「 超党派96条改正議連に見る可能性 」
『週刊新潮』 2011年6月9日号
日本ルネッサンス 第463回
菅直人首相への不信任案が取り沙汰される中、当の首相は東日本大震災の復旧、復興、日本再生を成し遂げることが自分の歴史的使命だと頑張っている。
社会保障と税の一体改革も、子ども手当制度も農家への戸別所得補償も皆、首相は自分の「歴史的使命」で、「歴史的に画期的な政策」、「歴史的に絶対に間違っていない」と強調してきた。首相の自己顕示欲の強さこそ、日本国の「歴史的弊害」であるとは、本人は気付いていない。明確なのは宰相の資格を欠く人物が中枢にある限り、日本の国力は確実に奪われ続けるということだ。
日本再生のためと称して、首相の座に拘る菅氏ではあるが、いまや日本再生に最も必要な憲法改正には殆ど関心を示さない。むしろ、武器輸出三原則の見直しをあっさり先送りすることで、再度社民党を取り込んだ2010年12月の選択に見られるように、社民党に気兼ねして従来通り、日本の手足を縛り続ける護憲路線に傾いたのが首相である。
だが、このような首相の在り様にも拘わらず、日本の政治は尚、大きな活力と可能性を宿している。失望することなどないのだ。6月7日、自民、民主などの有志らが中心となって、「憲法96条改正を目指す議員連盟」を発足させ、第一回会議を開く。
自民党側の主たるメンバーは顧問の安倍晋三氏、代表の古屋圭司氏、幹事長の下村博文氏らを中心に中曽根弘文、山本有二、鴨下一郎、衛藤晟一、加藤勝信、稲田朋美ら各氏、民主党側は代表に小沢鋭仁氏、幹事長に長島昭久氏らを中心とする数十名以上の有志である。96条改正原案を国会に提出するために超党派で衆議院101名、参議院51名以上を目指してきたが、5月末現在で200名以上の賛同者が集まっている。真の日本再生に向けた地殻変動が、ここから起きると考えてよいだろう。
日本国憲法の欠陥はこれまで幾多の人々によって十分すぎるほど指摘されてきた。直近の東日本大震災に関していえば、日本国憲法には非常事態に関する規定もない。平和と安全神話の惰眠の深い淵に日本を縛りつけてきた現行憲法は有事など全く想定していないために、非常事態についての規定がないのだ。
日本人らしさがない
国民、国土を守るのは国家の基本的責務であるが、現行憲法は、別に日本人や日本国が守らなくても国際社会が守ってくれるという考えに貫かれている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と前文にあるように、わが国の国防、国民の守りは全面的に他力本願である。国際社会の善意に縋る姿勢はさらに9条で強調される。
日本の大災害に同情の言葉を寄せつつも、北方領土にはいまや我が物顔でロシアや韓国の政治家が訪れる。尖閣諸島周辺では中国のヘリが日本の海上自衛隊の護衛艦に異常接近して脅威を見せつける。ユーラシア大陸では米印中露を中心に歴史的な国際政治のせめぎ合いが展開されている。そのような中で、自力で国土を守ることが出来ない国は侮られ、抑圧されていくのである。
今更指摘するまでもなく、現行憲法は私たちが作った憲法ではない。だからこそ、そこには日本国や日本人らしさが全くない。
「国民の権利及び義務」の第三章では、権利が16回、自由が9回言及されているのに対し、義務と責任は3回ずつだ。権利と自由を強調し、義務と責任を甚しく軽視する価値観は、日本人本来の価値観とは無縁である。東日本大震災の被災者の姿や振る舞いを見て、世界は日本人の立派さに驚愕し賛辞を送った。非常なる困難の中に在っても尚、思いやりと尊厳を保ち続ける民族と、権利と自由ばかりの現行憲法は、水と油である。
同じ第三章で現行憲法は家族の大切さについて一言も言及せず、個人の権利や自由を強調する。被災者を含めて、日本人はおよそ皆、家族の絆の大切さを確認し合ったばかりだ。にも拘わらず、憲法が家族を事実上否定し、日本国民に家族の一員であるよりも、個人であれと勧める現行のままでよいはずがない。
随所に欠陥が目立つ現行憲法全103条が、64年間も改正されずに来た原因は、今回、その改正に焦点を絞って議連が発足する96条にある。憲法改正には衆参両院で各々3分の2以上の賛成と、国民投票で過半の賛成が必要だと定めたのが96条だ。
しかし、戦後一度たりとも、両院で3分の2以上の議席を勝ち取った政党も、連立政権もない。これからもないだろう。であれば、未来永劫、日本人は米国人作成の憲法に、国家、皇室、家族、教育、国防など全てを委ねなければならないのか。それでは全き意味での日本ではない。真の日本を取り戻すには、国家、社会、家庭の在り方、全ての規範の根幹を成す憲法を私たちが作らなければならない。そのような思いから、超党派の有志による96条改正を目指す議連は結成される。
憲法への無関心や無責任
各々の視点で論ずれば、改正の争点は限りなく広がる。多岐にわたる争点を問いながらの改正実現は不可能であろう。その点で96条議連が争点を改正手続き一点に絞ったことは手法として正しく、民主主義の価値に照らし合わせても正しい。改正に3分の2の支持が必要で、3分の1が反対すれば改正は出来ないということ自体、民主主義の視点からすれば、おかしなことだからだ。
3分の2から2分の1以上への緩和はまた、ルールの民主化と公正化をもたらし、憲法は真の意味で国民に近くなる。これまでは3分の2規定ゆえに改正の可能性は現実問題として限りなくゼロに近く、国民の手の届かないところにあった。結果として、憲法への無関心や無責任が生じてきた面もある。
国会では自民党の中山太郎氏を会長として、5年間にわたって憲法調査会を開催したにも拘わらず、その後、憲法改正は進まなかった。2007年5月に、憲法改正に必要な国民投票法が成立し、国会の常設機関として憲法審査会が衆参両院に設置された。本来なら同審査会で憲法改正案を論じなければならない。にも拘わらず、審査会は形ばかりで、機能しなかった。漸く、衆議院が憲法審査会規程を作って始動したのは2009年だ。参議院に至ってはつい先頃の5月18日まで、審査会の規程もなく、一度も開催されなかった。特に民主党は消極的で、この5年間、憲法改正問題に背を向け続けてきた。
だが、それもいま漸く変わりつつある。民主党は5月10日、党憲法調査会会長に前原誠司前外相を充てた。
政治が限りなく停滞するいまだからこそ、国家の根幹に戻って、日本再生の道を探ることだ。自民、民主を筆頭に文字どおり、超党派で96条の改正を実現しなければならない。