「 靖國神社の『見解』が示した『戦犯』問題根本的な誤り 国内法では犯罪人ではない 」
週刊ダイヤモンド 2004年4月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 539
しばらく前にテレビ朝日「サンデープロジェクト」に出演した中曽根康弘元首相の、靖國神社についての発言が気になっていた。「A級戦犯を分祀すればよい」という主旨の発言だった。
私は、東京裁判という、国際法の観点から見れば受け容れられない事後法による一方的な裁判で裁かれた先人たちを、「戦犯」という言葉で切り捨てることなどできないと考える。他の国の誰が彼らを非難しようとも、日本人であればこそ、先人たちが戦後日本の平和を命であがなってくれたことを感謝しなければならないと思う。だから、中曽根氏までが「A級戦犯」「分祀」などと語るのを、心痛む気持ちで聞いた。
だが、今年3月3日付で靖國神社が「所謂A級戦犯分祀案に対する靖國神社見解」を出した。これを読んで心が落ち着いたのは私だけではあるまい。神社からの中曽根氏への回答になっているのだが、分祀ということ自体が神道にはないのだそうだ。神道では「たとえ分霊されても、元の神霊も分霊した神霊も夫々全神格を有しています」とのことだ。仏式で仏壇の位牌と遺骨を納めたお墓、または分骨したお墓でそれぞれ供養するのと同じく、神霊は分祀しても完全な神格を失うことがないという。
また、多くの人びとが「戦犯」と呼ぶ先人たちが、疾うの昔に、日本人によって赦免されている事実も知った。この点は「正論」5月号の小堀桂一郎・東京大学名誉教授の論文に詳しい。小堀教授は「靖国・英霊『分祀』論の妄を弁ず」という題で、中曽根氏の認識の過ちを正しているのだ。小堀教授は、戦争犯罪裁判で命を失ったすべての殉難者は、GHQの占領終了から1年を経て1953(昭和28)年8月の法改正で戦没者とされ、刑死、獄死を遂げた人びとの遺族にも、扶助料、恩給が支給されるようになった、と指摘する。つまり、戦争犯罪裁判で有罪とされた人びとも、日本の国内法ではもはや犯罪人ではないのだ。
これは当然のことであろう。先人たちは自分のために戦ったのではない。家族や社会を守るために、また、国のために戦ったのである。日本国が展開した戦いの当否の評価と、一人ひとりの軍人を事後法で罪に問うことは、別である。この国のために働き、命を落とした人びとを、私たちは心して大切にしなければならない。
靖國神社への英霊の合祀は、靖國神社が秘かにひっそりと、政治家たちの気づかないうちに行なっていたとの通説があるが、小堀教授はこれも大きな間違いであることを指摘する。
52(昭和27)年4月の第16特別国会で、戦争犯罪裁判の殉難者たち、世に「A級戦犯」と呼ばれる14人を含めたすべての殉難者たちを、靖國神社に合祀することが決議されたのだ。この法改正は、自由党、改進党、右派・左派の社会党の与野党が全会一致で可決した。この国会決議があって初めて、靖國神社への全英霊の合祀が実現されたのだ。
こんな大事なことを、私は今まで知らずにきた。無知、不勉強というものは、じつに恐ろしいものだ。だが、こうしてわかってみると、戦後の日本人も捨てたものではないと思う。占領が解かれた直後、大切にすべき人びとを大切にする手順をきちんと採っている。そのことを、次の世代にどう伝えていくかが、今、問われているのだ。
最後に、靖國神社の「見解」には「仮にすべてのご遺族が分祀に賛成されるようなことがあるとしても、それによって靖國神社が分祀することはありません」と書かれている。中曽根氏は、分祀に反対なのは一家族のみと語り、いまにも分祀で決着をつけるかのような印象だった。だが、靖國神社は、多くの先達の魂を、静謐で深く、安定した基盤で抱きとめている。