「 首相交代に浮かれることなく政策を賢く見ていきたい 」
『週刊ダイヤモンド』 2010年6月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 842
表紙一枚めくれば別世界。菅直人新首相への支持率が軒並み60%台に急上昇した。小沢一郎前幹事長と距離を置いたことが、支持率V字回復の最大の要因であるようだ。
菅新政権は小沢流の強引な党運営のイメージを払拭した。党政策調査会を復活、党内の政策議論を再開した。民主党のよさは開かれたかたちで活発な議論を行うところにあったのだから、これはこれで大いに結構だ。
そう考えていたら、菅首相が記者会見に応じなくなったと意外な報道があった。ぶら下がりといわれる立ったままでの会見を、従来の朝夕2回から1回に減らすそうだ。官房長官も同様に記者会見の頻度を半減させるそうだ。
情報収集の側に立つ身にしてみれば取材対象が頻繁に会見してくれるのがよいに決まっている。しかし、頻度と内容は必ずしも正比例しない。質問にきちんと答えてくれなければ、会見は無意味だ。その意味で、私は必ずしも頻度ばかりにこだわるものではないが、首相就任会見での言葉が気にかかる。
「取材を受けることによって、そのこと自体が影響して政権運営が行き詰まる」と、首相は述べた。
明らかに鳩山由紀夫前首相の多くの無責任発言を念頭に置いているのだが、これは本末転倒である。ぶら下がり会見を日に2度行ったから失言が飛び出したのではなく、失言しか出来ない政治家だったことが会見で明らかになっただけである。自民党時代から歴代首相は日に2度、会見を行ってきた。鳩山氏のような軽率発言を重ねる首相は以前にはいなかった。発言が政権運営の支障となるか否かは、あくまでも本人の資質の問題だ。
菅首相が取材に、逃げ腰で後ろ向きの姿勢を見せることをとりわけ残念に思うのは、氏が注目されるようになった大きなきっかけに薬害エイズ問題があるからだ。氏は同件で情報公開の大義をまっとうし、国民の共感を呼んだ。
厚生大臣に就任した菅氏は、それまで厚生省(当時)がひた隠しにしてきた膨大な関連資料を全公開させた。それによって薬害エイズがどのようにして生み出されたかが明らかにされた経緯がある。情報公開で脚光を浴びた政治家が、首相という最重要の情報発信源となった今、情報発信の機会の多さが政権運営を危うくすると考えるのは、おかしいのではないか。
開かれた政党と自負してきたはずの民主党だが、小沢氏をはずした現在でさえも国民に対する説明責任を果たす気はどれだけあるのかと、どうしても疑わざるをえない。その思いを強くするのは、鳩山前首相の辞し方である。
確かに鳩山氏は民主党の両院議員総会で、辞任の弁を一方的に語った。党内での意思表示であり、氏に対しては質問一つ出なかった。本来なら、首相として官邸で記者会見を行って、質問にも答えて、国民にきちんと説明するのが筋だ。説明責任もケジメもつけずに、今、前首相はあちらこちらで演説し、親からもらったおカネを材料にして、笑いを取るような発言を重ねていると報じられている。こんなことが許されるのか。
前首相の辞任問題も含めて、民主党が国民に説明すべき事柄が、もう一つある。政治資金問題である。鳩山氏も小沢氏も、この点についてなんら説明責任を果たしていないが、菅民主党政権はこのままほおかぶりでやり過ごすつもりなのだろうか。
菅新政権を世論は大いに歓迎している。とはいえ、民主党の中身は経済・財政政策も普天間問題も日教組を筆頭とする労組依存も、なにも変わっていない。新政権は文字どおり誕生したばかりで、以降の政権運営を見守ってから論評すべきだとは思う。しかし、その概要が前政権と大差ないのであれば、有権者の側も単なる党首交代にのみ目を向けるのではなく、個々の政策を賢く見ていくことが必要だ。
民主党のサービス液…
※ 画像は民主党とは無関係です。
民主党政権が 2009/09/16 からはじまりましたが、これの実態は、
与党・自民党の堕落、、つまり、「官民の癒着や天下り」「政権与党であり続けることが目的化された」政党としての、体幹の弱体化が原因である。 自民党は、「国家観や歴史観、安全保障」といった対立軸を選挙の争点にすべきだったのに、不甲斐なくもその対決を回避し、”サービス合戦”に終始した結果、そんな体たらくに支持者が「見限り」その票が民主に流れたわけだ。
これも、日本国民の「目先の利益しか見…
トラックバック by 欺瞞的善人の悲哀 — 2010年07月07日 19:13