「 歴史に学べ、拉致問題の解決 」
『週刊新潮』 2003年9月18日号
日本ルネッサンス 第84回
日朝交渉の現状から、約80年も前のワシントン会議を連想させられる。
北朝鮮をめぐって8月末に開かれた北京での6カ国協議と日本を標的として開かれた1921年11月のワシントン会議には、共通点がある。ターゲットの国を包囲して追い込んでいく米国の外交戦略である。
振り返れば米国の提唱したワシントン会議は日米英仏伊の5カ国を主要メンバーとして、中国、ベルギー、オランダ、ポルトガルを加えて開催された。海軍軍縮会議として知られる同会議で日本の海軍力は米英日で5対5対3と定められた。だが、日本にとって最重要の意味を持ち、その後に深刻な戦略的影響を及ぼしたのは日英同盟の廃棄だった。
米国は1898年(明治31年)のスペインとの戦いに勝って以来、キューバを保護国とし、グアム、フィリピンを獲得して、外へ外へと力をのばし始めていたが、その先に見据えていたのが、東アジアの雄の日本との対立だった。米国が勢力を拡大していく限り、アジアで日本とぶつかるのは避けられない。その場合、英国が日本と同盟関係にとどまることは、米国にとっての障害である。
そこで米国は周到な下準備を行い、一部にためらいのあった英国を説得した。日英に米を加えた3国同盟に拡大するとの代替案も拒否した米国は、日英米に仏を加えた“多国間協議”の場に日英同盟廃棄案を持ち込んだ。これを、外交評論家の清澤冽は、『現代日本文明史3外交史』(東洋経済新報社)の中で米国が「水を割った」と表現した。
日英同盟を廃棄させて、日本を国際的に孤立させていくことになる米国の外交戦略の凄まじい強烈さを、仏を引き入れ“多国間協議”とすることで、薄めたというのだ。
日本は米国の戦略に屈し、なんの相互援助も盛り込まれていない日英米仏の4カ国条約締結とひきかえに、日本にとって、最善最強の同盟条約だった日英同盟を失った。
しかし、当時の日本はこのことを十分に認識していたとは思えない。全権代表加藤友三郎は、同会議での功績を認められて後に総理大臣に就任しているのだから。杏林大学教授の田久保忠衛氏が語る。
「侮ってはならないのは、米国の戦略力です。日本にとって日英同盟の廃棄のもたらした将来的な意味の深刻さは測りしれなかったのですが、米国は日英同盟を、巧みに実態のない日英米仏4カ国条約と入れ替えました。当時の日本と現在の北朝鮮を同列に論ずる気はありませんが、北京の6カ国協議で北朝鮮を孤立化させた状況と80年前に日本を孤立化させた状況には、構造的に共通するものがあります」
拉致解決を“要求せよ”
北京の6カ国協議には、当初、強硬な原則論を唱える米国と日本に対し、北朝鮮をかばい援助を続けてきた中露に加えて太陽政策の韓国がいた。北朝鮮にとっては2対3で有利とも読める状況だったが、終わってみれば、5カ国全てが、北朝鮮の核開発に「ノー」と言った。
『ウォールストリート・ジャーナル』は9月2日の社説で、「問題は単に核兵器の問題ではなく、金正日自身だ」と書いた。各国間に温度差はあれ、5カ国はとにもかくにも北朝鮮の現体制の問題点についての認識を共有した。北朝鮮への包囲網は確実にせばまったのだ。
日本の拉致問題はどう考えてもこの枠内で対処するのが得策である。
先週の小欄でも触れたが、日本政府は昨年10月15日に帰国した拉致被害者5人の子供さんと夫の計8人が帰国すれば、2国間で「国交正常化交渉」に入ると述べた。死亡とされる横田めぐみさんや有本恵子さんら10名の消息については交渉のなかで問うていくとの方針である。
帰国から1年が経とうとしているのに、未だに子供や夫とわかれわかれの現状にいる5人の方々、そしてその家族の皆さんの心を想えば、政府の方針は灼けるような想いに駆られた苦渋の選択であるかもしれない。だが、8人の帰国で“正常化交渉”に入ることは、右の包囲網から日本が離脱することにもなる。国家としての筋も通らない。日本単独での、筋の通らない外交は、必ずその弱点を突かれ失敗する。
拉致は北朝鮮による国家犯罪である。金正日総書記が拉致を認め、口頭で謝罪した。ならば、拉致問題の解決は交渉すべき事柄ではなく、要求すべき事柄である。国交正常化交渉のなかで確認を求めていくべき性質のものでは、全くないのである。
北京での協議最終日に、北朝鮮は「平壌宣言に基づいて、拉致問題を含めて問題をひとつひとつ解決していこう」と日本側に伝えた。だが、拉致にも金正日総書記の謝罪にも全く触れていない同宣言に拉致問題解決の根拠を求めることは出来るのか。
拉致解決なくして交渉なし
外務省は、平壌宣言の冒頭に「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立する」と謳っており、拉致問題はこの「懸案事項」に含まれると説明する。その読みが甘い。宣言は、金正日が拉致を認め、謝罪する前に準備されていたものだ。首脳会談の内容を全く反映しておらず、「家族会」も「支える会」も、当時、大反発した内容だ。そのような宣言に沿っての国交正常化交渉の枠内で、拉致問題が解決されるとは考えられない。
政府内にはまた、8人奪回後、10人の安否情報を求め、返答がなければ、そのときこそ経済制裁を科すとの意見がある。そこまで話し合いが進んで、安否情報さえも出てこないのならば、経済制裁に国民の支持も得られるとの分析である。
だが、そこまで考えているのであれば、10人の問題も解決しない限り、日本は正常化交渉には入らないと言明することだ。それなしに8人の帰国で“正常化交渉”に入るのは、北朝鮮に誤った印象を与え兼ねず、逆効果である。
原則論にこだわって、部分的ではあれ、いま、手にすることが出来るかもしれない解決を長引かせることは得策ではないとの意見も理解出来る。しかし、8人と10人の問題は一体であり、正常化交渉は、日本の全ての要求が実現してはじめて可能だとの立場を崩せば、拉致の部分的解決で終止符を打てるとの誤った考えを北朝鮮に与えるだろう。その場合、10人の安否確認の術は、長く失われてしまう危険性がある。
5人の方々の心情を想えば、原則論を主張するのは忍び難い。だが、6カ国協議で、5カ国の合意は出来た。北朝鮮包囲網が作られ、確実に狭まった。包囲され追い込まれた経験のある日本であればこそ、この種の国際的包囲網の締めつけ効果を記憶しているはずだ。だからこそ、いま、周囲の状況を見て、原則論から外れずに拉致についても北朝鮮を追い込んでいくことが重要である。