「 今こそ拉致特別委員会を設けよ 」
『週刊新潮』 2004年1月22日号
日本ルネッサンス 第100回
北朝鮮の戦術はあざとく、巧みである。昨年12月20、21の両日、北京で行われた、平沢勝栄衆議院議員らと鄭泰和日朝交渉担当大使らによる非公式の接触は、日本側を外務省と拉致議連、家族会などに分断して揺るがすと同時に、19日に開かれる国会で拉致問題特別委員会の設置を念頭に置いた目眩ましではないかと思われる。なんら、新しい提案がないにもかかわらず、新提案をしたかに見せかけて、北朝鮮側の柔軟姿勢を印象づけ、特別委員会設置を阻止しようとしたのではないか。
北京会談の内容を知るにつれ、右のような疑問を抱かざるを得ないのだ。会議での話をざっと振りかえってみよう。出席者は日本側が平沢議員、松原仁民主党議員、救う会の常任副会長西岡力氏ら4名。北朝鮮側は鄭泰和大使以下合計6名である。この中には後述する吉田猛氏なる人物も入っている。
会談は都合3回。双方の発言はざっと以下のとおりだ。
日本側はまず、話し合いは外交レベルで行うべきと繰り返し強調、拉致解決は北朝鮮の対応如何によるとして、北朝鮮に残る8人の子供と夫に加えて金恵京さんらの帰国、死亡とされた8人と曽我ひとみさんのお母さんのミヨシさんら2人の正確な情報、その他の拉致の可能性が捨てきれない人々の情報を要求。また、北朝鮮の譲歩がなければ日本は与野党と救う会が一致して経済制裁実施に進むことを強調した。
北朝鮮側は金正日総書記が謝罪したからには拉致解決の意思があると述べ、それが頓挫したのは日本側が5人を2週間で北朝鮮に戻す約束を反古にしたからだと非難。拉致議連議員やマスコミ同伴でよいから、5人を北に1度戻せ、家族を抑留し続けるつもりはないと述べる一方で、北朝鮮は個人の意思を尊重する国だから、5人の家族らに日本に行けと命令することは出来ないと語った。子供たちの帰国を100%保証しているわけではないのだ。まためぐみさんや曽我ミヨシさんらについては従来の主張を繰り返した。
西岡氏が事情を説明した。
「我々は12月22日に帰国し、すぐ外務省と中山参与の支援室に電話で報告。24日には家族会の幹部にも報告しました。その後平沢議員の発言がテレビなどで一部のみ使われて『迎えに行けば子供たちが帰ってくる』という話になっていき、24日夜には共同通信が“空港まで迎えに来れば良いと北朝鮮が言った”という誤報を配信しました。それがさらに、空港まで迎えに行き、日本側は飛行機の外に出る必要もないという形で伝わっていったのです」
“誤報”の発信源は誰か
北朝鮮側が子供たちを返すための提案をしたとの印象が作られていったのだ。だが、彼らはそのような発言はしていないと西岡氏は言う。
「1回目の会談は、次の会談日程も打ち合わせ出来ないまま、物別れになりました。北朝鮮の代表が部屋を出たあと吉田氏が残ったのは、間に入った人間として物別れでは困るからでしょう。北朝鮮も解決を考えているなどと言って、そのときに、空港まで来ればよいだろうという言葉が彼の口から出たのです」
日本国籍の吉田氏はオブザーバーにすぎず、北朝鮮代表ではない。氏の言葉を、北側の提案ととらえる必要もないと西岡氏が語るのは当然だ。そもそも吉田氏とは何者か。
氏が世間の注目を集めたのは1995年3月末に、村山富市政権の下で与党3党訪朝団が平壌を訪れたときだ。同訪問時に「日朝会談再開のための合意書」が調印され、「対話再開と国交正常化のための会談には、いかなる前提条件も付けない。徹底して関係改善のためのものにする」と記された。
村山政権は、当時最大の問題だった李恩恵こと田口八重子さんの拉致も核開発疑惑も問い質さず、関係改善の措置しかとらないと決めたのだ。その結果、日本が同年のコメ50万トンを皮切りに経済、食糧援助を次々と実施したのは周知の通りだ。
北朝鮮圧勝の交渉結果を導き出した95年の訪朝団の陰で暗躍したのが、加藤紘一事務所スタッフの肩書きを持って3党訪朝団に加わっていた吉田氏だった。氏は日朝友好商社の最老舗、新日本産業の社長であり、北朝鮮に太い人脈を持つ。韓国大財閥のひとつ、現代グループの名誉会長、鄭周永氏を北に誘導し、大規模投資を実現させた人物としても知られており、父子二代にわたる事実上のエージェントと言ってよい。その加藤紘一事務所元スタッフが今回は、堂々と、北側の座に坐り、「空港まででよい」などと言ったのだ。
国民の被害を直視せよ
氏の言葉が北側の提案であるかのように流布され、柔軟になった北朝鮮が新提案をしたとの印象が作られていった。世間の注目は、めぐみさんや有本恵子さん、増元るみ子さんらから外れて、迎えに行くのか否かに集中する。未確認ながら幾百人もの拉致の可能性が排除しきれない失踪者の問題も霞み、国会での設置が検討されている特別委員会問題も焦点の外へと押しやられていく。まさにそれが、北朝鮮側の狙いではないのか。
特別委員会が設置されれば、証人が呼ばれる。韓国に亡命中の元工作員安明進氏は、死亡とされる市川修一さんを北朝鮮側の言う死亡年月日よりもずっとあとに何度も見かけ、会話まで交わしたこと、めぐみさんも、北の示す死亡年月日よりもあとに複数回見かけていることなどを証言するだろう。元労働党書記の黄長燁氏も金正日の対日謀略について、また、大韓航空機爆破犯の金賢姫さんは田口八重子さんについて語るだろう。
一連の情報を通して、私たちは改めて、同じ国民がこれほどひどい被害に遭遇して、未だに苦しんでいる事実を認識することになる。解決のためには日本のもてる力を行使しなければならず、まず、経済制裁の実施を可能にする法律を作ることに、異論はなくなるだろう。
経済制裁だけでなく、日本国民の人権と国家の主権が侵されている拉致問題の本質を抉り出すためには、集中的に調査、審議する特別委員会の設置がどうしても必要だ。しかし、政府与党内の一部には、特別委員会設置に消極的な声があるという。イラクに関しては2本の特別法を作って自衛隊を出すことになった。しかし、日本人が直接被害に遭っている拉致問題に関して特別委員会の設置を渋る動きが本当にあるとすれば、それは問題である。平沢氏らへの一本釣りで日本側を分断し、柔軟姿勢を印象づけるのは、北朝鮮が特別委員会の設置や経済制裁を恐れているからだ。逆にいえば、今は日本側にとって、揺らぐことなく、特別委員会を設置し、強く出るべきタイミングなのだ。この好機を逃してはならない。