「 問題提起・フジモリ氏をめぐって問われる国家の原則 」
『正論』 2001年3月号
「問題提起・フジモリ氏をめぐって問われる国家の原則」
突然、日本国民になった前ペルー大統領をわれわれはどう遇すべきなのか
昨年11月17日、ペルー前大統領のアルベルト・フジモリ氏が日本滞在を開始して以来、3ヶ月になろうとしている。1990年以来2000年暮れまで、足かけ11年にわたってペルーの大統領職にあった人物が、実は“日本国民”だったという、大方の国民が予想だにしなかった驚くべき“事実”に依拠して、フジモリ氏の日本滞在問題は現在、表面的は小康状態に入ったかに見える。
だが、本来、政治的亡命事件である事柄を、フジモリ氏の国籍保有問題に矮小化して処理した日本政府の措置は適切だったのか。キリスト者としての大いなる愛から生れた行為であるにしても、私人とは認め難い人物を、曽野綾子氏が私人として受け入れたことは適切だったのか。
事の性質を直視すれば、フジモリ氏への処遇を通して亡命者や難民を広く受け入れていく原則を確立するよい機会でもあるのに、現在、その方向に議論が進んでいないのはなぜか。
フジモリ氏受け入れの官民による一連の理由づけは日本国内では通用し得ても、当事国のペルーを含む国際社会では、通用しにくいのではないか。むしろ、今回の問題をきっかけにして日本側がとった行動は、後に詳述するように、日本的価値観の異端ぶりを強調する結果になりかねない。今回の措置に対して少なからぬ疑問と反発があることも私たちは見逃してはならないと思う。
ペルー国民への説明義務はないのか
すでに広く報じられていることだが、この問題に関するペルー国民の反応には否定的なものが多い。フジモリ氏が、事実上の亡命以来はじめて生出演したテレビ番組から見てみよう。1月14日のテレビ朝日『サンデープロジェクト』である。
同番組はまず、フジモリ氏の功績をひとつひとつ示していった。失業率もインフレ率もフジモリ政権の下で劇的に下がり、義務教育を受ける子どもの数はふえ、犯罪発生件数は驚く程減少したことが数字で示されていった。公平に見てフジモリ政権の一連の成果は余りにも明らかだ。内政上の功績だけでなく、私たちは日本大使公邸でおきた人質事件で大統領が発揮した指導力を今も鮮やかに記憶しているはずである。
番組ではそのフジモリ氏に対して、以下のようなペルー国民のコメントを報じた。
「フジモリには感謝している。でも唯一の間違いは東京で辞任したことだ」(男性市民)
「いつもあなたに投票してきたのに、こんな形で裏切られるのはひどい」(女性市民)
同番組だけでなく、現地の新聞報道にも同様のコメントが見られた。ペルー国民の明らかな落胆や怒りに加えて、ペルー国会が氏を罷免し、ペルー検察当局が刑事訴追したことは周知である。フジモリ氏は、罷免後はじめて応じた日本のメディアとの取材で、「罷免は遺憾である」「10年間ペルー国民のために必死にそしてきちんと仕事をしてきた」(産経新聞)と述べ、不正蓄財疑惑については「完全なウソ」と全面否定した。
『サンデープロジェクト』でも、フジモリ氏はペルーの司法当局から事情聴取の要請があった場合、それを受けるつもりだと次のように答えた。
「それ(事情聴取)を待っているが、不思議なことに彼らは日本に来てくれない。私に不正があると考えているのなら、なぜ彼らは日本に来ないのか。彼らはすでに私に不正が存在しないことを知っているからではないかと思う」
フジモリ氏はあくまでも、司法当局が日本に検察官なり調査官を派遣することを求めているのだ。が、ペルーの人々はどう感じているのか。中間派と定義されたサラス前首相は
「4月の選挙が終わるまでは帰国しない方がよい。今の状況では公正な裁判を受けることは望めない」と警告し、フジモリ氏の国外滞在を支持する発言をしている。
他方、「ペルー国民に説明するために今すぐ帰国してほしい」と述べたのは反フジモリ派のワイスマン国会議員だ。帰国を要請したのは反フジモリ派にとどまらない。フジモリ派のサルガート国会議員は、「命の危険があるかもしれませんが、帰国すべきです」という烈しい言葉で帰国を促した。さらに同議員は「命と引き換えにしても私たちの疑問に答えるべきです」とまで述べたが、そこには、同議員が、これまで恐らく全力でフジモリ政権を支えてきたであろう想いがこめられていたと思う。
フジモリ氏は、明白に、ペルー国民への説明義務を負った公人なのだ。氏の過去の功績の偉大さを十分認めることと、政権を崩壊に追いやった一連の疑惑に対しての説明責任を求めることは、全く別物である。一体、どんな不正が行われたのか行われなかったのか。自らが重用したモンテシノス元顧問との関係はどうなっていたのかなど、大統領として氏が説明しなければならないことは多い。足かけ11年、大統領職に就いていた事実は重く、辞表提出が、直ちに11年間の公的責任から氏を解き放ってくれるという理屈は通るまい。
したがって「命の保障もされていなかった」ことを察知して東京から辞表を提出したからといって、一夜にして氏が私人に立ち戻ったと考えるのにはどうしても無理があるのだ。
曽野氏は「私人となった」フジモリ氏に滞在場所を提供したのは「キリスト教徒としての巡り合わせがある」(11月28日付、東京新聞)と述べている。また「裁き手は私ではない」(12月8日付、産経新聞「正論」欄)とも語っている。
前述のように私はフジモリ氏は「私人」ではあり得ないと考えているが、曽野氏のキリスト教徒としての包容力と愛に対しては敬意を払い同感するものである。また曽野氏もその他いかなる日本人もフジモリ氏を裁く必要も、その意図もないだろうと考えている。
だが、裁かずとも、愛ゆえに純粋な公正さをもって助言すべきことはある。それは、フジモリ氏は決して一私人ではないこと、氏にはペルー国民への説明義務と責任があると助言することだ。強制する必要は全くないが、少なくとも帰国して説明するのが誠意ある対応だと告げる必要はあるだろう。
が、繰り返すが、私たちを含めいかなる第三者も、帰国を強要すべきでもなく、また、してはならない。フジモリ氏の選択に任せるべきである。もし、氏がどうしても帰国を望まず、亡命を望む場合は、私たちにはまた別のすべきことがある。
国際社会に通用する新たな法整備を
その問題に入る前に、曽野氏の対応についてもう少し考えてみたい。フジモリ氏を受け入れた曽野氏にはさらに一歩、この問題に踏み込んでいく責任もあると考える。その責任とは、フジモリ氏受け入れは、氏に日本人の血が流れ、日本人の顔をしているからこその受け入れであると思われかねない現状を打破して、国際社会に通用する新たな価値観を打ちたて、その価値観を具現化する法整備を促していく責任である。
周知のように日本は伝統的に政治亡命者も難民も受け入れてこなかった。二重国籍も認めていない国である。
たとえば、ベトナム難民は、日本に流れついても基本的に滞在を許されず、日本を経由して米国などに移っていかざるを得ない。2000年春に来日したチベット仏教最高位の指導者、ダライ・ラマ法王に対して、日本政府は出来得れば来日してほしくないとの意向を色濃く滲ませつつ、日本滞在中は政治家に会わないこと、政治的発言をしないことなどの条件をつけた。法王は「日本は(中国に)遠慮している」と発言したが、中国による弾圧と長年戦ってきた同法王のこの指摘は、政治的に迫害されている人々や民族へのシンパシーが、日本国に欠けていることを明白に示したものだ。
またかつて、亡命状態にあった金大中氏が韓国のKCIAによって都内のホテルからソウルに拉致された時、日本国政府は、この犯行が韓国公権力によるものであることを突きとめていながら、原状回復を求めず、政治決着させた。拉致された金大中氏の身柄はそのまま氏を敵視する政権の下に置かれた。この事件でも日本国の人権、人道、亡命者などに対する配慮のなさが浮き彫りにされた。
こうした過去の幾多の事例とは対照的に、今回、日本政府は、事実上の政治亡命者であるフジモリ氏を受け入れた。受け入れは大いに結構である。が、その受け入れ方は控えめに言っても姑息である。受け入れの法的根拠は、フジモリ氏が日本国籍を有していたという新たに発見された“事実”である。
氏が日本国籍を保有していたのは氏が生れた時に、ご両親が日本大使館に出生届けを出したからだそうだ。だが、フジモリ氏は大統領時代、サムライ精神を強調しながらも自分を常にペルー人として位置づけたのではなかったか。それを今になって、実は日本国民だったというのでは「裏切られた」とペルー国民が感ずるのも当然であろう。
ペルー国民とは対照的に、日本政府、特に外務省は、フジモリ氏の日本国籍発見にほっと胸を撫でおろしているかのようだ。二重国籍を回避するための国籍法の改正は1985年に行われた。政府関係者は、国籍を持っているか否かもわからなかったフジモリ氏は改正国籍法の対象外であると述べ、85年の法改正を、遡ってフジモリ氏に適用することはないとの立場を示している。こうして、フジモリ氏の日本滞在の法的根拠が整えられたのだ。日本国政府は、フジモリ氏が亡命者か否かを考えることも、対処に頭を悩ます必要もなくなったのだ。
フジモリ氏問題は、日本国に、亡命、政治信条、人権、人道、自由などといった民主主義国を民主主義国たらしめる基本的価値観について、国家がどう向き合って公正な処理をしていけるかを問いかけるものである。処理の仕方によっては日本とペルーのみならず、日本と国際社会の間に深刻な軋轢を生む問題であるにもかかわらず、赤ン坊の時に付与されたとされる、殆んど誰も意識も認知もしていなかった日本国籍の保有という、小さな針の穴を通すような際どい法律論で、日本国政府はこの国際的政治問題から逃れようとしているのだ。このような姑息な法律論に逃げ込む日本には、明らかに国家としての公正さが欠落している。
日本政府が亡命者を基本的に受け入れないということを識ってか識らずか、フジモリ氏も述べている。
「亡命はどこにも求めていないし、これからも求めない。亡命など必要ない」(11月25日付、朝日新聞)。
巧まずして両者の立場は見事に調整された形である。亡命を認めず受け入れない国で、大統領は決して亡命を求めない代わりに、日本国籍を示して日本滞在の道を拓いたという構図である。
このような構図は、他国の人々にはどのように映るだろうか。フジモリ氏が日本国籍を持っているにしても、今回の措置がフジモリ氏のみの受け入れに限られるとしたら、それは一種の人種差別の色合いを帯びたものと誤解されかねない。現に私は、有楽町の外国特派員協会のメンバーから、その種の質問を複数受けた。亡命者を認めてこなかった坙{がフジモリ氏を受け入れたのは、氏が日系人だからではないかというのである。日本国籍故に受け入れたのだという“公式的な”説明は通用しないのだ。このような指摘を受けずとも、本来フジモリ氏受け入れは、もっと視野を広げ、亡命や難民問題にもっと深い理解を示す姿勢と共に行わなければならないのだ。
公正を重んじる主権国家としての責務
世界は、人も、お金も物も、国境を一挙に飛び越えていく時代に入っている。そんな時代に、亡命者を受け入れないというおかしな価値観を維持しつづけている日本にとって、フジモリ問題は、方向転換の恰好のチャンスでもある。
民主主義の成熟のために、人道主義の尊重のために、日本は公正を重んじる主権国としての亡命者受け入れに踏み切るべきだ。そうした変化を生じさせてはじめて、フジモリ問題を前向きに生かすことができる。が、そのような法改正へのコミットを示すことが日本に万が一、出来ない場合、私はフジモリ氏には、日本国の不決断と不明を詫びて、氏を政治亡命者としてきちんと受け入れ安全に守ってくれる他の国に送り届けるべきだと思う。日系人だからというような理由で、針の穴の法律論でごまかしてはならないのだ。
先に、フジモリ氏にはまず、ペルー国民に対して氏が負っている説明責任について助言し、次に、氏が帰国を望まず亡命を求める場合、私たち日本人にはまた別のなすべきことがあると書いたのは、このことである。
フジモリ氏の『サンデープロジェクト』での発言を聞いても、「読売新聞」での「フジモリ回顧録」を読んでも、さらには『新潮45』の「希望の国・ペルーへの道」を読んでも、東京での辞任劇の真相は、実はよく見えてこなかった。フジモリ氏は、まだ語れない事実や真相があると繰り返し、指摘している。
曽野氏と同じく、私にもフジモリ氏を裁くつもりはない。けれど、フジモリ氏に政治家として説明責任があることは、一連の文章を読み、発言を聞いたいま、より強く感じている。出来れば直接氏の話を聞いて、真相に近づきたいと考えている。
この問題に関して憶測を避け、事実関係に基づいて判断するために、フジモリ前大統領、氏を一私人として迎え入れた曽野綾子氏、ペルー大使館、外務省及び法務省の担当者らに取材を申し入れた。
フジモリ氏は、現在、長文の回顧録を執筆中であり、マスメディアとの会見も一巡し、個別の取材は暫く受けないということだった。曽野氏は、主張は自分の書いたものによって判断してほしいということだった。ペルー大使館と日本政府側は、今暫く、時間がほしいということだった。
本稿は当事者への取材が実現していない段階でのものである。取材が実現すれば、或いは異なる見方や判断も生じてくるかもしれない。そうしたことを承知で、この文章を、国籍や国家、亡命や人権、自由や責任ということを考えるための問題提起としてみたい。