「 スリランカが守る鳩山援助隊 」
『週刊新潮』 2010年2月18日号
日本ルネッサンス 第399回
日本時間の1月13日にハイチで起きた地震は、総人口1,000万人の国に死者21万人強、被災者300万人強の被害をもたらした。90%以上の建物が崩壊し、首都ポルトープランスは壊滅した。あれから約ひと月、瓦礫の片づけははかどらず、医薬品も食糧も水も不足している。
地理的に見てハイチは米国の裏庭である。それだけにオバマ大統領は直ちに反応した。ハイチ問題についての、最初の演説でこう語っている。
「ハイチ問題最優先」で「米国の指導力」を発揮する。「神の恵み」の下で、「南の隣人たちと連携」する。「陸軍、海軍、海兵隊、コーストガード」を投入し、「米軍は24時間体制の」救出活動を行い、「政府は1億ドル(約90億円)を支出する」。
ハイチは数年前まで、激しい反政府武装勢力の活動で社会不安が続いていた。国連は04年に、PKO部隊、「国連ハイチ安定化派遣団」を送った。06年の選挙で新政府が発足し、ようやく治安が回復しつつあった矢先の地震だった。
このハイチに外交攻勢を強めたのが中国だ。中国は04年以降国連PKOに150人の警察部隊を派遣していた。今回の地震で中国部隊の幹部8人が死亡、中国政府は彼らを「英雄」として国葬で讃えた。
中国がハイチに力を入れる理由に、中南米における台湾の影響力排除があるのは明らかだ。現在、中国とハイチ間に国交はない。台湾と国交を維持する国は現在23ヵ国で、内12ヵ国が中南米に集中しており、ハイチはそのひとつなのだ。
もうひとつの理由は米国の裏庭に影響力を及ぼすことだ。中国の動きは素早く、中国軍の第一陣は地震発生から33時間でポルトープランスに到着した。米国、アイスランド、プエルトリコに続く早さだった。
日本はどうか。施政方針演説で声を限りに「いのち」と連呼した鳩山由紀夫首相は、ハイチの地震発生から約36時間後の1月14日夕方、記者団の質問を受けて、述べた。
「多くの人命が失われたこと、心からお悔やみを申し上げたい」
陸上自衛隊の国際緊急医療援助隊(国緊隊)が派遣されたのは地震発生から9日目の1月21日だった。彼らは23日に現地入りし、医療活動を開始した。
サマーワと同じ構図
自然災害時の援助では、何よりも即応することが大事である。だが、被害国の状況によっては、医療活動といっても危険が伴う。ハイチの場合、元々の社会構造の不安定に加えて、食糧や水不足による不安と不満が募り、国連援助隊が住民に襲われるケースも多発した。逃げきれず、国連側が催涙スプレーをかけたケースさえある。医療隊といえども、身を守る武器携行が必要である。
今回、国緊隊の派遣に関して政府決定が遅れたのは、まさに隊員の「いのち」をどう守るのかについて、判断出来なかったからだ。関連法は国緊隊の武器携行を禁じている。かといって、ハイチでは国連PKO活動が続いていたのである。それは紛争が続いていることを意味する。刻々と入ってくる情報も、ハイチの社会不安と危険性について警告するものばかりである。そのような地域へ自衛隊を丸腰で派遣して、隊員の安全を担保出来るのか。その見極めに時間がかかり、9日がすぎたのだ。
安全確保に目処がついたからこそ、派遣に踏み切ったわけだが、具体的にはどういうことだったのか。国緊隊の約100名は、首都から西方約40キロの町、レオガンの、エピスコパル大学の敷地に診療施設を設営し、すでに千数百名の患者を手当した。
その彼らの安全を守るのはスリランカ軍である。エピスコパル大の設営場所から1.5キロ先に、国連のスリランカ軍2個中隊が設営しており、国緊隊に危険が及ぶような場合、目と鼻の先から救援に駆けつけてくれるという想定なのだ。国緊隊の設営場所は、スリランカ軍との距離の近さもあって決定されたといえる。
そのことを知って思わず嘆息するのは私だけではあるまい。イラクのサマーワで活動したとき、自衛隊の安全を英国軍やオランダ軍に守ってもらったのと同じ構図である。だが、スリランカの人口は2,000万人強、およそすべての面でわが国よりはるかに小国だ。その小国に、日本を守る負担をお願いしなければならないのだ。スリランカの人々に感謝しつつも、このような体制からは一日も早く脱しなければならない。
日本が国緊隊を派遣した1月21日、国連は軍事部門で2,000名、警察部門で1,500名のPKOの派遣を諸国に要請、日本政府は応えて、2月5日に自衛隊員350名の派遣を閣議決定し、一次隊の6日の派遣にこぎつけた。護身用の武器として、拳銃、小銃、機関銃も携行を許された。自衛隊のPKO部隊は避難民収容施設の用地造成や瓦礫の撤去、道路整備などを担当するという。
鳩山首相はこの展開について、「2週間という(短時間で)PKO派遣を決めることが出来た。今までになかったことで、感慨無量の思いがございます」と語っている。
自衛隊派遣の恒久法を
たしかに従来のPKO派遣に要した数ヵ月単位の時間に比較すれば、今回の派遣はかなり早い。理由は大別して2つある。
ひとつは防衛大臣直属部隊としての中央即応集団が07年3月、自民党政権のときに創設されていた点だ。中央即応集団は陸上自衛隊朝霞駐屯地に本部を置き、約4,000名の隊員で構成する。目的は「国際平和協力活動や国内の各種事態への即応」だ。すぐ任務に飛び出せるように、あらかじめ種々の予防接種を受けている。全員のパスポートは金庫に保管され、装備も整えられている。同集団創設以前は、隊員への予防接種だけで月単位の時間がかかっていた。
別の理由は、与党となった社民党が日本国の責任を認識し現実路線を選んだせいか、自衛隊のPKO派遣に反対しなかったことだ。野党の自民党も無論、反対しなかった。
自衛隊のPKO部隊の派遣に米国は好意的である。「米国の裏庭」で進む中国の影響力拡大の動きに当然、彼らは苦々しさを覚えているであろう。そこに価値観を共有する同盟国として、本来、協力が期待されている日本がかつてない早さで援助に入ったのだ。インド洋からの撤退や普天間飛行場移設での迷走が、これで帳消しにはならないが、鳩山政権への否定的見方を幾分緩和する材料にはなるだろう。
それにしても、この機会に鳩山政権が手をつけるべきことがある。自衛隊のPKO派遣をその度毎に決め、常に行動が遅れて評価されない現行制度から脱却して、今回のように素早い対応を可能にする自衛隊派遣の恒久法を制定することだ。自民党に異論があるはずはない。外交・防衛で一致協力するよい機会である。