「 国立大学法人化法案の成立を許せば加速する官僚による大学の私物化 」
『 週刊ダイヤモンド 』 2003年7月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 500回記念拡大版
現在、参議院にかけられている国立大学法人化法案は、もし、今の内容のまま成立すれば、この国の息の根を本当に止めてしまう悪法になりかねない。
国立大学法人化法案は、当初文部科学省によって説明されていた「大学の自主性を高め、創意工夫で研究を深める」という目的とはまったく逆方向に進んできた。この点について、国会審議のなかで、遠山敦子文部科学大臣はじめ、河村建夫副大臣らが、明らかに虚偽の答弁を重ねているのは、いかなる理由か。
嘘も方便という。政治の世界、特に外交では、国益を守るために嘘も当然の側面はある。しかし、遠山大臣らの嘘は、どう考えても日本のためになる嘘ではない。日本の政治を司る立場にあるならば、日本の未来の可能性をつぶしかねない法案は、自らの進退をかけても止めるべきものだ。それを、偽りの答弁を重ねて国民に背信を働きつつ成立させようというのは、心底、許しがたい。
過日、小欄でも触れたが、国立大学法人化の最大の問題点は、大学の中期目標を文科大臣が決めるとした点だ。現在97の国立大学は、法人化で87になる。そのすべての国立大学の各学部で、6年間をひと区切りとしてどんな研究をするのかを、大臣が定めるのだそうだ。これを中期目標とし、大学はそれをどう具体化するかについて中期計画を作成し、文科省に許可してもらうのだ。
頭脳は文科大臣、手足は大学という構図である。しかし、87大学における全学部の学問、研究の中期目標を定める能力が、もとより大臣や文科官僚にあるはずがない。一連の作業のなかで、文科省側から大学に強い支配力が働くのも目に見えている。
何を研究するのかという大テーマを文科大臣に定められ、それに従って細かな計画を作らされる大学は、もはや大学とはいえない。
法人化は本来、大学の自主的な運営実現のための制度改革であった。にもかかわらず、現在の内容では、官僚の大学支配が強大化されるのみだ。事実、官僚の天下りポストとしての理事の数は3倍に増える。官僚の支配下で大学は、自主運営からも独創的研究からも奥深い知的活動からも遠ざかっていく。自由な発想を制限されるとき、学問研究はおのずと内側から崩れ落ちる。日本の知の拠点はなす術(すべ)もなく朽ちていく。
だが、遠山大臣は大学への官の支配を否定し、述べた。5月29日の参院文教科学委員会での発言である。
「国立大学法人の意見を聴き、あるいは尊重しということでございますから、(中期目標は)実際的には大学が定める、あるいは大学の原案をベースに決めていくわけです」
大臣の嘘を暴いた議員への苦しい答弁
「実際的には大学が定める」というのであれば、法律にそう書けばよい。しかし、そうは書かずに、「文科大臣が定める」としたのには隠された意図があるはずであり、遠山大臣らの答弁には必ず、嘘があるはずである。その嘘を暴いたのが、民主党の櫻井充参議院議員である。6月10日の参院文教科学委員会でのやり取りを見てみよう。
櫻井議員は、来年4月から法人化が始まるのであれば、大学はすでに中期目標や中期計画の作成に入っているのかと質問した。大学関係者に取材すれば容易に判明することだが、国立大学に対してはすでに厳しい指導が行なわれており、予算案の策定など、早くも4度も書き直させられたという大学もあった。こうした事情を受けて質問した櫻井議員に、遠山大臣は答えた。
「来年度の予算要求までのあいだに中期目標を定めたり計画をというようなことは、これはしないわけでございまして」
「いつの時点からやれとか、そんなことは私どもとしてはもちろん言っていないわけでございまして」
櫻井議員はなおも問うた。
「中期計画は大学単位で出せばいいんですか。それとも学部ごとですか。もしくは、参考資料のようなかたちで、各科ごとに示さなければならないんですか?」
答えたのは河村副大臣だ。
「大学協会側と協議したことのなかに、いわゆる中期目標、中期計画をお出しいただく。その他の参考資料は文科大臣による提示・許可の対象外ですから、どうぞお付けいただくことについては構わないということにしておるところです」
細かな点についての参考資料などは大学側が出したければ出せばよい、文科省はそこまで指導はしない、あくまで大まかな報告でよいと言っているわけだ。ところが、櫻井議員が提出したのは驚くべき資料だった。
「国立大学法人(仮称)の中期目標・中期計画の項目等について(案)」とされた2002年12月の資料である。A4横長の紙で5ページ、小さな字でぎっしりと印刷されている。
櫻井議員が質(ただ)した。
「この資料は、昨年12月10日に文科省と国大協(国立大学協会)と協議した際に使ったものと思われます。このなかにここまで書いてあります。『様式・分量は、A4判横長用紙に、横書き、10ポイント、1ページ40行、1行72文字、現段階では一大学当たりおおむね10から20ページ。中期目標、中期計画のほかに、参考資料として、学部等に固有の具体的事項を作成し、中期目標、中期計画の提出と同時に文部科学省に提出してください』とあります」
櫻井議員の示した資料によって、大学が文科省に提出すべき中期目標、中期計画は、文字の大きさ、ページごとの行数、行当たりの文字数まで決められていたことが判明したのだ。
笑ったのは、わざわざ「『本資料の書式』と同じにせよ」とまで書かれていたことだ。文科省は、5ページにわたりびっしり綴った指導書を手本として大学側に示し、同じ書式にせよと指導していたわけだ。なにが大学の自主自立か。櫻井議員が重ねて追及した。
「おまけにです。学部、研究科、附属研究所など各大学の基本的な教育研究組織ごとに、固有のより具体的な事項を記載してくださいと。分量は各組織ごとに5ページ以内を一応の目安にしてくださいと。文科省の(指導用の)資料として、もうこんなに細かい点まで盛り込んでいるじゃないですか」
遠山大臣と河村副大臣の嘘が判明した瞬間だ。大学の隅から隅まで目を光らせようとの文科省の狙いが見えてくる。こんな細部まで文科省の承認を得て運営しなければならないのでは、大学の自治も自由な研究心も萎えてしまう。まさに、学問の死である。
河村副大臣があわてた。
「これは私、訂正させていただきます」
遠山大臣も官僚出身者らしい弁明をした。櫻井議員は納得せず、審議は止まった。当然である。虚偽の答弁と官僚の自己利益追求。天下りポストの3倍増が顕著に示すように、この法案はまさに、“官僚による大学の私物化”のために作成されたものだ。
成立間際まで来たこの国立大学法人化法案は、最後の場面で、官僚の企みが露呈した。隠されていた事態が明らかになった今、このまま通してはならない。廃案か、根幹的修正で、大学法人化の本来の目的に沿うかたちに直すべきだ。
政治家は、官僚に操られて、この国の教育を誤ってはならない。