「 『尖閣諸島』が危ない!〈前編〉 」
『週刊新潮』 2004年8月12・19日号
[特集] 日本ルネッサンス 拡大版 第128回
今年3月24日早朝、日本の領土である尖閣諸島に中国人7人が上陸した。沖縄県警が現地に到着し全員を逮捕したのは同日午後7時09分だった。彼らは十数時間日本の島に不法滞在したが、日本側は同事件を立件することなしに、26日夜、全員を中国に送還した。
5月28日、『東京新聞』が東シナ海の日中の中間線から5キロ中国側に入った地点で中国が天然ガス採掘施設を建造し始めたニュースを写真入りで報じた。5つの鉱区から成る春暁ガス田群である。
東京新聞と共に5月27日に現場を取材した杏林大学教授で中国問題の専門家の平松茂雄氏は、春暁ガス田の施設は完全な石油・ガス採掘施設で、現地での組み立ては5月21日に始まったと語る。
「中国は1998年末までに日中の中間線から中国側70キロのところに平湖油田の石油採掘施設とパイプラインを完成しました。ここで採掘された石油と天然ガスはいま上海に送られています。平湖施設の現地組み立ては1週間で完成しました。春暁の施設は平湖と較べてゆっくりした組み立てです。現場の写真から読みとれるのは井戸は恐らく15本、それら全体を調整する大きな司令塔が出来るのではないかということです。ここからの石油・天然ガスは杭州湾にある寧波に海底パイプラインで送られます。寧波には中国海軍の東海艦隊司令部があります」
日本政府は、中間線のすぐそばに採掘施設を作り、日本側の海底に眠る資源をも吸い上げてしまうかのような中国のやり方に抗議をしたが、言葉による抗議が効を奏するはずもないことは、これまでの経験から明らかだ。日本側が求めた海底資源に関する情報も中国側は出してこない。そこで日本政府がノルウェーの調査船を雇って東シナ海の資源調査を開始したのが7月7日だった。
不法上陸されても、ひたすら穏便を旨として7人の犯人を単に中国に送り返し、中国側が石油・ガスの採掘施設の組み立てを開始して、初めて調査船を出す泥縄の対応は、東シナ海が紛れもなく中国の海になりつつあることを示している。
自民党は中国側の動きに危機感を強め、今年春先から「海洋権益に関するワーキングチーム」(WT)を形成、武見敬三参議院議員を座長とし高村正彦氏、中谷元氏ら25名が名を連ねた。海洋資源に関する対中国外交の実態を調べた武見氏は驚きを隠さずに語った。
「とんでもない縦割行政なのです。海洋権益という各省庁がさまざまな形で関わる課題であるにもかかわらず、全員バラバラで、戦略以前に必要な情報の共有もなされていなかったのです」
必要な情報とは、東シナ海の日本側の海底資源のことだ。実は資源エネルギー庁が中心になって、1996年から99年にかけて二次元の物理探査が行われた。同庁石油・天然ガス課の片瀬裕文課長によると50億円かけて約1万7,000キロの地質構造を調査済みだという。
二次元調査は船から音波を発信してその反射の時間や強弱によって海底の地質の構造を把握する方法だ。資源開発に進むにはさらに資源の埋蔵場所をピンポイントで特定する三次元調査が必要だ。試掘はそのあとに続く。
最も基本的な二次元調査の情報が縦割行政のなかで外務省に渡っていなかったのだ。
中国への遠慮と恐れ
92年2月に中国は領海法という国内法を可決し、尖閣諸島も西沙諸島も南沙諸島も全て中国領であるとした。96年には日中両国が国連海洋法条約の批准を決めたが、日中双方の海域に関する考え方は大きく開いたままだ。国連海洋法条約は200海里までを排他的経済水域(EEZ)と定めているが、両国間の海が400海里に充たないため、日本側は日中の中間線を境界線と考え、中国側は大陸棚説をとった。中国大陸の延長にある大陸棚にそって350海里までが中国のEEZだとする考えだ。大陸棚は沖縄の少し手前の沖縄トラフで大きく切れているので、そこまでが中国の海であり、そのなかに尖閣諸島も含まれると中国はいうのだ。
周知のように中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは1970年12月である。国連アジア極東委員会(ECAFE)が68年に東シナ海の海洋調査を実施し、その大陸棚に石油が埋蔵されていると発表したのが69年である。その発表を機に、それまで日本の領有を認めていた中国が豹変したのである。資源獲得のために歴史的事実を無視する中国に対抗して日本政府は今日まで、日中を隔てる海をどう区分するのかについて国益をかけて議論してきたはずだ。にもかかわらず、外務省中国課は、今年3月、武見氏らによって指摘されるまで、交渉の重要な要素ともなる資源エネルギー庁の情報を入手していなかった。
なぜ、情報は伝わらなかったのか。資源エネルギー庁側は、この調査が外務省の合意なしに行われる可能性はないこと、外務省も同調査の実施を承知しており、外務省が求めた場合、情報が提供されないことは考えにくいため、外務省側が情報を求めなかったのではないかと推測する。
必要な情報ももたずに中間線作定の交渉をしていたことに武見氏は憤るが、外務報道官の高島肇久氏はこう答えた。
「不思議ですね。(海洋資源の)調査も探査もやればいいじゃないかと言ってる人間は外務省にも一杯いるんですよ」
そのうえで資源エネルギー庁の調査結果を速やかに入手しなかった理由については、わずか5年前のことなのに、「当方の記録上、必ずしも定かではない」と答えるのみである。
外務省中国課には資源に関する情報のみならず、中国との間で摩擦を生じさせたり、交渉を必要としたりする情報を遠ざける傾向があるのではないか。
平松教授が語った。
「たとえば日本側の主張する中間線を超えて中国艦船が日本側のEEZに入ってくる場合、事前通告することで合意しています。しかし、中国側は度々違反してきました。こうした情報を外務省が積極的に日本の国益を守るのに活用しているかといえば疑問です」
情報を知ったばかりに、中国に抗議しなければならなくなる。そんな気の重い仕事をしなくてもよいように、悪い情報は知りたくないとでもいうべき雰囲気が、外務省にあるのではないかというのだ。たしかに、外務省の中国に関する否定的な情報の取り扱い方は奇妙だ。たとえば中国艦船による違反行為は公表されるが、事前通報したうえで行う調査活動は、外務省は公表したがらない。違反でなくとも、どれだけ頻繁かつ広大な日本側海域で中国艦船が調査活動を展開しているかを、日本側が中国側の海域にわずかでも入り込まないように気を使っていることに対比して、国民に知らせることも重要である。にもかかわらず外務省は中国に気を使うのだ。
国益を放棄した日本
資源エネルギー庁の二次元調査は日中の中間線の日本側海域に及ぶわけではない。片瀬課長は「国際社会で少しでも批判されることは避けたいから」と説明した。国際社会のルールを守ることは重要だが、過ぎたるは及ばざるが如しである。中国の横暴を押さえきれず、日本側のみ、当然行うべき調査もしないのでは対等に交渉することも叶わない。日本の対中姿勢のそこかしこに、得も言われぬ“遠慮”と“恐れ”が見える。
高島報道官は日中関係について全く異なる見方を示した。春暁ガス田については、中国側が「日中共同開発」を申し出ていることを評価するという。
「東海を対立の海でなく平和と繁栄の海にしたいというのが中国の主張です。日中外相会談で解決する道は共同開発だと中国側が言うのは、日中間に(海の境界について)論争点があることを認めたわけです」
東海とは、中国が主張する東シナ海の呼称である。外務省の楽観的な説明を民間会社は微妙なニュアンスで受けとめた。1966年に東シナ海の資源調査・開発の許可を申請し、以来、この海域の豊富な資源開発の重要性を訴えてきたうるま資源開発顧問の荒木正雄氏が説明した。
「80年代に日中の中間線をまたぐ形の共同開発が話し合われました。中国側は中間線の中国側は全て中国のものだから、共同開発は出来ない。日本側のみでやりたいとのことで交渉は成立しませんでした。ですからいま共同開発というのは、中間線の日本側海域でのことでしょう」
氏は、それでも中国との関係を考えれば共同開発が現実的解決策だという。
帝国石油社長室長の宮本修平氏は2つの要素を考慮すべきだと強調する。
「81年と84年にあの海域でわが社が行った独自の調査で資源が豊富なのは認識しています。その鉱区のすぐそばで中国の春暁ガス田の開発が進行中なのですから非常に気になっています。埋蔵量の推測には幅がありますが、一例として資源エネルギー庁の公表する5億キロリットルは売り上げにすると10兆円規模です。共同開発となれば当然利益は得られます。しかし、この問題には国家のあり方がつきまといます。私共は国益を忘れて利益だけで動くつもりはありません。中間線の日本側でのみ、共同開発することは、日本の国益の犠牲のうえに成り立つもので、それに乗ることは出来ません」
共同開発の海域を特定することなしに、「共同開発」という言葉のみで、中国が譲ったと思い込むとしたら、それは間違いであろう。共同開発は中間線の両側で行うべきものだ。日本側のみでの共同開発は、単に中国の要求を受け容れることになる。
うるま資源開発も帝国石油も調査・試掘の申請からすでに三十数年が経過した。彼らの申請は資源エネルギー庁と外務省の間で、中国への配慮から保留され続けてきた。
そしていま、政府はようやく三次元調査に乗り出したが、どの社もこのあとにくる試掘には容易に踏み込めないという。
日本政府が三次元調査を開始した途端に、中国は激しい反応を見せた。中国の調査船が日本側EEZに入り、「中国のEEZである。調査活動を停止、退去せよ」と叫び、日本の調査船と並行して航行するなどの妨害活動も行った。
試掘を許されても、安全が担保されない限り行けないというのが民間会社の立場だ。民間の船の安全を担保出来るのは海上自衛隊でしかない。問題は結局、日本がどのような決意を固めるのかにかかっているのだ。それは日本側が領土領海を守る気持をどこまで持つのかということでもある。
このことは今年3月の尖閣諸島への中国人の不法上陸をどうとらえるかということとも重なってくる。高島報道官は、尖閣諸島への7人の不法上陸者の件を立件せずにすませたことは「日本の法律に基づいた一番正しい方法だったと米国などで評価されている」「上海に戻った7人が表立って賞賛されることもなくどこかに消えたのは、中国側が(反日感情の高まりを)コントロールした結果」だと述べた。
これは中国の動きを全く理解していない見方だと、平松教授は解説する。
「中国は2003年7月1日に『無人島の保護と利用に関する管理規定』を施行しました。尖閣諸島を含む無人島が民間人に開放されたのです。このことは、3月に7人が、尖閣諸島に上陸したのは、彼らが所有する『中国民間保釣(釣魚島防衛)連合会』という“民間団体”が尖閣諸島の使用権を中国政府に申請して許可された結果で、つまり、彼らは中国政府のお墨つきを得ていたと思われます」
中国政府は7人の上陸によって、目的を達したのだ。それ以上、彼らが英雄視されることは政治的に必要なかったのだ。
領土、領海を守る気概
中国は1989年以来自らを「名実ともに海洋国家である」と定義し、中国の主権及び主権的権利が及ぶ面積(排他的経済水域)は300万平方キロだと、繰り返してきた。平松教授はこの広大な海域に散在する島々は、500平方メートル以上のものだけで6,961にのぼり、6,520余は無人島だと指摘する。
国家海洋局には昨年7月1日から、無人島の使用に関する電話の問い合わせが殺到した。尖閣諸島に関しては、中国の領土、主権を守ることを存立の基盤とする民族主義者の団体から、4通の申請が出された。
中国側の動きを分析すれば、日本側も尖閣諸島を守る方法に工夫を凝らさなければならない。このまま事態が推移すれば、中国軍ではなく多勢の民間人が中国の領土としての尖閣を守るために上陸する。尖閣は中国のものというイデオロギーの実践のためであるから、上陸した暁には手強い相手となる。中国の子供たちの学ぶ教科書にも、尖閣諸島は中国領と明記されている。尖閣諸島は中国領だと教えられて育った子供たちは、その島の領有権を主張する日本人を心から憎みかねない。こうして尖閣は草の根で中国の島にされていく危険がある。
あの島のために、米国が日米安保条約に従って中国と戦うとは想像しにくい。中国もまた、軍事力で尖閣を奪うことは控えるだろう。しかし、“愛国精神”に溢れた国民の行動なら、日本への無理も通し易いと考えているのではないか。
日本の対抗策は、ただひとつである。政府も国民も、自国の守りは自分たちでやるしかないことを認識することだ。尖閣も日中の中間線も、日本人こそが、冷静に、しかし、固い決意で守り抜かなければならない領土、領海だと決意することだ。