少し希望的観測、ですか?
竹中:もちろん70%というのは一つのメドです。60%かもしれないし、75%かもしれない。当たるかどうかはわかりませんが、重要なのは政治のリーダーがそうした認識をもち、それに対処する意志をもっているというメッセージを出すことでしょう。
「現場主義」という美しい言葉に騙されるな
櫻井:経済も政治も、国民の姿を投影したものです。政治の中枢には、とても下品で暗黒を引きずっているとしか思えないような人がいます。そうした人に対して、マスコミは真正面から挑んでいかない。ただ批判をせよというのではなくて、調査報道をして、分析していくべきだと思うのです。公共投資を見直すといったり復活するといったり。検証に値する政治家はたくさんいます。
竹中:まったく同感ですね。そうした報道がなされない理由は、次のように解釈できるのではないでしょうか。それは、日本社会全体に恐るべき非知性、反知性の土壌があるということです。これは「現場主義」という美しい言葉のなかに集約されています。前回の対談で論理力が欠如しているという話をしましたが、日本では論理で考えて理屈を述べると、必ず窘められるのです。「君はまだ若いな」とか「清濁あわせて呑む度量をもて」とかいわれる。こんなのはごまかしです。もちろん現場は大事だと思います。ただ、同時に重要なことは、現場は、あくまで現場だということです。現場を見て、集約し、一般化するという作業