「 国の財政赤字増大は官僚主導の政治と官の民業圧迫のツケ 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年1月27日号
オピニオン縦横無尽 第381回
国家経営を官僚主導から政治主導へと切り替えるための省庁再編は、あまりはかばかしく進んでいないようだ。新ポストの人事が官僚主導で決められ、首相補佐官はまだ任命されてもいない。省庁再編という大きなチャンスを生かせなければ、合理的で効率的な国家運営への切替えの機会は、また失われることになる。
官僚主導の結果、日本はどんな国になったか。興味深くも恐ろしい数字がある。日本の家計の金融資産は昨年3月で1390兆円、一方家計の金融負債は392兆円、大ざっぱにいって1000兆円の財産があることになる。一方、1390兆円は何に運用されているか。ほとんどが預金や年金保険である。それらは、郵貯を含む金融機関に預けられている。
金融機関は、ではいったい、どこで国民のおカネを運用しているのか。株や社債などへの直接金融的な投資もあるけれど、圧倒的部分が国や地方自治体への貸付けや債権になっているのだ。その合計は720兆円あまり、しかもこのなかには住宅金融公庫の負債は入っていない。それを入れれば800兆を超すだろう。ということは、国民の金融財産約1000兆円のうちのざっと80%が国に対する貸付けだということだ。が怖ろしいことに、国に対する貸付けには、担保もリターンもほとんどない。あるのは国に対する信用だけだ。
大蔵省は国の純資産は約700兆円もあると言ってきた。しかし、国民からこれだけ借金をしてきたのは、まさか万一の場合にすべての資産を現金化してでも返すという心積もりではないだろう。彼らには徴税権があり、いざとなればその権利を行使すれば切り抜けられるということではないのか。
そこで、公共債務720兆あまりを国民に返すにはどれくらいの税を徴収しなければならないか。現在、日本国の税収は約35兆円である。今と同額の税を少なくとも20年間、徴収し続けて、ようやく700兆ほど返すことができる。しかし、35兆分は、通常の行政サービスに必要な税であるため、私たち国民は、個人も法人も、今の倍の税を20年間払い続けなければ、国や地方に貸付けたりしたおカネを取り戻すことができなくなっている。
ここまで考えると、日本国の実態はブラックジョークになってしまう。ふるい流行歌に“こんな私にだれがした”というフレーズがあったが、本当に“こんな国にだれがした”のか。
情報開示を断固として拒否し続けている官僚主導の世界がある限り、国民のあずかり知らぬところで、国民の財産が、国や地方の公共債務に注ぎ込まれる事態は続くだろう。
こんな状態にもかかわらず、省庁再編で、国政における官僚主導は少しも弱まってはいない。金融面でいえば、郵貯、簡保が民間企業と国民の犠牲の上に隆盛を続けているということだ。
民間銀行の実態をみると、これも怖ろしい。昨年夏の統計では民間銀行の貸出しは450兆あまり、うち不良債権は63兆円だ。他方、自己資本は32兆円、うち7兆円が公的資金であるため、本当の自己資本は25兆円になる。自己資本の20倍近くの資本を運用しているわけだが、今後は不良債権に対して必要とされる引当て額をどう計算するかが問題になる。また、銀行の保有する有価証券は157兆円。債権はともかく株価が下落しているのは周知だ。157兆円の1割から2割下がれば、25兆円の自己資本など、すぐになくなってしまう計算になる。
ここまでくれば、すべての銀行が債務超過に陥る悪夢がかなりのリアリティを持ち始める。すべての元凶は、郵貯、簡保を筆頭とする官主導、国主導の無責任な経営と、公的機関の民業への圧迫である。