「 どこが国民のためか『省庁統合』の欺瞞 」
『週刊新潮』 2000年12月14日号
迷走日本の原点 第9回
橋本政権で決定された省庁再編がいよいよ2001年1月6日から形になる。旗印は政治の主導、縦割り行政の弊害の除去、自己責任、小さな政府などである。22の省庁が1府12省庁に編成しなおされ、スリムになった国家運営の主導性を官僚に代わって、政治家が手にするはずである。
うまく機能すれば省庁再編は力を落とし続けてきた日本の活性化につながる。
新制度は、相応しい人材を得て初めて最善の形で機能する。1府12省庁の要の人事は速いスピードで決定されつつあるが、日本政府の仕組みを変えるのに必要な新人事の布石を、官邸の主の森喜朗首相は打てているのか。新しい革袋に相応しい新しい酒は注ぎ込まれているのか。
「残念ながら、当初の考えとは随分違う方向に行きつつあります。もう手後れの感は否めない。今、官邸機能を中心に元の木阿弥化しつつあると思います」
こう述べるのは橋本総理大臣の秘書官を務めた江田憲司氏である。氏は通産省から政務秘書官として官邸に出向、省庁再編の枠組みを書き上げた人物。橋本内閣総辞職と共に退職した。
再編後の新省庁の人事を決めるのに最も重要な今の時期に、森首相は不信任案を突きつけられ、己の身を守るのに精一杯である。政治が馬鹿馬鹿しいほど混乱した間隙を縫って、改革は後退し続けている。暗躍するのは、官僚たちである。
桐蔭横浜大学の金子仁洋教授も指摘した。
「今回の省庁再編で作ったのは容れ物だけです。効果を出すためには再編第二幕が必要です。森政権は、省庁再編スタートと同時に、即再々編構想に着手すべきです」
このように指摘されるのも正に形だけの統合が横行しているからである。
たとえば、行政はどれだけスリムになるのか。橋本元首相は「生首は切らない」と述べて官僚たちは解雇しないと決めた。となれば小さな政府にするには行政府の一部を民営化するしかない。が、その種の方策は何一つ示されていない。郵便事業の現業部門の約28万人は3年後に公社化される郵政事業庁に属するが、公社化後も彼らは公務員であり続けるために、リストラにはなり得ないのだ。
逆に言えば、公社化や独立行政法人の形で省の外に出せば、その部署は実態として同じ省庁の力として残される一方、形の上では省をスリムにしてくれる仕組みである。
減らないのはお役人の数だけではない。彼らのプロジェクトや仕事の量も、容易には削減されないのだ。
たとえば文部科学省のケースである。元行革担当の首相補佐官である水野清氏が指摘した。
「官僚たちの権益を守ろうとうする姿勢が目立ちます。学術研究開発は96年から2000年度までの5年間で17兆円が割り振られています。で、来年度に向けて同じようなプロジェクトの予算を三カ所で要求しているのです。宇宙開発で言えば、科技庁の宇宙開発事業団、航空宇宙技術研究所、文部省の宇宙科学研究所です。ナノテクノロジーの分野では科技庁、文部省、通産省が各々、似たような計画で予算を出しています。重複分を合理的に統合しなければ何の意味もない。形ばかりの省庁統合になっているのです」
文部省も科学技術庁も、文部省は学術研究が主で、科技庁は実用的研究が主であるため、容易に研究開発を統合することはできないと強調した。科技庁総務課は将来的に検討の余地はあるが、宇宙開発についての三つの異なる機関が近い将来統合されることはないと言明するのだ。
「こうしてみると、省庁再編はまるでホッチキスでとめただけのような形になりそうです」
と水野氏は嘆く。
だが、ホッチキスでとめただけ以上に、省庁再編がこの国を以前よりももっと効率の悪い、官僚主導の国にしてしまう危険性もある。注意して監視しなければ、世界でも稀なるグロテスクな官僚社会主義国家にされてしまう危険性もあるのだ。
大蔵省の「知恵」
今回の省庁再編の最大の焦点は官邸機能の強化である。これこそ政治主導体制を作り上げるために必要な措置である。江田氏が語った。
「日本の政治には縦割り行政の弊害がもろに出てきました。国際社会も冷戦終結後、大きく変わりつつある。日本がいわば海図なき航海に出て行く時、霞が関の官僚にはもはやグランドデザインは描けない。民主主義国家である以上、日本の将来図を描くべきは政治です。それを可能にするために内閣府の位置づけは特別のものにしてあります」
内閣府は総理府、経済企画庁、沖縄開発庁を統合したものだ。簡素かつ効率的で、しかも強いリーダーシップの働く国家システムに変身するための鍵が内閣府に与えられている。首相の力を強めるために、まず現状は3人の首相補佐官を5人に増やす。内政審議室、外政審議室、安全保障・危機管理室の3室を廃止して3人の官房副長官補が各々スタッフを抱えて首相を補佐する。経済財政諮問会議を設け、大蔵相に代わって予算の枠組みを決定する。同諮問会議は首相と10人のメンバーで構成し、民間人も4人入れることになっている。
こうした措置が講じられ、現在具体化しつつあるわけだ。だが、江田氏は不満だと言う。
経済財政諮問会議を考えた時、江田氏らは米国のNEC(国家経済戦略会議)のような体制を想定した。会議の議長なり委員長には米国スタンフォード大の教授らが就任しているように、日本でも学者、企業人、マスコミ人でもよいというのだ。
委員もシンクタンクの研究員から官僚OBまで、実質的な議論と国家の基本方針や企画を立案できる頭脳と力を持った人々を集める予定だった。
「それが今は、何のことはない、総理が議長になり、財務大臣や経済産業大臣が入り、民間人は4人以上と書かれている。役所用語でそれは4人限りということ。つまり10人中6人は閣僚がとるということです。これは経済財政諮問会議を官僚の作文の追認機関にするという意味です」
氏は同会議の事務局についてもさらに厳しく批判した。
「事務局に政策統括官を3名つくったのですが、それが現状では大蔵、経企から一人ずつ、そして東大の教授となっています。大蔵省出身者が予算の基本方針や短期的な経済運営を担当、中、長期的な運営の担当が経企庁出身者、東大の教授は調査・分析というところでお茶を濁されている。その下の事務局員150名は、当初、半分以上を民間人にあてるつもりだったのが、今、民間人枠は15名だそうです。ここも大半が官僚の席になってしまった」
さらにおかしいのは、ここに事務局長がいないことだと氏は指摘する。
「いろいろな会議があるのに事務局長不在はおかしいと思いませんか。恐らく3人の統括官で回していくつもりでしょう。そうなると大蔵の統括官が実力で勝てると思っていると思います。事務局長を置けば事務局長は官僚にするなという意見が必ず出てくる。民間人を置いたとして、実力では大蔵省出身者が勝っても事務局長の顔は立てなければならない。これでは物事はスムーズにいかない。だから事務局長はなし。官僚は頭も良いし、巧妙で、この種の人事に長けているんです」
江田氏は、首相の補佐官も少なくとも10人を想定していたが、いつの間にか5人に限定されていたと指摘する。こうしたことはすでに法律や制令になってしまっており、これこそが霞が関の率直な感情表現だというわけだ。霞が関の役人にとっては補佐官は自分の領分を侵すもので、補佐官制度ほどいやなものはないというのだ。橋本内閣のときに水野清氏や岡本行夫氏が補佐官に任じられ、霞が関はこの時に懲りたのだそうだ。補佐官が頑張れば頑張るほど、霞が関は気に入らず、江田氏に寄せられた彼らへの反発は大変なものだったと氏は述懐する。
霞が関の巻き返しについて田中一昭拓殖大教授も語った。氏は元総務庁行政監察局長である。
「7月に発足した財政首脳会議が典型例です。省庁再編で力を入れたのが内閣府の位置づけで、内閣府でも特に力を入れたのが、予算の基本方針を決める経済財政諮問会議でした。しかし、来年も財政首脳会議が存続するなら諮問会議の存在意義は薄らぎます」田中氏の言及した財政首脳会議には、首相、蔵相、経企庁長官に与党の幹事長、政策責任者らが参加し、来年度予算の概算要求基準や今年度補正予算の編成方針を決めた。省庁再編後を睨んだ会議なのは明らかで、大蔵省の掌中の予算編成権を内閣府に全面的に奪われるのを危惧しての対抗戦略だ。このまま続けば、彼らは内閣府の経済財政諮問会議が決定する前に、予算について与党と相談のうえ基本方針を決める立場に立つ。これは予算編成で主導権を維持するための大蔵省の企みだと田中氏は喝破するのだ。
郵貯“暴走”の危険性
だが、郵政省の力まかせの振る舞いに比べれば、大蔵省の巻き返しも小さく見えてしまう。省庁再編が国民の利益に合致するものになるか否かは、郵政官僚の跋扈がどこまでコントロールされるかにかかっている。
同省は自治省、総務庁と共に総務省となる。職員数は約30万人。内28万人が郵便局員で、資金量役255兆円の郵便貯金と115兆円の簡易生命保険、地方自治体への21兆円の地方交付税、合わせて391兆円を一手に所管する巨大金持ち官庁だ。
また、政策評価制度をもち他の省庁をチェックする機能を備え、外局には公正取引委員会も持つ。巨大な力はしかし、矛盾に満ちた構図の中に置かれている。
たとえばこれまで郵貯の資金を借り入れてきた地方自治体と貸し出し元の郵貯が合体する点だ。財投資金として融資されてきた郵便貯金は、かなりの部分が不良債権化していると指摘されているが、貸し手と借り手が合体して、果たして健全なチェック機能が働くのか。
「その郵政省がいま、日銀に口座を開いてより便利な決済システムに参入したいと言ってきているのです。我々が行革会議で全く予想しなかったことが平気で横行しているのです」
と水野氏は憂えた。
水野氏の指摘はなかなか奥深い。現在郵貯は民間金融機関とCD・ATMオンライン提携及び相互送金、デビットカードなどのサービスを共同で提供している。
いずれもサービス開始以来、提携する民間金融機関は急増中である。CD・ATMオンライン提携は顧客への現金自動受け払いサービスだが、同サービスで郵貯と提携した99年1月の実施当時は115機関だった。2000年10月末で、いま、それは2152機関に増加している。
また、買い物をして支払うとその場で口座から預金が引き落とされるデビットカードの提携先も、99年1月のサービス開始時の8金融機関から今年10月末では1240へと大幅に増えた。
当然、両者は消費者に提供したサービスの帳尻合わせをする。これが決済である。
現在、郵貯と民間金融機関の決済は、小切手で受け渡しする少々手間もかかり運搬の危険も伴う方法で行われている。郵貯は日銀内に口座を開けばこれもスムーズに行くとして、口座開設を申し込んだというのだ。これがなぜ問題なのか。
「郵貯のさらなる肥大化を引き起こし、民間金融機関をより圧迫するからです」
と水野氏。現在民間金融機関は、郵貯の前にほぼ全面降伏である。CD・ATMもデビットカードも、なだれを打って郵貯と提携する一方で、全国銀行協会をはじめとする民間金融13団体は今年11月末、矛盾に満ちた悲鳴のような意見を発表した。郵政公社について公の場で論じ、民間が行えることは民間に任せて欲しいという訴えだ。
当然の要求が悲鳴に聞こえてしまうのは、そう言う彼ら自身が、末端では先を競って民間金融機関だけでできることを、郵貯との相互協力関係の中でやり、郵貯の力をますます強めているからである。郵貯との提携が郵貯の肥大化、民間金融機関の不利益の拡大につながるとわかっていながら、今日と明日の競争から落ちこぼれないために民間金融機関は引かれ行くロバのように、おとなしく郵貯の後ろをついていくのだ。
日本大学法学部の岩井奉信教授が述べた。
「郵貯は今や、世界最大の金融機関です。それが国家に優遇されている。国が完全に保証しているのですから、民間が勝てるわけがありません」
指摘どおり、郵貯には国家保証があり、民間金融機関と違って預金は担保される。民間金融機関は、2002年にペイオフが実施さ齊nめると、1000万円以上の預金は保証の限りではない。
私たちの郵貯は一人1000万円までに限られ、その点では民間金融機関の保証する1000万円と同額だと思いがちである。しかし、1000万円以上何億円でも何十億円でも、郵貯に預けることの出来る人たちがいたのだ。
郵便貯金法第10条によると、それはほぼありとあらゆる公共法人である。学校法人から国家公務員共済組合まで、酒造組合から商工会議所まで、信用保証協会からNHKまで、さらには地方公共団体まで、皆、1000万円以上の貯金を郵貯にすることが許されており、しかも、所得税法第11条は、これらの法人が得る利子には所得税を課さないと定めている。
国家の元利支払い保証、利子にかかる所得税は無税、しかも、1000万円以上預けられるとなると、誰でも郵貯を選ぶ。こうして郵貯はさらに増えていく。
だが、一体全体、こんなことでいいのか。水野氏が憤る。「日本は金融改革が必要だといいますが、国民の金融資産の約3分の1が郵政省の手に握られ、国家に守られてリスクもない、社会主義経済になっている。それでうまくいくはずがないのです」
おりしも郵政研究所が、郵政三事業が公社化される2003年以降のあり方について報告書を出した。公正取引委員会が2006年にはすべての新書の配達に民間の参入を許すべきだとしているのとは対照的に、郵政研究所は、新書の配達は部分的解除にとどめるべきと報告した。全面的に自由化すれば郵政公社の収益が圧迫されかねないからだ。
郵政公社というお上の組織を守るために、民間の仕事を制限する本末転倒の報告書を出すほど、郵政省側は厚顔無恥となっているのだ。
このお役所が、総務省となり、力を伸ばしていくのが省庁再編である。
「郵政族議員が完全な応援団に成り下がっています。郵政族は独自の政策を提言するというより、逆に郵政省の受け売りをするだけなのです」
と岩井教授が指摘すれば、水野氏は郵政省は関東軍のような存在だと厳しく批判した。「総務省になっても、郵政省だけは、自治省などと共済組合を共通にはしないといって頑張っているそうです。3年後に公社化するというのが理由だそうですが、経理の内容を知られたくないからではないでしょうか」
郵政省の力の増大は日本を社会主義金融制度の底なしの泥沼に引きずり込む危険性をはらんでいる。郵貯がおぞましく膨れ上がって日本の活力を吸い取り、日本がゆっくりと、しかし着実に滅ぼしていく悪夢を想わざるを得ない。
省庁再編の成功は、郵政省の族議員を巻き込んだこの自己増殖の構造にいかに歯止めをかけるかによる。
骨抜きの歴史
行革の歴史は、しかし、官僚による骨抜きの歴史である。国学院大学の水谷三公教授は語る。
「予算編成権を大蔵省から官邸に移す動きは、これまでに2回ありました。が、いずれも失敗に終わっています。戦前の昭和12年、総合調整官庁として企画院を設立、セクショナリズムの行政を公益の点から見直そうとしたのです。しかし結局、企画院は予算の大枠を決め、実態としての予算編成権は大蔵に残り、不成功に終わりました」
敗戦後、今度は、予算編成権を経済安定本部に移す試みがあったが、疲弊した日本経済の立て直しには大蔵官僚の力を借りることが必要だと判断したGHQによって、予算編成権はこの時も大蔵にとどめおかれた。
官僚は有能な人材集団であるだけに、課題を示せば、確かにいくつかの解を示してくれる。しかし、それが、国民国家のためになるという保証はない。なぜか。評論家の松本健一氏が語る。
「戦前は政治家も官僚も天皇に対して責任をとる形でした。戦後はその構図が崩れ、国家観も希薄になった。特に経済成長以降は、官僚が自分たちの方を向き始めたのです」
学習院大学の坂本多加雄教授も語る。
「冷戦後とみに官僚が変わってきました。冷戦中は、社会党などの革新政党は政権を取れなかった。それは社共政権ではある種の不安がつきまとうという国民の判断があった。同様に官僚にとっても、対処すべき大きな箍があった。冷戦という箍が外れると、西側陣営と共有してきた日本の国益が、一体何なのか、わからなくなったのではないか。国益とは何かについての信念が薄れると、次に出てくるのが官僚個人の組織内の保身という、まさに普遍的な現象です。自己の利益を見つめ始めた官僚は、坂を転がる雪ダルマのようにひたすら自己利益を追求することで、組織内での力をより強めていくのではないか」
江田氏が強調した。
「私は39歳で橋本首相の秘書官になりました。周囲からはバッシングされましたが、通産省の縦割り行政の閉塞感を痛感していましたから、死んでも良いからこの国を変えたいと思いました。しかし、官僚にそう思わせるような仕組みも体制もない。官僚に国を想い、国民を想う心意気をどう持たせるか。これだけの官僚バッシングがあって士気を起こせと言うのはもはや、難しい。自業自得ですが、成熟した民主主義にたどり着くためのコストとして受け止めざるを得ないと考えています」
しかし、自身の体験からも、江田氏は、行革を成功させるのも、官僚を出身省庁を超えて国家のために働かせるのも、全て政治次第だと強調した。
「今からでも間に合います。内閣府の人事を白紙に戻して、3人の官房副長官補を官僚の横滑りではなく、政治任用で民間から起用する事です。首相補佐官には民間と政界から有為な人材を付けるべきです。首相の考えを強烈に、真っ直ぐ反映させていく内閣府にすれば、物事は変わります」
が、坂本氏はこう言う。
「日本全体が、政治家も国民も、国益や社会の全体を考えなくなった今、官僚にのみ、それを求めるのは無理ではないでしょうか」
金子教授は、この国の改革は容易ではないと力説した。
「55年体制とは、戦後のヤミ市から立ち上がるために、日本を官主導にした体制だと思います。中曽根さんが戦後政治の総決算と言ったのは、その55年体制を見直すということです。守旧派の力は並大抵ではなく、本丸には手が着けられず、3公社の民営化をやっただけでした。橋本さんは、ある意味で中曽根さんの跡継ぎです。いかに欠点があっても、本丸に手を突っ込んだ事は評価して良いと思います」
が、郵政族に象徴されるように、政治家の多くはすでに取り込まれていると考えざるを得ない。となれば、真に行革を望むなら、私たち国民が厳しい監視を続けるしかないのだ。