「 一票の格差を是正して民主主義の質を高めよう 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年1月13日号
オピニオン縦横無尽 第379回
20世紀の最後の10年に、人類が長年直面してきたイデオロギーの戦いが終焉し、私たちは新しい時代に入った。新しい世紀で最も重要とされる要素は民主主義の質である。
20世紀には見過ごされてきた多くのことが、21世紀には重要な政治課題となるに違いない。それは、民主主義を支える価値観を徹底させることだ。形ばかりの民主主義や歪曲された民主主義は、もはや国民の支持と満足を得ることはできにくくなるだろう。
日本の政治が直面する課題はおそらく、他の民主主義諸国よりも多い。取り組むべき課題は多いが、その最大のものは、一票の格差である。衆議院議員選挙での最大格差は1971年には5.08倍、77年には5.26倍、83年には5.56倍にまで広がったのだ。
この格差が異常中の異常であるのは中学生にも理解できる。最高裁判所もこれは、法の下での万人の平等を謳った憲法に違反するとの判断を示した。しかし、同時に最高裁は「事情判決」の法理を持ち出して、違憲状態下で行なわれた選挙ではあるが、その選挙の結果は違憲ではないと判断した。「イエス」だけれども「イエス」ではないというこの論の立て方は、日本特有のもので、日本以外の国では絶対に通用しない。否、日本でも、最高裁や内閣法制局以外では通用しない屁理屈である。
事情判決の法理を持ち出した理由は、選挙結果まで無効にしてしまえば、その選挙で当選した政治家たちが作った法律も無効になりかねない。その場合どこまで修正していくのか、限界が見えないというのが一点。第二点は、選挙のやり直しをしなければならなくなり、それはあまりにも大変な作業になるというものだ。小さな変化や混乱を恐れるあまり、より大きな病理をこの国に根付かせてきたのがこの種のメンタリティだ。言い換えれば論理の欠如、論理力のなさである。
一票の格差によって、地方の農村部に住む国民と、都市部に住む国民の国政に及ぼす力は、最初から大きく開いている。この歪みの上に、さらに選挙制度の歪みが重なって、日本の政治が国民の民意を反映することができにくくなってきたのが現状だ。
95年以来、日本は計6回の国政レベルの選挙を行なってきたが、与党自民党は一度も過半数を占めたことがない。個人名を書いての投票では、自民党の得票率は20~40%である。比例区の党名による選挙では、約四分の一である。その自民党が与党として君臨している状況は、理屈に合わない。
特に自民党の他党との連立は、政策上の共通点を軸にするという発想からは程遠い数合わせである。ここでも、日本の政治の論理力の弱さが目立つ。
有権者一人一人の価値が場合によっては5倍も6倍も異なっていて政党は政策よりも何がなんでも数合わせを優先するというなら、この国には政治といえる政治は存在しないということだ。
こんなことを考えていたら2000年末、一票の格差の是正を目ざす議員連盟が発足した。計109名の議員たちが名を連ねて、具体的な是正方法を論じ、立案していこうというものだ。趣意書には、衆議院では、一票の格差は2倍以内に収めるべしとの法律の規定があるにもかかわらず、全300の小選挙区のうち、89選挙区で2倍を超えていることが指摘されている。
統計をみると1.5倍以上の格差の選挙区は実に231もある。こうした状況を正す動きが、必ず、強い支援を受けるのが、21世紀だ。これまで妥協せずに正論を言って不利益を蒙った政治家や言論人もいただろう。しかし、そういう人たちこそが支援されるのが21世紀だと私は信じて期待している。